エッセイ

2017年6月 4日 (日)

06/04 亭主ぶらり旅(第1回・新橋)

新橋へ出張した際、最近流行の「ぶらり旅」などしてみようと思いつく。

なに、大したことはない、下調べなしに適当な店に入り、その店の美味いものを堪能してやろういうだけだ。

街は昼時、昼食求めてサラリーマンがごった返すなか、通りに小さな喫茶店があるのを発見する。店先には店名と、「コーヒー」「携帯電話使用お断り」の張り紙があるだけで、他には何も情報がない。重い扉をギイと開けて中に入ると、店内はすさまじい煙草の臭い。

しまったと思った時にはもう遅い、店主らしき人間がこちらを見ている。店内には8席ほど、うち3席に客が座っていて、しかも全員煙草を吸っている。亭主はまったく煙草を吸わないので、においだけでも勘弁してほしくなる。

しかたなく席に座りメニューを見るが、ドリンクしか書いていない。ふと「サンドありません」との書き物があって、食べるものが一切ないことに気が付く。店の人がやってきて、灰皿をゴトンと目の前に置く。しかたなくアイスコーヒーを注文、待っている間に客が二人、三人とやってきて、その誰もが煙草を吸い始める。出されたアイスコーヒーを一気に飲み干し、金を払って店を出た。

愛煙家にとって、食後の一服は何にも代えがたいことは理解しつつ、亭主のような人間にはガス室に放り込まれたような、地獄にも等しい体験であった。

飛び込みで入った店があたりだった、などということはそうそうない。テレビやコミックのあれは周到に事前調査された店なのだ。

きっと。

2016年5月18日 (水)

05/18 日々雑感

このところ、ブログの文章のクオリティが低下している。

原因は文章を夜中に書いているから。眠気と戦いつつ限られた時間の中で文章を作成しているため、あとから読むと「なんじゃこりゃ」という文章になっている場合が多い。

本来ならばまとまった時間をとって、いろいろな資料を参照しながらじっくりと作成したい(たとえばCDレビューなどはその最たるものだ)。情報には正確を期したいし、個人の感想であっても自分の中で十分に吟味してから開陳したい。

一方で、短時間に文章を書く、というのは文章作成のトレーニングでもある。限られた時間と、限られた文字数の中に必要な情報を的確に記すことは、私生活よりもむしろ業務に役立つ。

しかるに、ブログの文章のクオリティが低下している昨今の状態は、トレーニングになっていないことを意味する。たいへんよろしくない。

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ところで、文章のクオリティとは、どういうものを指すのだろうか。

漠然とではあるが、亭主はクオリティを大きく3つに分類している。

・情報の正確性
・情報の有用性
・構成の美しさ

正確性は、ずばりそのままの意味、情報が正確であること。事実に基づき、客観的に記載されていることを指す。有用性は、情報が有用であること。このブログならではの視点であるとか、多くの人が知らないと思われる情報を記載することで、ブログ全体の価値を高めることができる。

構成の美しさは少し漠然としている。シンプルな文章、結論への見通しがよい文章、前置きと本文・結論のバランスがよい文章、などがこれにあたる。ただ、美しさというのは主観が入る場合も多いため、「読みやすい」記事とざっくりと言ってしまってもよいのかもしれない。

文章のクオリティは、ブログやホームページ全体のクオリティ向上にもつながる。正確性にせよ有用性にせよ美しさにせよ、文章を作成するための十分な準備時間とクリアな思考がなければ実現しない。現状のように寝る前の1時間やそこらで片づけられる問題ではない。

ではどうすればよいのか。

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いまのままで十分な時間とクリアな思考を確保し、クオリティの高い文章を作るならば、寝る前の1時間に限定せずに常に素材となる情報をあつめ、自分の考えを練り上げていくしかない。亭主もいちおうは勤め人なので、昼間は仕事のことを考えざるを得ない。仕事の合間になんとか時間を見つけていくしかないのだ。

亭主が知るクオリティの高い文章(を持つブログ)の書き手の多くは、ブログの内容がその人の本業に直結している。あるいは自営業など自分で時間をマネジメントできる。こういう人たちの文章は美しいし、有用である。正確かどうかはわからないが信頼している。

勤め人だからこそ、上に書いたような人々のライフスタイルにあこがれている、ともいえる。亭主がトレーニングと称してブログを続けているのは、上のような人々に近づきたいと思っているからにほかならない。

2015年12月 9日 (水)

