2018年10月 7日 (日)

10/07 【読】 「龍一語彙 2011年~2017年(坂本龍一、角川)」

「龍一語彙 2011年~2017年(坂本龍一、角川)」

 音楽家・坂本龍一の語録集。2011~17年までの7年間に各種媒体に掲載されたインタビュー・対談記事を、「健康」「政治」「環境」「音楽産業」など様々なキーワードで分類・整理・集成したものが本書となる。扱うカテゴリーは36、言及する単語は300以上。解説は福岡伸一。


 亭主のような古いファンにとっては「教授=キーボーディスト、アレンジャー」であり、YMOでの活動のほか「B2-Unit」「音楽図鑑」「未来派野郎」などのソロ作品のイメージが強い。ただ、最近は環境活動や政治活動への露出が多いせいか、このごろの若者にはエコロジストや活動家として見えるらしく、SNSやニュースサイトで強く批判されているのをよく見かける。実際、本書が言及する2011年からの7年間は、世界にとっても、また教授自身にとっても激動の時代。自然災害や政治的混乱、原発の事故などこの場で語るにはとても字数が足りないほどに世界は動乱した。教授もガンを患い、音楽活動を一切休止し自らの命と向き合う日々が続いたという。もともと環境問題に強い関心を持つ教授である。思索の中で生じた社会に対する強い思いが彼を動かした、と解釈するならば、ここ7年の教授のモチベーションの高さに納得がいくだろう。SNSやニュースサイトで部分として切り取られ、批判されてきた言葉が、生きたストーリをもって立ち上がる。「語録」という断片が有機的につながって、一つの世界を形作る。


 なおページ数は462ページ、厚みにして4cmと相当なボリュームだが、各項目が独立しているうえ余白多めのため読みやすい。どこから読んでも良いしどこで読み終えても良い(2018.10.07)

2018年9月 7日 (金)

09/07 【読】 「行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険(春間豪太郎、KKベストセラーズ)」

 

「行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険(春間豪太郎、KKベストセラーズ)」


 冒険家・GOこと春間豪太郎氏による北アフリカ冒険譚。持ち前の行動力と交渉術で襲い掛かるトラブルの数々を次々と撃退、ロバとともにモロッコ1000kmを踏破した様子を一冊にまとめたのが本書となる。2018年3月刊。なお冒険の様子は逐次5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)で実況され、人気を博したとのこと。


 音信不通となった友人を探し、フィリピンはセブ島に一人捜索の旅立ったのがそもそもの発端。海外での経験に味を占めた筆者は、エジプトでのラクダ旅行を経て、モロッコでの単独徒歩旅行を敢行するに至る。現地の言葉を学び、護身術を身に着けた著者がモロッコでやりたかったことは「ロバを連れてのキャラバン」だったそう。旅が進むにつれ、荷運びのロバのほか、猫、鶏、犬、鳩など様々な動物がキャラバンに加わりにぎやかになっていく。彼の旅はモロッコ国内で話題となり、ゆく先々で支援者が現れる。だが、彼の旅は常にトラブルと背中合わせ、ロバの引く荷車は頻繁に壊れ、動物たちはたびたび体調を崩し、そしてGO氏自身も氏の危機に直面する。苦難の果て、1000kmの向こうに何があるかは読んでみてのお楽しみ。(2018.09.07)


 ところで、当初のレビューには含めなかったが、本書を読んでずっと思っていたことがある。それは、旅の道行きに集めた仲間を、帰国の際にモロッコに置き去りにすることの是非だ。ロバにせよ、犬にせよ、少なからず信頼関係を持った仲である。そんな大事な仲間を本人の都合だけで他人に譲渡してしまっていいのだろうかと、そればかりを考えていた。もし自分が、愛犬を残して本国に帰ったとしたならば、愛犬はどのように感じるだろうか。畜生というくらいだから翌日はきれいさっぱり忘れて、別の人間にしっぽを振るだろうか。ネットで話題を呼ぶためにはどんなことも自己都合として許されるのだろうか。


