2021年3月 2日 (火)

03/02 【読】「考現学入門(今和次郎・藤森照信編、ちくま文庫)」

「考現学入門(今和次郎・藤森照信編、ちくま文庫)」

 建築学者、風俗研究家。東京美術学校卒業後に郷土会へと参加し柳田國男に師事、その後吉田謙吉とともに「考現学」立ち上げに尽力した今和次郎(こん・わじろう)氏の著作を「路上観察学」「超芸術トマソン」でなどで知られる藤森照信氏が修正した書。1987年刊、2019年9月には第十七刷を数える。


 今氏、吉田氏によって発案・命名された「考現学」。過去の探求が「考古学」ならば、現在を探求することが「考現学」なのだという。人々の生活の際立った部分をことさらに取り上げるのが「風俗学」、地方の生活に焦点をあてるのが「民俗学」だとするならば、都市生活者の何気ない日常を観察し、考察するのが「考現学」なのだそうである。本書ではそんな「考現学」の一例を紹介。たとえば地方や街中の何気ない事物、たとえばブリキ屋の細工物や家の雨どい、銀座の通りを行く人々の服装や職業、深川にあったという貧民窟の人々の暮らし、果ては食堂の欠け茶碗までもが観察の対象となる。今でいえば「ビッグ・データ」というやつになるだろうが、何せ当時はビデオはおろか、写真すら気軽に使えない時代である。観察者は自らが見たモノをつぶさに絵に描き取り、ときには短い時間に様々な情報を分類・集計し膨大なデータとして蓄積していく。


なかでも圧巻は銀座の大通りを行き交う人々の様子を集計した「東京銀座街風俗記録」で、洋服の色、外套の種類や色、襟の形、ネクタイの有無、時計の鎖の有無や手袋の着用、靴の種類、着物の形や羽織の柄、和装で履く履物や足袋の種類、髭、眼鏡、帽子、携帯品、たばこ、女性の帯の種類や布地、スカーフの色スカートの長さ、櫛、化粧、髪の長さなど、もうありとあらゆる事物を観察、集計する。それも大量の人員を投入しての人海戦術である。記事ではこれら集計結果に簡単なコメント・考察がつけられているものの、それら膨大な集計結果から大発見がなされたかというと、そうでもない。本書にはこのような様々な観察記録がこれでもかと紹介されていて、当時の人々の生活・行動を実に生々しく伝えてくれている。


 もともと「考現学」は、関東大震災によって壊滅した首都・東京が、がれきと焦土のなかから復興していく様をリアルタイムで記録することを目的として発案されたものだそうだ。復興によって変わっていく街、がれきのなかから文明が立ち上がり、貧富の差がどんどんと開いていくなかで、その時々の「現在」を記録することが「考現学」のモチベーションとなっていた。もちろん、学問として体系化されておらず、どちらかといえば観察者・記録者の興味や好奇心が優先しがちな、まだまだ若い学問であったが、海外に先駆けてこのような学問が立ち上がったということは、研究者たちにとっては大きな励みとなったようである。のちに赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、荒俣宏、杉浦日向子諸氏らによって結成された「路上観察学会」は、今・吉田氏とは直接交流はなかったものの直系の子孫(というより憧れ)だそう。そこから「超芸術トマソン」さらには宝島社の「VOW」や(これは亭主の私見として)「孤独のグルメ」などにも派生していくことになる。(2021.03.02)

2021年2月12日 (金)

02/12 【読】「越境芸人-増補版(マキタスポーツ、Bros.Books)」

「越境芸人-増補版(マキタスポーツ、Bros.Books)」

 音ネタ芸人・ミュージシャン。俳優としての活動のほか、日曜日9時、BSトゥエルビの「ザ・カセットテープ・ミュージック」パーソナリティとして活躍するマキタスポーツ氏が、2011年10月から2018年3月までTV Bros.で連載していたコラムに、書き下ろしを追加した最新エッセイ・評論集。芸能界・私生活、また社会にまつわる様々な事柄を、マキタ氏独自の視点から読み解く。なお新緑として小泉今日子さんとの対談「越境の先へ」を収録。ウィズコロナ、アフターコロナ時代の「今」を語る書き下ろし評論「越境の現在地」も追加されている。