12/09 星座巡礼

夜、わんこたちとの散歩で、夜空の星を眺めている。

特に冬は空気が澄んでいる上に、オリオン座がちょうど東の空に上ってくるのだ。
オリオン座の有名な三ツ星は、左からアルニタク、アルニラム、ミンタカ。
三ツ星の左上はベテルギウス、右上はベラトリックス。左下はサイフ、右下はリゲル。
分かりやすい。

実は亭主、星座については全くの無知だったのだが、わんこたちを散歩していてなんとなく興味がわき、少しづつ星の名前を覚えているのだ。

オリオン座を基点に、あの星は、あの星はと辿っていく。まるで星星を巡礼しているようである。

サイフの左には、プロキオン。プロキオンの近くにあるのがゴメイザ。

ベテルギウスの左には、アルヘナ(これは覚えにくい)。らくだの首の焼印を意味するらしい。ふたご座γ星。

アルヘナのさらに左にある二つの星は、ふたご座のカストルとポルックス。

リゲルの右下には、シリウス。シリウスの少し上にあるのがムルジム(これも覚えにくい)。

ベテルギウスの上には、おうし座のアルデバラン。

アルデバランの左には、ナト(エルナトともいうらしい)。ナトからさらに左に明るく輝くのがぎょしゃ座のカペラ。

そんなところ。

星の名前を覚えてなんということもないが、なんとなく心が安らぐ気もする。わんこたちと一緒に、少しづつ覚えていったら、いつか夜空の全ての星を巡ることができるだろうか。

2014年11月18日 (火)

11/18 日々雑感(ネットの究極の選択的質問から)


わりと真剣に考えて、こう答えた。


このタイプの問題は、回答者に二者択一を迫ることで思わぬ本音を引き出すためにあるように思う。が、質問自体をよくよく設計しないと、二者択一の天秤をするりとかわす答えが出てくることになる。

質問によれば、自分は、世界を代表する科学者であるという。おそらく、世界最高の頭脳・叡智と洞察を備えていて、世界を救う最後の希望たる人物なのであろう。となると、病気を治すのは自分しかいないということになる。

チンパンジーか、障がい者、どちらかが犠牲になれば世の中は助かる、というのがこの質問の重要な点だ。つまり、生物実験を繰り返さずとも、たった1回の実験で未知の病気の対抗策が見出せるというのである。

となれば、科学者は、どちらを犠牲にするまでもない。自分自身に実験をすれば良いのだ。実験しさえすれば良いのならば、二者択一で悩む必要は全くない。もし実験が成功すれば自らは助かるのだろうし、失敗すれば助からず、世界を救う最後の希望が失われても仕方がない。

世界を代表する科学者であり、この世界の最後の希望ならば、それくらいの責任は負ってしかるべきであろう。これは感情論ではなく、むしろ科学技術に対する、研究者の責任の取り方の問題であろうと

そんなことを考えて答えた次第。



2014年11月 5日 (水)

11/06 日々雑感

亭主自身、「どむや」における本や音楽のレビューのクオリティに全く満足していない。

作品のうわっつらを撫でるばかりで、深い考察や思い入れを語っていない。他のレビューサイトのクオリティの高さ、思索の深さに比べれば、本サイトにおけるレビューの浅さはある種「無責任」と言っても良い。

ただ、亭主は、この「無責任」さを意識して受け入れている。

短期間にレビュー記事を仕上げることは、「助走ナシでどこまで高くジャンプできるか」という瞬発力のトレーニングに通じると感じているからだ。

もっとも、瞬発力の高い記事がかけたからといって、そこに誤った情報や、いわれのない中傷が含まれるようではいけない。助走ナシという限られた瞬間の中で、誤った情報や中傷を含まない記事を書くにはある種の「覚悟」が必要になる。

年々加速するビジネスシーンにおいても同じことが言える。情報の奔流のなかで、何が正しく何が誤っているのか、どれを採用しどれを捨てるのか、中長期的に見てどこに進むのがもっとも「マシ」なのかを瞬時に判断するスキルの重要性はますます高まっている。

瞬時に正しい方向を選び出すとともに、万一誤りだった場合のリスクを最小限にする。

と同時にリスクを受け入れる覚悟をも持つ。

果たしてこの心がけがビジネスシーンで有用に働いているかどうかは判らない。

実際のところ、もろもろのレビューを眺めてみると、文章がかなり定型化しているようにも見える。瞬発力よりも効率を優先しているようにも見える。要するに手を抜いている。本当にこれで良いのかと不安になることもある。もっとも、日々の生活の中で、本を読んだり音楽を聴いたり、あるいはゆっくりとそれらについて考える時間や考えた結果を文章としてまとめるための自由な時間はほとんどない。

