2019年8月 1日 (木)

08/01【読】「モナドロジー 他二篇(ライプニッツ、岩波文庫)」

「モナドロジー 他二篇(ライプニッツ、岩波文庫)」


 微積分の基礎を築いた数学者・ライプニッツが、もう一つの顔である哲学者として万物の根本を洞察した論考集。「モナドロジー(1714年)」「理性に基づく自然と恩寵の原理(1714年)」「実体の本性と実体間の交渉ならびに魂と身体のあいだにある結合についての新説(1695年)」の3編に各種書簡7編を収録する。2019年4月岩波文庫より刊行。


 18世紀、ライプニッツは万物の根本を「モナド(日本語では単素などと訳される)」として提唱した。ライプニッツはモナドを「複合体のなかに入る単純な実体」「拡がりも形も可分性ももない」ものとし、「自然の真の原子」と定義している。ライプニッツのアイデアがユニークなのは、「モナド」には種類があり、モナドの自然的変化が内部より起こる一方、外部の影響を受けない、またモナドは自然に消滅することがないと考察した点にある。このアイデアは最終的に人間の魂がモナドであり、モナドが神の恩寵により創世されたという結論へとたどり着く。


 当時ライプニッツは17世紀の哲学者・数学者であるデカルトの「世界論」「動物機械論」を受け継ぐデカルト派と呼ばれる人々とかなり激しく意見を戦わせ、最終的にはライプニッツの論考が受け入れられたとしている。本書付録の書簡の宛先をみればわかるとおり、当時の数学者、哲学者らが論を語る相手は各国の貴族や知識人たちであった。ライプニッツの「モナド」が神の恩寵によるものであるという結論が当時の人々の信仰心を高め、また神に帰依する気持ちを強めたことは間違いない。


 当然ながら、「モナド」という考え方は現在の物理学では完全に否定されていて、神の恩寵はもちろん「単素」なる言葉もまた物理学から排除されている。ライプニッツが主張したモナドは「超弦理論」によって振動へと置き換えられ、モナドの運動に関する性質は「統一理論」として体系化されつつある。現代物理学についてモナドが入り込む余地はまったくない。


 一方、モナドと聞いて、細野晴臣がテイチクからリリースしたミニマル・アンビエントレーベル「モナド・レーベル」を想起した人は多いだろう(亭主もまずこちらを思い出した)。レーベル創設の際、細野さんはライプニッツの「モナド」論を引いて、レーベルの目論見、アンビエント・ミュージックの性格を説明している。モナドすなわち単素は、アンビエントにおける一つ一つの音素に対応し、聞く人の心を震わせ続ける。

08/01【読】「新レコード演奏家論(菅野沖彦、ステレオサウンド)」

「新レコード演奏家論(菅野沖彦、ステレオサウンド)」


 2018年10月に86歳で逝去した菅野沖彦氏が、生前提唱していたレコード演奏家論を一冊にまとめた書。菅野氏は「レコード演奏家」の提唱者として数多くのエッセイ、論考、対談等を残しているが、特に本書は1996年に執筆した「レコード演奏家論」を増補改訂したもの。2005年初版、2017年に第4刷を数える。


 音楽プロデューサ、レコーディングエンジニア、演奏家、また後年は特にオーディオ評論家として活躍した菅野沖彦氏。彼の提唱していた「レコード演奏家」は彼の音楽に関わる長年のキャリアから生まれたものである。氏によれば、音楽の鑑賞には(1)作曲家による楽譜の執筆(2)音楽家による演奏(3)録音エンジニアによる録音(4)レコード演奏家による音楽再生(5)純粋な音楽鑑賞の5つのステップが存在するとし、なかでも近年は(4)の存在が軽視されていると主張する。音楽家が演奏し、エンジニアが録音したものをいかに再生するかが(4)における最大関心事であり、再生機器や再生環境など考慮すべき部分は多岐にわたる。本書では(4)の主役であるレコード演奏家の重要性を様々な角度から示すことで、音楽鑑賞、ひいてはオーディオ趣味の価値を主張している。技術的な説明や具体的なオーディオ機器に関する言及は一切なく、むしろ音楽にまつわる文化論、科学技術の発展によって変わりゆく音楽文化への批判が本書の主張である。