 1970年生まれというマキタスポーツ氏。亭主は1969年(しかし早生まれ)ということで彼が一つ下になる。生まれは山梨県、亭主は長野県と、亭主と共通するものが多く、これまでも注目してきた芸人/アーティストである。マキタ氏のほうがちょっと東京に近い、ということで東京への接近は彼の方が早く、「芸能界」「音楽業界」へ足を踏み入れるハードルも低かったのだろう。ただし彼の場合踏み入れたところは彼言うところの「第2芸能界」。TVを中心とした経済圏・芸能圏からはほど遠い世界で、彼は「ラジカルな観察者」としてお笑いやアイドル、音楽業界が持つ「構造」を読者の前に詳らかにする。


 亭主はこれまで、それほど「評論」をまじめに読んだことがなかった。Headzの佐々木敦氏の音楽評論は難解かつ詩的で雰囲気をつかむのに精一杯だったし、菊地成孔氏のそれはあまりにヒップホップで、評論の持つ毒よりも、毒がもたらすトリップ感に振り回されることが多かった。マキタ氏の「評論」は話題こそ庶民的だったり、下世話だったりするのだが、その分析・解釈の仕方が非常に独特で、常に違う方向から冷水をぶっかけられている、そんな気分にさせられる。評論に際してはまず「キーワード」が提示され、盛大な「出オチ」と思いきやその後にしっかりとした「回答編」が待ちかまえている(この手法はザ・カセットテープ・ミュージックでもよく使っている)。出オチでいかに読者の度肝を抜くか、そして「回答編」でいかに読者の予想を超えるかが本書の注目ポイント。オジサンまるだしの解釈も同世代の亭主にはうんうん頷けたりして、個人的にはかなり面白く読むことができた。


 巻末の小泉今日子さん(キョンキョン)との対談は、「アイドルとアイドルファン」という関係から「第2芸能界で同じ志を持つ仲間との作成会議」へと発展していくあたりがおもしろい。そういえば小泉さんといえば朝の連ドラ「あまちゃん」で主人公の母親・芸能プロダクションの社長役を熱演していて、あの辺の熱量にも通じるところがあるのかもしれない。


 山梨から東京へ、お笑いからミュージシャンへ、第2から第1へ。様々な世界を「越境」しつつ、常にラジカルな観察眼を向けるマキタ氏に、これからも注目していきたい(2021.02.12)


2021年1月 2日 (土)

01/02 【読】「今昔百鬼拾遺-月-(京極夏彦、講談社ノベルス)」

「今昔百鬼拾遺-月-(京極夏彦、講談社ノベルス)」

 京極堂シリーズ最新作。昭和29年、巷に頻発した怪事件を雑誌記者・中禅寺敦子が追うスピンアウト作品。東京で起きた連続辻斬り事件を扱った「鬼」、千葉で起きた連続水死事件の「河童」そして東京高尾山で起きた連続失踪事件の「天狗」の3エピソードを収録している。


 本作の主人公である中禅寺敦子は、メインシリーズの主人公である中禅寺秋彦(京極堂)の妹。様々な奇妙な事件・現象を科学の目で解き明かす雑誌「稀譚月報」の記者として日々奔走している。本作では、かつて千葉で起きた「連続目潰し魔事件(「絡新婦の理」所収)」の関係者である呉美由紀が巻き込まれた3つの事件に敦子が関わり、独自の推理によって真相へと達する様が描かれる。書痴ゆえにあらゆる分野に精通し、その豊かな知識でもつれた事件を快刀乱麻に解き明かす京極堂や、特殊能力によって一足飛びに真相へと肉薄する榎木津礼二郎とは異なり、敦子の推理は事実を積み上げ、着実に真実へと近づくスタイルである。事件の背後に見え隠れする妖怪の影、そしてそのさらに背後にうごめく人間の心の闇を、理路によって白日の下に晒すあたりが本作の醍醐味だろう。衒奇な舞台設定や超絶技巧なトリックは存在せず、京極堂や榎木津のようなスーパーヒーローは一切登場しないため地味な印象は否めないが、その分ストーリーは複雑で、読者が事件の全容を把握するのはなかなか難しい。読み応えたっぷり、正攻法の探偵小説が存分に楽しめる。


