2018年6月20日 (水)

06/20 【読】 「定本・二笑亭綺譚(式場隆三郎、藤森照信、赤瀬川原平、岸武臣、式場隆成、筑摩書房)」

「定本・二笑亭綺譚(式場隆三郎、藤森照信、赤瀬川原平、岸武臣、式場隆成、筑摩書房)」


 昭和初年、関東大震災からの復興進む東京は深川に、異形の建物が出現した。近隣から牢屋などと訝しがられる、その建物の名は二笑亭。この建物、深川一帯を地所に持つ資産家、渡辺金蔵なる人物が大金をかけて建設したものだという。牢屋と呼ばれるほどの圧倒的な重量感、あらゆる部分が非対称の意匠、そして屋敷内に施された意味不明・用途不明の仕掛けたち。だが、ある事件を発端として建物の建設は中止、渡辺氏自身も精神病院へと送られてしまう。


 本書は主人を失った二笑亭が取り壊される少し前、医師で文筆家であった式場隆三郎氏が建築家の谷口吉郎氏とともに現地調査した書「二笑亭綺譚」をベースとして、後年出版されたアンソロジー「五十年目の再訪記」ほかを加えたもの。なお再訪記は、藤森照信氏、赤瀬川原平氏、岸武臣氏、式場氏のご子息である隆成氏らの共著となっている。


 昭和初期の怪建築、二笑亭に関する文献としてはおそらく本書が最初で最期の決定版。お化け屋敷的な興味の集まる怪建築の謎を理性的に解き明かした書として、これ以上の解説は不要というほどの完成度を誇る。施主である渡辺氏による異形のデザインの意図、海外やその後の国内におけるデザインのムーブメント、あるいは渡辺氏が亭建築に取り掛かる直前に敢行していた世界一周旅行の旅行記など、多方面からの考察、資料が集まっているほか、赤瀬川氏によるオマージュ小説も収録されている。二笑亭といえば、最近藤田和日郎氏が「双亡亭壊すべし」なるオカルティックな漫画作品を週刊連載しているが、本作に登場する怪建築「双亡亭」の下敷きが二笑亭である。漫画ではあらゆる邪悪の根源、また放つ破壊不能の建物として世界規模の脅威となっているが、元ネタである二笑亭は、そんなオカルトとは無縁の、むしろ物悲しいエピソードで語られるべき儚い存在だ。本文中「気味が悪い」などと形容される異形は施主である渡辺氏の狂気を感じてのもの、しかしその渡辺氏もまた孤独の中で生きる一人の人間であった。


 実は亭主、本書を以前に購入していて、今回が二度目の読了となる。一度目は会社に入ってすぐ、赤瀬川原平氏の「超芸術トマソン」を読むながれで、こちらにも興味が動いていた。だが当時の亭主は、公私ともにいろいろと病んでいる時期でもあって、本書に登場する渡辺金蔵氏の狂気が自らにも伝染するのではないかと心底怖れを抱いたのだ。確かに本書は面白い。ミステリやオカルトの要素を含みつつ、謎解きゲームを進めるような気分で読むことができる。しかし先にも書いたように、本書の本質は未完成のうちに精神病院へと入れられた渡辺氏の悲運にある。当時の亭主にとって狂気や悲しみは、自らの精神を侵す猛毒だった。いまこの猛毒に対抗しうるだけの抗体が自らの精神に備わっているかどうかはわからないが、それでもなんとか読み終えることができた。


 なお、本書は古書店から中古で入手したものであるが、藤森照信氏によるサイン本であった。サインには〇〇様~と以前の所有者の名前も記されていて、持ち主の手を離れた経緯に思いを馳せると、やはりここにもドラマがあるように感じられた。(2018.06.20)

2018年6月15日 (金)

06/15 【読】 「Spectator Vol.41 つげ義春」

「Spectator Vol.41 つげ義春」

 「ねじ式」「紅い花」「沼」などの作品が評論家・読者から高い評価を受け「つげブーム」などと呼ばれる社会現象を引き起こした漫画家・つげ義春。 精神的不調から寡作となり1988年の連作「無能の人」以降断筆状態にある彼が、2017年に第46回日本漫画協会賞大賞を受賞した記念に刊行されたムックが本作。幻冬舎扱いのSpectator誌としては41番目の特集記事にあたる。