 実は亭主、この連載をリアルタイムで追っていて、ステレオサウンド誌上あるいはその後Webメディアに掲載されたときにもこの文書を読んでいた。当時は「レコード演奏家」という言葉に多くの人々(特に2ちゃんねる界隈)が批判を連ねていて、亭主もずいぶん仰々しいことを言うものだと思っていた。ただ、一冊の本として集成されたものを読んでみると、菅野氏の主張の裏にある音楽への愛情、情熱が強い説得力として読み手に迫ってくる。本書の元になる記事は1996年頃より執筆されているが、2019年の現在菅野氏が懸念する音楽再生環境の衰退は「懐古主義」「保守的」などと一笑に付すことができない状態にまで深刻化している。衰退は再生環境だけではなく、音楽に関わる市場全体にまで及ぶ。かつて中世貴族たちの贅沢であった「音楽鑑賞」が、メディアとテクノロジーの発展によって急速に巷間へと普及し、そして衰退していく、その衰退の様を菅野氏は激しく憂いている。


 いろいろ異論はあろうかと思うが、亭主は本書を読みながら、本書は「アドルノの音楽社会学序説」の現代バージョンなのかもしれない」と思っていた。あちらもかなり「懐古主義」「保守的」ではあるが、アドルノの主張の深奥にある世の中への危機感は、本書が主張するところの音楽再生環境の衰退に対する懸念と通じるところがある。


 今を生きる人間にとっては「今」こそが標準であり、多少の不満はあったとしてもそれが普通である。過去を知る人間にとっては「現状」を変えることは著しく困難であり、現状に抵抗することで世間の嘲笑を呼ぶことを怖れている。巨大なタンカーが簡単には進路を変えられないように、この世の中もまたタンカーのように巨大な質量をもってどこかに進んでいく。推進力は言うまでもなく「今」である。タンカーの行く先がたとえば中世より脈々と発展を遂げてきたはずの音楽再生環境の衰退であったとして、乗客たちはどうしたらよいのだろうか。(2019.08.01)


2019年7月19日 (金)

07/19 【読】 「戦後最大の偽書事件『東日流外三郡誌』(斉藤光政、集英社文庫)」

「戦後最大の偽書事件『東日流外三郡誌』(斉藤光政、集英社文庫)」

 東奥日報社の記者として主に社会面を担当。とある民事訴訟がきっかけで「戦後最大の偽書事件」とも称された「東日流(つがる)外三郡誌」をめぐる問題に立ち向かった筆者が、二十年にもおよぶ取材記録をドキュメンタリーとしてまとめた書。2006年に出版、大きな反響を呼んだほか、2009年には文庫化、今回は新章を追加した2019年文庫版を読了した。

 「東日流外三郡誌」。青森県は五所川原市のとある農家の屋根裏から発見された古文書は、当時の日本史観を覆す大発見として大きな話題を呼んだ。全300巻、全1000巻ともいわれ、江戸時代に記されたとされるこの古文書群から立ち上る古代日本の姿、それは東北地方に存在したという古代の国家、大和朝廷の勢力と完全に拮抗する、東北独自となる古代文明であった。門外不出と言われ、和田某なる人物によって小出しに発表される古文書の写本の数々、しかし当時の専門家はその記載の多くに偽書なのではないかと疑念を抱く。筆者は、やがて国内外を巻き込む社会問題となったこの事件を発端より取材、新聞記事として社会に問うていくなかで、この古文書が和田某によって作られることとなった経緯、また偽書とされる古文書がなぜ多くの人々を魅了し、社会問題化していったのかをつぶさに記録している。なお本書はのちにジャーナリズムにちなむ様々な賞を受賞するなど内外より高い評価を受けている。

