雑談

2018年6月11日 (月)

06/10 日々雑感

大病院の院長先生の邸宅が近所にあって、休日ともなると家の中からドンドコドンドコ、重低音が聞こえてくる。


クロネコヤマトがやってきても玄関チャイムの音が聞こえず、あきらめたドライバーが不在票を入れていくほどの大音量である。広い邸宅に、かなり大掛かりなオーディオシステムが鎮座しているに違いない。犬の散歩などで家の前を通ると、ドンドコドンドコ、ドラムセットの音は聞こえてくるのだが、肝心のメロディラインが全く聞こえないため、どんな曲が再生されているのか全く分からない。一定のリズムが刻まれているので映画ではない。テンポやシンコペーションから和太鼓でもない。


いったい何の音楽なのだろう、病院長という立場や年齢からすればジャズ、それともハードロックやヘヴィメタあたりだろうか。ところが今日、たまたま家の前を通りかかったところ、中からうなるような歌声が聞こえてきた。


歌詞から、曲名は「順子」。


カラオケで長渕剛を歌っているのだった。


それにしてもずいぶん若い声だったので、ご家族の方が歌っていたのかもしれない。お世辞にも「上手い」とは言えない歌声だったが・・・まあ楽しければよいのだろう。


どんなオーディオシステムなのだろう、いつかお邪魔してみたいものだと思っていたのだが、なんとなく興味が薄れてしまった。爆音マニアの、亭主の父親ならば気が合うかもしれない。

2018年6月 8日 (金)

06/08 日々雑感

ひさしぶりにブログにコメントをいただいて、相当うれしい亭主である。


このところブログが停滞しているのは、基本的に「書くことがない」「読んだ本、聴いた音楽以外にネタがない」からであるが、そこにはかつてTwitterやFacebookにのめりこみ、半ば中毒状態になってしまった自分への深い反省が込められている。


Twitterのヘヴィーユーザーだった頃は、本当にあらゆることをTweetしていた。頭に考え、たとえば「疲れた」だの「眠い」だの「銀座なう」だのといったどうでもいいことを、躊躇することなくTweetしていた。だが、あるトラブルがきっかけでTwitterを離れたとき、この「躊躇することなくTweet」する状態が、いかに異常であったかに気づかされたのだ。


何かを思いついたとき、ポケットに入っているスマートフォンを無意識に取り出してTweetしようとする。ああ、そうだTwitterはもう止めたのだったと思っても、沸き起こってきたモヤモヤが心の中を占めて落ち着かなくなる。集中力が途切れる。胸が苦しくなる。これを異常と言わずしてなんといおう。


冷静にこれまでを振り返ってみれば、Facebookや掲示板でも似たような経験をし、そのたびにそこから意識して遠ざかってきた。亭主はどうやら、「そういうタイプの」人間らしいのだ。


もちろん、SNSを介して人とつながることが悪いというわけではない。普段は連絡がなかなかとれない遠くの人と価値観を共有したり、共感したり、また単純に近況を報告しあうだけでもSNSは充分に有効であるし、SNSをメディアとして多くの人に伝える重要性も理解している。理解してあえて遠ざかるのは、亭主の心にどこか病んだ部分があって、機会あるごとに再発するからに他ならない。


感情を抑え、ただ事実のみをブログの記事とする。最近はこの繰り返しである。愛想なしで申し訳ない、ここ数年もっぱらこんな感じである。


時々コメントをいただくとうれしいし、ああ、こんな山奥にも人どおりがあるのだなと思うと感慨深い。コメントを励みにこれからも続けたいと考えている。

2018年5月28日 (月)

05/28 日々雑感

いつもお世話になっているAさんが、それまで使っていたiPadをお母様に進呈し、ご自身用にiPhone 6Sを購入したという話を聞いて、ふつふつと物欲が沸き起こってきた。

亭主もiPhoneの新しいやつが欲しい。

Xでなくても良い。8で良い。

ただネットの情報によれば、亭主が所有するiPhone SEの後継機が近々発表されるようで、これを待ってからのほうが良いかなとも思っている。老眼が進み、眼精疲労も手伝って手元の文字が見えにくくなっているので8Sのような大画面も魅力であるが、一方でSEのようなスマートフォンらしい大きさにも魅力を感じている。もっとも、慣れてしまえばサイズなどどうでも良いのかもしれない。