 これまでにも多くの雑誌が特集を組んでいて、本書が何度目の特集記事に当たるか、亭主にはとんと見当もつかない。 旧作の再掲、関係者によるエピソード、評論、年表。おそらくこれまでにも様々な角度から光が当てられ考察されてきたつげ作品だけに、本書もまた多数の特集記事の一つと見做されるかもしれない。 ただ、本書は、関係者の生の声を特に重視する。貸本マンガ時代に知り合い、以来親友として交流する遠藤政治氏、若いころの氏をよく知り、ともに旅を楽しんだ仲でもある正津勉氏ほか多くの友人知人の声を集め、 昭和40年代の日本の原風景を緻密な筆致で描き出したつげ氏と、その時代背景を生々しく再現する。作品を手放しで礼賛する記事、と必ずしもなっていないところが本書の特徴であり、良さでもある。 年表や著作集、あるいはつげ氏自身へのインタビュー(つげ氏は必ずしも快く引き受けたわけでもないらしい)なども最新のものにUpdateされており、現時点での決定版、最新版と言って差し支えない。

 それにしてもSpectator誌、装丁というか本の構成が非常に独特で、いわゆるムック本として異彩を放っている。 具体的には本書を手に取って眺めてもらうのが一番良いのだが、広告がいちいちおしゃれで、本文に入る前から読者をハイソな気分にさせてくれる。 巻末に集約された小さな広告の集合体は、インディーズの手作り感をぷんぷんさせている。 文字を最小限に、デザインとアイコンだけで作られたコンセプチュアルな紙面づくりに徹底したこだわりが感じられて、かつて同人誌を編集したこともある亭主、久しぶりにワクワクさせられた。(2018.06.15)

2018年6月13日 (水)

06/13 【読】 「[アルファの伝説]音楽家村井邦彦の時代(松木直也、河出書房新社)」

「[アルファの伝説]音楽家村井邦彦の時代(松木直也、河出書房新社)」

 作曲家として数々の名曲を生み出したほか、音楽プロデューサーとしてアルファ・レコードを創設。 荒井由実(松任谷由実)、YMO、赤い鳥、ハイ・ファイ・セット、サーカスなど時代の名アーティストたちを輩出したことで知られる村井邦彦氏の生涯をまとめたノンフィクション。編集は音楽ライター、インタビュワーとして活躍する松木直也氏。2016年8月刊。


 若い頃はアルト・サックス奏者としてジャズ、ビッグバンドで活動。高校時代からリストランテ「キャンティ」に出入りし多くの音楽家、著述家と親交を深めたという。大学時代にはレコード店を経営するも廃業、フィリップス・レコードから作曲家としてデビューしてからは「翼をください」ほかヒット曲をつぎつぎと飛ばし若くして音楽シーンの中心的人物となる。24歳で音楽出版社「アルファ・ミュージック」設立、日本コロムビアに「アルファ・レーベル」を立ち上げる。フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」ほか海外の様々なアルバムを国内に紹介、版権収入によって事業を軌道に乗せる。音楽プロデューサとして世界各国を飛び回り、最新の音楽、最新鋭の録音スタジオ、最新の著作権ビジネスなどを日本へと紹介。「赤い鳥」のメジャーデビュー、当時高校生だった荒井由実のプロデュース、細野晴臣らをレーベルに招聘、電子楽器を駆使した音楽ユニット「YMO」の全世界デビューに尽力する。


 音楽家としての実力はもちろんのこと、世界をまたにかける実業家として、ニューミュージック(荒井由実)やテクノポップ(YMO)など新しいムーブメントをつぎつぎと仕掛ける音楽プロデューサとして氏の評価は著しく高い。レコード製造を手掛けない日本初のレーベル設立、音楽著作権ビジネスへのいち早い参入、アメリカの最新鋭の録音機材を惜しみなく投入した「スタジオA」などなど本邦初の試みはその後の音楽ビジネスのひな形となった。高度経済成長の波に乗っての著しい発展、しかしアルファの歴史における村井氏の活躍は、1969年から1985年までの、たった16年にすぎない。16年という短い期間のなかで日本の音楽シーンに与えた影響の大きさからも、村井氏の功績が伺える。


