2017年8月 8日 (火)

08/08 【読】 「応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱(呉座勇一、中公新書)」

「応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱(呉座勇一、中公新書)」


 応仁の乱。日本史史上最大の内乱とされるこの大騒乱の顛末を、奈良興福寺の二人の僧侶の視点から解説した書。著者は中世日本史研究家である呉座勇一氏、2016年刊行後大きな話題を呼び日本史関連では大変珍しいことに大ベストセラーとなった。

 亭主はそもそも日本史が苦手、従って応仁の乱が一体どのような騒乱だったのか上手く説明できない。ただ本書によればこの騒乱、きわめて難解な事件だったらしい。そもそも応仁の乱がなぜ起きたのかを端的に述べることが難しい上、誰と誰が戦ったのかも、どこが勝ったのかも、そしてどうやって幕引きしたのかも明確に語ることができないというのだ。大きくは京都を舞台に、東軍(幕府側)と西軍が対峙したようだが、陣営内では相手方への寝返りが頻発、度重なる停戦調停は幾度となく反故となり、終わらせようが無くなった結果騒乱は20数年にも及んだという。

 そんな乱世にあって、混迷する畿内の情勢をつぶさに見、書き留めていたのが興福寺の僧侶・経覚と尋尊の二人だ。当時奈良で最も力のあった興福寺を戦乱から守るべく、調整者としての能力を遺憾なく発揮した経覚と、常に冷静な視点で事態を俯瞰した尋尊。彼らがそれぞれに記した「経覚私要鈔」「大乗院寺社雑事記」の内容が本書の骨格となっている。それまで中世史研究者から軽んじられてきた二人の記録を本書で殊更に取り上げたのは、先行研究において貴族や武士たちからの視点で分析されてきた騒乱が、僧侶の視点を加えることでより俯瞰的かつ多面的にとらえられたからである。当時の興福寺は、いわゆる僧兵を持するという意味では武士的でもあり、地方に直轄地を持つという意味で貴族的でもあった。祈祷などでは将軍や朝廷の屋敷に出入りし、年中の行事では地方の有力者や民衆とも近しい関係にあった。寺社というcross sectionから騒乱を眺めることにより、もとより混沌としていた畿内の情勢が整理されて語られている。それにより、主役が存在せず、敗者勝者すらあいまいであった大騒乱が後世に与えた影響が、つぶさに見えてくるあたりもまた本書の大きな特徴と言えるだろう。

 ただ、やっていることはチンピラの小競り合い、しかもヒマに事欠いて他の領地にちょっかいをだしては大げんかになっているという感じ。当時の武士たちから品位や理性や知性といったものが感じられないあたりは残念で仕方ない。(2017.08.08)

2017年7月18日 (火)

07/18 【読】「書楼弔堂 炎昼(京極夏彦、集英社)」

「書楼弔堂 炎昼(京極夏彦、集英社)」

京極夏彦の最新長編。異形の古書店「弔堂」の店主が、店に迷い込んだ客である明治期の有名人にもっともふさわしい一冊を選び出す「探書」シリーズ第2巻。「探書漆」から「探書拾弐」まで、6つのエピソードを収録する。

都内某所、某寺へと続く坂道の途中を折れたドン詰まりに、陸燈台のようにそびえ立つ異形の建物「弔堂」が物語の舞台。中には古今東西の書物~西洋の稀覯本から地方の新聞紙に至るまで、あらゆる書物がそびえ立つ壁沿いに並べられている。店を仕切るはかつては僧侶、現在は還俗したという弔堂店主(名前は後々明らかとなる)。皮肉屋の美少年、しほるをお手伝いに、書物三昧の日々を送っている。弔堂の客は明治の文豪、文化人から学者、政治家、軍人に至るまで多岐にわたる。いずれも口伝にて店の名を知った人々、それぞれに悩みを秘めて店を訪れる。弔堂店主は彼らとの対話の中で彼らの悩みの本質を暴き出し、彼らが真に求める書物を選びだす、というのが本シリーズの大きな骨格である。