 我が身を振り返ってみるに、亭主は「東日流外三郡誌」をどのようにして知ったのか、たしか中学生のころ、佐治芳彦が書いた超古代文明かなにかの本で読んだ記憶がある。おなじく偽書として知られる「竹内文書」などと並べられ、超古代史の話題では定番となっていた秘文書、ただし亭主の場合そこにどっぷりハマった記憶がなく、まあ何か「ムー」や「トワイライトゾーン」といったオカルト雑誌で言及される類の文献なのだなと、あっさり通過していた。亭主の父親がUFOやUMAに夢中だったこともあり、家には超能力や心霊、超科学、古代文明、エーリッヒ・フォン・デニケンの著作やら地球空洞説やら、第三の選択やらと様々な本が揃っていて、知識ばかりは豊富だったのだが、ではそれを本当に信じているかといえば「ノー」であった。確かにテレビのUFO特集や心霊写真のコーナーは食い入るように見ていたが、それは「エンターテイメント」として面白かったからであり、信じる・信じないは全く別問題であった。むしろあれやこれや、手を変え品を変えつつちっとも真実へと至らないやりくちに飽きが来て、亭主なりに別の興味、落語だとかSFだとかミステリだとか、その他もろもろ楽しいコトに夢中になった結果、サブカルチャーの一分野として、あるいは博物学の一ジャンルとしてとらえていたように思う。しかるに、本書に言及される古文書が、日本全体を揺るがす事件の中心となっていたことも、また21世紀になっても事件が続いていたことも知らなかった。さらに言えば、「戦後最大の偽書事件」が地下鉄サリン事件の遠因となっていたことも知らなかった。関係者の多くは物故したが、いまだにこの古文書が正史であると信じる人々がいることも知らなかった。その意味において本書で扱う様々な事柄は現在進行形の出来事であり、また文庫化、再文庫化にあたって新章・新情報が提示されるほどに事態が推移していることを改めて知らされた。

 もちろん、読み物としてめっぽう面白い。読み進めるうちに次々と明らかになる真相、偽書か本物かをめぐる両陣営の対立、そして現在進行形で拡大する「古文書詐欺」。しかし著者である斉藤氏は自らのジャーナリストとしての立場を少しも崩していない。真実に対し真摯に向き合い、たとえ偽書をものしたとされる和田某に対しても経緯と配慮を忘れない。読後感もすこぶる良い。ジャーナリズムとして徹底した中立的な態度、綿密な調査と科学的な書きぶりに面白さの本質を見出した(気になって有頂天の)亭主であった(2019.07.19)

2019年7月10日 (水)

07/10 【読】「水晶宮の影ーグイン・サーガ145-(五代ゆう、ハヤカワ文庫)」

「水晶宮の影ーグイン・サーガ145-(五代ゆう、ハヤカワ文庫)」

 グイン・サーガ続編プロジェクト最新刊。作者である栗本薫氏が逝去してのち二人の女流作家によって書き継がれている本プロジェクト、ただし現在は宵野ゆめ氏が体調不良ということで、五代氏一人が気を吐いている。

 豹頭王グインを主人公に、多くの登場人物が複雑な人間模様を描くグイン・サーガ。本巻では、(1)ゴーラ王イシュトヴァーンの実子ドリアン王子誘拐事件と、それを追う小イシュトヴァーン・スーティの冒険、(2)ミロク教聖都・ヤガでの魔導師決戦の顛末と、その後のスカール一向のヴァラキア入り、(3)ワルスタット内乱へのグイン介入と、その後のクリスタル潜入行、の3つのエピソードがつづられる。中原の各所でそれぞれ行動していた登場人物たちが徐々に集合、また離れていく様は、グイン・サーガが「群像劇」と呼ばれる所以であり、物語を推進させる原動力となっている。特に本作では(2)でヴァラキアに到着したスカール・ブラン・ヨナ・フロリーといった主役・準主役級の登場人物が、ヴァレリウスやアッシャ、アルミナ、マルコらと合流。新生ゴーラ帝国(というかイシュトヴァーンの独断)によるパロ侵攻にヴァラキアほか沿海州がどのように対処するかといった国際問題へと発展していく。一方、(3)でワルスタット内乱を鎮静化させたグインは、アウロラほか数人の騎士・剣士とともにクリスタルへ潜入。失踪したワルスタット候ディモスを探す旅は、ついに核心へと到達する。(2019.07.10)

2019年7月 4日 (木)

