2019年11月11日 (月)

11/11 【読】「三体(劉慈欣、早川書房)」

「三体(劉慈欣、早川書房)」


 中国、山西省生まれ。2006年に中国のSF雑誌「科幻世界」に「三体」を発表し爆発的な人気を得る。2014年に英訳版を刊行、2015年にアジア人初となるヒューゴー賞を受賞するなど世界的にも評価の高い劉慈欣氏の話題作がついに日本語化された。なお、中国では続編である「黒暗森林」「死神永生」が3部作として刊行されていて、オバマ元大統領も第1部を愛読、第2部以降の英訳化を熱望しているという。日本では2019年7月の初版が1週間で第9刷となるなどSF作品としては異例の大ヒットとなっている。


 主人公は、中国のエリート科学者・葉文潔。父親を文化大革命で惨殺され、自身もまた当局から監視される日々を送っていた彼女は、軍関係者と思しき人物によって謎に包まれた軍事基地への就職を誘われる。自らの不遇に絶望しつも有能な物理学者であった彼女は、軍事基地で巨大なパラボラアンテナを稼働するチームに参加、みる間に頭角を現す。だが、巨大なパラボラアンテナの用途は依然として不明、レーザー兵器とも、電磁波兵器などとも呼ばれつつアンテナを向けるその先にあるものとは。


 ーーーと、まずは本書の冒頭部分をざっくり書き下してみたが、本書の面白さをなかなか表現し切れていないのが正直つらい。文化大革命の時代から現代へ、世界の有り様も、技術も変遷していくなか、「中国」という巨大国家の内側で、様々な人々が「三体」と呼ばれるプロジェクトに翻弄される。天体力学における「三体問題」に由来する「三体」の全貌が徐々に明らかとなる様、その面白さをどうやって説明したらよいのだろう。


 「三体」の面白さを実際に経験してもらう為には、やはり本書を読んでもらうしかないのだけれど、内容に触れない範囲で本書の面白さをいくつか述べてみる。


 まず一つ目。


 本書舞台である中国の独自の政治体制、価値観、あるいは政府という大きな枠組みの中で発展していく科学技術の面白さ。中国の人間でなければなかなか想像できない不自由さ、閉塞感のなか、独自の発展を遂げていく科学技術に、西欧の科学との「パラレル・ワールド」を見て取れる。当局の目をかいくぐり、なんとか研究を続けようとする研究者たち。中国の国力増加と結びつけられ、政府から支給される莫大な開発予算。そして西洋人には思いもつかない研究開発のアプローチ。そのどれもが読み手に新鮮な感覚(とパラレルワールド的な違和感)を与えてくれる。


 二つ目。


 現代の科学技術とSF的なガジェットとを緻密に接合する疑似的なリアリティの面白さ。従来SF作品にみられる技術の大幅な飛躍を用いることなく、既存の科学技術を少しづつ外挿することで壮大な物語へと仕上げている。と、同時に、ストーリを彩る思想・政治・宗教・環境などに関するリアルなエピソードが本書をしっかりと現実世界へとつなぎ止めている。あまりネタ晴らしをしてはいけないが、物語は終わりに近づくにつれどんどんと拡大していく。と同時に、技術の飛躍の度合いもまた指数関数的に広がっていく。この飛躍の度合いがまた痛快である。どこかの書評で、本書が「トンデモ小説」だと書いているのを見たが、「トンデモ」などとはとんでもない。本書はリアルな中国世界を舞台としたハードSFだ。ただ、外挿による飛躍がとんでもない範囲にまで拡大して、我々の想像を遙かに越えていくにすぎない。我々読者はその拡大する世界を前に、ただただなす統べなく立ち尽くすしかない。


 なお第2部「黒暗森林」は日本語訳が2020年に発売予定とのこと。さらにボリュームを増した続巻にも期待したい。(2019.11.11)

2019年10月17日 (木)

10/17 【読】「つげ義春 夢と旅の世界(つげ義春、山下裕二、戌井昭人、東村アキコ、新潮社)」

「つげ義春 夢と旅の世界(つげ義春、山下裕二、戌井昭人、東村アキコ、新潮社)」

 1960~70年代、月刊漫画誌「ガロ」に発表した作品が話題を呼び、「つげブーム」なるムーブメントの中心となった漫画家・つげ義春の作品世界を、美術史家の山下、作家の戌井、漫画家の東村らが徹底解説したムック本。2014年刊、2017年までに三刷を数える。