一方、第2巻となる本作の主人公は塔子という女性に交代する。薩摩隼人の士族を祖父に持つ彼女は、旧態然とした家父長制に支配された家風と、急激に社会進出をはかる世の女性たちの間で葛藤する。束縛と、自由。従属と、自立。息の詰まる家を抜け出し街へと出た彼女は、新体詩で一世を風靡する詩人、松岡と出会い、弔堂ののれんをくぐることとなる。

本書に登場する弔堂の客は、田山花袋、添田唖蝉坊、福来友吉ほか。いずれも当時高い知名度を誇り、現在もたびたび話題に上る有名人である。彼らが古書店「弔堂」を訪れたという史実はなく、あくまでも京極氏の遊び心・フィクションにすぎないのだが、彼らがなんらかのきっかけで人生に変節をもたらしたことは確かなようである。本書では「弔堂への来訪」を変節と解釈する。緻密な時代考証と綿密な物語が、作品全体にリアリティを与えている。

ところで。

この頃の出版界隈、「専門知識」の開陳をメインに据えた作品が乱立している。例えば「食」に関していえば、古くは知識人の教養として北大路魯山人や子母澤寛、水上勉らによって食のエッセイがしたためられていたものが、漫画「美味しんぼ」あたりで巷間のグルメブームと繋がり急速に普及、この頃はどのコミック誌にも「食」に関する作品が掲載されるありさまである。もちろん、「食」に関する作品の乱立は今に限ったことではない。「鉄鍋のジャン!」や「ミスター味っ子」あるいは「OH!MYコンブ」など食をテーマにした作品は以前からもあって、これらがひとつのジャンルを形成していたことは言うまでもない。対する現在の食をテーマにした作品は、おそらくだが「孤独のグルメ」あたりを発端としている。

「孤独のグルメ」を筆頭とした作品群の大きな特徴は、(1)それぞれのエピソードが完全に独立している、(2)エピソードの構造が常に画一的でありテンプレート化が進んでいる、(3)エピソードを重ねても作品としてのストーリーは進行しない、の3点にあるだろう。高い専門性や深い知識があって、登場人物が魅力的であるならば、テンプレートに沿っていくらでも再生産できるのが、現在の食をテーマにした作品である。

本書もまた、上に挙げた3つの特徴をおおむね満たしており、巻毎に主人公が変わる一方でネタさえあればいくらでも再生産可能な構造を有している。この点は京極氏の他の作品、たとえば「京極堂シリーズ」や「巷説百物語シリーズ」には見られない。底意地の悪いことを言うならば、亭主はこれらの構造を持つ作品をあまり評価していない(面白いとは思うがそれも飽きるまでの話だ)。本シリーズがどのような結末を迎えるかは良く分からないが、ネタが尽きるのが早いか、亭主が飽きるのが早いか、それとも京極氏が飽きるのが早いかの競争になるのなら、亭主としてはとっとと勝負から降りたいところだ。

2017年6月19日 (月)

06/19 【読】 「日本人の英語(マーク・ピーターセン、岩波新書)」

「日本人の英語(マーク・ピーターセン、岩波新書)」


 アメリカ、ウィスコンシン州出身の英米文学・近代日本文学研究者。現在は明治大学政治経済学部にて教授を務めるマーク・ピーターセン氏の1988年著書。英語を学ぶ・話す日本人が陥りやすい誤った英語の言い回しを解説した書。2016年3月には77刷を数えるなど、新書としては驚くほどのロング・ヒットを続けている。続編に「続日本人の英語」「実践日本人の英語」「心にとどく英語」など。