07/04 【読】 「虚実妖怪百物語 序/破/急(京極夏彦、角川文庫)」

「虚実妖怪百物語 序/破/急(京極夏彦、角川文庫)」


 小説家として「姑獲鳥の夏」「嗤う伊右衛門」「巷説百物語」など多数の著作を発表、デザイナー・妖怪研究家・劇作家など幅広いジャンルで活躍する京極夏彦が、2016年に発表した大長編妖怪小説。多数の小説家・漫画家・タレント・研究者・出版関係者などが実名で登場、魔人復活で存亡の危機を迎える日本を救うべく、京極ら妖怪馬鹿がゆる~く立ち上がる京極版「妖怪大戦争」。なお、単行本として出版された際には「序」「破」「急」の3分冊だったものが、文庫版では1冊に統合され、まるで「豆腐」のような見てくれとなった。文庫版の総ページ数はなんと1388ページ。


 現代の日本を舞台とした「仮想戦記」を思わせる内容。登場人物に京極夏彦、多田克己、村上健司といった「妖怪馬鹿」をはじめ、水木しげる御大(先日逝去された)、荒俣宏がメインキャストに、またゆうきまさみや高橋葉介、嶋田久作、宮部みゆきらもちょい役で登場するという豪華な内容。第1巻である「序」では日本を覆う異様な雰囲気、異変の数々が断片として語られ、第2巻「破」以降はその異変が日本全体を揺るがす動乱へと発展する。いわゆる「スペクタクル小説」だが、その情報の多さ、中身の濃さはすさまじく、世間の「妖怪馬鹿」はともかくアニメファンや特撮ファン、漫画ファンやミステリファンなどなど、世間でいう「マニア」な人々全方位のハートをぐさりぐさりと射貫く内容となっている。自慢ではないが亭主もいっぱしの漫画ファン、ミステリファンであり、アニメや特撮にもそれなりの知識を持っている。もちろん「妖怪馬鹿」・・・ほどではないが「妖怪」含めたオカルト関係にも一応通じているつもりなのだが、本書のどこを読んでも「濃い内容」、生半可なファンでは太刀打ちできないマニアックな内容に、最初から最後まで笑いっぱなしであった。現実に存在する人々が、濃い話題でかけあい漫才を披露し、また日本存亡の危機においては時にゆる~く、また時にはやけくそで立ち向かうという姿がとてもリアルな一方で、そのリアルさを維持したまま「日本を救う」という偉業を成し遂げてしまう、アクロバティックなプロットが本書一番の見どころ、楽しみどころだ。(2019.07.04)


2019年5月24日 (金)

05/24 【読】「YMOのONGAKU(藤井丈司、アルテスパブリッシング)」

「YMOのONGAKU(藤井丈司、アルテスパブリッシング)」


 1980年にヨロシタミュージックに入社、アルバム「増殖」から散開までYMOのアシスタントを務めたほか、サザンオールスターズのアルバムではシンセ・プログラマーとして、また1990年代以降は音楽プロデューサーとして玉置浩二、JUDY AND MARY、ウルフルズなどを手掛けた筆者が、YMOの活動当時をアルバムのレコーディング・データとともに振り返った書。2016年に下北沢のライヴ・カフェで開催されたトークイベントの書き起こし、毎回豪華なゲストを迎え、観客とともに当時の様子を楽しく語る。YMO結成40周年記念企画、とのこと。


 毎回1枚のアルバムをお題に挙げ、ゲストとともに当時の社会情勢、メンバーや録音現場の様子、使用機材、楽曲構成などレコーディングにかかわるあらゆる事柄をトークした内容。トークイベントは全6回、アルバムYellow Magic Orchestraの回、Solid State Survivorの回には松武秀樹氏、アルバムBGM、Technodelicの回には飯尾芳史氏、浮気なぼくらの回には砂原良徳氏、テクノドンの回には木本ヤスオ氏がゲストとして登場する(おっとSurviceはなかったことになるのかな?)。いずれもYMOに縁の深い人々、松武氏からはYMO結成当初のシンセ事情が、飯尾氏からは解散の危機を乗り越え、最高傑作として名高いTechnodelicがリリースされた当時が詳しく語られる。一方砂原氏からは小学校・中学校当時のいちファンとしてのYMO観や近年のYMOメンバーとのかかわりが、また木本氏からはテクノドンの制作風景、特にYMO再結成にまつわる込み入った事情やメンバーの様子などが語られている。これまでのコレクター本、メディア論や文化論などの視点から書かれた解説本とは異なる、現場感にあふれたトークとなっている。特に筆者の藤井氏はYMOを熱烈に愛するファンでもある。楽曲に対する深い理解と音楽知識があいまって、なかなか熱い語りを聞く(読む)ことができるのがうれしい。イベント会場に集まった聴衆もコアなYMOファンばかりで、司会とゲスト、会場全体が一体となってYMOに思いをいたせるというのは同じくコアなファンを自認する亭主にとっては大変羨ましい。


