02/19 サイトリニューアルに向けての作戦会議(第4回)
このところ文章の「速」について考えている。
たとえば昨日の記事の文章。
災害の記事、ということで関係各所へ配慮した結果、なんとも重たい文章になってしまった。まるで漢文か、それともワンピースの「歴史の本文」みたいで、自分で読んでも堅い堅い。これじゃ誰も読んでくれないよなぁ、PVは伸びないよなぁと反省しきり。
サイトリニューアルに向けて参考にしたいサイト(第3回参照)のテキストはいずれもかなり「速」が高くて、自分もこういうテキスト満載のサイトにしたいと思っている。ちょい前に「精神地理学」を題材に、速い/遅いテキストを書いてみたのだけれど、しっかり書こうとするとどうしても重たい、重い文章になるようだ。
今般「どむや繁盛記」に追加したカテゴリ「精神地理学」は、再生YMOのアルバム「テクノドン」に収録されている"Floating Away"から引用したものである。この曲の詞はSF作家のウィリアム・ギブスンから(朗読にて)提供されたもので、YMOがこれを切り貼りして歌詞としている。朗読の中でギブスンは"Psycho Geography"という単語を使ったが(のちの解説によれば)これは、彼が初めて日本を訪れ、夜の東京の街を歩いた時の困惑を表現したものらしい。初めて歩いた夜の東京は、映画「ブレードランナー」の舞台「チバシティ」にそっくりだったという。近未来の世界が突如現在の東京に現出したときの彼の驚きと当惑は想像に難くないだろう。一方、"Psycho Geography"の直訳である「精神地理学」は哲学者・宗教学者である鎌田東二氏の著作「聖地への旅~精神地理学事始(1999年)」でも使われていて、こちらは世界各地の聖地を巡る旅、近代思想によって幻想や迷信の領域に追いやられた見えないものを見るためのフィールドワークを意味するのだそうだ(未読。そのうち読む)。亭主の「精神地理学」はギブスンと鎌田氏のちょうど真ん中、何度も夢を見ることで浮かび上がる夢の中の地図の探求、現世の記憶と、精神という井戸からくみ上げられる「無意識」とが織りなす文様を読み解く試みと定義している。ラブクラフトの著作「幻夢境カダスを求めて」は夢の世界を旅する物語。佐々木淳子のコミック「ダークグリーン」シリーズもまた夢の世界(こちらは人々共通の夢)での戦いを描いた物語で、亭主の取り組みはこれら作品にも大きな影響を受けている。ただし周囲を改めて眺めてみるに、令和の今あらためて夢分析をしている人間も見当たらず、スピリチュアル・ブームが去った今だからこそ、一周回って新たな知見が得られるのではないかとひそかに期待している。
このテキストの速いヴァージョンを書いてみたら、単なる要約になってしまった。これは違う。
SF作家ウィリアム・ギブスンは、再生YMOのアルバムに向けた朗読のなかで"Psycho Geography"という単語を用いた。この単語は彼が初めて東京を訪れた夜の街に映画「ブレードランナー」の舞台「チバシティ」のイメージを重ねて生まれたのだそう。一方、直訳である「精神地理学」は哲学者・宗教学者鎌田東二氏の著作「聖地への旅~精神地理学事始」で世界各地の聖地を巡る旅と定義する。亭主が「どむや」で用いる「精神地理学」はギブスンと鎌田氏のちょうど真ん中、現世の記憶と無意識とが作り出す夢の中の光景を、一つの世界、一枚の地図として読み解く試みである。
口語体にしたらいくらか速くなるのか、細かい説明をとっぱらえばよいのかとあれこれ試行錯誤したが、結局のところ「速い文章=思考の速さ」なのだろう。
毎日みている夢の中身をつなぎ合わせて、一枚の「地図」にしたらどうかというアイデアに「精神地理学」という名前を付けた(元ネタは再生YMO "Floating Away")。どんな地図ができるかは亭主にもわからない。過去の記憶が作り出す懐かしい町の地図か、それとも深層意識が作り出す人外魔境か。長い仕事になると思うがぼちぼちやっていくつもり。
突然守護霊が降りてきて自動筆記してくれたらどんなに楽なことか。実際は気合いとノリでばばばっと書く感じ、しかし背後には様々な思いが詰まっている。ベルヌーイの定理から導き出される流量の式(チョーク流れ)がまさしくそれ。
v ∝ √(P/ρ)
ここで、v:流速、P:圧力、ρ:密度
テキストの速vは気合いPに比例し、内容の濃さρに反比例する。気合や想いが足りなかったり、複雑な話は速が小さい。ざっくりそんな感じだろうか。
最近のコメント