エッセイ

2021年2月19日 (金)

02/19 サイトリニューアルに向けての作戦会議(第4回)

 このところ文章の「速」について考えている。

 たとえば昨日の記事の文章。

 災害の記事、ということで関係各所へ配慮した結果、なんとも重たい文章になってしまった。まるで漢文か、それともワンピースの「歴史の本文」みたいで、自分で読んでも堅い堅い。これじゃ誰も読んでくれないよなぁ、PVは伸びないよなぁと反省しきり。

 サイトリニューアルに向けて参考にしたいサイト(第3回参照)のテキストはいずれもかなり「速」が高くて、自分もこういうテキスト満載のサイトにしたいと思っている。ちょい前に「精神地理学」を題材に、速い/遅いテキストを書いてみたのだけれど、しっかり書こうとするとどうしても重たい、重い文章になるようだ。

 今般「どむや繁盛記」に追加したカテゴリ「精神地理学」は、再生YMOのアルバム「テクノドン」に収録されている"Floating Away"から引用したものである。この曲の詞はSF作家のウィリアム・ギブスンから(朗読にて)提供されたもので、YMOがこれを切り貼りして歌詞としている。朗読の中でギブスンは"Psycho Geography"という単語を使ったが(のちの解説によれば)これは、彼が初めて日本を訪れ、夜の東京の街を歩いた時の困惑を表現したものらしい。初めて歩いた夜の東京は、映画「ブレードランナー」の舞台「チバシティ」にそっくりだったという。近未来の世界が突如現在の東京に現出したときの彼の驚きと当惑は想像に難くないだろう。一方、"Psycho Geography"の直訳である「精神地理学」は哲学者・宗教学者である鎌田東二氏の著作「聖地への旅~精神地理学事始(1999年)」でも使われていて、こちらは世界各地の聖地を巡る旅、近代思想によって幻想や迷信の領域に追いやられた見えないものを見るためのフィールドワークを意味するのだそうだ(未読。そのうち読む)。亭主の「精神地理学」はギブスンと鎌田氏のちょうど真ん中、何度も夢を見ることで浮かび上がる夢の中の地図の探求、現世の記憶と、精神という井戸からくみ上げられる「無意識」とが織りなす文様を読み解く試みと定義している。ラブクラフトの著作「幻夢境カダスを求めて」は夢の世界を旅する物語。佐々木淳子のコミック「ダークグリーン」シリーズもまた夢の世界(こちらは人々共通の夢)での戦いを描いた物語で、亭主の取り組みはこれら作品にも大きな影響を受けている。ただし周囲を改めて眺めてみるに、令和の今あらためて夢分析をしている人間も見当たらず、スピリチュアル・ブームが去った今だからこそ、一周回って新たな知見が得られるのではないかとひそかに期待している。

 このテキストの速いヴァージョンを書いてみたら、単なる要約になってしまった。これは違う。

 SF作家ウィリアム・ギブスンは、再生YMOのアルバムに向けた朗読のなかで"Psycho Geography"という単語を用いた。この単語は彼が初めて東京を訪れた夜の街に映画「ブレードランナー」の舞台「チバシティ」のイメージを重ねて生まれたのだそう。一方、直訳である「精神地理学」は哲学者・宗教学者鎌田東二氏の著作「聖地への旅~精神地理学事始」で世界各地の聖地を巡る旅と定義する。亭主が「どむや」で用いる「精神地理学」はギブスンと鎌田氏のちょうど真ん中、現世の記憶と無意識とが作り出す夢の中の光景を、一つの世界、一枚の地図として読み解く試みである。

 口語体にしたらいくらか速くなるのか、細かい説明をとっぱらえばよいのかとあれこれ試行錯誤したが、結局のところ「速い文章=思考の速さ」なのだろう。

 毎日みている夢の中身をつなぎ合わせて、一枚の「地図」にしたらどうかというアイデアに「精神地理学」という名前を付けた(元ネタは再生YMO "Floating Away")。どんな地図ができるかは亭主にもわからない。過去の記憶が作り出す懐かしい町の地図か、それとも深層意識が作り出す人外魔境か。長い仕事になると思うがぼちぼちやっていくつもり。