 こういうファン本・企画本の多くは(残念ながら)ノリで書かれた軽薄な内容、あるいは渡された膨大な資料をライターが淡々と時系列に並べ物語る内容になりがちで、亭主もまたそのような軽薄・淡々とした内容の本には正直うんざりしていた。ところが本書に限っては本当に最初から最後まで興味深く、また楽しく読めて、久しぶりに当時の興奮やときめきを思い出すことができた。文句なしのおすすめ本、YMOファンならばぜひ読んでおきたい決定版といえる(2019.05.24)

2019年5月 4日 (土)

05/04 日々雑感

GWである。

このブログを日々の記録とするならば毎日の亭主の行動をつぶさに報告すべきなのだろうが、あいにく大したことはしていないため、報告すべきことも特にない。というか、報告して面白いことがあるならば率先して報告しているはずだ。

昨日、時間を見て水戸赤塚のワンダーレックス(旧ハードオフ)と水戸の川又書店に行ってきた。

何を買う、というわけではなく、店頭に並べられた品物から刺激を受けることが目的だ。

日々変わり映えしない生活をしていると、すべてが退屈で、ありふれたものに見えてくる。新しいコトを起こすことが億劫に思えてくる。そんなときは外に出て、新しい情報を仕入れるのが良い。興味のないことに無理やり興味を持つ必要はない。これまで慣れ親しんだこと、気軽に興味が持てることが良い。亭主の場合、本やCD、オーディオがそれにあたる。

店頭に並ぶ中古オーディオを見ていると(大したものが並んでいるわけではないことはさておいて)様々な思いが心の中に湧き上がってくる。最近亭主の中では沈滞ムードのオーディオであるが、あんなことがしたい、こんなことがしたいという気持ちがあれやこれやと思いつく。SACDプレーヤが売られているのを見ると、安いSACDプレーヤでYMOのリマスタリング盤が聴きたいと思う。DALIの普及版ブックシェルフを見ていたら、現在PCオーディオで使っているAuratone QC-66をメインシステムに移設して、PCには代わりとして小粋なブックシェルフを置きたいと思う。オーディオに大きく投資できるならばそれも良いが、ちょっとした出費で新しい機器を導入し、手軽に楽しむのでも充分だ。

翌日家事の合間を見つけて、オーディオラックの背面にあるオーディオケーブルをすべて抜き、ホコリなどを良く拭いてつなぎ直してみた。音が良くなったかはよくわからない。以前は埃っぽかったラックの裏がこざっぱりとして、オーディオを楽しんでいる気分になった(本格的にやるならば接点磨きやケーブルの被覆剥きなどやってもよかっただろう)。これだけ楽しめて出費はゼロ円、しかもラック裏がきれいに整理されたのだから、良いコト尽くしだ。

昨日の話に戻る。

ワンダーレックスでオーディオ方向に刺激を受けた次は、書店である。

川又書店では2冊ほど購入した。書名はおいおいレビューなどで報告していく(つまり買ったのは漫画や雑誌、技術書などではない)。こちらも書店の売り場を眺めていると様々にインスピレーションが湧いてきて、あれも読みたい、これも読みたいという気持ちになった。ただ亭主には悪い癖があって、ある作家やジャンルの作品を集中して読み込んでいると突如その作家や、ジャンルに飽きてしまうのだ。いわゆる「おなかいっぱい」というやつ、作品のパターンがある程度読めてしまったり、あるいはたいして得られるものがないと思ってしまった瞬間、(以降の作品も似たか寄ったかであろうと勝手に見切りをつけ)興味を失ってしまうのだ。これまでSFやミステリ、戯曲集、日本史の解説書などでこの気分を味わっている。いや実際は読みたい気持ちがないわけではない。ただ日常生活で読書の時間が限られている中、新鮮な驚きと知識が得られる本はSFやミステリ以外にもたくさんあるのではないかと考えてしまう。