 ただ冷静に考えてみると、著者であるGo氏の旅は観光ビザの有効期間であるたかだか90日にすぎない。いったんモロッコからスペイン領セウタに出国し、再入国することで滞在期間をのばしたとしても、180日程度にすぎないのだ。苦楽をともにした仲間とはいえ、長い目で見ればほんの一瞬の出来事にすぎないと割り切ることができるならば、ロバや犬との別れもさして悲しいものではないのかもしれない。日本に戻れば夢から覚めるように現実が再び息を吹き返す。日本にいて遠くモロッコのことを思うのは、夢にみた景色を思うのにも等しい。


 幸いにもGo氏は、犬や鶏たちを信用のおける人物に譲っているようである。ロバは人間に虐待されないよう、自然へと戻したという。願わくばモロッコに残された小さな命たちが幸せに、その命をまっとうできるように。本のおもしろさとは全く別の部分、亭主の願いはただただそれだけである。

2018年8月 5日 (日)

08/05 【読】 「永訣の波濤 グイン・サーガ143(五代ゆう、ハヤカワ文庫)

「永訣の波濤 グイン・サーガ143(五代ゆう、ハヤカワ文庫)」

 グイン・サーガ続編プロジェクトの最新刊。栗本薫氏逝去のあと、二人の作家によって書き続けられることとなった国産ヒロイック・ファンタジーの金字塔「グイン・サーガ」だが、現在宵野ゆめ氏が体調不良とのことで、ここ数巻はずっと五代氏のターンとなっている。キタイの竜王・ヤンダル・ゾッグの魔手により陥落した中原の魔道王国・パロから辛くも逃れた人々が、それぞれの運命に翻弄される様子を描く。


 以前は宵野氏、五代氏がそれぞれに舞台を書き分けていた本シリーズ。ところがこのところは五代氏によって、すべての情勢がほぼ同時に進行するというなかなか忙しい展開となっている。新興宗教ミロク教の聖都ヤガで興った「新しきミロク(実際はヤンダル・ゾッグが手下を使って興したもの)」に対抗すべく集まったブラン、スカールほかジジィ一行の顛末を描くヤガ篇、黄昏の国に取り残されたスーティ(小イシュトヴァーン)と、宝玉「ミラルカの琥珀」に迫る魔手を描いたスーティ篇、ゴーラ王イシュトヴァ―ンに殺害されたカメロン提督の遺骸を携え、カメロンの故郷であるヴァラキアへと帰還したマルコ他ドライドン騎士団、そしてそれに合流したパロ宰相ヴァレリウス、魔導士見習いのアッシャ、パロ聖王レムスの妻で故郷アグラーヤで蟄居していたアルミナらの動向を記したヴァラキア篇、そしてパロを脱出したのちケイロニア王・グインに会うべく旅を急ぐパロ聖騎士リギアと、吟遊詩人マリウスらが主人公のケイロニア篇。数えるだけでも4つの物語が「4元生中継」で進行している。それでも徐々に物語は収束を迎えていて、たとえばヤガ篇などはバラバラだった登場人物が本書ラストでは全員(9名)集っており、ヤガ篇完結に向けた崩壊の序曲が今や鳴らされようとしている。特にヤガ篇は、栗本氏逝去で中断していたエピソードである。魔太子アモン誕生以来、竜王ヤンダル・ゾッグの魔手にかかったパロと中原を奪還すべく苦闘する人々の動きは、いまや大きな流れとなって中原全体へと波及しつつある。(2018.08.05)

2018年8月 1日 (水)

08/01 【聴】 「『イノベーターのジレンマ』の経済学的解明(伊神満、日経BP社)」

「『イノベーターのジレンマ』の経済学的解明(伊神満、日経BP社)」

 イェール大学准教授で経済学者。産業組織論、動学ゲームと技術革新の実証分析を専門とする筆者が、ハーバード大学教授であるクレイトン・クリステンセン教授が著した世界的名著「イノベーターのジレンマ」に経済学的な示唆を与えたという、これまた「破壊的名著」。2018年5月刊、クリステンセンによる「ふわっとした」イノベーションの力学を、筆者が数式とデータをもちいて「経済学的」に解き明かす。


