雑談

2020年6月20日 (土)

06/20 日々雑感

昨晩の夢が与えたインパクトがあまりにも強すぎて、丸一日何にも手が付かなかった亭主である。

誰かが死ぬとか、火事で焼け出されるとか、そのテの物騒な内容ではなかっただけに、日中その夢のことをたびたび思い返しては夢のディテールを補間したり、(夢に)解釈を試みたり、言語化を試みたり、自分なりの考えへとまとめ上げようとしたのだけれど、結局何もできずに一日が終わりつつある。

多分、肉体は魂の容れ物なのだろう。自分は自分であることを魂に問い、間違いなく自分であると確証するが、他者はその人がその人であることを肉体(外見)に問う。自分自身の都合からいえば、肉体の存在など全くの些末で、それこそ日替わりで入れ替わっても全く問題ないのだけれど、他者にとって肉体が変わることは全くの別人が現れたに等しい。だがもし、肉体を透かしてその人の魂を見ることができる人がいるとするならば、それはいったいどのような作用によるものなのだろうか。例えば実の父親や母親は、彼らの子供を(肉体を透かして)間違いなく彼らの子供であると弁別することができるだろうか。そして肉体の変化とは関係なく、実の子供として相対することができるのだろうか。

2020年6月17日 (水)

06/17 投稿テスト


 iPad miniでWeb開発環境が作れないかと思い立ち、高機能エディタとして有名なTexstaticを購入。タッチキーボードが使い難かったためPomera DM100をBluetoothで接続した。Pomeraの液晶ディスプレイが邪魔くさい、というデメリットはあるが、邪魔ならばタッチパネルに戻れば良い。何より、他のBluetoothキーボードのように特異なキーレイアウトに入力を妨げられることもない。想像以上に快適。


2020年5月17日 (日)

05/17 日々雑感

コロナ禍で外出自粛が続くと、コンビニすらも出かけるのがはばかられるようになる。

在宅勤務、土日は家の雑事。ちょっと気晴らしにコンビニへ行きたい、と思っても、家族が咎めるようで、行きにくい。

週に2誌ほど読んでいる漫画雑誌の、あの連載の続きが気になる。どうしようかとつらつら考えるうち、電子版で読むことを思いついた。一誌は週刊少年ジャンプ、日曜日から日付を越えた0時過ぎにはネット経由で買えるだろうと「ジャンプブックストア」に行ったところサイトが重くてつながらない。巣ごもり需要か、それとも先駆けて読みたい人が多いのかはわからないが、多くの読者がアクセスしているようである。結局購入できたのは日をまたいで1:00頃、しかもすぐに寝てしまったため、結局読んだのはその日の夜であった。

サイトの重さは、客の賑わいである。少なくともECサイトではそういってもよかろう。

ジャンプの電子版がそれほど多くの人に読まれているとは知らなかった。少年誌は発行部数が激減して存続の危機だと言われていたのでこの賑わいはちょっと意外であった。この賑わいが願わくば収益向上に、ひいては漫画家さんの仕事に報いるように、亭主はただただ祈るばかりである。

ところでジャンプブックストアの亭主の本棚でもっとも古いジャンプは、2016年の第17号であった。鬼滅の刃は連載第7回目、まだBLEACHが連載中である。

ちなみにONE-PIECEとHUNTERxHUNTERは休載であった。

2020年4月19日 (日)

04/19 SNS、やめました

Instagramほか3個のSNS(ペット系)を退会した。

内緒にしていたがはてなブックマーク、はてなブログも利用していて、こちらも退会した。

いわゆる「SNS疲れ」ということにしておく。知り合いの投稿に律義に「いいね」を付けることに疲れたこともあるし、コメントの返信に対してあからさまな「差」を付けられて、普段はなかなか感じることのないコミュニティの壁を感じたこともある。

皆良くしてくれたし、我が家の3匹をかわいがってくれたので、跡を一切残さずに引き払うことに躊躇いもあったが、亭主がいなくなったところで誰も気が付かないのだろうからと勝手にやさぐれ、複数のSNSをほぼ同時に退会した。

かつて大震災が起きたときは一人一人が「つながる」ことが大事だと、様々なメディアや人が声高にさけんでいたのを思い出す。ところが今回の疫病は、一人ひとりが「つながる」ことを許容しない。世界では事態は終息に向かっているようだが、残念なことにここ日本ではこれからが災厄の本番である。