 なお本書所収の3つのエピソードは、2019年に講談社タイガ、角川文庫、新潮文庫からそれぞれ刊行されたもの。3つを一つに合本した、いわゆる決定版となっている。それぞれを読んだことがある人はそちらを読めばOK。1つのみ、あるいは2つのみ読んだ人がどうするかはよくわからない(2021.01.02)


2020年10月30日 (金)

10/30 【読】 「ジャズ喫茶ベイシー読本(別冊ステレオサウンド)」

「ジャズ喫茶ベイシー読本(別冊ステレオサウンド)」

 岩手県一関市にあるジャズ喫茶「ベイシー」。名前の由来となったカウント・ベイシーをはじめ多くのミュージシャン、文筆家、芸能人が(その距離にも関わらず)足繁く通い、交流を深めるジャズ喫茶の巨星が、このたび開店50周年を迎えた。本書は「ベイシー」と店主である菅原正二氏をまるまる一冊あつかった特製版。2020年5月刊。


 巨大なウーファを備えたJBLのスピーカシステムでジャズの名盤を次々と再生する「レコード演奏家」菅原氏。実家の土蔵を改造した喫茶店は、菅原氏と、そのオーディオシステムを楽しみにする人たちで常ににぎわっている。かつては早稲田のビッグ・バンド「ハイソサイエティ・オーケストラ」に所属し、その行動力でビッグ・バンドを成功に導いた他、プロのドラマーとして活動した氏だったが、胸の病気から静養せざるをえなくなり、故郷の一関に戻ったという。ところが、東京時代の人脈や、氏の人柄に惚れ込んだ人々の縁は絶えることなく、まるで日本のジャズとジャズ・オーディオの中心が一関であるかのような盛り上がり(?)を見せている。


 「盛り上がり」と書いた後に(?)とあえて疑問符をつけたのは、そんなジャズ・オーディオシーンの中心にいる菅原氏自身はあくまでもストイックに、自らのオーディオ道を追求し続けているからだ。最高の音を出すべく自らのオーディオと格闘する日々。ジャズ喫茶の店主として客と接する一方で、昼も夜も自らの出音と向き合う氏の生き方に、共感し、尊敬し、またあこがれの念を抱く人も多いだろう。


 本書は、そんな菅原氏とベイシーを様々な角度から読み解こうと試みる。40ページにも及ぶカラー・グラビア、ベイシー開店までの経緯を綴ったクロニクル、あるいは菅原氏と縁の深い人々たちからのメッセージなどなど、そのどれもが菅原氏とベイシーを深い愛情で包んでいる。ステレオサウンドに掲載された記事の再録もあって、特に最近逝去された菅野沖彦氏との対談は今となっては貴重。ジャズとオーディオをすこしでもかじったことのある人ならば必ず耳にするであろうベイシーの世界を、この一冊で存分に楽しむことができる。(2020.10.30)

2020年10月12日 (月)

10/12 【読】「怪談に学ぶ脳神経内科(駒ヶ嶺朋子、中外医学社)」

「怪談に学ぶ脳神経内科(駒ヶ嶺朋子、中外医学社)」

 獨協医科大学の脳神経内科・総合内科専門医で医学博士でもある氏が、奈良時代~大正時代の文献にみる怪談や怪奇現象を「脳神経内科」の観点から解き明かした書。ざしきわらしやろくろ首などの妖怪や、ドッペルゲンガーや幽体離脱といった心霊現象を医学の光を当てることで、「怪異」の陰に隠れた意外な真相が詳らかとなる。2020年4月刊。