 クリステンセンによる 「イノベーターのジレンマ」は、流行に疎い亭主ですら読んだことがあるくらいメジャーなビジネス本。亭主界隈でもクリステンセンの著作を読んだ人は意外と多く、飲み会の席などでたびたび盛り上がるほどである。「偉大な企業はすべてを正しく行うがゆえに失敗する」 。クリステンセンが著書に記したこの言葉は多くの技術者に衝撃を与えたが、おおむね「じゃあどうすりゃいいのよ」というモヤモヤとともに、個々の心の隅に押しやられている。「イノベーターのジレンマ」が語るイノベーションのからくりは、多くの企業・技術者にとって衝撃である一方、そのからくりがいまひとつ「ふわっと」しているため、分かったようでわからないようで、煙に巻かれたような気分にもなる。この「ふわっとした」部分を理屈と数字でしっかりと書き下し、分析・定式化することが本書の最大の目的である。


 伊神氏は、クリステンセン氏が語ったイノベーションのからくりに「共喰い」「抜け駆け」「脳力格差」の3つの視点を与え、ケーススタディを通じてイノベーションの力学をつまびらかにする。導入部は緻密かつ丁寧、ときおり鼻につく記述を我慢しつつ、本書を読むうえで必要な知識をインプットする。後半は大胆かつスタイリッシュ、「イノベーターのジレンマ」でも扱ったハードディスクドライブの技術開発の経緯を題材に、経済学で用いられる理論や数式を駆使して「共喰い」「抜け駆け」「脳力格差」の具体的なモデリングを試みる。イノベーションのからくりがモデルへと還元されると、様々なシナリオを仮定することで現実には起こらなかった様々なケースがシミュレーションできるようになる。コストや利益、投資などお金にまつわるシミュレーションの結果から、企業はどうふるまうべきだったのか、そして国民や政治はどのように振舞うべきだったのかが次第に明らかとなる。ただし、本書において「どう振舞うべきだったのか」はさして重要ではない。重要なのは、「そもそもの『問い』、その煮詰め方、そして何を『根拠』に、いかなる『意味』において、その『答え』が言えるのか」なのだ。結果はありきたりであっても、結果に至る洞察にこそ気づきがある。結果に至る道筋を楽しむことが大事だと、本書は結論付けている。(2018.08.01)

2018年6月20日 (水)

06/20 【読】 「定本・二笑亭綺譚(式場隆三郎、藤森照信、赤瀬川原平、岸武臣、式場隆成、筑摩書房)」

「定本・二笑亭綺譚(式場隆三郎、藤森照信、赤瀬川原平、岸武臣、式場隆成、筑摩書房)」


 昭和初年、関東大震災からの復興進む東京は深川に、異形の建物が出現した。近隣から牢屋などと訝しがられる、その建物の名は二笑亭。この建物、深川一帯を地所に持つ資産家、渡辺金蔵なる人物が大金をかけて建設したものだという。牢屋と呼ばれるほどの圧倒的な重量感、あらゆる部分が非対称の意匠、そして屋敷内に施された意味不明・用途不明の仕掛けたち。だが、ある事件を発端として建物の建設は中止、渡辺氏自身も精神病院へと送られてしまう。


 本書は主人を失った二笑亭が取り壊される少し前、医師で文筆家であった式場隆三郎氏が建築家の谷口吉郎氏とともに現地調査した書「二笑亭綺譚」をベースとして、後年出版されたアンソロジー「五十年目の再訪記」ほかを加えたもの。なお再訪記は、藤森照信氏、赤瀬川原平氏、岸武臣氏、式場氏のご子息である隆成氏らの共著となっている。


 昭和初期の怪建築、二笑亭に関する文献としてはおそらく本書が最初で最期の決定版。お化け屋敷的な興味の集まる怪建築の謎を理性的に解き明かした書として、これ以上の解説は不要というほどの完成度を誇る。施主である渡辺氏による異形のデザインの意図、海外やその後の国内におけるデザインのムーブメント、あるいは渡辺氏が亭建築に取り掛かる直前に敢行していた世界一周旅行の旅行記など、多方面からの考察、資料が集まっているほか、赤瀬川氏によるオマージュ小説も収録されている。二笑亭といえば、最近藤田和日郎氏が「双亡亭壊すべし」なるオカルティックな漫画作品を週刊連載しているが、本作に登場する怪建築「双亡亭」の下敷きが二笑亭である。漫画ではあらゆる邪悪の根源、また放つ破壊不能の建物として世界規模の脅威となっているが、元ネタである二笑亭は、そんなオカルトとは無縁の、むしろ物悲しいエピソードで語られるべき儚い存在だ。本文中「気味が悪い」などと形容される異形は施主である渡辺氏の狂気を感じてのもの、しかしその渡辺氏もまた孤独の中で生きる一人の人間であった。