 本書はそんな村井氏とアルファの歴史を、様々な人へのインタビュー、文献をもとに辿る。村井氏の生い立ちから始まり、1969年のアルファ設立とその後の活躍、1985年のアルファレーベル退社までが淡々と、しかし愛情いっぱいに語られる。ラストは2015年に村井氏70歳を祝って開催された「ALFA・MUSIC・LIVE」の模様。アルファで育ったアーティスト、またその後継者たちが一堂に集い、村井氏とともに懐かしい歌をうたうさまは、彼がビジネスマン・音楽家というだけではなく、多くのアーティストに愛されたゴッド・ファーザーであったことを意味する。


 文体は読みやすくニュートラルな立ち位置、駆け足気味ながらもスピード感があり、爽やかな読後感。ただし固有名詞がかなり頻出するので、当時のことがある程度わかる古い音楽ファンのほうがより楽しめるに違いない。(2018.06.13)

2018年6月 2日 (土)

06/02 【読】 「アースダイバー東京の聖地(中沢新一、講談社)」

「アースダイバー東京の聖地(中沢新一、講談社)」


 宗教学者・人類学者・思想家として活躍する中沢新一氏の最近のプロジェクト「アースダイバー」シリーズの最新刊。古地図・地形図から読み取れる古代日本の原風景を現代の都市へと重ねる本プロジェクトは、東京、大阪ときてついに現代の社会問題へと切り込む。豊洲への移転か、それとも存続かで2018年現在も物議を呼んでいる「築地市場移転問題」、ザハ・ハディド氏のデザイン案が巨額の建設費を必要とするという理由で再選考となった「2020年東京五輪新国立競技場建設問題」の2件が古代日本の思想という視点から語られる。


 そもそも築地市場は、関東大震災で壊滅的な被害を被った日本橋魚河岸の代替として、国によって半ば強制的に設定されたものだという。都心の急速な都市化・高層化によって外へと追いやられた築地市場であったが、その成立には古代から連綿と続く、海民たちによる商いの仕組みが反映されていて、新しいながらもしっかりと「古代日本の原風景」が伝えられている。日本橋魚河岸は、徳川家康が江戸に居城を構えた際に大阪で商いを営んでいた魚商人たちによって形成されたものだそうである。関東・東海・東北の沿岸から新鮮な魚を買い付け、毎日江戸城に魚を届ける。江戸幕府とともに高度に発展・システム化されてきた魚河岸の歴史が細かくつづられている。


 一方、国立競技場建設が予定されている明治神宮は、明治天皇崩御の際に、当時東京に住む人々の「明治天皇の遺徳を伝える記念物を東京に」という思いから作られたもの。都市部に作られた人工の森林、しかしその森林の設計にあたっては古代日本における古墳の思想が反映されている。人間の手を全く入れない、原生林としてデザインされた神宮内苑、社会との接続を図り、積極的に社会へと開かれた神宮外苑という二つの考え方には、「内苑(=円墳)+外苑(方墳)=明治神宮(前方後円墳)」という図式が成立する。2020年東京五輪に向けデザインされる新国立競技場は、果たして本当に日本らしさ、日本の原風景を次世代へと伝えることができているかを読者に問いかける。


 本書のオビには「ほんものの保守思想の根源」とあって、本書を手に取る人は一瞬ギョっとするのだが、読んでみるとなるほど、保守思想とはこういうものなのだと納得するだろう。対する昨今の保守主義者たちの考え方が、いかに利己的で、近視眼的であるかもよくわかる。古代日本の思想とは、徹底的に「外」と「内」を切り分け、自然と人間を対立させ、神を上に、人を下に置く西洋思想とは全く反対のものである。自然の内側に人間を、同時に人間の内側に自然を内包させる、独創的な世界観こそが古代日本の思想の眼目である(この部分は中沢氏のライフワークである対称性人類学に詳しい)。


 なお本書は、課題山積である上記二つの社会問題に対しかならずしも批判・批評する論調をとっていない。徹底的な批判・否定の論調で突き通すこともできたであろうが、あえてトーンを抑え、読者に気付きを与えることで、上記社会問題を建設的にとらえようとする。読後の後味が非常に良いこともまた日本的で好ましい。(2018.06.02)

2018年5月23日 (水)

05/23 【読】 「日本人の『あの世』観(梅原猛、中公文庫)」

「日本人の『あの世』観(梅原猛、中公文庫)」

 哲学者で京都市立芸術大学学長でもある梅原氏の、自身二度目となる論文集。1989年に中央公論社より加工された単行本を文庫化したものが本作となる。 本来専門とはいえない民俗学、宗教学、国文学などを題材に、日本人の思想や哲学を論じた7稿を収録する。