 著者が日本人の奇妙な英語に初めて触れたのは、彼が少年の頃。日本製の小さなトランジスタラジオに記された説明書、そこに書かれていた英語は、ネイティブには到底理解しがたい表現だったという。長じて日本にやってきた著者は、かつて氏が触れた奇妙な表現が依然として日本社会に蔓延していることを知る。冠詞や前置詞、動詞と副詞、関係詞などなどネイティブならば当然ともいうべき言い回しがなぜ日本人には難しいのかを豊富な例文と丁寧な解説で説明している。本書を読むと日本人の間違った英語が「受験の詰め込み教育」や「暗記専門の英語勉強法」などという単純な理由によるものではないことがはっきりとわかる。たとえば自動車は"get in"で、電車が"get on"である理由は歴史に由来し、使い分けは実に明確。ネイティブはその理由を理屈だけでなく、皮膚感覚として体得しているのだという。日本で英語を学ぶ人々がどれだけその理由を知り、皮膚にしみこませているのだろうか。もちろん、日本にはネイティブと同じ皮膚感覚を持って英語を駆使する人が多く存在するので、これが克服できない高い壁や深い溝であるということはない。だが、彼らがそれら壁や溝を学習によって体得したかといえば、いちがいにそうとは言えなさそうだ。


本書を読むと、冠詞や前置詞といった表現は、ビジュアルで説明する方が早いことが分かる。教本や英会話教室では学ぶことのできない、ビジュアルな英語世界を体験した時、英語と英語話者の気持ちが真に理解できるのではないかと、思えてならない。(2017.06.19)

2017年6月 2日 (金)

06/02 【読】 >「風雲のヤガ-グイン・サーガ141(五代ゆう、早川書房)」

「風雲のヤガ-グイン・サーガ141(五代ゆう、早川書房)」


 国産ヒロイック・ファンタジー「グイン・サーガ」最新刊。2009年に作者である栗本薫氏が逝去、その後二人の作家が交互に正篇の執筆を担当している。本書は二人の作家の一人、五代ゆう氏の執筆による。


 キタイの竜王ヤンダル・ゾッグによって魔都となってしまった新興宗教ミロク教の聖都・ヤガを舞台に、ゴーラ帝国の剣士ブランが人質救出に奔走する「ヤガ篇」と、同じくヤンダル・ゾッグ操る竜騎兵の追撃を逃れ豹頭王グインが統治するケイロニアへと入ったパロ宰相ヴァレリウス一行のその後を描いた「ケイロニア辺境篇」を収録。通常、グイン・サーガは全4話、1話が4章に分かれる構成を採用しているが、今回は第1話、2話が作品の3/4以上を占め、第3話は残り1/4、第4話は1章のみでごく短く、という変則的な構成となっている。話の内容からすれば第4章は次次巻(次巻は宵野ゆめ氏が担当する)のイントロ、引きを持たせるという意味では本巻に含めてもよいが、思い切って3話構成にしてもよかったような気がしないでもない。


 ヤガ篇は、「新しきミロク」幹部の陥穽でヤガの地下に落とされたブランが、新たな仲間を得て逆襲に転じる。地下で瞑想していたミロク教の修行僧、それにブランの協力者であるイェライシャによって味方へと転じた大魔導師たち(さて誰でしょう?)による大立ち回り、魔道合戦が見所。


 一方ケイロニア辺境篇は魔導士ヴァレリウス、聖騎士リギア、吟遊詩人マリウス、それに魔導士見習いアッシャの4人が、彼らを追ってケイロニアへと侵入してきた「蛇団」と対峙する。こちらも魔導戦の要素が強く、全体的には「バトルシーン盛りだくさん」といったところか。


 ところでグイン・サーがといえば、毎回巻末のあとがきが好評で、栗本氏時代は各種設定の公開や裏話、あるいは作者自身によるイベント告知などを楽しみにしていたファンも多い。今回の五代氏のあとがきはどことなく栗本氏の文体に似てはっちゃけた感じ、しかし読みようによってはかなりお疲れのようでもある。あとがきを読みながら氏を案じてしまった最新刊であった。(2017.05.18)

2017年5月18日 (木)

05/18 【読】 「ウィントン・マルサリスは本当にジャズを殺したのか?(中山康樹、シンコーミュージック)」

「ウィントン・マルサリスは本当にジャズを殺したのか?(中山康樹、シンコーミュージック)」


 ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれのトランペット奏者、ウィントン・マルサリスの半生をその功績を、「マイルス・デイヴィスに最も近い日本人」と言われた中山康樹が記した著。2015年8月刊。なお中山は本書を執筆中病床にあり、2015年1月に逝去したさい本稿が発見された。いわゆる絶筆となる。