 全160ページのほとんどがカラー印刷、つげ氏の漫画原稿がそのまま掲載されるなど、これまでの漫画全集や解説書とは趣を異にした、ある種の「ファンブック」に仕上がっているあたりが面白い。タイトルにある通り、本書は「夢」の部と「旅」の部の2部構成となっており、それぞれのテーマに沿った漫画やインタビュー記事、年表、写真などの記事が構成されている。特筆すべきはそれぞれの記事に、積極的につげ氏が登場している点。かつてはメディアへの露出を避けていたつげ氏が本書の構成に積極的に携わっている点は亭主のようなファンからすれば非常にうれしい話だ。

 本書で掲載されている漫画は「ねじ式」「外のふくらみ」「紅い花」「ゲンセンカン主人」の4編だが、コマやページの抜粋という点ではもうほんとうにあらゆる作品が登場し、しかもそのほとんどすべてが「原画」である。細部まで徹底的に書き込まれた風景画、大胆な構図、そして斬新な作画テクニック。かつて漫画家志望だった頃の亭主がこれを見たなら、もう本当に食い入るように細部まで見入ったことだろう。今は漫画家への興味が薄れているが、それでも美しい原稿を心ゆくまで楽しめることはなによりの癒しである。

 ファンならばもちろん絶対購入の一冊。価格も1800円と装丁の美麗さを考えれば非常に良心的である(2019.10.17)

 

2019年10月 4日 (金)

10/04 【読】 「雲雀とイリス~グイン・サーガ146~(五代ゆう、早川文庫)」

「雲雀とイリス~グイン・サーガ146~(五代ゆう、早川文庫)」


 国産ヒロイック・ファンタジィの金字塔。栗本薫氏没後10年、二人の女流作家によって書き継がれるグイン・サーガ最新刊。今年はグイン・サーガ誕生40年でもあるとのこと、本書のほか今岡清氏(栗本氏の旦那さん)、里中高志氏による栗本氏関連書籍の刊行が続くようである。


 ヤガ編の終了により、舞台が中原へと戻ったグイン・サーガ。本編では4つのエピソードが語られる。


 ケイロニア皇帝オクタヴィアに反旗を翻し、謀略の末パロへと逃亡したワルスタット候ディモスを追うグインは、ついにパロの首都クリスタルへと到達。だがヤンダル・ゾッグ操る軍勢によって徹底的に破壊されたクリスタルは、人の住まぬ廃墟と化していた。謎のキタイの僧侶の手引きにより中枢クリスタル・パレスへと誘われたグインは、そこでかつて死んだとされるアルド・ナリスと邂逅する。


 ゴーラ王イシュトヴァーンによって、宰相カメロンが殺害される場を目撃したドライドン騎士団は、カメロンの亡骸を携え、自らの故郷である沿海州ヴァラキアへと帰還する。かつてパロ王妃であったアルミナの強力な進言により、イシュトヴァーン討伐のための派兵を検討するアグラーヤ王ヴォルゴ・バレン(アルミナの父)は、沿海州の各国の王たちを招集、「沿海州会議」を開催するに至る。一癖も二癖もある各国の代表が集う中、会議の裏では謎の勢力による陰謀が進行するなど中原にまた新たな暗雲が立ち込める。


 モンゴール再興を悲願に、辺境で兵をあげた風の騎士・アストリアスは、かつてのモンゴール王女・アムネリスとゴーラ王イシュトヴァーンとの落としだねであるドリアン王子を旗印に兵力をまとめつつあった。黒魔導士グラチウス、狼王ウーラ、ミラルカの琥珀とともに、事の成り行きを見守るドリアン王子の異母兄・スーティにドリアン王子を託されたアストリアス。だが、真にドリアン王子の幸福を願う風の騎士は、自らの行い、王子をあえて騒乱の渦中へと投じる行為に疑問を感じはじめる。