 実は亭主、本書を以前に購入していて、今回が二度目の読了となる。一度目は会社に入ってすぐ、赤瀬川原平氏の「超芸術トマソン」を読むながれで、こちらにも興味が動いていた。だが当時の亭主は、公私ともにいろいろと病んでいる時期でもあって、本書に登場する渡辺金蔵氏の狂気が自らにも伝染するのではないかと心底怖れを抱いたのだ。確かに本書は面白い。ミステリやオカルトの要素を含みつつ、謎解きゲームを進めるような気分で読むことができる。しかし先にも書いたように、本書の本質は未完成のうちに精神病院へと入れられた渡辺氏の悲運にある。当時の亭主にとって狂気や悲しみは、自らの精神を侵す猛毒だった。いまこの猛毒に対抗しうるだけの抗体が自らの精神に備わっているかどうかはわからないが、それでもなんとか読み終えることができた。


 なお、本書は古書店から中古で入手したものであるが、藤森照信氏によるサイン本であった。サインには〇〇様~と以前の所有者の名前も記されていて、持ち主の手を離れた経緯に思いを馳せると、やはりここにもドラマがあるように感じられた。(2018.06.20)

2018年6月15日 (金)

06/15 【読】 「Spectator Vol.41 つげ義春」

「Spectator Vol.41 つげ義春」

 「ねじ式」「紅い花」「沼」などの作品が評論家・読者から高い評価を受け「つげブーム」などと呼ばれる社会現象を引き起こした漫画家・つげ義春。 精神的不調から寡作となり1988年の連作「無能の人」以降断筆状態にある彼が、2017年に第46回日本漫画協会賞大賞を受賞した記念に刊行されたムックが本作。幻冬舎扱いのSpectator誌としては41番目の特集記事にあたる。

 これまでにも多くの雑誌が特集を組んでいて、本書が何度目の特集記事に当たるか、亭主にはとんと見当もつかない。 旧作の再掲、関係者によるエピソード、評論、年表。おそらくこれまでにも様々な角度から光が当てられ考察されてきたつげ作品だけに、本書もまた多数の特集記事の一つと見做されるかもしれない。 ただ、本書は、関係者の生の声を特に重視する。貸本マンガ時代に知り合い、以来親友として交流する遠藤政治氏、若いころの氏をよく知り、ともに旅を楽しんだ仲でもある正津勉氏ほか多くの友人知人の声を集め、 昭和40年代の日本の原風景を緻密な筆致で描き出したつげ氏と、その時代背景を生々しく再現する。作品を手放しで礼賛する記事、と必ずしもなっていないところが本書の特徴であり、良さでもある。 年表や著作集、あるいはつげ氏自身へのインタビュー(つげ氏は必ずしも快く引き受けたわけでもないらしい)なども最新のものにUpdateされており、現時点での決定版、最新版と言って差し支えない。

 それにしてもSpectator誌、装丁というか本の構成が非常に独特で、いわゆるムック本として異彩を放っている。 具体的には本書を手に取って眺めてもらうのが一番良いのだが、広告がいちいちおしゃれで、本文に入る前から読者をハイソな気分にさせてくれる。 巻末に集約された小さな広告の集合体は、インディーズの手作り感をぷんぷんさせている。 文字を最小限に、デザインとアイコンだけで作られたコンセプチュアルな紙面づくりに徹底したこだわりが感じられて、かつて同人誌を編集したこともある亭主、久しぶりにワクワクさせられた。(2018.06.15)

2018年6月13日 (水)