クレジットカードの件でも書いたが、カードにせよスマホにせよ、切り替えの際のデータ移行が面倒で、二の足を踏んでいる。特にiPhoneに関しては、以前5からSEに移行した際に連絡先の一部が反映されず、たまにしか連絡を取っていない人たちのメールアドレスや電話番号がごっそり消えてしまった。やり方が悪かったのかもしれないが、やり方云々を気にしなければならないのはプラットフォーム側に問題があるからである。バックアップするといったらぐだぐだ言わずに全部バックアップすればよいのだ。スマホには音楽データをいれておらず、電子書籍は読みたい分を逐次ダウンロードしている。大きなデータは写真データだけである。

ところでスマートフォンに保存してある写真は、いまのところ全く整理していない。ピントが合っていないもの、バーストで同じ写真が複数あるものなどは消して良いのだろうし、古い写真はいい加減サーバに保存してiPhoneから消しても良いのだろうが、なんとなくそのままにしている。それでもなんとか使えているのは、他に大きなデータが入っていないからである。昔の写真を他の人に見せることが往々にしてあるので、単なるタンスの肥やしではない。具体的にはうちの犬の仔犬時代の写真なのだけれども。

そうそう、テレビではGalaxy S9などAndroidスマホのCMが盛んである。個人的にはコミュニケーション機能は一切不要であり、またスタイラスペンも必要ないので、今のところは欲しいと思わないない。ただ、iPhoneからiPhoneへ機種変更する際、そのあまりの「変化のなさ」に退屈を覚え、いっそGalaxyあたりにすればよかったのかと軽く後悔することがこれまでに何度かあった。後の後悔先に立たず、具体的なアクションに至っていないが、この軽い後悔はiPad mini4購入の際にもあった。iPadからmini4への変更、そのあまりの変化のなさに、Kindle Fireか、他のタブレットPCを買えばよかったと思った。だが実際にはiPad mini4を使い続けているし、他のタブレットを使う予定はいまのところ、ない。

多分亭主は、変化を欲しがっているのだ。停滞しきった生活に刺激をあたえる、そんなナイスなガジェットを待望しているのだ。それが一体何であるかは、亭主自身よくわかっていない。デジタルアンプか、スマートフォンか、それともゴールドカードか。ただし新しい何かを導入したとして、停滞しきった生活が活性化する保証もない。自宅には、導入したけれども活用しきれていないガジェットが沢山ある。Netwalker、iPad 2、Kindle Paperwhiteは2台、Pomeraも最近は十分活用していると言い難い。

そういえばITmediaから、オーディオやデジタルガジェットのニュースが消えてしまった。かつてLifestyleというカテゴリでオーディオやデジタルカメラ、電子書籍などの情報が配信されていたが、いまはカテゴリそのものが消失している。ITmediaとしてデジタルガジェットへの魅力が薄れていると判断したのだろうか。相変わらずAV-Watchは運営されているし、オーディオ関連といえばPhileWebが充実しているので、そちらをチェックすればよいのだろうが・・・カシオがデジタルカメラ事業から撤退したというニュースを勘案すると、なかなか寂しい自体になっているのかもしれない。

2018年5月27日 (日)

05/27 日々雑感

ここのところ公私ともに忙しく、サイトの更新が停滞している。

仕事のほうはありがたいことに、あちこち声をかけてもらっていて大分やら東京やらあちらこちらに出没している。ただ残念なことにあまり自由時間がなく、結果的にブログにネタを挙げることができずにいる。出張先で写真を撮ったり、美味い物を食べたりしても、格別報告するようなネタでもないと、勝手に却下している。ココログの記事に写真をUPする際、サイトの容量を気にして画像をトリミング・圧縮するのが面倒なのだ。

画像を投稿するならばFacebookやInstagramの方が気軽で良い。

そういえば、最近またカード会社から、ゴールドカードへの切り替えのお誘いの封書が届いた。ゴールドカードで唯一関心を抱いたのが空港でのラウンジ・サービスだ。先日の大分出張では、東京羽田に戻る便がトラブルで遅延し、3時間ほど出発ロビーで暇をつぶすことになった。遅延のお詫びと茶封筒に昼食代千円を貰った。あの千円はいったいどうしたのだろうか。