瞬発力よりも効率を鍛えているのならば、それでもよいかもしれない―――と、もう少し続けてみようと考えている。

2014年10月28日 (火)

10/28 日々雑感

以前はわりと熱中していたスマホゲームだが、最近はとんと遊ばなくなった。

iPhoneでは、「にゃんこ大戦争」、そして「グランブルーファンタジー」をプレイしていたが、なんとかプレイヤーの興味を惹こうと、あわよくばお金を使ってもらおうと運営側が次々としかけてくるイベント類に疲れ果て(あるいは飽きて)てしまったのだ。

期間限定イベント、時間限定イベント、追加シナリオ、レアアイテムゲット、レアキャラゲット、ガチャのための経験値稼ぎ、他プレイヤーとの協力、競争、バトル。

開始当初はゲームを楽しんでいたはずなのに、いつの間にか単純作業の繰り返しになっている。ゲームを遊んでいるはずがいつのまにかゲームに遊ばれ、貴重な時間を無駄にしている。目も随分わるくなった。

あるときハタと気がついて、ゲームをきっぱりとやめた。

以降、スマホでは一切ゲームをしていない。

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亭主自身はゲームそのものを否定しない。常識の範囲内で、他人に迷惑をかけず、日常生活に支障のない範囲で楽しむ分には問題はなかろうし、そもそも日常生活に支障をきたしたとしても、それはその人の人生である。こと大学生以上の人間に対してとやかくいう筋合いはない。

ただ一つ指摘しておきたい。

ゲームで得られたレアアイテムやキャラクターは、決して現実に持ち越せない。やり込みで得られた膨大な経験値は現実世界で役に立たない。ゲームを効率よくこなすための手順は他のゲームにすら使うことができない。

あるときハタと気がついて、それを空しく感じないならば、それでも良いと思うのだけれど。

2014年10月 4日 (土)

10/04 日々雑感

妻の部屋の模様替えを手伝ったところ、ニトリで買った大型の机と、社長椅子が余った。

以前に、何も考えずに「余ったら私が貰うよ」などと言ったことがあって、何の躊躇も無く亭主の部屋に運び込まれた。

この家に越してより、亭主は自分の部屋に小さなちゃぶ台を置き、そこにディスプレイとキーボード、それにマウスを置いてちゃぶ台トップ環境としていたのだけれど、今回机と椅子が入ったことから本格的にデスクトップ環境に移行した。若干雑然としてはいるが、必要なものが机の上にすべてあって、手が届く状態になっている、というのは気持ちいいものだ。

なんとなく独身の頃を思い出した。

myroom20141004.jpg机の奥には、サブのオーディオシステムが置いてある。

Speaker : Celestion 5
Power Amp : 茨城オーディオ12v6 p.p. Tube Amp(真空管アンプ)
USB-DAC : Audinst HUD-mx2
再生ソフト : iTunes 11

Audinst HUD-mx2はスピーカ(RCA)とヘッドフォン端子の切り替えが可能であることから、AKG K-501を併せて使用している。

なお、再生ソフトとしてFoobar 2000も併用している。こちらはM2TECH Hiface-Evo(DDC) - Rotel RDD-06(DAC)を経てメインシステムへと接続しており、Foobar 2000の音はメインシステムから再生される仕掛けだ。亭主のPCオーディオは、メイン、サブ、ヘッドフォンの3種を気分に応じて使い分けているが、いまのところどれもほぼ均等に使っていて、しかもどれもそれぞれに気に入っている。

一番良い(と思われる)もの、気に入ったものしか使わない亭主にとって、3種を均等に使うというのは実は珍しいことだ。

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サブのオーディオシステムの下には、カラーボックスを都合4個並べた本棚がある。ちゃぶ台を使っていた頃は、カラーボックスに何でもかんでも突っ込んで、ちょっとした「魔窟」状態になっていた。ただ、机を入れたところ本棚の一部がアクセス不能となってしまったため、この部分の荷物整理を試みている。デジカメやそのアクセサリ、海外旅行に行ったときの外貨の余りや、読まずにとりあえず放り投げていたダイレクトメールの類は整理できたものの、ここ数年買ったCDは整理しきれずに机の下に積んである。

myroom20141004-2.jpgもちろんCDを整理する衣装ケースは背後に30箱ほどあるのだけれど、正直もう入るスペースがない。衣装ケースに入れてしまったが最後、埋もれて2度と出てこないような気もしてならない。