06/13 【読】 「[アルファの伝説]音楽家村井邦彦の時代(松木直也、河出書房新社)」

「[アルファの伝説]音楽家村井邦彦の時代(松木直也、河出書房新社)」

 作曲家として数々の名曲を生み出したほか、音楽プロデューサーとしてアルファ・レコードを創設。 荒井由実(松任谷由実)、YMO、赤い鳥、ハイ・ファイ・セット、サーカスなど時代の名アーティストたちを輩出したことで知られる村井邦彦氏の生涯をまとめたノンフィクション。編集は音楽ライター、インタビュワーとして活躍する松木直也氏。2016年8月刊。


 若い頃はアルト・サックス奏者としてジャズ、ビッグバンドで活動。高校時代からリストランテ「キャンティ」に出入りし多くの音楽家、著述家と親交を深めたという。大学時代にはレコード店を経営するも廃業、フィリップス・レコードから作曲家としてデビューしてからは「翼をください」ほかヒット曲をつぎつぎと飛ばし若くして音楽シーンの中心的人物となる。24歳で音楽出版社「アルファ・ミュージック」設立、日本コロムビアに「アルファ・レーベル」を立ち上げる。フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」ほか海外の様々なアルバムを国内に紹介、版権収入によって事業を軌道に乗せる。音楽プロデューサとして世界各国を飛び回り、最新の音楽、最新鋭の録音スタジオ、最新の著作権ビジネスなどを日本へと紹介。「赤い鳥」のメジャーデビュー、当時高校生だった荒井由実のプロデュース、細野晴臣らをレーベルに招聘、電子楽器を駆使した音楽ユニット「YMO」の全世界デビューに尽力する。


 音楽家としての実力はもちろんのこと、世界をまたにかける実業家として、ニューミュージック(荒井由実)やテクノポップ(YMO)など新しいムーブメントをつぎつぎと仕掛ける音楽プロデューサとして氏の評価は著しく高い。レコード製造を手掛けない日本初のレーベル設立、音楽著作権ビジネスへのいち早い参入、アメリカの最新鋭の録音機材を惜しみなく投入した「スタジオA」などなど本邦初の試みはその後の音楽ビジネスのひな形となった。高度経済成長の波に乗っての著しい発展、しかしアルファの歴史における村井氏の活躍は、1969年から1985年までの、たった16年にすぎない。16年という短い期間のなかで日本の音楽シーンに与えた影響の大きさからも、村井氏の功績が伺える。


 本書はそんな村井氏とアルファの歴史を、様々な人へのインタビュー、文献をもとに辿る。村井氏の生い立ちから始まり、1969年のアルファ設立とその後の活躍、1985年のアルファレーベル退社までが淡々と、しかし愛情いっぱいに語られる。ラストは2015年に村井氏70歳を祝って開催された「ALFA・MUSIC・LIVE」の模様。アルファで育ったアーティスト、またその後継者たちが一堂に集い、村井氏とともに懐かしい歌をうたうさまは、彼がビジネスマン・音楽家というだけではなく、多くのアーティストに愛されたゴッド・ファーザーであったことを意味する。


 文体は読みやすくニュートラルな立ち位置、駆け足気味ながらもスピード感があり、爽やかな読後感。ただし固有名詞がかなり頻出するので、当時のことがある程度わかる古い音楽ファンのほうがより楽しめるに違いない。(2018.06.13)

2018年6月 2日 (土)

06/02 【読】 「アースダイバー東京の聖地(中沢新一、講談社)」

「アースダイバー東京の聖地(中沢新一、講談社)」


 宗教学者・人類学者・思想家として活躍する中沢新一氏の最近のプロジェクト「アースダイバー」シリーズの最新刊。古地図・地形図から読み取れる古代日本の原風景を現代の都市へと重ねる本プロジェクトは、東京、大阪ときてついに現代の社会問題へと切り込む。豊洲への移転か、それとも存続かで2018年現在も物議を呼んでいる「築地市場移転問題」、ザハ・ハディド氏のデザイン案が巨額の建設費を必要とするという理由で再選考となった「2020年東京五輪新国立競技場建設問題」の2件が古代日本の思想という視点から語られる。