思い出せない。金の管理はわりとしっかりしているほうなのだが・・・。

そうそうゴールドカードの話。

航空会社のマイレージに付帯するラウンジ・サービスは、世界各国の空港で使える上に、ラウンジ内での喫食メニューが非常に豪華で、個人的にはこちらを利用したいところ。ただし残念なことに飛行機にほとんど乗らないため圧倒的にマイルが足りず、航空会社から(ダイヤモンドやサファイヤなどの)ステータスが付与されていない。ゴールドカードのラウンジ・サービスは、ワンドリンクのみフリーで食事が有料だったりと航空会社のラウンジに比べるとかなり劣る。またラウンジの位置が手荷物検査や出国手続きの手前にあり、出発ギリギリまでラウンジで寛ぐことができない(ただし空港によっては出発ロビーにラウンジがある場合も)。ゴールドカードに踏み切れない理由は、このラウンジサービスがいまひとつ魅力に乏しいからだ。

ゴールドカードに踏み切れないもう一つの理由は、これまでの通常カードと、クレジットカードの番号が変わってしまうこと。

亭主はクレジットカードで買い物をするほか、公共料金などもカードで支払っている。特に自動引き落とし系は手続きに時間がかかる場合が多く、たとえば新聞代などは、手続きのタイミングによっては2か月近く遅延する。以前、信販系カードから現在のカードに切り替えた際には、完全に支払いが切り替わるまでに、なんだかんだで3ヶ月ほどかかってしまった。ただしこのときは、信販系カードの契約を継続していたので、どちらのカードも利用できる時期が存在していた。

今回は困ったことに、双方のカードがスパッとある時期に切り替わる(らしい)。

我が家はAmazonを割と頻繁に利用していて、亭主のカードで妻が買い物をしたりもする。Amazonで買い物をする際、カードが使えなくなる瞬間が発生すればそれなりに支障が出る。ならば亭主が併用している別のカードに一旦切り替えればよかろうという話なのだが、それも面倒だ。

せめて切り替え前後の2ヶ月くらいは、双方のカードが使えたらよいのにと思う。あるいはゴールドカードに切り替えても番号が同じならばさらに良い。同じカード会社内での切り替えなのだから、もう少し融通が利いてもよさそうなものなのだが。

2018年5月 6日 (日)

05/05 日々雑感

自室PCのSSD(Dドライブ、Intel SSDSC2KW480H6, 480.1GB)の健康状態がいつの間にか98%に低下していることに気が付いた。

98%という数値が高いのか低いのか、まだまだ正常なのかそれとも異常の兆候なのか判断がつかないため、数値を見てはモヤモヤしていた。いっそのこと新品に換装した方がせいせいするのではないかと、近所のPC-Depotへ出かけたが、結局何も買わずに帰ってきた。98%というモヤモヤな数値が決心を鈍らせている。

PC-Depotでは、ナイスな出物がないかと店内を2周した。自室PCはIntel Core2Duoの2.67GHz、ディスプレイアダプタはnvidia GeForce 9600GTといい加減古い。10年前のミドルクラスのPCスペックである。古すぎて、陳列棚にある各種パーツが果たして自室PCに使えるのかどうかも今一つあやしい。次は新品PCを買うことになるだろうが、変なこだわりと称してマザーボード、CPU、メモリそれにビデオカードを新調し、他のパーツは現在のものを流用するかもしれない。あくまでも「かもしれない」の話。店内にはゲーミングPCがFinal Fantasy最新作のデモ画面を延々と再生していて、最新ゲームを楽しむならば最新のPCを買って美麗なグラフィックを得るというのも一つの選択肢だ。部屋で使うならば今のフルタワーではなく、超小型PCへと買い替えるという選択肢もある(もちろんCPUやメモリは現在よりもグレードアップしていることが前提だが)。

いずれにせよナイスな出物はなかったし、新たなPCを買わなければならないほどひっ迫しているわけでもない。ひとまず様子見、あちこちのサイトで良さげなPCを物色するとしよう。

2018年4月 6日 (金)