今回購入した2冊は、そういった亭主の飽きっぽさから少し趣を変えた、しかし気軽に興味の持てる2冊である。

 

2019年4月17日 (水)

04/17 【読】「電気グルーヴのメロン牧場・花嫁は死神6(電気グルーヴ、ロッキング・オン)」

「電気グルーヴのメロン牧場・花嫁は死神6(電気グルーヴ、ロッキング・オン)」


 石野卓球とピエール瀧によるテクノユニット・電気グルーヴがロッキング・オン誌上で好評連載していた「電気グルーヴのメロン牧場・花嫁は死神」最新刊。今回は2014年から2018年までの5年間の記事を収録。毎号収録に漏れた記事をボーナストラックとして追加している。


 なお本書発刊後ほどなくしてピエール瀧は麻薬取締法違反で逮捕されている。Sony Music(Ki/oon Sony)は電気グルーヴとピエール瀧の作品一切を販売中止としたが、本書は引き続き書店などで大好評販売中。未読の方はぜひ手に取って、レジへと突進いただきたい。


 電気グルーヴ結成25周年から30周年へ。齢50をすぎてますますお元気な石野おじいちゃん、瀧おじいちゃんのお達者トークが楽しめる「メロン牧場」。毎回、ご両人によるセクハラもスカトロも、酸いも甘いも噛みちらしたどーしようもないトークが延々とつづられている。もちろんライブ・レコーディングの様子やピエール瀧の俳優業に関する話題もあるが、これらはあくまでも「まくら」であり「もののついで」で、メインはもっぱら石野卓球によるどーしようもない話と、それを受けて火に油を注ぐピエール瀧の受け答えにある。ちなみに今回のメインは、アルバム制作の合宿中に生まれたウルトラマン兄弟に対する各種妄想から、なぜか瀧が「ウルトラの瀧」へと改名するエピソードだ。当初は俳優業をはじめこれまでの全作品のクレジットを「ウルトラの瀧」へと変更するよう卓球が迫っていたようだが、最終的には電気グルーヴの中でのみ、1年間の改名ですんだらしい。無理やりにでも改名を迫る卓球と、改名の圧力をノリで躱しつつ全体的に「いやーな感じ」を醸し出す瀧の掛け合いが何とも微妙なスリルをはらんでいる。ゆるいトークが多い本書において唯一といっていい緊張シーンといえるだろう。その他卓球による同性愛トーク、瀧が海外旅行中に遭遇したモヤモヤエピソードなど、全般にどうでもいいエピソードがてんこ盛り。いちばんモヤモヤするのは、コカイン使用で摘発されたピエール瀧が、「ウルトラ」よりも「瀧正則」で売れてしまったあたりだろうか。まあ世の中とはそういうものなのだろうと割り切るしかない。


 ところで。


 世間ではピエール瀧の薬物不法使用に伴う、Sony Musicならびにテレビ局の対応に批判が集まっている。音楽作品の店頭からの撤去と販売中止、映像作品におけるピエール瀧出演部分の撮り直しなどその余波は計り知れず、業を煮やした宮台真司氏ら有志がSonyに対して音楽作品の販売中止撤回を求める署名を提出するなど今もなお混乱は続いている。


 亭主はこのSonyの対応を知ったとき、まず最初に「Sonyはなにがしたいのだろう?」と疑問に思った。違法薬物の使用で逮捕されたアーティストは以前からいたものの、本格的な作品の販売中止は槇原敬之が最初だったという。以降ちょくちょくアーティストが逮捕されるたびに販売中止の措置が取られているが、レコード会社はこの販売中止になんの思いを込めたのだろうか。いや、会社として違法薬物に向き合い、またアーティストに対して厳しい措置をとってきたのだろうか。