 医学書のようであり、怪談・怪奇現象の解説本でありーーーと一風変わった内容の本書。ざしきわらし、狐憑き、幽霊、ろくろ首、かなしばりなどの十編怪異が症例として提示され、考えられる疾患や現代における類似の症例、また検査方法などが膨大な文献とともに解説される。解説の主体は著者であり、本書において著者は「現代脳神経内科の知識を有するまま過去に時間留学した」医者という立場を徹底する。一つの症例から様々な疾患が導き出され、それら疾患の可能性をひとつひとつ消していくことで真の疾病へとたどり着く様は医学系の推理小説のようでもある。ただし、本書にはおどろくべきどんでん返しも、涙を誘う悲劇も、また事件の真相を暴き出す爽快感もない。あるのは真摯に病に向きあい、一刻も早い患者の快復を願う医者の姿である。


 なお、著者である駒ヶ嶺氏は、医大に進む前は早稲田大学文学部に在籍し、現代詩での受賞歴を持つ文学者でもある。文章の随所に、マジメな医学書からちょっとはずれたユーモラスな表現が散見されて、読んでいてクスッとすることしばしば。とはいえ、全体として非常にハードな内容であり、専門用語がガンガン飛び交う文章は、医学を志した人ならばともかく、一般の読者にはなかなか厳しいものがあるだろう。


 エンターテイメントと学術書のハイブリッド、しかしその敷居は意外と高い。気合いを入れて読むべし。(2020.09.18)


2020年9月18日 (金)

09/18 【読】「追憶の泰安洋行(長谷川博一、ミュージック・マガジン)」

「追憶の泰安洋行(長谷川博一、ミュージック・マガジン)」

 細野晴臣が1976年に発表したソロ・アルバム「泰安洋行」。「トロピカル・ダンディー」「はらいそ」とともに「トロピカル三部作」と呼ばれた2枚目のアルバムに徹底的に焦点を当てた音楽所が本書「追憶の泰安洋行」となる。執筆は北海道小樽市出身のフリーライター・長谷川博一。かつては細野氏が監修するノンスタンダード・レーベルのディレクターをつとめたほか「音楽王 細野晴臣物語」「ミスター・アウトサイド」「きれいな歌に会いにゆく」など多数の音楽書の編集・執筆に関わった。


 本書は音楽誌「レコード・コレクターズ」2016年7月号から18年11月号の連載をまとめ、書籍化したもの。なお、長谷川氏は連載終了後に病に倒れ、一時的に回復した際に書籍化のための準備を始めたが、2019年7月8日に逝去された。本書は著者の意図しない改変を避けるため、連載当初のフォーマットを踏襲した構成となっている。前書きには、逝去後に氏のPCから見つかった原稿を使ったほか、細野氏、また鈴木惣一朗氏がメッセージを寄せている。2020年7月刊。


 はっぴいえんど解散後、YMO結成前のソロ活動時期に細野氏が制作した4枚のアルバム。なかでも「トロピカル三部作」の2作目である「泰安洋行」は、中国・香港・沖縄・ハワイアン・ニューオーリンズ・ブギウギなど多彩な音楽要素を日本人ならではの絶妙なバランス感覚で配合した「歴史的名盤」として現在も多くのアーティストに影響を与えている。参加アーティストも実に豪華で、佐藤博、矢野顕子、岡田徹、鈴木茂、林立夫、浜口茂外也、大瀧詠一、山下達郎、大貫妙子、小坂忠、久保田麻琴などなど、当時の音楽界の若き実力者・現在のレジェンドがこぞって参加している。


 本書は、そんな歴史的名盤をあらゆる方向から分析・考察するとともに、当時の関係者、ひいては細野氏ご本人にまでインタビューを敢行することで、その魅力や真価をひもとくことに全力を傾けている。アーティストの半生を一冊の本にまとめ上げた本は実に多いが、アルバム1枚をひたすら掘り下げた本というのは実に珍しい。音楽にたいする長谷川氏の博覧強記ぶりもさることながら、当時アルバム制作に関わったエンジニアや、その後の細野氏の音楽活動に関わった若き音楽家まで、文字通り全方位的な視点で、しかも最後までしっかりとまとめ上げた氏の情熱がすばらしい。また、本書にはアルバムリリースの際に販促として使われたチラシやポスターなどもふんだんに収録されていて、歴史的資料集という一面もある。1970年代の世界の音楽シーンを俯瞰するという意味でも一読の価値あり。