 04/06 日々雑感

精神を病む理由の多くが、人間関係だと聞いてさもありなんと思う亭主である。

毎日機嫌よく暮らしていると思われがちな亭主ですら、会社から帰る時は常に人間関係に不満や不安を抱え、悶々としている。救いなのは亭主がいい加減かつ利己的な人間であり、都合の悪いことから目をそらし、問題を後回しするタチなことだ。基本的に亭主は悩みを翌日に持ち越さないようにしている。翌日同じ悩みを抱えて会社から帰ることもない。なぜなら翌日になると、昨日とはまた異なった不満や不安を抱えることになるからだ。

世の中に人間関係がある限り、物事がうまくいくことはない。これは長年の経験から得られた教訓である。うまくいかないと知れたとき、憤り、他者を攻撃し、全てを投げ出して殻に籠れたらどれだけ楽だろうと思うが、残念ながらそこまでヒマでもない。黙っていても仕事のメールはメールボックスに溜まり続けるし、犬のオシッコもまた膀胱に溜まり続ける。メールボックスと犬の膀胱は亭主の中では概ね同じ扱いである。オシッコをしに時々外に連れ出すのと同様に、メールボックスに溜まったメールもまたせっせと既読マークをつけなければならない。そのメールが何のために送られてきたか、中に何が書かれているかはこの際一切関係がない。

人間関係など一切気にせず、自由気ままに生きてみたいと思う。終わることのない休日を、糸の切れた凧のように、ふらふらと彷徨いたいと思う。独身の頃、夜中にふと銚子まで車を走らせ、犬吠埼のマリンタワーの駐車場で一夜を明かしたことを思い出す。国道50号を水戸から高崎まで延々と走ったことを思い出す。ただし、自由気ままな行動は、時として思わぬトラブルを呼び込むこともある。車で県内を逍遥していたら、脇道から出てきたおばさまの車がぶつかってきたこともある。見通しの良い道路を気持ちよく走っていたら、警察の車に追いかけられたこともある。結婚してこちら、自動車事故にほとんどあわなくなったのは皮肉な話である(ほとんど、というのは、運転中に携帯電話を覗いていた建設会社の営業車が、渋滞で停止中の亭主の車に減速することなく追突した事件があったからだ)。束縛は、ときとして人をトラブルから守ってくれる。これも長年の経験から得られた貴重な教訓である。いずれにせよ人間がいなければ、運転中に後ろから追突してくることもないし、スピード違反と後ろから嬉々として追いかけてくることもない。まあ結局そういうことなのだと思うしかない。

会社での人間関係のゴタゴタもまた「結局そういうこと」なのであり、膀胱に溜まったオシッコと同じく、作業としてどんどん排出するのが良い。一時的に凹むにせよ、それに心をとらわれていて得をした試しがない。経験者が言っているのだからお若いの間違いではない。年寄りの言うことは聞くもんだ。

2018年3月24日 (土)

03/23 日々雑感

実家の近くに、休閑の畑を利用したドッグランがあって、実家に帰ったときにちょくちょく利用している。

この日も、3匹を連れてドッグランで遊んでいたのだが、別の利用者がうっかりドッグランの柵を開けてしまい、マハロ君が逃げてしまった。もともと脱走するような性格ではないが、亭主とマハロ君との距離がかなり離れていたこともあって、捕まえる余裕が全くなく、とっとことっとこ、どこかに走って行ってしまった。

マハロ君を探して、周辺の家々を訪ねて歩く。亭主の実家は、川が長い時間をかけて形成した河岸段丘の途中にあって、川に沿ってささやかな集落を形成している。川の上流から下流に向けて家々をめぐっていけばどこかで見つかると思ったからだ。

ところが、どこの家を訪ねてもマハロ君はいない。興信所か押し売りか、迷惑な何かに誤解した家もあったようで、亭主に対してあからさまに胡散臭いという目を向ける家もあった。犬のブリーダーをしている家も何件かあった。マハロ君によく似た犬はいたものの、似ているというだけで当人(当犬?)ではなかった。怪しい人間と間違われてずいぶん吠えられた。

スポーツ用品店を営む家もあって、少し中を覗いてみたい気にもなったが、今回はぐっと我慢した。だんだん陽が落ちてきて、周囲が暗くなってきていた。スポーツ用品店の家族はどこかに出かけるようであった。おそらく夕食でも食べに行くのだろう。はやくマハロ君を見つけなければと焦るが、一軒一軒尋ねまわって聞き込みをしたり、庭を捜索していては埒が明かない。