こんなときだからこそネットで「つながろう」という声もあるが、もう疲れた。しばらくはつながりを限定し、ほそぼそと暮らしていくつもりである。

 

 

2020年4月10日 (金)

04/10 日々雑感

コロナ禍の真っ只中、気持ちも体も不調気味の人が多いと思うので、その方面の話題は一切無視してグダグダと書いてみたい。

亭主の叔母の連れ合いという人が、ながらく地元の消防署に努めていて、長野県という土地柄もあって山岳救助の仕事も請け負っていたらしい。ただ、その連れ合い(仮にIさんとしておこう)さんはもともと体を動かすのが好き、自然が好きということもあって、非番の日には地元の山に登り、登山道の整備や、無人の避難小屋の管理などもやっていたのだそうだ。

地元に帰り、Iさんと飲むときはいつも山の話になり、いつや一緒に山に登りましょうなどと意気投合していたのだが、Iさんは医療事故で全身が不随となり、結局約束を果たせぬまま昨年帰らぬ人となってしまった。全身の自由はきかなくとも意識ははっきりとしていたようで、一昨年のことだったか、亭主がIさんを見舞った際に「次来るときは体鍛えて、一緒に山に登りましょうよ」と声をかけたところ涙を流して喜んでいたのが心に残っている。以来亭主には「山に登りたい」という思いが常にあるが、公私ともに忙しく、まだ実現には至っていない。

信濃川日出雄さんの「山と食欲と私」というコミックの最新話(130-131話)がちょうど地元の山の話題で、懐かしく拝見している。これから夏山シーズンを迎え、避難小屋にも賑わいが訪れるのだろうか。そういえば最近は「三密」を避けて、家族や友人と地元の山にハイキングに行く人が多いという。学校が始まらない子供さんたちにはいいストレス解消になるだろう。自宅に籠っての自習ばかりが勉強ではない。

Iさんは根っからの山男だった。もうこの世を去って半年になる。今頃はどこの山の稜線を歩いているだろうか。仏となる修行は長い道のりというが、せめて時々でよいから、下界の景色が一望できるような眺めの良い場所を訪れてほしいものだ。

2020年3月21日 (土)

03/21 日々雑感

久しぶりに、目標を定めずぐだぐだ書いてみたい。

このところ激務が続いていて、目の下にクマを作って会社を往復している。まあクマができる理由は仕事だけではなく、現在進めているゲームのせいでもあるのだが、正直現在は仕事がメインできつい。好きなCDも買えず、本も読めていないのはコロナウィルスのおかげで東京出張が根こそぎ中止になっているからで、仕事やらゲームやらコロナやらで亭主のストレスは頂点に達しつつある。

春分の日の昨日は出社して、報告書やらなにやらを作っていたのだが、どちらかといえばメインは昼食の「山岡家」だった。ストレスが頂点を迎える中、なんとかどこかでガス抜きがしたいと、昼に会社を抜け出して山岡家で醤油ネギチャーシュー麺中盛を食べようと心に決めていたのだ。

人間は目的ができると頑張れるものである。誰もいないオフィスで昼休みを無視して働き続け、昼2時過ぎになんとか報告書を提出。帰宅の途中に山岡家に寄り念願のラーメンを堪能することができた。

山岡家は、亭主が学生の頃初めて食べた家系ラーメンだ。千葉に住んでいたころ、友人の松田氏と一緒に、車を駆って牛久の山岡家に行き醤油ネギチャーシュー麺中盛を食べるのを楽しみにしていた。当時山岡家は、この牛久店が唯一だったと記憶している(1号店が札幌にあって牛久が2号店だったという話も聞いたことがある)。深夜営業、とんこつ臭い店内、うずたかく積みあがった大橋製麺の箱。当時はチェーン店などではなく、コワモテのオヤジが渾身の一杯を提供するプレミアムな店だった。時には筑波大学に通っているであろう学生バイトがラーメンを作っていたが、こちらの味はいまいちだった。もっとも、作り続ければスキルは高まるもので、学生バイトの味も徐々には改善したが、残念ながら大学には卒業というものがある。