 突然守護霊が降りてきて自動筆記してくれたらどんなに楽なことか。実際は気合いとノリでばばばっと書く感じ、しかし背後には様々な思いが詰まっている。ベルヌーイの定理から導き出される流量の式(チョーク流れ)がまさしくそれ。

 v ∝ √(P/ρ)

ここで、v:流速、P:圧力、ρ:密度

 テキストの速vは気合いPに比例し、内容の濃さρに反比例する。気合や想いが足りなかったり、複雑な話は速が小さい。ざっくりそんな感じだろうか。

2021年2月 3日 (水)

02/03 サイトリニューアルに向けての作戦会議(第3回)

 Web界隈において、スマホやタブレットからのブラウズを意識したサイトデザインはもはや常識になっているが、肝心カナメの「サイトの中身=コンテンツ」についてなにか格段の進歩が見られたという話は残念ながら聞いていない。

 mixiが人気になってきた頃から、個人の情報発信のプラットフォームが個人のホームページからTwitterやFacebook、Instagramあたりに移ってきていることは確かで、TikTok、また転職系やペット系のSNSあたりのサービスを含め、「画像+短いテキスト」での情報発信・共有が標準になっているようである。

 変わり種は最近話題の「クラブハウス」で、これは音声で情報発信・共有するのだそう。

 ではいわゆる個人ホームページが消滅したのか、といえば(たしかにGeocitiesやInfoseekの閉鎖などでその数が大きく減ったものの)どっこい生きているわけで、たとえば「にほんブログ村」にはCDレビュー系ブログのランキングがあるし、「ほめぱげ」でGoogle検索すれば個人ホームページはまだまだたくさん生きている(問題なのはこういった個人ホームページにリーチする手段がほぼ失われていることだ)。とはいえ、コンテンツという観点からすればインターネット黎明期のものと何ら変わるものはなく、人類が「思考→言語→読解」という手順を踏む限り、そうそう簡単に変質しないのだろうと、むしろ勇気づけられて良いものなのかもしれない。

 亭主はかつて自ブログで、インターネット黎明期に綺羅星のごとく輝いていた優良コンテンツサイトとして「吉牛士一級への道」「ハッピーハッピーうさちゃんまつり'67」「ヤングオデオン」「サカムクレトンガリキッズ」あたりを挙げていた。前の2つはいわゆる「ネタ」サイト、後ろの2つは「評論」やエッセイ色の強いサイトだったと記憶している(「サカムクレ〜」は自ら制作したテクノトラックをRealオーディオで配信していた)。「ハッピー〜」が1996年開設とのことなので、上の4つはだいたい1996年±2年くらいの時代と思ってよい(このあたりの考証は「テキストサイト関連年表(https://fishq.ifdef.jp/trash/webtexthist.htmlに詳しい)。

 では後ろの2つがどんなサイトだったのかとあらためて説明するのは難しいのだが、事実を積み上げるのではなく、どちらかといえばハイテンションで駆け抜けるタイプのテキストだったと記憶している。最近よく言われる「エモさ」はなく、かといってバカ騒ぎ感もなかった。かいつまんでいえば「最新の話題を」「多少の笑いをからめて」「あっさり書く」。「どむや」もそんなコンテンツを目指したいと思っている。

2021年2月 2日 (火)

02/02 サイトリニューアルに向けての作戦会議(第2回)

 先日ラジオ番組で、雑誌「BRUTUS」2021年2月15日号の特集が「音楽と酒。」であると知った。

 本日、会社の帰りに書店に行ったところ、「音楽と酒。」の隣にムック「POPEYE 特別編集 ぼくの好きな音楽。」が置かれていて、エイヤとばかり両方購入した。なんという偶然。しかも両方ともタイトルの最後が「。(読点)」で終わっている。流行っているのだろう。