不安と焦りと疲労でへとへとになっていたところで、亭主のスマホに、妻から連絡があった。実家にマハロ君が帰ってきているという。うれしいと思う一方、安堵感からその場にへたり込んでしまった。ようやく立ち上がり、家路に着く。実家の玄関を開けたところ、犬が数匹駆け寄ってきた。

どうみてもマハロ君ではない。

居間に入ると妻と、妻の友達数人が犬と戯れていた。トイプードル、フレンチブルドッグ、シーズー。小型犬が部屋の中を駆け回っている。マハロ君もなかにいるのだろうが、犬が多すぎて良く分からない。妻は友人と大笑いしている。近所の道の駅に子犬が捨てられていた、可哀そうだったから拾ってきたという。

改めて数えたところ、居間には合計で10匹が居た。すでに3匹飼っているから7匹増えた勘定になる。呆然となりながらも、狂犬病注射など医療費が相当になるだろうなと思う。7匹同時にトイレトレーニングができるだろうかと思う。妻の行動に怒りなどは覚えず、さて困ったどうやって躾けていこうかと思いを巡らすがアタマが現状についてこない。

可哀そうとはいえ、数匹は別の飼い主を探すしかないだろうなと漠然と考えていたら、目が覚めた。

もちろんドッグランも近所のブリーダーも、すべて亭主の夢の中の出来事である。妻にこのことを話したところ、「怒らなかったのか」と訊かれたが、怒りの気持ちは一切なかった。夢は感情を自制するタガのようなものが最初から外れているそうだから、怒らなかったというのは本当に怒る気がなかったことに他ならない。これは良い傾向なのかもしれない。

2018年3月21日 (水)

03/21 日々雑感

霞ヶ浦湖畔の田園地帯に佇む、モルタル造りのスナックに立ち寄った。

どんな用事だったかは思い出せない。車をスナックの前のだだっ広い駐車場に停めた。時間は昼を少し過ぎたあたり。もちろんスナックの営業時間外である。店には話好きで気さくなママがいて、営業時間外にもかかわらず中に入れてくれる。店内は、小さな窓から太陽の光が入って、光と影のコントラストに彩られている。夜ならば酒場の雰囲気も出ようが、昼間となると妙にこざっぱりと感じる。店内にはカウンターと、ソファーセット、それにスナックには似合わない楕円形をしたテーブルがある。

ママは亭主を中に入れた後、ちょうどよかった、総菜を作ったから食べて行ってと厨房へと引っ込む。落ち着かないまま待っているとママが大皿を持ってやってきて、楕円形のテーブルに無造作に置く。ヒジキの煮物と、切り干し大根のようなもの、ポテトサラダ、それに揚げ物もある。あまり腹も空いていないがせっかく用意してくれた総菜である。小皿に盛りぼそぼそと食べる。普通に総菜なので褒める部分もけなす部分もない。昼の遅い時間にこれを食べると夕飯が入らなくなるなあと思いながら食べる。

特に盛り上がりもないまま食べていると奥からママがやってきて、あれやこれやと話しかけてくる。接客業だけあって話好きで、基本的に遠慮というものがない。ずけずけとモノを言うが、内容らしい内容もない。そうそう―――とまた奥に引っ込む、せっかくだからちょっと飲んでいきなさいよと言って、焼酎をジョッキにそそぐ。グレープフルーツを3個、4個と取り出してジョッキの中に果汁を絞りだす。グレープフルーツは美味そうだが、車で来ている以上アルコール入りはまずい。困ったなあと思っているとママはグレープフルーツをまたどこかから出してきて、これもまた果汁を絞る。なみなみと注がれたグレープフルーツハイ、ほとんどグレープフルーツ果汁であるがアルコール入りには違いない。

これを飲んだら飲酒運転になる、しかしグレープフルーツ果汁の分量が半端ではないので飲んでも酔うほどではないだろう。そんなことを考えながら、延々とグレープフルーツを絞っているママを眺めていたら目が覚めた。

この話から何を教訓とするか、何を兆しとするかは、正直良くわからない。飲酒運転はダメですよと、そういうことなのかもしれないがその程度でよいのだろうか。

ちなみにモルタル造りのスナックも、立ち寄る理由も、話好きのママもすべて夢の中の話である。

2018年3月11日 (日)