 ファン・ブックを越えた音楽の世界絵巻として全音楽ファン必読の書。(2020.09.18)


09/18 【聴】【読】Blue Giant Live Selection / 石塚真一, 小学館

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 石塚真一の大人気ジャズ・コミック「ブルー・ジャイアント(全10巻)」より、主人公でサックス奏者の宮本大の演奏回を集めた作品集「ブルー・ジャイアント・ライブ・セレクション」が8月に発売された。
本アルバムはコミックをより楽しむための教材(?)として添付されたもの。往年のジャズ・ジャイアント8組の名演が収録されている。


 収録曲およびアーティストは以下の通り。



  •  M1 Impressions / John Coltrane

  •  M2 Softly, As in a Morning Sun / Sonny Rollins

  •  M3 Waltz for Debby / Bill Evans

  •  M4 A Night in Tunisia / Art Blakey and Clifford Brown

  •  M5 Airegin / Stan Getz

  •  M6 Blue Monk / Thelonious Monk and John Coltrane

  •  M7 Manteca / Dizzy Gillespie

  •  M8 Filthy McNasty / Horace Silver


 リストをみればわかるとおり必ずしもサックスの曲ばかりでなく、またコミックの各話のサブタイトル(曲名がつけられている)と連動しているわけでもない。スタジオ録音あり、ライブ録音ありと選曲の意図が今一つ見えないが、いずれも有名アーティスト、有名曲でありコミックスと連動せずともそれなりに楽しく聴ける。あまり細かいことは気にせず、連載時と同じ大判の紙面を、ジャズの音楽とともに楽しんでほしいということなのだろう。


 なお、コミックに収録されているエピソードは宮本大の日本でのエピソード(つまりブルー・ジャイアントのエピソード)に限られていて、直接の続編であるヨーロッパ編(ブルー・ジャイアント・シュプリーム)、最近始まったアメリカ編(ブルー・ジャイアント・エクスプローラー)の内容は含まれていない。ボーナストラックとしてシリーズ終盤で入院するピアニストの沢辺雪祈(ユキノリ)が、故郷である長野に転院するエピソードが収録されているので、ファンはこのエピソードを目当てに買うのもよいかもしれない。


 ちなみに、M7 Manteca / Dizzy Gillespieはアフロ・キューバンを意識した、思わず体が動いてしまう楽しい曲。ブルー・ジャイアントの世界観とは違うかもしれないがジャズの応用編として楽しんではいかが(2020.09.05)


2020年8月10日 (月)

08/10 【読】「日本SF論争史(巽孝之・編、勁草書房)」

「日本SF論争史(巽孝之・編、勁草書房)」


 SF批評家、評論家として知られる巽孝之氏が、日本SFにまつわる様々な批評・論考を時代とともにまとめた書。1910年代に英米で勃興したSFというジャンルが、1950年代に日本へと流入し、以降日本独自の発展を遂げていく中で興った様々な議論、その時代を代表する作家たち・作品群を題材に、SFとは何か、SFはどうあるべきかを熱く議論した論考集が本書となる。2000年5月発行。巻末には日本SF年表が付録としてまとめてある。


 本書は大きく5部に分けることができる。日本SF黎明期の代表的作家である安部公房・小松左京らが日本国内におけるSFの流行を語った第1部、福島正実、石川喬史、山野浩一、荒巻義雄、柴野拓美ら日本SFの屋台骨を支えた編集者・批評家・作家らがラジカルな論評を繰り広げる第2部、田中隆一、川又千秋、筒井康隆らが作り出した日本SFの新しい波(ニューウェーヴ)にSFの未来を幻視する第3部、ブルース・スターリングやオーソン・スコット・カードらによるSFの新しい潮流、サイバーパンクに笠井潔、永瀬唯、伊藤典夫らが論評を加える第4部、そして野阿梓、小谷真理、大原まり子らによるジェンダー議論の第5部。オビには「これが論争(ケンカ)の花道だ!」とあって、いかにも物騒な内容ととられがちだが、実際には各々の時代、英米や国内のSFの潮流に即したタイムリーな議論がなされていて、ネットウォッチャーが喜びそうな炎上案件は皆無といってよいだろう。