 本書は大きく2部構成をとる。第1部は宗教と民俗のパート、日本独特の宗教観から日本人の「あの世」観を論じた「世界の中の日本の宗教」、北海道~東北・沖縄に現在も色濃く残る縄文文化を論じた「甦る縄文」、 金田一京助によるアイヌ語研究を批判し、アイヌ語が孤立語ではなく古代日本語の残滓であるとの示唆を与える「日本語とアイヌ語は異言語か」、沖縄文化とアイヌ文化の類似点を言語の観点から比較した「基層文化としての沖縄文化」の4稿を収録。 古代日本を題材にした論考としては中沢新一氏の対称性人類学が有名だが、梅原氏の論考は中沢氏のそれにかなり近い。本書を読むにあたっていくつかサイトを当たったところ、梅原氏は中沢氏と交流があったようで、 なるほど論が似ていてもいたしかたない。ただし梅原氏の論考は、先行研究をうのみにするタイプではなく積極的に批判を加えるタイプである。おかげで敵も多いとのことである。

 第2部は国文学のパート。古事記・日本書紀の成立、ならびに万葉集編纂の経緯から古代史を読み解く「原古事記と柿本人麻呂」、万葉集と古今集、二つの歌集の位置づけを考察した「人麻呂をめぐる『万葉集』と『古今集』」、 宮沢賢治の童話を題材として第1部・2部で論じてきた事柄を新たな角度で読み解く「新しい時代を創造する賢治の世界観」の3稿。定説とされてきた万葉集編纂の経緯、柿本人麻呂の役割にあえて異を唱え、 梅原氏自身が再解釈を試みるという野心的な内容。歴史ミステリ的な面白さは知的好奇心を刺激するが、日本史家、国文学者からは相当に批判された内容のようである。この辺は様々な分野の学者から批判があったようだ。 専門家らは梅原氏の論考を、門外漢の勝手な妄想と猛攻撃していたようだが、読み手にはあまり関係のない話である。一方、宮沢賢治の童話に関する考察は、本書の内容をざっくりとまとめたもの。本書の論考から様々なキーワードをひっぱりつつ、 宮沢賢治の「イーハトーヴ」幻想に古代日本の死生観が反映されていると主張する。引用部分が多いので宮沢賢治が好きな人はさらに楽しめることができそうだ(2017.05.23)

2018年5月11日 (金)

05/11 【読】 「悲しき熱帯II(レヴィ=ストロース著・川田順造訳、中央公論新社)」

「悲しき熱帯II(レヴィ=ストロース著・川田順造訳、中央公論新社)」

 フランスの人類学者・社会学者でブラジルのサンパウロ大学教授。サンパウロ大学赴任時にはインディオ社会のフィールドワークに従事したレヴィ・ストロースが、1955年に記した南アメリカ人類学の名著。 日本では1967年に日本語版が初版、以降多くの国内人類学者・社会学者たちがテキストとして引用した。 中公クラシックス版は2001年に2分冊として刊行。今回は最終巻である第2巻を読了。

 ポルトガルのセウタ攻略によって始まった大航海時代。 アフリカ・アジア・北米・カリブ海諸国とその版図を広げる欧州列強にとって、南アメリカもまた重要な搾取の対象であった。 欧州諸国による植民地支配は、南アメリカ先住民族(インディオ)たちの生活に大きな影響を及ぼす。 一部は奴隷として欧州へと連行され、また一部は海岸から奥地へと追いやられたが、欧州諸国の経済・文化と急速に同化し鉄道敷設や農場経営などに従事した人々も多かったようである。 急速に文明化され、その原始性を喪失していくインディオたち。 彼らの文化を記録すべく、人類学者であるレヴィ・ストロースはブラジルに渡航、サンパウロから船・鉄道などを乗り継いでアマゾン川流域に住むインディオたちの村を目指すこととなる。