 早速自宅でパラパラと眺める。BRUTUSの特集はタイトルの通り「音楽」「酒」そしてそれを提供する「場」にフォーカスした企画で、様々な作家や芸能人、アーティストが、ナイスなバーで様々なトークを繰り広げる。音楽が聴ける国内の飲食店やジャズ喫茶の紹介、もちろん「音楽」や「酒」のレビューもある。

 一方POPEYEのムックには、128人の作家や芸能人、アーティストがおすすめする音楽が怒涛の物量で紹介されている。国内のみならず海外のアーティストの記事もある。見れば2020年7月に発刊されていて、コロナ禍の第3波で世界が大混乱に陥る直前ギリギリの企画であったことが伺える。

 どちらの雑誌にもCDレビューが相当数掲載されていて、丁寧に読めば相当のボリューム。ただ(編集してくれた人には申し訳ないが)全部はとても読んではいられない、というのが正直な感想だ。テキストの分量が膨大なうえ、すべてのレビューに興味があるわけではない。知っているアルバム、好きなアーティストのレビューをナナメ読みする程度だろう。しかし、そこに紹介されている音楽がどんなものであるかは分からないだろう。音楽の場合、「百聞は一見に如かず」ではなく「百見は一聴に如かず」なのだ。

 これは音楽レビューをメインコンテンツとする亭主のサイトにも言えることだ。サイトを訪れる人が亭主の聴いた音楽に興味をもつとは限らないし、よしんば興味を持ってもらったとしても、亭主のつたない文章から音楽の魅力を十分に知ることはできない。文章の限界、テキストサイトの限界、と早々にあきらめてしまうのもどうかと思う。BRUTUSやPOPEYEのCDレビュー(あるいはおこがましくも亭主のサイトのCDレビュー)がフォーマットの完成形の一つだとして、「どむや」がそれを踏まえてどうするか、伸るか反るか、それともまったく別の方向へと進むかを、考える必要がある。

 

 

 

2021年1月14日 (木)

01/14 サイトリニューアルに向けての作戦会議(第1回)

マキタスポーツ氏の「越境芸人」に「おば写」と「おじ写」という言葉があって、ナルホドと得心してしまった亭主である。

マキタ氏によれば「おば写」は構図を無視したパッションを感じられる写真。人の家の庭先に咲いている花を「まあ、きれい(はーと)」とかいいつつ撮っちゃうのが「おば写」だそう。一方「おじ写」は「こうみられたい」「誰かに見られたときに恥ずかしくないものを」みたいなつまらない言い訳、べき論的退屈さがある写真なのだそうだ。

翻って亭主のサイトを眺めれば、亭主の写真もまた「おじ写」の要素が強い。どこか引いているというか、醒めているとか、パッションと呼ぶにはほど遠いものが多くて、「パッション」がサイトリニューアルの際の一つのコンセプトになるのかな、と思ってみたりする。

まずもって、1998年に亭主がデジカメ(Fujifilm FinePix 700)を買ったときに、最初に思い浮かんだ用途が「ホームページのための素材集め」や「PCのデスクトップの壁紙」で、素材(テクスチャ)も壁紙も、どちらかといえば一歩引いた画像なのだから亭主のメンタリティは「おじ写」よりももっと実用性に寄ったものなのだろう。だがDomuya Portalのトップページの画像に「おじ写」的な言い訳があることは否定できず、結果的に淡々とした内容のサイトになっているのではないか。

亭主のスマホのアルバムを眺めてみると、だいたい98%は犬の写真で、残りはラーメンの写真という有様である。パッションはおろかホームページの素材すらないという体たらくに絶望するが、そもそも街歩きが自粛されているなかで、見慣れた身の回りの品物にパッションを感じろというのが無理な話である。

もう一つ。手元にスマホがあるから常にパッションのある写真が撮れるとは限らない。いつでも撮れるという安心感が、写真を撮る行為をおろそかにしている。本来写真を撮る行為とは、もっと緊張感のあるもの、一瞬のチャンスをものにするための真剣勝負の結果なのではないかと思うのだ。