大学を卒業し茨城に就職してからもちょくちょく牛久に出かけては山岡家を堪能していたのだけれど、そのうちにチェーン展開が始まり、県内外にぞろぞろと支店ができ始めると、その味の低下がかなり気になった。天下一品やそのほかの家系ラーメンに興味が移り、やがて県内のラーメンを制覇すべく土日になると鉄砲玉のようにあちこち移動する生活が始まったのは、亭主をよく知る人ならばご存じの話だ。

ただ、結婚してからはそんな無謀なチャレンジはすっかり影を潜めた。その代わりに健康生活が始まった。

だがそんな中でもラーメンへの渇望は激しく、妻が出かけたときはここぞとばかりにラーメンを食べていた。

県内の名店や、新店の開拓ではなく、近場の山岡家で大好物の醤油ネギチャーシュー麺中盛を食べるのが楽しみになった。もちろん気が向けばほかの店にも行くが、ちょっとしたスキマ時間ならば当たり外れがなく、常に営業している山岡家に行くのが一番安心できた。結局亭主は山岡家と醤油ネギチャーシュー麺中盛があればおおむね満足なのだ。

チェーン店でも良い。格別美味でなくても良い。学生時代から食べてきた店、食べてきたメニューがあることが、亭主の心をしっかりと支えてくれている。

外食は、家系ラーメンと、マクドナルドがあればとりあえずいいかな。

下手な冒険に出て見知らぬ店に入り、その味にがっかりするよりは、いつもの味が楽しめればそれでよい。

2020年3月13日 (金)

03/11 かつての大災害に思いを寄せる

9年前の3月11日、東北、関東を中心とした広い地域で、最大震度7にも及ぶ巨大地震が発生した。

震源は太平洋沿岸。東北から千葉までの3か所の震域が連動することで、1000年に一度と呼ばれる地震災害を引き起こした。

沿岸地域は津波で壊滅、内陸では地盤が液状化し、多くの道路が使用不能となった。なかでも最悪だったのは、福島県の東京電力福島原子力発電所の一部原子炉がメルトダウンを起こし、幅広い地域で放射能汚染を引き起こしたことだ。汚染を逃れ多くの人々が住み慣れた土地を離れ、現在でも故郷から遠く離れた地で不自由な生活を送っている。発電所ではいつ終わるとも知れない廃炉作業、放射能との戦いが続いている。

あれから9年が経った。懸命の除染作業と発電所の放射能処理により避難区域は縮小し、通行不能だった高速道路や鉄道が開通することで、徐々にではあるが地震前の姿を取り戻しつつある。だが、かつて原子力発電所を中心に栄えた地域にもはや活気などなく、多くの住民も故郷に帰還することのないまま、急速に衰退している。

以来、様々な地域で大地震や洪水、台風被害が発生し、そのたびに人々の暮らしが脅かされている。いや、脅かされるどころか暮らしは年々疲弊し、もはや日本の中で災害に遭わなかった地域などないに等しい、そんな状態となっている。そして追い打ちをかけるかのような昨今の疫病の蔓延。その発生源が中国であったこと、おりしも中国の旧正月(春節)の時期と重なり、多くの中国人や中国に渡航していた人間が海外でウィルスをまき散らした結果、疫病はいまや世界全体で覆う災禍となっている。

世間には、かつての大災害が、人々の心の中から徐々に忘れ去られていると嘆く人もいるが、亭主はそうは思わない。新たな災害が次々と引き起こされることで人々は疲弊を極め、もはや嘆く暇すら与えられない状況にあるのではないだろうか。

辛いことがあっても、とりあえず前を向いて進む。今我々にできることはそれしかない。

壊れたら直す。病んだら癒す。失われたら再び作り出す。そうやって前を向くことで、人々はもう少し歩いてみよう、生きていこうという意思を取り戻すのだ。

 

2020年3月11日 (水)

03/10 日々雑感

3/10の23:59をもって愛犬家向けSNS「いぬノート」が終了した。

最後は会員のみなさんがよってたかって投稿してサーバーを落とそうという話になり、タイムラインがみんなの「ありがとう」で埋め尽くされるなか、終了の時刻を迎えた。

これほどまでユーザに愛されたSNSも、そうそうなかっただろう。亭主の知る限り、もめごとなどもなかったようである。わんこを家族に迎えたひとたちが集った優しいコミュニティがまたどこかに立ち上がることを、そして「いぬノート」に集い、交流を深めた人々が再び集える場所が見つかることを強く望んでいる。