このCDをどう整理するか、いっそのこと背後の衣装ケースを全て処分して、CDを壁面一面に収納するようなラックを自作してしまおうかなどと妄想している今日この頃である。






2014年9月 6日 (土)

09/07 日々雑感

たまには近況などを。

ここ1週間ほどめまいが酷く、会社でも家でも厳しい状況が続いている。

仕事も、家も手を抜くことができないため、辛い身体に鞭を打って・・・というよりも、すっかりガタがきて思うようにパワーの出ない車のアクセルをめいっぱい踏み込むようにして、なんとかしのいでいる。ドリンク剤を飲んでみたり、レッドブルやMonster、Raisin、Samuraiなどのパワードリンクを飲んでみたり、いやこんなものばかり飲んでいてはいかんと、水筒に麦茶をつめて飲んでみたりしているのだが、飲み物で解決するようなものでもないような気がする。朝昼晩と食事をしっかりとり、土日にはジムで汗を流し、朝晩の犬の散歩でなるべく歩くようにしているが、それで体調がよくなったという実感もない。

以前は4時に起きてランニングをしていたのだが、最近は疲れが酷く、起きることができなくなってしまった。家人に体調不良は一切伝えず、朝走らないのは、単に「やる気がない」からだと説明している。体調が悪いからといって仕事が減るわけでも、家事が減るわけでもないからだ。

朝食をとったあと「花子とアン」を妻と見ていたところ、ここ1週間の疲れが急に出たか、頭と身体が同時に動かなくなったのだが、結局一日無理やり過ごしてしまった。ジムでの運動はもちろん、一日5回のまはろくんの散歩、車2台の洗車もしてしまった。動物病院にあろはくんのワクチン接種にも行ってきた。22時にやっと自分の時間となりパソコンの前に座ったが、そのまま1時間半ほどパソコンの前で寝てしまい、さきほどやっと起き出して、ぽつぽつとこのテキストを打っている、というわけ。

体調を整える、といってもどこから整えてよいかわからないが、睡眠時間は確保したほうがいいような気もする。4〜5時間の睡眠、それも30分〜1時間おきに目が覚めるような睡眠で良いはずもない。

世間にはショートスリーパーという、2〜3時間も寝れば頭すっきり、体力も回復する人がいるという。ショートスリーパーの人は、とにかく睡眠の質が高く、一日に必要な脳と身体の休息を、短い睡眠時間の間に効率よくとることができるのだそうだ。

ショートスリーパーはともかく、どうやったら睡眠の質を高められるのだろう。ぜひご教示願いたいものだ。


2014年6月22日 (日)

06/22 日々雑感(筆記用具考)



かつては大量の筆記用具を「商売道具」として持ち歩いていた亭主ですが、最近は持ち歩いても1〜2本、必要最小限の荷物で済ませています。

それでも家には、粗品で貰ったボールペン、以前からストックしていたフリクションボールなどがあって、このところはこれら私物のペンを会社で使っていました。

フリクションボールの良い点は、いうまでもなく書いたものが消せる点。ノートに議事録に取るにせよ、また自分のアイデアをまとめるにせよ、書き損じた部分を自在に消せるというのが非常に便利でした。

ただ、「いつでも消せる」という安心感はある種の「甘え」にもつながるようで、亭主自身いつしか議事録やアイデアそっちのけで書いたり消したり、本来気にするべき内容よりも、文字の形や文章の体裁にこだわるようになっていました。

一方で、粗品で貰ったボールペンはまさにピンキリ。使い心地の良いものがある一方で、書いていて苦痛なものも少なからずあって、無料とはいえ、仕事に使うものならばそれなりにこだわりたいものだなと思っていました。

いい年齢にもなって、人の前で保険会社だの航空会社だのの銘がはいったボールペンを使うのもかっこ悪い。いや、かっこ悪いかどうかはその人その人の価値観やセンスによるものですから一概に断ずるのもどうかと思います。カッコイイ人ならばどんなボールペンを使おうがサマになるのでしょうし、字の綺麗な人ならばどんなボールペンを使っても素敵な字が書けるのでしょう。ブランドにこだわらず、アリものの筆記具を使うこだわりのなさを、洗練とか、自由とか、こだわりのない生き方と賞賛する向きもあるでしょう。