思うだけだけど。

歳をとって気分がすっかり沈滞しているのもよろしくない。歳を経るにつれ人生の可能性がどんどん失われ、選択肢がせばまり、貯金がどんどん目減りし、毎朝起きてもHPがぜんぜん回復していない、という現実がパッションを無くしている原因ーーー

とかもう考え始めるとどんどんおなか急降下なので、もうこれ以上はなにも言わないけれど。マキタ氏によれば「おば写」と初期のヒップホップは「つい、うっかり」という点でよく似ているという。敷衍すれば「おば写」のパッションは芸人のそれとも共通するだろう。してみると亭主のサイトリニューアルの原動力はもしかしたら「つい、うっかり」であり芸人的なメンタリティなのかもしれない。

以前の「Plannet Act3」や「四季旬彩どむや」にはそんな芸人的なメンタリティを持つコンテンツ(たとえば廃墟とかラーメンとか、一発芸的な写真とか)が結構あったように思えて、ああいうノリは間違っていなかったなと改めて思う。ただ、ああいうコンテンツは賞味期限が短く、蓄積していってもまったく厚みが出ない(この「厚み」についてはいずれ改めて考えてみたいと思う)。

亭主のサイトリニューアル、まだまだ考え中といったところだが「パッション」と「つい、うっかり」というキーワードはありがたくいただいておきたい。

2017年6月 4日 (日)

06/04 亭主ぶらり旅(第1回・新橋)

新橋へ出張した際、最近流行の「ぶらり旅」などしてみようと思いつく。

なに、大したことはない、下調べなしに適当な店に入り、その店の美味いものを堪能してやろういうだけだ。

街は昼時、昼食求めてサラリーマンがごった返すなか、通りに小さな喫茶店があるのを発見する。店先には店名と、「コーヒー」「携帯電話使用お断り」の張り紙があるだけで、他には何も情報がない。重い扉をギイと開けて中に入ると、店内はすさまじい煙草の臭い。

しまったと思った時にはもう遅い、店主らしき人間がこちらを見ている。店内には8席ほど、うち3席に客が座っていて、しかも全員煙草を吸っている。亭主はまったく煙草を吸わないので、においだけでも勘弁してほしくなる。

しかたなく席に座りメニューを見るが、ドリンクしか書いていない。ふと「サンドありません」との書き物があって、食べるものが一切ないことに気が付く。店の人がやってきて、灰皿をゴトンと目の前に置く。しかたなくアイスコーヒーを注文、待っている間に客が二人、三人とやってきて、その誰もが煙草を吸い始める。出されたアイスコーヒーを一気に飲み干し、金を払って店を出た。

愛煙家にとって、食後の一服は何にも代えがたいことは理解しつつ、亭主のような人間にはガス室に放り込まれたような、地獄にも等しい体験であった。

飛び込みで入った店があたりだった、などということはそうそうない。テレビやコミックのあれは周到に事前調査された店なのだ。

きっと。

2016年5月18日 (水)

05/18 日々雑感

このところ、ブログの文章のクオリティが低下している。

原因は文章を夜中に書いているから。眠気と戦いつつ限られた時間の中で文章を作成しているため、あとから読むと「なんじゃこりゃ」という文章になっている場合が多い。

本来ならばまとまった時間をとって、いろいろな資料を参照しながらじっくりと作成したい(たとえばCDレビューなどはその最たるものだ)。情報には正確を期したいし、個人の感想であっても自分の中で十分に吟味してから開陳したい。

一方で、短時間に文章を書く、というのは文章作成のトレーニングでもある。限られた時間と、限られた文字数の中に必要な情報を的確に記すことは、私生活よりもむしろ業務に役立つ。

しかるに、ブログの文章のクオリティが低下している昨今の状態は、トレーニングになっていないことを意味する。たいへんよろしくない。

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ところで、文章のクオリティとは、どういうものを指すのだろうか。

漠然とではあるが、亭主はクオリティを大きく3つに分類している。

・情報の正確性
・情報の有用性
・構成の美しさ

正確性は、ずばりそのままの意味、情報が正確であること。事実に基づき、客観的に記載されていることを指す。有用性は、情報が有用であること。このブログならではの視点であるとか、多くの人が知らないと思われる情報を記載することで、ブログ全体の価値を高めることができる。