 そもそも築地市場は、関東大震災で壊滅的な被害を被った日本橋魚河岸の代替として、国によって半ば強制的に設定されたものだという。都心の急速な都市化・高層化によって外へと追いやられた築地市場であったが、その成立には古代から連綿と続く、海民たちによる商いの仕組みが反映されていて、新しいながらもしっかりと「古代日本の原風景」が伝えられている。日本橋魚河岸は、徳川家康が江戸に居城を構えた際に大阪で商いを営んでいた魚商人たちによって形成されたものだそうである。関東・東海・東北の沿岸から新鮮な魚を買い付け、毎日江戸城に魚を届ける。江戸幕府とともに高度に発展・システム化されてきた魚河岸の歴史が細かくつづられている。


 一方、国立競技場建設が予定されている明治神宮は、明治天皇崩御の際に、当時東京に住む人々の「明治天皇の遺徳を伝える記念物を東京に」という思いから作られたもの。都市部に作られた人工の森林、しかしその森林の設計にあたっては古代日本における古墳の思想が反映されている。人間の手を全く入れない、原生林としてデザインされた神宮内苑、社会との接続を図り、積極的に社会へと開かれた神宮外苑という二つの考え方には、「内苑(=円墳)+外苑(方墳)=明治神宮(前方後円墳)」という図式が成立する。2020年東京五輪に向けデザインされる新国立競技場は、果たして本当に日本らしさ、日本の原風景を次世代へと伝えることができているかを読者に問いかける。


 本書のオビには「ほんものの保守思想の根源」とあって、本書を手に取る人は一瞬ギョっとするのだが、読んでみるとなるほど、保守思想とはこういうものなのだと納得するだろう。対する昨今の保守主義者たちの考え方が、いかに利己的で、近視眼的であるかもよくわかる。古代日本の思想とは、徹底的に「外」と「内」を切り分け、自然と人間を対立させ、神を上に、人を下に置く西洋思想とは全く反対のものである。自然の内側に人間を、同時に人間の内側に自然を内包させる、独創的な世界観こそが古代日本の思想の眼目である(この部分は中沢氏のライフワークである対称性人類学に詳しい)。


 なお本書は、課題山積である上記二つの社会問題に対しかならずしも批判・批評する論調をとっていない。徹底的な批判・否定の論調で突き通すこともできたであろうが、あえてトーンを抑え、読者に気付きを与えることで、上記社会問題を建設的にとらえようとする。読後の後味が非常に良いこともまた日本的で好ましい。(2018.06.02)

2018年5月23日 (水)

05/23 【読】 「日本人の『あの世』観(梅原猛、中公文庫)」

「日本人の『あの世』観(梅原猛、中公文庫)」

 哲学者で京都市立芸術大学学長でもある梅原氏の、自身二度目となる論文集。1989年に中央公論社より加工された単行本を文庫化したものが本作となる。 本来専門とはいえない民俗学、宗教学、国文学などを題材に、日本人の思想や哲学を論じた7稿を収録する。

 本書は大きく2部構成をとる。第1部は宗教と民俗のパート、日本独特の宗教観から日本人の「あの世」観を論じた「世界の中の日本の宗教」、北海道~東北・沖縄に現在も色濃く残る縄文文化を論じた「甦る縄文」、 金田一京助によるアイヌ語研究を批判し、アイヌ語が孤立語ではなく古代日本語の残滓であるとの示唆を与える「日本語とアイヌ語は異言語か」、沖縄文化とアイヌ文化の類似点を言語の観点から比較した「基層文化としての沖縄文化」の4稿を収録。 古代日本を題材にした論考としては中沢新一氏の対称性人類学が有名だが、梅原氏の論考は中沢氏のそれにかなり近い。本書を読むにあたっていくつかサイトを当たったところ、梅原氏は中沢氏と交流があったようで、 なるほど論が似ていてもいたしかたない。ただし梅原氏の論考は、先行研究をうのみにするタイプではなく積極的に批判を加えるタイプである。おかげで敵も多いとのことである。