 もし会社として違法薬物と決別する強い意志を示したいならば、少なくとも現在レコード会社に在籍するアーティスト・タレント全員に薬物検査を行い、陽性と判断された者全員に厳正なる処分を下すべきであろう。薬物によって製作された作品を「悪の所業」ととして回収・破棄することは勿論、マスターテープに至るまで完全に処分したのち将来アーティストがレコード会社にもたらすであろう利益を損害賠償としてアーティストらに請求し、またアーティストとの契約を解雇して違法薬物を徹底的に排除する意思を示すべきだ。


 あるいは、違法薬物から契約アーティストたちを守りたいと強く思うならば、アーティストたちに一日~数日の研修を受けさせて薬物の危険性を啓もうし、もしアーティストが薬物に手を出したならばマスコミからアーティストを保護するとともに更生のためのプログラムを施して社会復帰を支援すべきだろう。しかし現時点でレコード会社は、どちらの態度も表明していない。少なくとも騒ぎが収まるまで息をひそめ、アーティストに私刑さながらの処分を下して自らに火の粉がかからぬよう知らん顔をしているようにしか見えない。


 繰り返して言うが、これはピエール瀧だけの問題ではない。音楽業界、ひいては日本の芸能界がどのように違法薬物(その供給源の多くは北朝鮮であり、反社会勢力の収益源となっている)と対峙していくかという問題なのだ。違法薬物に手を出す人間は、違法と知りながら薬物に慰安や救い、その場しのぎの活力を求める弱い人間である。強く罰するべきは違法薬物を違法と知って販売する人間たち、そしてそれら薬物によって収益を得ている犯罪者集団なのだ。残念なことに日本の警察組織、公安が目をつけるのは、薬物を販売する犯罪者ではなく、薬物を使用してしまう被害者たちである(これは振り込め詐欺グループがなかなか摘発されず、著作物をアップロードする側ではなくダウンロードする側をよく罰する状況ととてもよく似ている。犯罪者も警察も、弱者を相手にする方が楽であるし、手っ取り早く成果を上げられることをよく知っているのだ)。


 亭主もSony Musicの対応には強く抗議する。しかしその抗議は芸能界に蔓延する薬物に対してまるで会社が被害者であるかのように振舞い、社会的責任を果たしていないことへの抗議である。そして社会的責任を果たさない中でただひたすらに叩かれ続ける薬物被害者、弱者に対する「いじめ」への抗議である。(2019.04.17)


 

2019年4月 5日 (金)

04/05 【読】 「犬であるとはどういうことか~その鼻が教える匂いの世界~(アレクサンドラ・ホロウィッツ、白揚社)」

「犬であるとはどういうことか~その鼻が教える匂いの世界~(アレクサンドラ・ホロウィッツ、白揚社)」

 

 コロンビア大学バーナード校で教鞭をとるかたわら、犬の認知研究室を主宰する著者が犬の認知について徹底的に解説した書。氏の著作には犬の認知を総合的に解説する「犬からみた世界」があるが、本書は特に「嗅覚」について氏の膨大なフィールドワークが記載されている。2016年刊。日本語版は竹内和世氏翻訳にて2018年に刊行されている。

 「匂いを嗅ぐ行動」は犬のもっとも代表的かつ特徴的な行動である。愛犬家ならば自分の飼い犬が散歩の植え込みや電信柱につけられた他の犬の匂いを念入りに嗅いでいるのを見るであろうし、愛犬家でなくともテレビや新聞で警察犬や麻薬探知犬といった特別に訓練された犬が活躍する記事を目にすることだろう。本や日常会話で「犬の嗅覚は人間の10万倍」などと聞くと「じゃあ犬は日常相当臭いに違いない」と思いがちだが、ならば犬は(相当臭いにも関わらず)なぜ執拗に匂いを嗅ぐのだろうかという疑問も同時に湧き上がることだろう。