 第2巻目は、「第6部 ポロロ族」「第7部 ナンビクワラ族」「第8部 トゥピ=カワイブ族」の3つの部族に関する記述、そして文明世界へと戻ってきたストロースが西洋世界とはなにかを思索する「第9部 回帰」の4部構成。 パラグアイからボリビア、そしてブラジルはアマゾン川の源流に向かって進む行程のなかで、ストロースとその探検隊が出会ったインディオたちの生活が記されている。 インディオたちと生活をともにし、その暮らしぶりや習俗を細かく記すストロース。ただし部族によってその記載の度合はまちまちである。本書では特にナンビクワラ族について詳細に記している。 衣服を一切つけず、男性器にささやかな藁の飾りをつける程度の未開の部族、文字らしい文字を持たず、地面に横たわって眠るナンビクワラ族。しかしストロースが彼らから、かつての人類に共通する死生観や哲学を見出したかどうかはいささか怪しい。 アマゾン奥地に向かっての探検はとにかく過酷、自らの生命をつなぐだけで精一杯という極限状態のなかで、平静を保っていること自体が無理というものだ。旅の総括と考察は第9部にゆだねられることとなるが、なぜか第9部は小アジアやインドに舞台が移っていて、 イスラム教や仏教、ヒンドゥー教などを信奉する世界と、西欧世界とを比較している。せっかくのアマゾン行きの経験がまるでナシになったかのような展開は、読んでいて「おいおい」と思わず突っ込みをいれてしまうほどであったが、 これをして世界の学者らが「名著」とするのだから、まあこれはこれというものなのだろう。フランス人らしい華美な言い回し、学術的とはいい難い、比喩や暗喩をたっぷり含んだ文学的な文章になかなか慣れることが出来なかった亭主、 本書もまた読了するのに時間がかかった。充分な理解が出来ているかはいささか怪しい。(2018.05.11)

2018年5月 9日 (水)

05/09 【読】 「対称性人類学 -カイエ・ソバージュV-(中沢新一、講談社選書メチエ)」

「対称性人類学 -カイエ・ソバージュV-(中沢新一、講談社選書メチエ)」

 宗教学者で思想家である中沢氏が、自身のライフワークともいえる「対称性人類学」について、中央大学特別講座での講義内容を文字起こししたのが本シリーズ。第一巻「神話論」第二巻「国家論」第三巻「贈与論」第四巻「宗教論」につづく本作では、これまでの内容を総括・フル活用し現生人類である我々の「心」の形成、「無意識」の働きについて考察する。ネアンデルタール人ほか現生人類に近しい人類が多く登場した地球の歴史の中で、なぜホモ・サピエンスだけが生き残り、現在に至る文明を形作ることができたのか、様々な問題を抱え行き詰りつつある人類文明がふたたび繁栄するためになにをすべきかが本書で語られる。二年にわたる講義の集大成、これまで語られてきた様々な事柄が「対称性」「流動的知性」などのキーワードのもとに結びつけられ、人間と世界とをとりまく巨大な叡智へと結実する。2004年刊行。


 集大成・・・と書いては見たものの、本書もまた新たな知の冒険、新しい考察・試みが種々登場する。「一」による世界支配とそこから脱すべく遍歴を続けるアマゾン奥地の民族、「野生の思考」にもっとも肉薄した宗教「仏教」、そして人類が渇望する「幸福」の本質。終章に向け様々なサブエピソードが掲げられ、中沢氏言うところの「対称性」へと収斂していて、文字通り最後まで目が離せない。なかでも「仏教」に関する考察は、中沢氏がかつてチベットにてチベット仏教に入信、修業を行ったこともあってかなり詳細に語られている。なお、エピソードによっては本シリーズ外の作品と強く関連付けられているものもある。中沢氏の著作全体にまで及ぶ知の冒険は、「カイエ・ソバージュ」というシリーズの枠を越えてもなお終わりそうにないようである(2018.05.09)

2018年4月24日 (火)

04/24 【読】 「古本屋台(Q.B.B.(久住昌之+久住卓也)、集英社)」

「古本屋台(Q.B.B.(久住昌之+久住卓也)、集英社)」


 「孤独のグルメ」原作者である久住昌之と、その実弟でイラストレイターの久住卓也によるユニット、Q.B.B.の完全最新作。屋台に古本を積んで売り歩く「古本屋台」と、それに惹かれ、集う古書マニアたちの日常を描く。彷徨舎「彷書月刊」、イーブックイニシアティヴジャパン"eBook Japan"、集英社「小説すばる」連載に、書きおろしを加えた豪華版。また日本出版社「猫びより」で連載していた猫マンガ「アネコダ」を併録する。