 パロ脱出ののち、パロ宰相ヴァレリウスと分かれケイロニアへと向かっていた聖騎士リギア。途中謀略に巻き込まれたものの、グインの活躍によって難を逃れたリギアは、吟遊詩人マリウスをともないケイロニアの首都サイロンへとたどり着く。パロ特使としての役目に難色を示すマリウスにあきれつつも、まずはサイロンへの到達に安堵したリギアは、グインの愛妾ヴァルーサと、グインとヴァルーサの子供たち(双児)を訪ねる。そしてマリウスも、妻であり現在はケイロニア皇帝となったオクタヴィアと再会。かくしてさまざまな人々が邂逅・再会を果たし、ばらばらだったエピソードが徐々に収斂し始める(2019.10.04)


2019年9月30日 (月)

09/30 【読】「長岡鉄男のわけがわかるオーディオ(長岡鉄男、音楽之友社)」

「長岡鉄男のわけがわかるオーディオ(長岡鉄男、音楽之友社)」


 放送作家、オーディオ評論家、レコード評論家。数多くのオリジナルスピーカを発表、オーディオ専用の建物「方舟」でも知られた長岡鉄男氏が、オーディオ初心者~中級者に向けて執筆した解説本。1999年刊。なお長岡氏は2000年5月に惜しくも逝去されたが、本書は異例のロングセラーとして2017年に第16刷を数えている。


 実は亭主、以前この本を所有していたが、オーディオを志す知人に(長岡氏の著作まとめて)進呈していた。今回購入したのは、やはりオーディオ入門書として手元に置いておきたかったからだ。昨今の入門書は「デジタルオーディオ」「PCオーディオ」はたまた「ハイレゾ」が大前提だったり、かつて隆盛だったハイエンドオーディオを批判したりと、いきなり「応用」から入る印象があった。対する本書は本当に「基本」から入る。たとえば第1章では「音と音場」つまり音そのものに関する説明に終始する。次いで第2章はスピーカー、第3章はアンプ、第4章になっていよいよソフトウエアの話題、アナログプレーヤやCDプレーヤの話題に入る。


 本書は、オーディオマニアなら誰もが知る話題しか扱っていない。しかし、誰もが知る話題であるからこそしっかりと活字として残す必要がある。学校の教科書があえて「本」(最近は電子化されているか?)として残っている理由でもある。逆に周辺の話題、流行の中で語られるような話題は、ニュース記事として過去に埋もれても問題ない。長岡氏の著作はどれも実用主義、事実のみを簡潔に記して無駄がない。わかるところはわかる、わからないところはわからないとしっかり記して予断がない。


 本書が刊行されてすでに20年が経過するが、20年を経ても氏の記事は依然として有用である。もちろんデジタルオーディオ、PCオーディオの記載はないが(SACD、DVDオーディオについてそのフォーマットの存在が簡潔に記されているだけである)それら記事は別途最新の文献を当たればよい。オーディオの中心たる音、そして音を発する主たる機器のスピーカ、アンプ、プレーヤ。この構成はこれからもずっと変わらない・・・


 ・・・とここで終わらないのがオーディオの面白いところ。第5章「アクセサリー」あたりからオーディオの怪しい部分、理屈では語れない部分がいよいよ現れる。実証主義で有名、様々な実験をおこない自らの耳で確認することを身上としている長岡氏にあっても、アクセサリーや使いこなし部分にはまだまだ分からないことが多いようだ。長岡氏も「わからない」として判断を保留しがち、原因の多くは振動や電磁気らしいが、残念なことに長岡氏逝去後原因追及が進んだという話はとんと聞かない。(2019.08.01)


2019年8月 1日 (木)

08/01【読】「モナドロジー 他二篇(ライプニッツ、岩波文庫)」

「モナドロジー 他二篇(ライプニッツ、岩波文庫)」


 微積分の基礎を築いた数学者・ライプニッツが、もう一つの顔である哲学者として万物の根本を洞察した論考集。「モナドロジー(1714年)」「理性に基づく自然と恩寵の原理(1714年)」「実体の本性と実体間の交渉ならびに魂と身体のあいだにある結合についての新説(1695年)」の3編に各種書簡7編を収録する。2019年4月岩波文庫より刊行。