 刺激的な、というかなかなか物騒なタイトルではあるが、いうまでもなく反語表現である。1961年生まれ、ニューオーリンズ生まれとはいうもののジャズとは格別かかわりのないまま育ち、クラシックの名門、ジュリアード音楽院でクラシックを学ぶ中でジャズの才能を見出された彼が、「マイルス・デイヴィスの再来」なるメディア戦略で数々の大物ジャズミュージシャンと共演、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの一員として活動するなどキャリアを重ねていく姿が語られる。だが、それだけでは彼が「ジャズを殺した」などと揶揄されるはずもない。彼はメディア戦略のなかでアメリカ、あるいは日本で華々しいプロモーションが行われたものの、特に日本においてはジャズ・ファンの不興をかったらしく、マイルスと比べればその後の活動が全く知られていない。アメリカにおいても(程度は異なれど)似たような状況のようである。彼自身、London Center Jazz Orchastra(LCJO)を率い、ジャズの地位を現在にまで引き上げた功労者であるにもかかわらず、ここまで不遇なのはなぜなのか、が本書の主題となる。著者である中山氏はスウィングジャーナル誌上においてはマルサリス擁護派として知られ、毎月マルサリスに関する記事を掲載していたという。病床にあった中山氏が伝えたかった、マルサリスの、ジャズに対するクールかつ熱い思いは活字となって読み手にひしとせまってくる。


 なお本書は、多作家であったマルサリスのディスコグラフィのみならず、作品が生まれた経緯や聴きどころ、アーティスト周辺情報などもふんだんに盛り込んでいて、マルサリスの失地回復というよりも、新たなファンに向けてのディスクガイドとしての性格が強い。死後彼の遺品を整理していたところ、かれが書いたと思しきアルバムベスト20なども巻末に収録されている。オールドスクールなジャズを殺し、現代ジャズへと生まれ変わらせたのイノヴェイター、彼に続く若きジャズ・アーティストたちを導き続けた先駆者、そして搾取されていたジャズ・アーティストの待遇改善をも実現したエグゼクティヴ、多彩な顔を持つマルサリスの姿を情熱的な筆致で伝えている。(2017.05.18)

2017年5月12日 (金)

05/12 【読】「贈与論(マルセル・モース著・𠮷田禎吾・江川純一訳、ちくま学芸文庫)」

「贈与論(マルセル・モース著・𠮷田禎吾・江川純一訳、ちくま学芸文庫)」

フランス出身の社会学者・民族学者であるマルセル・モースが、人間社会のなかでもっともプリミティブな行動とされる「贈与」について社会人類学・文化人類学的知見から考察した書。膨大なフィールドワークや文献調査から得られた「贈与」の行為は、資本経済によって塗りつぶされてしまった人間社会のより原初的な姿を明らかとする。

モースによれば、交換社会あるいは贈与社会のもっとも原初的な形態は、少し前のポリネシアあるいは北東アジアの少数民族にみられていたという。客人に惜しげもなく食べ物を振る舞い、また所有財産を気前よく与える贈与の慣習は、富の豊かさや社会的地位の高さを示す指標であるとともに、その土地に根ざす神に対する忠誠と示すものであった。原初的な社会において、事物は動産・不動産、生物・物質、あるいは人間・動物を区別することなく神の所有物であり、それを人間が占有することは神への冒涜・不敬であった。それゆえ人々はときに自らの財物を越えた贈与を客人に施すほか、家財や武器、富を示す様々な物と川や湖に投げ捨てることで自らの魂の気高さを神に示してきた。

興味深いことに、贈与社会はある意味人類文明のエッジともいえるポリネシアや北東アジアのみならず、ゲルマン民族やケルト民族、あるいはインド・アーリア民族にもみられるのだそうだ。いずれも長い歴史による文明化、資本社会の浸透により現在はごく一般的な「贈り物」「もてなし」程度にまで薄まってしまっているが、古い叙事詩や教典などには、古代の贈与社会を伺わせる記述があって、それははことごとく前述のエッジの民族のものとよく似ているのだという。モース自身はフィールドワークをよくせず、もっぱら研究者たちに調査の方法などをアドバイスしていたそうだが、収集した各種成果の膨大さは、「贈与」と「神」の関係は地球的規模であったことを示している。