 なお、5部構成はそのまま日本SFの歴史を大きく5つに切った形となっており、第1部・第2部あたりはハインラインの「宇宙の戦士」やクラークの「2001年宇宙の旅」、あるいはジュール・ベルヌの冒険小説らが批判の対象となるほか、SFファンジンや日本SF作家に対する苦言や批判が散見される。時代が下りるにつれ批判・批評の対象はあいまいかつ抽象的となり、論考は「SFとは何か・どこから来たのか」から「SFはどこに行くのか」へと移り変わる。近年のやおい文化、ジェンダーについての議論は、SFの世界よりもむしろ現代社会が抱える課題ととらえるべきだろう。SFの主たるテーマである未知なる世界(その主たる舞台は宇宙だ)とはるか未来の飽くなき探求は、未来が現在となった今や人間の心の深奥へと向かい、逼塞する人間社会の行く先を問うている。


 ちなみに、時代を下るほどに文章が現代語となり読みやすくなる。内容もアジ的なものからエッセイ調となり肩ひじ張らずに読める。戦後間もない時代と、現代とでこれほどまでに日本語が違うのかと、改めて驚かされることだろう(2020.08.10)

2020年7月 8日 (水)

07/08 【読】「闇中の星 グイン・サーガ147(五代ゆう、早川書房)」

「闇中の星 グイン・サーガ147(五代ゆう、早川書房)」

 群像大河ファンタジー「グイン・サーガ」続編プロジェクトの最新作。キレノア大陸の中心・大国ひしめく中原を舞台に、主人公である豹頭王グインら多くの登場人物が織りなす運命の物語を、故栗本薫氏から執筆を引き継いだ俊英作家・五代ゆう氏が綴る。

 これまで同様、本書も4話からなる。栗本氏が正編を書いていた頃は、一つのエピソードが完結(というか一件落着)するまで続巻となっていたが、五代氏(および現在は静養しているもう一人の作家・宵野ゆめ氏)にバトンタッチしてからは、1巻に複数のエピソードを平行して掲載、同時並行でストーリが続いているようである。

 第1話は魔都へと変貌したクリスタルに潜入、復活を遂げたパロ聖王アルド・ナリスに邂逅したグインがクリスタル脱出を図る「カル・ハンの手」。

 第2話は自ら命を絶ったモンゴール大公アムネリスの子・ドリアン王子を救出したイシュトヴァーンの落胤・スーティが、黒魔道師グラチウス、黄昏の国の女王ザザ、狼王ウーラとともに、スーティの母フロリーのもとへと帰還する「母子再会」。

 第3話はドリアン王子を奪われ、ゴーラへの反乱の旗印を失ったモンゴール騎士団が、新たな旗印を掲げモンゴールの中心都市トーラスへと進軍する「トーラス反乱」。

 第4話は、クリスタル脱出に成功したグインが、魔道師らの力を借りつつケイロニアの首都サイロンへと帰還する「サイロン帰還」。なおそれぞれのエピソードにからめて沿海州の動き、クリスタル内の動きも語られている。グインのエピソード、スーティのエピソードなどは本巻でまずは一区切りとなっており、様々な不穏な動きがある一方で読み手としてはとりあえず一段落、一安心といった感じだが、沿海州からクリスタルへイシュトヴァーン討伐に向けた派兵があるなど中原に再び動乱が勃発する兆しもあって、タイトル通り先の見えない状態はまだまだ続いている。