 18世紀、ライプニッツは万物の根本を「モナド(日本語では単素などと訳される)」として提唱した。ライプニッツはモナドを「複合体のなかに入る単純な実体」「拡がりも形も可分性ももない」ものとし、「自然の真の原子」と定義している。ライプニッツのアイデアがユニークなのは、「モナド」には種類があり、モナドの自然的変化が内部より起こる一方、外部の影響を受けない、またモナドは自然に消滅することがないと考察した点にある。このアイデアは最終的に人間の魂がモナドであり、モナドが神の恩寵により創世されたという結論へとたどり着く。


 当時ライプニッツは17世紀の哲学者・数学者であるデカルトの「世界論」「動物機械論」を受け継ぐデカルト派と呼ばれる人々とかなり激しく意見を戦わせ、最終的にはライプニッツの論考が受け入れられたとしている。本書付録の書簡の宛先をみればわかるとおり、当時の数学者、哲学者らが論を語る相手は各国の貴族や知識人たちであった。ライプニッツの「モナド」が神の恩寵によるものであるという結論が当時の人々の信仰心を高め、また神に帰依する気持ちを強めたことは間違いない。


 当然ながら、「モナド」という考え方は現在の物理学では完全に否定されていて、神の恩寵はもちろん「単素」なる言葉もまた物理学から排除されている。ライプニッツが主張したモナドは「超弦理論」によって振動へと置き換えられ、モナドの運動に関する性質は「統一理論」として体系化されつつある。現代物理学についてモナドが入り込む余地はまったくない。


 一方、モナドと聞いて、細野晴臣がテイチクからリリースしたミニマル・アンビエントレーベル「モナド・レーベル」を想起した人は多いだろう(亭主もまずこちらを思い出した)。レーベル創設の際、細野さんはライプニッツの「モナド」論を引いて、レーベルの目論見、アンビエント・ミュージックの性格を説明している。モナドすなわち単素は、アンビエントにおける一つ一つの音素に対応し、聞く人の心を震わせ続ける。

08/01【読】「新レコード演奏家論(菅野沖彦、ステレオサウンド)」

「新レコード演奏家論(菅野沖彦、ステレオサウンド)」


 2018年10月に86歳で逝去した菅野沖彦氏が、生前提唱していたレコード演奏家論を一冊にまとめた書。菅野氏は「レコード演奏家」の提唱者として数多くのエッセイ、論考、対談等を残しているが、特に本書は1996年に執筆した「レコード演奏家論」を増補改訂したもの。2005年初版、2017年に第4刷を数える。


 音楽プロデューサ、レコーディングエンジニア、演奏家、また後年は特にオーディオ評論家として活躍した菅野沖彦氏。彼の提唱していた「レコード演奏家」は彼の音楽に関わる長年のキャリアから生まれたものである。氏によれば、音楽の鑑賞には(1)作曲家による楽譜の執筆(2)音楽家による演奏(3)録音エンジニアによる録音(4)レコード演奏家による音楽再生(5)純粋な音楽鑑賞の5つのステップが存在するとし、なかでも近年は(4)の存在が軽視されていると主張する。音楽家が演奏し、エンジニアが録音したものをいかに再生するかが(4)における最大関心事であり、再生機器や再生環境など考慮すべき部分は多岐にわたる。本書では(4)の主役であるレコード演奏家の重要性を様々な角度から示すことで、音楽鑑賞、ひいてはオーディオ趣味の価値を主張している。技術的な説明や具体的なオーディオ機器に関する言及は一切なく、むしろ音楽にまつわる文化論、科学技術の発展によって変わりゆく音楽文化への批判が本書の主張である。


 実は亭主、この連載をリアルタイムで追っていて、ステレオサウンド誌上あるいはその後Webメディアに掲載されたときにもこの文書を読んでいた。当時は「レコード演奏家」という言葉に多くの人々(特に2ちゃんねる界隈)が批判を連ねていて、亭主もずいぶん仰々しいことを言うものだと思っていた。ただ、一冊の本として集成されたものを読んでみると、菅野氏の主張の裏にある音楽への愛情、情熱が強い説得力として読み手に迫ってくる。本書の元になる記事は1996年頃より執筆されているが、2019年の現在菅野氏が懸念する音楽再生環境の衰退は「懐古主義」「保守的」などと一笑に付すことができない状態にまで深刻化している。衰退は再生環境だけではなく、音楽に関わる市場全体にまで及ぶ。かつて中世貴族たちの贅沢であった「音楽鑑賞」が、メディアとテクノロジーの発展によって急速に巷間へと普及し、そして衰退していく、その衰退の様を菅野氏は激しく憂いている。