構成の美しさは少し漠然としている。シンプルな文章、結論への見通しがよい文章、前置きと本文・結論のバランスがよい文章、などがこれにあたる。ただ、美しさというのは主観が入る場合も多いため、「読みやすい」記事とざっくりと言ってしまってもよいのかもしれない。

文章のクオリティは、ブログやホームページ全体のクオリティ向上にもつながる。正確性にせよ有用性にせよ美しさにせよ、文章を作成するための十分な準備時間とクリアな思考がなければ実現しない。現状のように寝る前の1時間やそこらで片づけられる問題ではない。

ではどうすればよいのか。

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いまのままで十分な時間とクリアな思考を確保し、クオリティの高い文章を作るならば、寝る前の1時間に限定せずに常に素材となる情報をあつめ、自分の考えを練り上げていくしかない。亭主もいちおうは勤め人なので、昼間は仕事のことを考えざるを得ない。仕事の合間になんとか時間を見つけていくしかないのだ。

亭主が知るクオリティの高い文章(を持つブログ)の書き手の多くは、ブログの内容がその人の本業に直結している。あるいは自営業など自分で時間をマネジメントできる。こういう人たちの文章は美しいし、有用である。正確かどうかはわからないが信頼している。

勤め人だからこそ、上に書いたような人々のライフスタイルにあこがれている、ともいえる。亭主がトレーニングと称してブログを続けているのは、上のような人々に近づきたいと思っているからにほかならない。

2015年12月 9日 (水)

12/09 星座巡礼

夜、わんこたちとの散歩で、夜空の星を眺めている。

特に冬は空気が澄んでいる上に、オリオン座がちょうど東の空に上ってくるのだ。
オリオン座の有名な三ツ星は、左からアルニタク、アルニラム、ミンタカ。
三ツ星の左上はベテルギウス、右上はベラトリックス。左下はサイフ、右下はリゲル。
分かりやすい。

実は亭主、星座については全くの無知だったのだが、わんこたちを散歩していてなんとなく興味がわき、少しづつ星の名前を覚えているのだ。

オリオン座を基点に、あの星は、あの星はと辿っていく。まるで星星を巡礼しているようである。

サイフの左には、プロキオン。プロキオンの近くにあるのがゴメイザ。

ベテルギウスの左には、アルヘナ(これは覚えにくい)。らくだの首の焼印を意味するらしい。ふたご座γ星。

アルヘナのさらに左にある二つの星は、ふたご座のカストルとポルックス。

リゲルの右下には、シリウス。シリウスの少し上にあるのがムルジム(これも覚えにくい)。

ベテルギウスの上には、おうし座のアルデバラン。

アルデバランの左には、ナト(エルナトともいうらしい)。ナトからさらに左に明るく輝くのがぎょしゃ座のカペラ。

そんなところ。

星の名前を覚えてなんということもないが、なんとなく心が安らぐ気もする。わんこたちと一緒に、少しづつ覚えていったら、いつか夜空の全ての星を巡ることができるだろうか。

2014年11月18日 (火)

11/18 日々雑感(ネットの究極の選択的質問から)


わりと真剣に考えて、こう答えた。


このタイプの問題は、回答者に二者択一を迫ることで思わぬ本音を引き出すためにあるように思う。が、質問自体をよくよく設計しないと、二者択一の天秤をするりとかわす答えが出てくることになる。

質問によれば、自分は、世界を代表する科学者であるという。おそらく、世界最高の頭脳・叡智と洞察を備えていて、世界を救う最後の希望たる人物なのであろう。となると、病気を治すのは自分しかいないということになる。

チンパンジーか、障がい者、どちらかが犠牲になれば世の中は助かる、というのがこの質問の重要な点だ。つまり、生物実験を繰り返さずとも、たった1回の実験で未知の病気の対抗策が見出せるというのである。