 個人的に注目したいポイントは、(1)アルド・ナリス復活の真の黒幕と、ナリスの真の目的(2)クリスタル地下に眠る古代機械をねらうキタイの竜王ヤンダル・ゾッグの次なる謀略、あたりだろうか。グイン・サーガが今後どこまで続くか、どのように展開していくかは全く見えないところであるが、亭主は最終巻「豹頭王の花嫁」の花嫁が、コナンシリーズなどこれまでのファンタジー小説にみられる傾向と対策からパロ王女「リンダ」であると確信していて、ヤンダル・ゾッグの野望を打ち破り、クリスタルに幽閉されているリンダを救出して終幕すると思っているので、物語の終局はそう遠くない未来にやってくると予想している。いや、当初100巻で完結するといわれていた物語である。ここまで内容を盛りに盛ったうえでさらに物語が変転するとはなかなか考えにくい。様々な動きがクリスタルへと集約され、アルド・ナリスひいてはラスボスであるヤンダル・ゾッグを打ち倒すというストーリーを考えるならば、あとは「寄せ手」の問題である。闇の中の星が指し示す方向、それがこの巨大な群像ファンタジーの最終局面を示すのか、それともひとつのエピソードの完結に過ぎないのか。亭主は前者であって欲しいと願っているが、果たして。

 ああ、地の果てにあるという「カリンクトゥムの扉」というタイトルの巻もこれからだっけ。これはどうなるのかなぁ(2020.07.08)

2020年5月20日 (水)

05/20 【読】 「エイフェックス・ツイン、自分だけのチルアウト・ルーム―――セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2(マーク・ウィーデンバウム、坂本麻里子訳、Ele-king Books|P-Vine)」

「エイフェックス・ツイン、自分だけのチルアウト・ルーム―――セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2(マーク・ウィーデンバウム、坂本麻里子訳、Ele-king Books|P-Vine)」


 Aphex TwinことRichard D.Jamesが、UKテクノの名門・Warp Recordsから1994年にリリースした2枚組のアルバム"Selected Ambient Works Volume 2"に関する様々なトピックを、アンビエント/エレクトロニカのサイトDisquiet.com主宰であるMark Weidenbaumがドキュメンタリー形式でまとめた書。日本語版は2019年2月刊、翻訳はロッキング・オンなどで音楽ライターとして活動する坂本麻里子氏。


 かつては「奇才」と称され、数々の奇行・武勇伝にテクノファンの耳目が集まったRichard D.James。1990年代のUK Drum'n'Bassシーンを牽引し、Drill'n'Bassなる過激なブレイクビーツを生み出した立役者として知られている。一方、繊細なエレクトロニカ・サウンドも多く手がけ、現在も寡作ながら良質な作品を作り続けている。本書はそんな彼の代表作である"Selected Ambient Works Volume 2"にスポットを当て、リリースの経緯、当時の社会状況、またリリース時の周囲の反応やその後のアンビエント/エレクトロニカ界隈の動きを、様々な人々の証言を元に記している。ただし、Richardへの直接のインタビューはなく(あまりメディア露出を喜ばないらしい)なく、収録曲についてもさほど詳細には解説しない(アンビエントに格段の制作意図が込められているともかぎらない)。いわゆる熱狂的なファン・ブックではないことに注意されたい。


 ところで本アルバム、実は結構曰く付きである。Volume 2に先駆けたVolume 1が存在しないとか、Warp Recordsと初めて契約した作品で、Warp側はエレクトロニカを期待していたのに出てきたものはアンビエントだったとか、全25曲のうちBlue Calxしか曲名がついておらず、別人によって勝手的に曲名がつけられ、しかもアルバムに公式にクレジットされていたりとかーーー。地味な作品に関わらず話題には事欠かなかったようである。アルバムリリース後の評判はも微妙だったようで、エレクトロニカを期待していたファンの困惑が伺い知れる。なおその後アルバム収録作品は、クラシックにアレンジされたり、映画や演劇のBGMとして使用されたようである。


 Volume 1もVolume 3もない地味な2枚組アンビエントのアルバムが、音楽シーンに与えた影響を冷静に俯瞰したドキュメントが本書となる(2020.05.20)

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