 いろいろ異論はあろうかと思うが、亭主は本書を読みながら、本書は「アドルノの音楽社会学序説」の現代バージョンなのかもしれない」と思っていた。あちらもかなり「懐古主義」「保守的」ではあるが、アドルノの主張の深奥にある世の中への危機感は、本書が主張するところの音楽再生環境の衰退に対する懸念と通じるところがある。


 今を生きる人間にとっては「今」こそが標準であり、多少の不満はあったとしてもそれが普通である。過去を知る人間にとっては「現状」を変えることは著しく困難であり、現状に抵抗することで世間の嘲笑を呼ぶことを怖れている。巨大なタンカーが簡単には進路を変えられないように、この世の中もまたタンカーのように巨大な質量をもってどこかに進んでいく。推進力は言うまでもなく「今」である。タンカーの行く先がたとえば中世より脈々と発展を遂げてきたはずの音楽再生環境の衰退であったとして、乗客たちはどうしたらよいのだろうか。(2019.08.01)


2019年7月19日 (金)

07/19 【読】 「戦後最大の偽書事件『東日流外三郡誌』(斉藤光政、集英社文庫)」

「戦後最大の偽書事件『東日流外三郡誌』(斉藤光政、集英社文庫)」

 東奥日報社の記者として主に社会面を担当。とある民事訴訟がきっかけで「戦後最大の偽書事件」とも称された「東日流(つがる)外三郡誌」をめぐる問題に立ち向かった筆者が、二十年にもおよぶ取材記録をドキュメンタリーとしてまとめた書。2006年に出版、大きな反響を呼んだほか、2009年には文庫化、今回は新章を追加した2019年文庫版を読了した。

 「東日流外三郡誌」。青森県は五所川原市のとある農家の屋根裏から発見された古文書は、当時の日本史観を覆す大発見として大きな話題を呼んだ。全300巻、全1000巻ともいわれ、江戸時代に記されたとされるこの古文書群から立ち上る古代日本の姿、それは東北地方に存在したという古代の国家、大和朝廷の勢力と完全に拮抗する、東北独自となる古代文明であった。門外不出と言われ、和田某なる人物によって小出しに発表される古文書の写本の数々、しかし当時の専門家はその記載の多くに偽書なのではないかと疑念を抱く。筆者は、やがて国内外を巻き込む社会問題となったこの事件を発端より取材、新聞記事として社会に問うていくなかで、この古文書が和田某によって作られることとなった経緯、また偽書とされる古文書がなぜ多くの人々を魅了し、社会問題化していったのかをつぶさに記録している。なお本書はのちにジャーナリズムにちなむ様々な賞を受賞するなど内外より高い評価を受けている。

 我が身を振り返ってみるに、亭主は「東日流外三郡誌」をどのようにして知ったのか、たしか中学生のころ、佐治芳彦が書いた超古代文明かなにかの本で読んだ記憶がある。おなじく偽書として知られる「竹内文書」などと並べられ、超古代史の話題では定番となっていた秘文書、ただし亭主の場合そこにどっぷりハマった記憶がなく、まあ何か「ムー」や「トワイライトゾーン」といったオカルト雑誌で言及される類の文献なのだなと、あっさり通過していた。亭主の父親がUFOやUMAに夢中だったこともあり、家には超能力や心霊、超科学、古代文明、エーリッヒ・フォン・デニケンの著作やら地球空洞説やら、第三の選択やらと様々な本が揃っていて、知識ばかりは豊富だったのだが、ではそれを本当に信じているかといえば「ノー」であった。確かにテレビのUFO特集や心霊写真のコーナーは食い入るように見ていたが、それは「エンターテイメント」として面白かったからであり、信じる・信じないは全く別問題であった。むしろあれやこれや、手を変え品を変えつつちっとも真実へと至らないやりくちに飽きが来て、亭主なりに別の興味、落語だとかSFだとかミステリだとか、その他もろもろ楽しいコトに夢中になった結果、サブカルチャーの一分野として、あるいは博物学の一ジャンルとしてとらえていたように思う。しかるに、本書に言及される古文書が、日本全体を揺るがす事件の中心となっていたことも、また21世紀になっても事件が続いていたことも知らなかった。さらに言えば、「戦後最大の偽書事件」が地下鉄サリン事件の遠因となっていたことも知らなかった。関係者の多くは物故したが、いまだにこの古文書が正史であると信じる人々がいることも知らなかった。その意味において本書で扱う様々な事柄は現在進行形の出来事であり、また文庫化、再文庫化にあたって新章・新情報が提示されるほどに事態が推移していることを改めて知らされた。