なお、本書における贈与の形態は、人間と人間、あるいは人間と神との関係に限られている。後年の研究では人間と動物、あるいは人間と自然との間の贈与についてもフィールドワークがすすみ、日本では特に中沢新一が深く掘り下げている。

05/12 おススメコミックなど

 最近おすすめのコミックはと問われれば、亭主は迷うことなく「Beastars(板垣巴留、秋田書店)」を挙げる。

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 Beastarsは、人間とよく似た社会を形成する獣たちの世界を舞台とした青春群像劇だ。主人公は犬科最大最強といわれるハイイロオオカミのレゴシ。肉食動物と草食動物とが同じ屋根の下で学ぶ「チェリートン学園」の演劇部の、美術係に所属している。恵まれた体格と運動能力、そして腕力の強さにも関わらず、その性格は温厚で弱気。内省的で常に他の獣の陰に隠れて暮らしている。だが、その内側には肉食獣の本能が隠れていて、ごくまれに「草食動物を補食したい」「強大な力を振るいたい」という衝動に襲われる。自らがその衝動に負け、理性を失うことを彼は極度に恐れている。

 先に述べたチェリートン学園の演劇部は、肉食動物と草食動物との混成によって編成されている。部のトップ・スターはアカジカのルイ。長身痩躯、肉食獣をも威圧する見事な角と、トップ・スターにふさわしい威厳を兼ね備えた、もう一人の主人公だ。たくさんの女性ファンがいる一方、男性からも尊敬を集めるカリスマ的存在のルイ。温厚で弱気なレゴシにとって、ルイはまさに雲の上の獣である。ルイもまたレゴシの存在が気になるようで、臆するレゴシの気持ちそっちのけで彼に目をかけている。

 物語は二人の主人公、陰と陽であるレゴシとルイを中心に展開する。「チェリートン学園の部室で演劇部準主役のアルパカが何者かに殺される」という殺伐とした導入部、だが、登場人物たちは悲しむ暇もなく間近に迫った演劇部定例公演の準備に忙殺される。

 週刊少年チャンピオンといえば「刃牙」「弱虫ペダル」あるいは「囚人リク」などとにかく熱い連載ばかりに目が行くが、伝統的には(故)小山田いくや立原あゆみといった作家による青春マンガも多く掲載されており、亭主的には前者の「動」と後者の「静」とが絶妙なバランス感覚で並立する少年漫画誌と認識している。なかでも小山田いくの「星のローカス」「スクラップ・ブック」は少年コミックを代表する青春物語であり、Beastarsはこれら作品の直系にあたる。もちろん、かつての青春物語そのままというわけではない。たとえば導入部の事件は、本作の根幹がフーダニット型のミステリであることを示唆しているし、レゴシの中の野生は少年誌では王道ともいえるバトル系コミックの「秘められた力」を読者に予感させる(いわゆる覚醒というやつだ)。ただしBeastarsにおける「秘められた力」は、主人公であるレゴシを破滅に追い込む危険な力である。力の暴走を恐れるのは、作中のレゴシや、周囲の草食動物たちだけではない。作品全体を崩壊に導くという点においては、読者もまた彼の力を恐れている。この危うさが作品の骨格となり、本作にスリルと現代性とを与えている。

 もうひとつ重要なのは、レゴシという主人公のアンチヒーローぶりだ。本書においてレゴシというキャラクターは、もっともヒーローらしくないヒーローとして描かれる。温厚で弱気で内省的という性格はもちろんのこと、まるで鬱病のような顔つき、猫背(犬なのに!)、その場にいても誰も気づかない存在感のなさは、読者にとって、か弱く、不安を掻き立てる存在でしかない。ところが読み進めるうち、レゴシの不安は大きな共感へと変わっていく。彼の不安やもやもやが、読み手が若いころに経験した不安やもやもやによく似ていることに気づくと、レゴシの悩める姿がまるで自らのことのように思えるのだ。