となれば、科学者は、どちらを犠牲にするまでもない。自分自身に実験をすれば良いのだ。実験しさえすれば良いのならば、二者択一で悩む必要は全くない。もし実験が成功すれば自らは助かるのだろうし、失敗すれば助からず、世界を救う最後の希望が失われても仕方がない。

世界を代表する科学者であり、この世界の最後の希望ならば、それくらいの責任は負ってしかるべきであろう。これは感情論ではなく、むしろ科学技術に対する、研究者の責任の取り方の問題であろうと

そんなことを考えて答えた次第。



2014年11月 5日 (水)

11/06 日々雑感

亭主自身、「どむや」における本や音楽のレビューのクオリティに全く満足していない。

作品のうわっつらを撫でるばかりで、深い考察や思い入れを語っていない。他のレビューサイトのクオリティの高さ、思索の深さに比べれば、本サイトにおけるレビューの浅さはある種「無責任」と言っても良い。

ただ、亭主は、この「無責任」さを意識して受け入れている。

短期間にレビュー記事を仕上げることは、「助走ナシでどこまで高くジャンプできるか」という瞬発力のトレーニングに通じると感じているからだ。

もっとも、瞬発力の高い記事がかけたからといって、そこに誤った情報や、いわれのない中傷が含まれるようではいけない。助走ナシという限られた瞬間の中で、誤った情報や中傷を含まない記事を書くにはある種の「覚悟」が必要になる。

年々加速するビジネスシーンにおいても同じことが言える。情報の奔流のなかで、何が正しく何が誤っているのか、どれを採用しどれを捨てるのか、中長期的に見てどこに進むのがもっとも「マシ」なのかを瞬時に判断するスキルの重要性はますます高まっている。

瞬時に正しい方向を選び出すとともに、万一誤りだった場合のリスクを最小限にする。

と同時にリスクを受け入れる覚悟をも持つ。

果たしてこの心がけがビジネスシーンで有用に働いているかどうかは判らない。

実際のところ、もろもろのレビューを眺めてみると、文章がかなり定型化しているようにも見える。瞬発力よりも効率を優先しているようにも見える。要するに手を抜いている。本当にこれで良いのかと不安になることもある。もっとも、日々の生活の中で、本を読んだり音楽を聴いたり、あるいはゆっくりとそれらについて考える時間や考えた結果を文章としてまとめるための自由な時間はほとんどない。

瞬発力よりも効率を鍛えているのならば、それでもよいかもしれない―――と、もう少し続けてみようと考えている。

2014年10月28日 (火)

10/28 日々雑感

以前はわりと熱中していたスマホゲームだが、最近はとんと遊ばなくなった。

iPhoneでは、「にゃんこ大戦争」、そして「グランブルーファンタジー」をプレイしていたが、なんとかプレイヤーの興味を惹こうと、あわよくばお金を使ってもらおうと運営側が次々としかけてくるイベント類に疲れ果て(あるいは飽きて)てしまったのだ。

期間限定イベント、時間限定イベント、追加シナリオ、レアアイテムゲット、レアキャラゲット、ガチャのための経験値稼ぎ、他プレイヤーとの協力、競争、バトル。

開始当初はゲームを楽しんでいたはずなのに、いつの間にか単純作業の繰り返しになっている。ゲームを遊んでいるはずがいつのまにかゲームに遊ばれ、貴重な時間を無駄にしている。目も随分わるくなった。

あるときハタと気がついて、ゲームをきっぱりとやめた。

以降、スマホでは一切ゲームをしていない。

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亭主自身はゲームそのものを否定しない。常識の範囲内で、他人に迷惑をかけず、日常生活に支障のない範囲で楽しむ分には問題はなかろうし、そもそも日常生活に支障をきたしたとしても、それはその人の人生である。こと大学生以上の人間に対してとやかくいう筋合いはない。

ただ一つ指摘しておきたい。

ゲームで得られたレアアイテムやキャラクターは、決して現実に持ち越せない。やり込みで得られた膨大な経験値は現実世界で役に立たない。ゲームを効率よくこなすための手順は他のゲームにすら使うことができない。

あるときハタと気がついて、それを空しく感じないならば、それでも良いと思うのだけれど。

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