 もちろん、読み物としてめっぽう面白い。読み進めるうちに次々と明らかになる真相、偽書か本物かをめぐる両陣営の対立、そして現在進行形で拡大する「古文書詐欺」。しかし著者である斉藤氏は自らのジャーナリストとしての立場を少しも崩していない。真実に対し真摯に向き合い、たとえ偽書をものしたとされる和田某に対しても経緯と配慮を忘れない。読後感もすこぶる良い。ジャーナリズムとして徹底した中立的な態度、綿密な調査と科学的な書きぶりに面白さの本質を見出した(気になって有頂天の)亭主であった(2019.07.19)

2019年7月10日 (水)

07/10 【読】「水晶宮の影ーグイン・サーガ145-(五代ゆう、ハヤカワ文庫)」

「水晶宮の影ーグイン・サーガ145-(五代ゆう、ハヤカワ文庫)」

 グイン・サーガ続編プロジェクト最新刊。作者である栗本薫氏が逝去してのち二人の女流作家によって書き継がれている本プロジェクト、ただし現在は宵野ゆめ氏が体調不良ということで、五代氏一人が気を吐いている。

 豹頭王グインを主人公に、多くの登場人物が複雑な人間模様を描くグイン・サーガ。本巻では、(1)ゴーラ王イシュトヴァーンの実子ドリアン王子誘拐事件と、それを追う小イシュトヴァーン・スーティの冒険、(2)ミロク教聖都・ヤガでの魔導師決戦の顛末と、その後のスカール一向のヴァラキア入り、(3)ワルスタット内乱へのグイン介入と、その後のクリスタル潜入行、の3つのエピソードがつづられる。中原の各所でそれぞれ行動していた登場人物たちが徐々に集合、また離れていく様は、グイン・サーガが「群像劇」と呼ばれる所以であり、物語を推進させる原動力となっている。特に本作では(2)でヴァラキアに到着したスカール・ブラン・ヨナ・フロリーといった主役・準主役級の登場人物が、ヴァレリウスやアッシャ、アルミナ、マルコらと合流。新生ゴーラ帝国(というかイシュトヴァーンの独断)によるパロ侵攻にヴァラキアほか沿海州がどのように対処するかといった国際問題へと発展していく。一方、(3)でワルスタット内乱を鎮静化させたグインは、アウロラほか数人の騎士・剣士とともにクリスタルへ潜入。失踪したワルスタット候ディモスを探す旅は、ついに核心へと到達する。(2019.07.10)

2019年7月 4日 (木)

07/04 【読】 「虚実妖怪百物語 序/破/急(京極夏彦、角川文庫)」

「虚実妖怪百物語 序/破/急(京極夏彦、角川文庫)」


 小説家として「姑獲鳥の夏」「嗤う伊右衛門」「巷説百物語」など多数の著作を発表、デザイナー・妖怪研究家・劇作家など幅広いジャンルで活躍する京極夏彦が、2016年に発表した大長編妖怪小説。多数の小説家・漫画家・タレント・研究者・出版関係者などが実名で登場、魔人復活で存亡の危機を迎える日本を救うべく、京極ら妖怪馬鹿がゆる~く立ち上がる京極版「妖怪大戦争」。なお、単行本として出版された際には「序」「破」「急」の3分冊だったものが、文庫版では1冊に統合され、まるで「豆腐」のような見てくれとなった。文庫版の総ページ数はなんと1388ページ。