 本書では、犬の鼻が分子一個分を検知する超強力なニオイセンサであると同時に、このニオイセンサの能力を利用して、人間が様々な役割を犬に与えていると説明する。先に述べた警察犬や麻薬探知犬だけでなく、トリュフをかぎ分ける犬、森の中で野生動物の痕跡を探す犬など、活躍の範囲は実に広い。犬がどのようにニオイを検知するのか、鼻の構造、匂いを嗅ぐ動作、そして検知した匂いをどのように脳内で処理するのかーーー氏の専門である認知行動学を駆使することで、犬が持つ強力な能力、そして能力がもたらす犬独特の世界観を犬との日常から生き生きと解説している。

 人間の10万倍とも、1億倍とも言われる犬のニオイセンサ、しかしこのセンサは犬に限ってのものではない。本書ではまた、著者自身が匂いの研究室で匂いのトレーニングを繰り返した結果、彼女自身もまた強力なセンシング能力を獲得するに至った経緯が語られる。うんざりするほど膨大な匂いのサンプル、時には吐き気を催したり頭痛がするような匂いまでテストの対象として嗅いだ結果、彼女の脳は匂いをビジュアルやイメージと結びつけて記号化し始める。記号化するということはすなわち脳内で情報処理が可能であることを意味する。犬と一緒に植え込みの匂いを嗅ぐことで、それまで見えて(匂って)こなかった犬独特の風景が見えて(匂って)くる。匂いとは過去に起こったことの記録である。犬は世界にちりばめられた「過去」をその強力なセンサで探知し、記号化している。

 人間もまた訓練によって犬に匹敵する匂い検知能力を獲得できるというのが本書における大きなトピックだろう。もちろん人間の鼻は、犬の鼻のように匂いを嗅ぐことに特化した構造を持っていないし、トレーニングを怠れば能力は失われてしまう。しかし生物の鼻が匂いすなわち化学物質を検出・分類可能な「生体センサ」であることは「目=光」「耳=音」といったセンサと比肩しうるものとして発達してきたことを意味する。

 現代において匂いを嗅ぐ行為はけっしてマナーのよいものではなく、消臭グッズが売れていることからも匂いを生活から遠ざける風潮にあることは確かだが、それでも「匂い=化学物質」を探知する能力は、生物の持つ基本的なセンサの一つなのだ。(2019.04.05)

2019年1月18日 (金)

01/18 【読】 「夜の力ーーーウェストバム自伝(ウェストバム、楯岡三和・マルクス・シュレーダー訳、Ele-king Books)」

「夜の力ーーーウェストバム自伝(ウェストバム、楯岡三和・マルクス・シュレーダー訳、Ele-king Books)」


 ドイツのテクノ・レーベルLow Spilit主宰。ドイツの大規模テクノ・イベントLove Parade, MAYDAYなどを手がけ、テクノの大重鎮と目されるWestbamの回想録的自伝。彼の生い立ちから現在に至るまでの様々なエピソードが、ちょっとハイな文体で一冊の本に凝縮されている。


「西の(アフリカ・)バンバータ」を自称、正確無比なDJプレイと"Monkey say, Monkey do"等のヒット曲で知られるWestbam。日本では石野卓球が主催する巨大レイヴWireの常連DJとして人気の高い彼の音楽人生はパンクスから始まった。弟のFabianとともにドイツの都市・ミュンスターに生まれ育った彼は、Fad Gadgetのセカンドシングル"Ricky's Hand"をきっかけにパンクス仲間とつるむようになり、他の多くのヨーロッパ系アーティストと同様にセックスドラッグロックンロールな世界へと入門していく。あるとき、ひょんなことからDJを任された彼は、偶然か必然かはわからないものの強烈な成功体験を得、以降DJとしてのキャリアを歩むこととなる。


 様々なアーティストとの出会いや、巨大レイヴの運営、レーベル経営などが回想録的に語られていて、そのワードのどれもがテクノ・ファンにとっては思わず「にやり」とするものばかりーーーだが、最初の方はドイツローカルすぎてわからない方が多い。石野卓球との「日独テクノ同盟」や日本でのアルバムリリースなどもさっくりと省略されている。Westbam自身日本のファン向けに書いているわけではないので仕方ないが、このあたりの突き放しようがなんともアーティスト的で、テクノファンを自認する亭主にはむしろ小気味よい。一般に受け入れられる内容かといえば「ノー」。Westbam好きな人はどうぞ、程度のおすすめ度ということで。(2019.01.18)

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