 東京郊外、夜中になると現れる「古本屋台」。「古本」と書かれた赤ちょうちんが誘蛾灯のごとく、本好きたちを引き寄せる。オヤジが一人で切り盛りする屋台には、いくつかのルールが存在する。「一、白波お湯割り一杯百円。おひとり様一杯限り」「二、ヘベレケの客には酒は出さない」「三、騒がしい客には帰ってもらう。ウチは飲み屋じゃない、本屋だ」。本と酒を愛するサラリーマンをはじめとする常連たち、屋台の噂を聞きつけたイチゲン客たちが、焼酎をちびちびとやりつつ古書のページをめくらせる、ただそれだけの物語である。古書のウンチクも、また華々しいドラマもない。中崎タツヤの「じみへん」を思わせる淡々としたコマ割りの中で、毎度毎度どうでもいい会話が繰り返される、それが本書の主たる内容である。オビには「斬新すぎてジャンル分け不可能」との惹句どおりの異色本、読んでみるとなるほどそんな感じだねと納得する。


 実は亭主、最近の久住昌之原作コミックに、少し飽きてきた頃だった。大ヒットした「孤独のグルメ」のほか、「野武士のグルメ」「食の軍師」「花のズボラ飯」といった食事ものは食傷気味、個人的に大好きな「ちゃっかり温泉」のような軽妙な作品が読みたいと思ってきた矢先、この本が上野駅構内の書店に平積みになっているのを発見したのだ。そのときはあいにくビニールがかけられていて内容はわからなかったが、「古本屋台」という書名と装丁の渋さに「これは当たりだ」と直感し購入、帰りの特急車内でその直感が正しかったことをあらためて確認することとなった。古本を屋台に積んで売り歩くといういまどきありえないシチュエーションと、オヤジや常連たちとのありふれた会話とが作り出す虚構が心地よく、文字通り一文一文をよくよくかみしめつつ読了した。久住さんの本領たる古書の分野、ホームグラウンドでの堂々たる姿に感心しつつ、ここにレビューとしてしたためた次第。


 なお「アネコダ」は、猫好きな妻とそれに振り回される夫の物語。夫婦で会話をしていても妻の「あ、猫だ」で話題が遮られる。その「あるある」な感じ、猫に夢中になる妻の姿が微笑ましい。(2018.04.24)

04/24 【読】 「怪異を語る―伝承と創作のあいだで―(喜多崎親、編・著、三元社)」

「怪異を語る―伝承と創作のあいだで―(喜多崎親、編・著、三元社)」

 成城学園創立100周年、成城大学文芸学部創設60周年を記念して開催されたシンポジウム「怪異を語る」の内容をまとめた書。近年の怪談ブーム、「妖怪ウォッチ」に始まるポップ・カルチャーとしての妖怪ブームを受けて盛り上がりを見せる「怪異」の分野を、文学、芸能、美術などの専門家5人が解説する。2017年3月刊。


 内容は大きく、講演部分と、質疑応答部分に分かれる。講演はそれぞれ講演者の専門から「百物語の歴史・形式・手法・可能性について(東雅夫、文芸評論家)」、「怪談・ミステリーの語りについて(太田晋、英文学者)」、 「民俗学というメソッドからみた怪異の語られ方(常光徹、民俗学者)」、「<出る>図像(喜多崎親、美術史家)」、「語り手の『視点』という問題(京極夏彦、妖怪研究家・作家)」の5件。いずれも専門性の高い話題を、一般向け講演ということでかみ砕いて説明している。文章も口語体であることから読みやすく、難しさを感じさせない。図版も多く使われていて、喜多崎氏の講演には貴重な幽霊画が多数掲載されている。「怪異」とはなんぞやと、集まった聴衆に様々な分野・視点から説明する試みは、見事その目的を果たしたかのように見える。


 しかし、本書を読む限り、京極夏彦氏はこの講演に納得していない。質疑応答にて質問に立った成城大学ミステリーサークルの学生の質問を「質問が間違っている」と一刀両断。近年の「妖怪ウォッチ」に始まるブームが失速し、結果的に妖怪や怪異の本質を見失ったまま終息していく、悪いことにはいわゆる巷間の学者や在野の研究者らが、誤った認識のもとで怪異の本質を固定化させてしまうことに危機感を覚えている。結果、氏の発言はある種紋切り型というか、挑発的というか、ぶっちゃけトーク的というか、投げやりというか。挙句の果てにはシンポジウムのタイトルにもいちゃもんをつけて質疑応答を〆るという、大立ち回りを見せている。氏の発言はこれまでにも本質を鋭く射貫くという意味で多くの人々に注目されてきたが、本誌における氏の発言は、これまで散々語ってきたにもかかわらず全く理解されていない、怪異研究の質が全然上がってきていないことへの苛立ちであるように読める。氏の発言を受けて司会は(笑)をとってシンポジウムを終えようとしているが、京極氏にとっては「わらいごっちゃない」のだ。さて怪異などを軽々しいタイトルを付けたミーハーな連中をどうしてくれよう、という話なのだ。もとより京極氏のように怪異に対して常に思索を巡らす人々たちばかりではないというのに、どうせよというのだろうか。(2018.04.24)