 現代の日本を舞台とした「仮想戦記」を思わせる内容。登場人物に京極夏彦、多田克己、村上健司といった「妖怪馬鹿」をはじめ、水木しげる御大(先日逝去された)、荒俣宏がメインキャストに、またゆうきまさみや高橋葉介、嶋田久作、宮部みゆきらもちょい役で登場するという豪華な内容。第1巻である「序」では日本を覆う異様な雰囲気、異変の数々が断片として語られ、第2巻「破」以降はその異変が日本全体を揺るがす動乱へと発展する。いわゆる「スペクタクル小説」だが、その情報の多さ、中身の濃さはすさまじく、世間の「妖怪馬鹿」はともかくアニメファンや特撮ファン、漫画ファンやミステリファンなどなど、世間でいう「マニア」な人々全方位のハートをぐさりぐさりと射貫く内容となっている。自慢ではないが亭主もいっぱしの漫画ファン、ミステリファンであり、アニメや特撮にもそれなりの知識を持っている。もちろん「妖怪馬鹿」・・・ほどではないが「妖怪」含めたオカルト関係にも一応通じているつもりなのだが、本書のどこを読んでも「濃い内容」、生半可なファンでは太刀打ちできないマニアックな内容に、最初から最後まで笑いっぱなしであった。現実に存在する人々が、濃い話題でかけあい漫才を披露し、また日本存亡の危機においては時にゆる~く、また時にはやけくそで立ち向かうという姿がとてもリアルな一方で、そのリアルさを維持したまま「日本を救う」という偉業を成し遂げてしまう、アクロバティックなプロットが本書一番の見どころ、楽しみどころだ。(2019.07.04)


2019年5月24日 (金)

05/24 【読】「YMOのONGAKU(藤井丈司、アルテスパブリッシング)」

「YMOのONGAKU(藤井丈司、アルテスパブリッシング)」


 1980年にヨロシタミュージックに入社、アルバム「増殖」から散開までYMOのアシスタントを務めたほか、サザンオールスターズのアルバムではシンセ・プログラマーとして、また1990年代以降は音楽プロデューサーとして玉置浩二、JUDY AND MARY、ウルフルズなどを手掛けた筆者が、YMOの活動当時をアルバムのレコーディング・データとともに振り返った書。2016年に下北沢のライヴ・カフェで開催されたトークイベントの書き起こし、毎回豪華なゲストを迎え、観客とともに当時の様子を楽しく語る。YMO結成40周年記念企画、とのこと。


 毎回1枚のアルバムをお題に挙げ、ゲストとともに当時の社会情勢、メンバーや録音現場の様子、使用機材、楽曲構成などレコーディングにかかわるあらゆる事柄をトークした内容。トークイベントは全6回、アルバムYellow Magic Orchestraの回、Solid State Survivorの回には松武秀樹氏、アルバムBGM、Technodelicの回には飯尾芳史氏、浮気なぼくらの回には砂原良徳氏、テクノドンの回には木本ヤスオ氏がゲストとして登場する(おっとSurviceはなかったことになるのかな?)。いずれもYMOに縁の深い人々、松武氏からはYMO結成当初のシンセ事情が、飯尾氏からは解散の危機を乗り越え、最高傑作として名高いTechnodelicがリリースされた当時が詳しく語られる。一方砂原氏からは小学校・中学校当時のいちファンとしてのYMO観や近年のYMOメンバーとのかかわりが、また木本氏からはテクノドンの制作風景、特にYMO再結成にまつわる込み入った事情やメンバーの様子などが語られている。これまでのコレクター本、メディア論や文化論などの視点から書かれた解説本とは異なる、現場感にあふれたトークとなっている。特に筆者の藤井氏はYMOを熱烈に愛するファンでもある。楽曲に対する深い理解と音楽知識があいまって、なかなか熱い語りを聞く(読む)ことができるのがうれしい。イベント会場に集まった聴衆もコアなYMOファンばかりで、司会とゲスト、会場全体が一体となってYMOに思いをいたせるというのは同じくコアなファンを自認する亭主にとっては大変羨ましい。


 こういうファン本・企画本の多くは(残念ながら)ノリで書かれた軽薄な内容、あるいは渡された膨大な資料をライターが淡々と時系列に並べ物語る内容になりがちで、亭主もまたそのような軽薄・淡々とした内容の本には正直うんざりしていた。ところが本書に限っては本当に最初から最後まで興味深く、また楽しく読めて、久しぶりに当時の興奮やときめきを思い出すことができた。文句なしのおすすめ本、YMOファンならばぜひ読んでおきたい決定版といえる(2019.05.24)

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