ただ、亭主としてはやはり、普段使うものにはこだわりたい。

書き心地であるとか、

持ったときの感じであるとか、

見た目であるとか、

メンテナンスのしやすさだとか、

あるいは机の上に置くとき、ペンと机が接触するときの感じだとかにこだわりたいのですね。

ちなみに「ペンと机が接触するときの感じ」というのを少し補足しますと、亭主はペンの金属部分と、机とが「ガリッ」と触れるときの音が非常に苦手です。

同じ感覚は腕に時計をつけた状態で、手を机の上に置いたときにも味わえます。金属と何かが「ガリッ」と触れる。歯が浮く、背筋が寒くなる。

亭主が普段、腕時計や結婚指輪やアクセサリーその他を身に付けないのは、この「ガリッ」という感覚が嫌いだからであって、決して腕時計に興味がないわけでも、既婚であることを隠すわけでもありません。

まあ、いろいろなものをジャラジャラと持ち歩くのはあまり好きではないかな。

20140622ballpointpen.jpg

ここまで書いてきてふと思い立ち、自室にあるボールペンを持ってきました。

・NISSANでもらったボールペン
・J-WAY(ケーブルテレビ)の名前が入ったボールペン
・JALのボールペン
・ANA-American Expressのボールペン
・霞ヶ浦問題協議会(!?)のボールペン
・三菱Uni Laknockの青が2本。

先に書いた粗品の3色ボールペンはしばらくなくならないと思いますが、なくなったらどれを使うか。どれもこれも、いまひとつ気が乗らないというのが正直なところです。やっぱり万年筆が欲しいですね。


2014年4月29日 (火)

04/29 日々雑感

高校を卒業し、松本にある予備校の寮に入ったこと、それが亭主の全ての始まりだったように思います。

勉強道具と服と布団、少しばかりの本とラジカセ、そしてカセットテープ。これが当時の亭主の全てでした。

大学に合格し、浦和に、また野田に移っても予備校時代の暮らし方・考え方は根強く残り、社会人、ひいては結婚した現在に至っても変わっていません。荷物は圧倒的に多くなったものの、依然として暮らし方・考え方の根幹には予備校時代のそれがあって、家財の内訳もまた予備校時代とあまり変わっていない(たとえば本であるとか、音楽であるとか)ように思うのですね。

亭主が時々、無性に身辺整理をしたくなる、雑多な小物を片付けたくなるのは、予備校時代に比べてあまりにも荷物が多い、フットワークが重いように思うからかもしれません。

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もっとも、予備校時代の亭主の生活は、簡素で、質素そのものでした。

寮費や学費は別として、亭主は毎月の生活費が(仕送り額である)3万円以内となるよう、倹約生活を送っていました。

特に倹約していたのは食費。予備校に行く日の昼食は、かならず通学途中にあるパン屋さんで、お気に入りのパンを買っていました。これに学校の自販機で買った60円のコーヒー牛乳を付けて、おしまい。一日160円。

いつもおなかをすかせていましたが、大好きなパンを毎日食べられるのがうれしくて、また友人とともに倹約しているのが楽しくて、たいして苦にしていなかったようにも思います。今の身長のまま、現在よりも10kg軽かったのですから、当時はずいぶんとスリムだったのですね。

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つい先日の帰省の途中、当時通っていたパン屋さんにふと立ち寄りました。

20140426aruru.jpg予備校当時は店の前に大きな駐車場があったと記憶しているのですが、道幅が大きく広がったせいか駐車場が狭くなっています。店内も少し売り場が狭くなって、置いてあるパンの種類も随分と減ったような気がします。

当時大好きだったパンは残念ながら置いてなかったので、かわりに見た目が似ているマロン入りのパンを買いました。

20140426aruru2.jpg久しぶりに食べるパンは、当時を思い出させる懐かしい味。当時はたった1個のパンで満足していたんだ―――と思っていたら、急に現在の飽食の生活が恥ずかしくなりました。なるほど、体重も増えるはずだわと。身体に贅肉がつく以前に、パン1個で満足できない心、心に贅肉がついてしまっていたんだなと強烈に反省しました。

かつてがんばっていた自分を思い出して、これからは昼食のパンは1個にしよう。

高校を出て27年、もういちど自分の原点に立ち返り、贅肉のついた心をシェイプアップしようと決心した、今回の帰省でありました。

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