2018年4月19日 (木)

04/19 【読】 「アマゾノミクス―データ・サイエンティストはこう考える―(アンドレアス・ワイガンド著、土方奈美訳、文藝春秋)」

「アマゾノミクス―データ・サイエンティストはこう考える―(アンドレアス・ワイガンド著、土方奈美訳、文藝春秋)」

 アマゾンの元チーフ・サイエンティストとして創業者ジェフ・ベゾスとともに初期プラットフォーム構築に貢献したワイガンド氏が、自らのアマゾンでの取り組み、また近年のビッグデータ活用のトレンドを解説した書。2017年7月刊。現在はビッグ・データの専門家として活動、アリババ、ゴールドマン・サックス、ルフトハンザ航空のe-ビジネスをはじめ、婚活サイトや旅行サイトのデータ戦略をコンサルティングしている。スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレイ校、上海復旦大学で講師として教鞭も振るっているとのこと。


 アマゾノミクス―などというキャッチ―な名前がついているものの、実態はビッグデータ・ビジネスにかかわる様々なサイト・サービスの内容を俯瞰した書。アマゾンのみならず、フェイスブックやリンクトイン、ウーバー、アリババなど、様々なサイト・サービスにおけるデータの扱いと、データが生み出す様々な価値を解説している。日本でビッグデータなどというととかく「個人情報保護」や「ハッキングによる情報流出」、あるいはもっと後ろ暗いビジネスを想起させる記事が多いが、本書におけるビッグデータの取り扱いは極めてポジティブで、アグレッシヴで、未来的である。ショッピングサイトでの利便性を高め、フェイスブックで有用な情報を引き出し、個人と企業の双方に利益をもたらすデータ解析の事例を紹介することで、ソーシャル・データの重要性、未来におけるデータと、ユーザのあり方を提言している。


 本書で特に著者が主張したいことを列記するならば「ビッグ・データは、フェイスブックやアマゾンなどソーシャルなデータを扱うサイトで当たり前のように活用されており」「世界に点在する1兆個ものセンサが、人間の行動をあらゆる手段をもって監視していて」 「ビジネスだけでなく、個人の社会的信用、治安維持といった個人のリスクにかかわる分野にまでセンサデータが用いられている」ことにある。さらに言えば、「個人のソーシャルデータは、大量に蓄積されてこそ価値が発揮されるため、個人のデータそのものにはほとんど価値がない」こと、「個人がサービスから恩恵を受けるには、データに値段をつけキャッシュバックするのではなく、より多くのデータを提供することでそのサービスからより多くの恩恵を得る」ことであり、「個人のデータは、提供先であるサービスを越えて様々な分野で(ビッグデータとして)流用され、様々な価値を個人へとフィードバックしている」ことを理解する必要があるのだという。本書には、個人情報保護や情報流出の危険性を訴える論調は一切ない。むしろ著者は、「提供したデータを提供者が、どのようなデータが提供されたかを俯瞰できること」「都合の悪いデータを提供者が自由に変更、消去できること」が重要であるとする。ビッグ・データの専門家らしい先進的な考え、日本人にはなかなか受け入れがたいフリーダムかつポジティブな考え方だが、これもまた一つの見識であると思っておいて損はない。もちろん、ワイガンド氏の考え方が絶対に正しいというわけではない。むしろEUなどは、ワイガンド氏のフリーダムさに徹底抗戦するかのようにデータの扱いに対して厳格な態度をとる。データを活用する側と、規制する側。二つの勢力が拮抗するちょうど真ん中で読者もまた選択を迫られる。


 なお、昨今の多くの解説書がそうであるように、本書もまた様々な事例を集成した内容であり、ひとつひとつの事例の関連性は低い。理論面を突き詰める、というよりも事例を集めた(各論ばかりの)構成を、人によっては物足りないと感じるかもしれない。(2018.04.19)

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