 本作は、動物たちの青春群像劇であるだけでなく、我々人間の青春群像を動物というキャストを用いて巧妙に表現することに成功している。レゴシやルネだけでなく、彼らをとりまくネズミやダチョウ、トラなどといったキャラクターもまた、人間世界のカリカチュアとなっている。

2017年4月11日 (火)

04/11 【読】 「いま私たちが知って受け入れるべき【この宇宙の重大な超現実】(高島康司、ヒカルランド)」

「いま私たちが知って受け入れるべき【この宇宙の重大な超現実】(高島康司、ヒカルランド)」

 異文化コミュニケーション、語学、ビジネス書などを多数表し、情報・教育コンサルタントとして活動する高島氏が、海外のUFOコミュニティで話題となっている宇宙人のリーク情報をまとめた書。おもにYoutube、インターネットサイトからの情報をベースに、これらサイトに掲載されているスティーブン・グリア博士、マーク・リチャーズ大尉、コーリー・グッド氏らへのインタビュー記事を日本語訳、抜粋して紹介している。かつて一世を風靡した矢追純一氏らによるMJ-12、エリア51などの情報に、最近少し下火になった感のあるニューエイジ思想、スピリチュアリズムを繋げた内容と考えてよい。なお出版元であるヒカルランドは、オーガニック、波動、ヒーリングなどをコンセプトとしたカフェやセミナーの運営、あるいは関連図書の出版を手掛ける。


 YoutubeやUFO研究家らのサイト情報によるならば、現在、地球には20を超える異星人が来訪し、国家レベルでの交流を行っている。異星人は出身の母星はもちろん姿かたちが全く異なり、それぞれに独自の目的をもって地球人たちとコンタクトしている。異星人の中には友好的な種族がいる一方で敵対的な種族もおり、また異星人の間でも思惑の違いから反目がある。かれらは地球の各所に基地を建設したり、あるいは各国の軍基地で活動したり、さらには一般人と混じって生活するなど、かなり深い部分まで地球人とかかわっている。アメリカの砂漠に墜落、大破したUFOの技術をリバースエンジニアリングし、宇宙の超テクノロジを入手したアメリカ軍がUFOを建造し宇宙を飛び回っているのはもちろんのこと、地球の各所に存在する超空間トンネル「スターゲイト」をめぐり、各国政府と異星人が闘争を繰り広げるなど、国際情勢はかなり緊迫したものである――らしい。


 これらは先に上げた3名の発言によるものとされるがインタビュー記事はどれも少しづつ似通い、しかし少しづつ異なる。はたしてこれら情報が真実なのかどうか、亭主にはそれを検証する術がない。やたらとスケールが大きいうえに東日本大震災やトランプ政権誕生など時事ネタ、陰謀論も織り交ぜている。全部入りのエンターテイメントととらえて読むくらいでちょうどよいだろう。父文庫。(2017.03.26)

2017年3月26日 (日)

03/26 【読】 「ほしのこえ(大場惑、原作:新海誠、メディアファクトリー文庫)」

「ほしのこえ(大場惑、原作:新海誠、メディアファクトリー文庫)」


 1973年長野県生まれの映画監督、映像作家。昨年公開された「君の名は。」が空前の大ヒットとなった新海誠氏が、2002年に発表した自主製作アニメーション「ほしのこえ」のノベライズ作が本作。2002年7月メディアファクトリー文庫から出版されたものが、2009年に新装版として出版されている。なお、大場惑氏は千葉県在住のSF作家。デビュー作「コンタクト・ゲーム」、ソノラマ文庫「トリガーマン」ほか、「世にも奇妙な物語」「イース」などのノベライゼーションも手掛ける。ついでに言えば大場惑氏は東京理科大学理工学部SF研究会出身で、亭主はその後輩にあたる。亭主が現役時代には、OBとしてよく大場惑氏が亭主の部屋に泊まりに来ていた。