03/11 日々雑感

震災から7年が経過した。

福島第一原発事故は未だ収束を見せず、被災地にはいまも仮設住宅で不便な暮らしを送っている人たちが大勢いる。地方は震災復興と称して「更地」を増やしたものの、経済や産業の復興は(少子高齢化、人口減少のあおりもあって)まだまだ遠い。いや、多分かつての賑わいはもう戻らない。

震災中、TVでは(被災地で停電だった亭主は見ることができなかったのだが)なにか人間性を高めるようなCMが繰り返し流れていたようであるが、7年たって日本が良くなったという話はトンと聞こえてこない。政治家、官僚、法曹界、警察、地方、都市、経済、治安、社会保障、労働環境、景気、雇用、若者、高齢者、国内、外国。どこかに「7年前より良くなった」と胸を張れることがあるならば、ぜひ言ってほしい。どこもかしこもグズグズではないか。

地球規模では、地殻変動による火山の噴火、大地震、気候変動による洪水、暴風、大雪、日照不足などが地球環境と人間の経済活動に深い影を落としている。

あの日を忘れてはいけないと、テレビのアナウンサーは繰り返す。それを見ている我々もまた「あの日を忘れてはならない」と繰り返す。そして人々は、海面より低い土地に住宅を作り、行政はどう考えても津波から逃げきれない距離に、避難場所を決めるのだ。

多分これからも震災が起こり、多くの人々が亡くなるだろう。経験は活かされず、多くの人々が住む場所を追われるだろう。もしかしたら電力会社以外に人の立ち入ることのできない土地がさらに増えるかもしれない。

おそらく、それが人間というものなのだ。苦しみ、疲弊し、行き詰ってもなお人間活動を続けていかなければならない、それが人間に課された使命なのかもしれない。

2018年2月24日 (土)

02/24 日々雑感

公私ともに忙しく、またこと会社に関してはモヤモヤとすることばかりが重なっていて、精神的にも体力的にも「お疲れ」な亭主である。

好きなオーディオも、また音楽鑑賞も自由にできず、さらには読書もまったく進んでいないという状況のなかで、なんとか癒しの場を求めていたとき、ふと

「ジャズは大音量で聴くのが気持ち良い」

ことに気が付いた。

ジャズを聴く場は、もちろん車の中である。iPod Classicにロスレスで保存しているジャズのアルバムを大音量で聴く。ライブハウスなどで聴かれるピアノの音量、といったらイメージが沸くだろうか。必ずしも爆音ではなく、音楽を楽しめる程度に大きな音、と言った方がよいかもしれない。

普段それなりの音量で聴いていたジャズのアルバムも、音量を上げると好き嫌いが顕著となる。録音やミックスがあざとい曲、S/Nが低い曲、ごちゃごちゃと音が絡み合う曲などは音量を上げてもちっとも面白くない。ピアノトリオには当たりが多い。運転している目の前に演奏者がいるような感覚、音のエネルギーが亭主にぶつかってくるような感覚が楽しくて、ついつい音量を上げてしまう。

石塚真一のコミック「ブルージャイアント」に、主人公がガールフレンドに携帯音楽プレーヤの曲を聴かせるシーンがある。ガールフレンドに曲を聴かせているとき、急に音量を上げる主人公。面食らうガールフレンド。しかししばらく大音量で曲を聴いているうち何かを発見したガールフレンドは、主人公ににっこりと笑みを返すのだ。

亭主の家の近所にも、大音量でオーディオを楽しむ人がいる。休日の昼間にその人の家の前を通ると、どんどこどんどこと重低音が聞こえてくる。最初は大音量で音楽を聴くことに若干の違和感があった亭主だが、今は自宅で、大音量で音楽を楽しむことにうらやましさを感じている。

「オーディオを趣味にしていてなにをいまさら」と思う人がいるかもしれないが、亭主は大音量再生が許された社員寮を出て以降、ずっと小音量で聴くことを強いられてきた。アパート暮らし、マイホームでの結婚生活、いずれも音漏れを気にして、音量を絞って再生していた。溜まっていた鬱憤が今になって爆発した、ということなのだろう。

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