 第2部は国文学のパート。古事記・日本書紀の成立、ならびに万葉集編纂の経緯から古代史を読み解く「原古事記と柿本人麻呂」、万葉集と古今集、二つの歌集の位置づけを考察した「人麻呂をめぐる『万葉集』と『古今集』」、 宮沢賢治の童話を題材として第1部・2部で論じてきた事柄を新たな角度で読み解く「新しい時代を創造する賢治の世界観」の3稿。定説とされてきた万葉集編纂の経緯、柿本人麻呂の役割にあえて異を唱え、 梅原氏自身が再解釈を試みるという野心的な内容。歴史ミステリ的な面白さは知的好奇心を刺激するが、日本史家、国文学者からは相当に批判された内容のようである。この辺は様々な分野の学者から批判があったようだ。 専門家らは梅原氏の論考を、門外漢の勝手な妄想と猛攻撃していたようだが、読み手にはあまり関係のない話である。一方、宮沢賢治の童話に関する考察は、本書の内容をざっくりとまとめたもの。本書の論考から様々なキーワードをひっぱりつつ、 宮沢賢治の「イーハトーヴ」幻想に古代日本の死生観が反映されていると主張する。引用部分が多いので宮沢賢治が好きな人はさらに楽しめることができそうだ(2017.05.23)

2018年5月11日 (金)

05/11 【読】 「悲しき熱帯II(レヴィ=ストロース著・川田順造訳、中央公論新社)」

「悲しき熱帯II(レヴィ=ストロース著・川田順造訳、中央公論新社)」

 フランスの人類学者・社会学者でブラジルのサンパウロ大学教授。サンパウロ大学赴任時にはインディオ社会のフィールドワークに従事したレヴィ・ストロースが、1955年に記した南アメリカ人類学の名著。 日本では1967年に日本語版が初版、以降多くの国内人類学者・社会学者たちがテキストとして引用した。 中公クラシックス版は2001年に2分冊として刊行。今回は最終巻である第2巻を読了。

 ポルトガルのセウタ攻略によって始まった大航海時代。 アフリカ・アジア・北米・カリブ海諸国とその版図を広げる欧州列強にとって、南アメリカもまた重要な搾取の対象であった。 欧州諸国による植民地支配は、南アメリカ先住民族(インディオ)たちの生活に大きな影響を及ぼす。 一部は奴隷として欧州へと連行され、また一部は海岸から奥地へと追いやられたが、欧州諸国の経済・文化と急速に同化し鉄道敷設や農場経営などに従事した人々も多かったようである。 急速に文明化され、その原始性を喪失していくインディオたち。 彼らの文化を記録すべく、人類学者であるレヴィ・ストロースはブラジルに渡航、サンパウロから船・鉄道などを乗り継いでアマゾン川流域に住むインディオたちの村を目指すこととなる。

 第2巻目は、「第6部 ポロロ族」「第7部 ナンビクワラ族」「第8部 トゥピ=カワイブ族」の3つの部族に関する記述、そして文明世界へと戻ってきたストロースが西洋世界とはなにかを思索する「第9部 回帰」の4部構成。 パラグアイからボリビア、そしてブラジルはアマゾン川の源流に向かって進む行程のなかで、ストロースとその探検隊が出会ったインディオたちの生活が記されている。 インディオたちと生活をともにし、その暮らしぶりや習俗を細かく記すストロース。ただし部族によってその記載の度合はまちまちである。本書では特にナンビクワラ族について詳細に記している。 衣服を一切つけず、男性器にささやかな藁の飾りをつける程度の未開の部族、文字らしい文字を持たず、地面に横たわって眠るナンビクワラ族。しかしストロースが彼らから、かつての人類に共通する死生観や哲学を見出したかどうかはいささか怪しい。 アマゾン奥地に向かっての探検はとにかく過酷、自らの生命をつなぐだけで精一杯という極限状態のなかで、平静を保っていること自体が無理というものだ。旅の総括と考察は第9部にゆだねられることとなるが、なぜか第9部は小アジアやインドに舞台が移っていて、 イスラム教や仏教、ヒンドゥー教などを信奉する世界と、西欧世界とを比較している。せっかくのアマゾン行きの経験がまるでナシになったかのような展開は、読んでいて「おいおい」と思わず突っ込みをいれてしまうほどであったが、 これをして世界の学者らが「名著」とするのだから、まあこれはこれというものなのだろう。フランス人らしい華美な言い回し、学術的とはいい難い、比喩や暗喩をたっぷり含んだ文学的な文章になかなか慣れることが出来なかった亭主、 本書もまた読了するのに時間がかかった。充分な理解が出来ているかはいささか怪しい。(2018.05.11)

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