 2046年、夏。平凡な中学生で弓道部の部長である寺尾昇は、副部長のミカコとともに夕立の上がった街を、二人乗りの自転車で走っていた。どこにでもいる中学生のカップル。どこにでもある日本の夏の風景。だが、彼らの上を巨大な恒星間宇宙戦艦が通り過ぎたとき、二人の夏は突然終わりを告げる。国連宇宙軍の新鋭艦のクルー募集に当選したミカコは、なんと高校を待たずして宇宙へ上がるというのだ。火星で見つかったという謎の異星文明・タルシアンの遺跡から得られた技術により急速に発達した人類文明が遭遇するあらたな脅威に対抗すべく建造された最新鋭の宇宙戦艦・リシテアに乗ったミカコと、中学を卒業して高校へと進学したノボル。宇宙と地球、遠く引き離された二人の恋の行く末は。


 新海誠氏が亭主と同じ長野県出身で、理容クロサワのご主人の知人が新海氏と無二の親友で、亭主は大場惑氏の後輩で・・・。なにかと縁のある両氏の作品に、複雑な気分の亭主である。大場惑氏が得意とするヴィヴィッドで初々しい文体は、新海氏の世界観と自然なまでにマッチしている。別の店で買ってきたジャケットとスラックスが、合わせてみるとまるであつらえたかのようにしっくりくる、そんな感じに似ているだろうか。くわしくはアニメ予告編を参考いただきたいが、16~17歳の女の子が戦闘員として参加する宇宙戦艦であるとか、彼女らが乗り込む機体がパワードスーツ様であるとか、彼女らの宇宙での訓練の日々の描写であるとか、個々のエピソードは「トップをねらえ!」あたりとよく似ている。だが、作品全体は決して「アツい」わけではなく、むしろ静寂と絶望、そしてそれを静かに見守る愛で満たされている。本書はそんな新海誠氏の世界観を、大場惑氏による暖かい筆致で描きだしている。(2017.03.26)

2017年3月15日 (水)

03/15 【読】 「隣り合わせの灰と青春(ベニー松山、幻想迷宮書店)」

「隣り合わせの灰と青春(ベニー松山、幻想迷宮書店)」

 ゲームライター/小説家のベニー松山が、「ファミコン必勝本(JICC出版)」で連載していたファンタジーRPG小説。パソコンRPGの傑作「ウィザードリィ~狂王の試練場」を題材としたオリジナル・ストーリが本作となる。今回は幻想迷宮書店よりKindle版として復刊されたものを読了した。JICC出版からの単行本は1988年、幻想迷宮書店のKindle版は2016年4月に発表されている。

 舞台は、ゲームと同じく狂王トレボーが治める城塞都市。地下に広がる大迷宮から、冒険者たちのパーティが帰還した。主人公である戦士スカルダがリーダーをつとめる善のパーティ、しかしその顔は暗くしずんでいた。迷宮最深部で敵の奇襲を受けた彼らは、パーティの最年長、マスターレベルだった魔術師シルバーを失ってしまったのだ。さらに悪いことに、城塞都市内の寺院にシルバーの遺体を運び込んだものの、寺院での復活に失敗、シルバーは永遠に帰らぬ人となってしまう。責任を感じたスカルダは、パーティのさらなる戦力強化を図るべく侍に転職。あらたな戦力である魔術師バルカンを加えた彼らは、迷宮最深部に潜む邪悪の魔導士・ ワードナからのアミュレット奪還を改めて誓う。

 パソコン版と同等の世界観、ウィザードリーを構成する様々な要素を巧みに組み換え、また再解釈して作り上げられたオリジナル・ストーリは、ゲームを楽しんだ当時のゲームファンにはただひたすらに懐かしく感じられる。昨今の派手な展開のファンタジー小説、コミックなどと比べれば地味な感じは否めないが、当時のゲームの雰囲気からするとこれくらい地味でも違和感がない。ワイヤーフレームで表現される迷宮、すべてテキストで記される戦闘シーン、そして最低限のテキストでしか説明しないストーリなどを知っているファンにとって、「絵」ではなく「活字」であることの意義は大きい。かくいう亭主もまたウィザードリィの熱心なファンであったが、本書を読んでも当時の雰囲気がまったく乱されず、むしろその雰囲気をなつかしさとともに大いに楽しんだ。(2017.03.15)

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