・・・と書いていたら、日をまたいでもまた投稿できるそうで、別れを惜しんでいたみなさんちょっと混乱しているみたい(笑)

2020年1月16日 (木)

01/16 日々雑感

このところ、中国/台湾製ミニノートPC(Ultra Micro PC : UMPC)の新製品ラッシュが続いている。

たとえば中国GPD Technology社のGPD Pocketシリーズは、製品改良を重ねて新機種をどんどんとリリースしている。GPDに限らず様々な中小ベンチャーが様々なデザイン・機能を持ったUMPCを発表、なかにはクラウドファンディングを活用した完全受注生産品もある。

そういえば、1990年代にも同じく超小型PCのブームがあった。たとえば東芝のLibretto 20、IBMのPalm Top PC 110(ウルトラマンPCなどともいわれた)、それからWindows CEを搭載したSigmarionなども超小型PCの一つといえるだろうか。数あるPCから亭主はSigmarionを購入し、あちこち持ち歩いた記憶がある。

そうそう、2000年代後半にも超小型PCのブームがあり、(このブログにも書いたように)SharpのNetwalkerを購入した。Ubuntu搭載、現在はOSサポートが完全に切れているものの、我が家のホームネットワークのメンテナンス用に活用している。気軽に持ち歩き、ルータに直接接続して設定をいじれるのが便利なのだ。

かねてよりミニノートPCには亭主なりのこだわりがあった。(1)CPUパワーが高いコト、(2)バッテリーの持ちが良いコト、(3)キーボード配列がマトモなコト。ノートPCが発売されて以来、亭主はこの3つを常に念頭に、機種を選んできたつもりだ。ただ、残念ながらこの3つを同時に満足するような機種はこれまで発売されていない。亭主の場合、ノートPCはもっぱらテキスト書きに使う。出先でバッテリーの残量を気にしながら、変則的なレイアウトを持つキーボードでテキストを入力するくらいならば、スマートフォンやタブレットにBluetoothキーボードを接続したり、Kingjim Pomera DM100を使ったりしてガシガシとテキストを書く方が性分にあう。

かつてミニノートPCは、小さな筐体にどれだけ最新技術を詰め込めるかという技術競争の成果であった。ユーザーは、その小さな筐体に無限の可能性を感じ、ポケットにしのばせることでまるで未来が自分の手の中にあるようなワクワクを感じていたものだ。

現在のミニノートPCブームは、亭主にとっては1周(どころか2周)遅れのブームであり、最新の小型化技術を手中にした台湾や中国のPCメーカと、過去のブームを知らない新規PCユーザーのワクワク感に支えられているように見える。たしかにCPUパワーの向上、バッテリー技術の向上によって性能は各段に向上したのだろうが、同時にOSやアプリのオーバーヘッドは増しているし、小型化のあおりをうけた変則的なキーボード配列は相変わらずである。

次々発売される新製品を横目にみやりつつ、Pomeraがあればテキスト入力用途は事足りる、と、と心安らかな日々を送る亭主である。唯一気になるのはiPadやiPad miniで使えるApple Pencil。日々のいろいろなアイデアやブログネタをまとめるのに、手書きメモが有効なのではないかと思っている。

いざブログ記事や「読」「聴」のレビュー記事を書こうとキーボードに向かうもののなかなか筆が進まないのは、記事を書く際の様々なアイデアやネタが揃わないまま、頭の中に取り留めなく浮かんだアイデアだけで書こうとするためらしい。漠然とした思考をまずビジュアルに書き止め、そこからアイデアをまとめていけば、きっと良い記事が書けるに違いない。

タブレットPCをアイデアノート代わりに使っている人の感想をぜひ聞いてみたいものである。

2020年1月 6日 (月)

01/06 新年のご挨拶

昨年は、沈滞と不和と別離の年だった。

とにかくこれでもかとトラブルが続出し、たくさんの親しい人たちがこの世を去り、そして亭主自身もまた絶不調に見舞われた。そのひとつひとつをいちいちあげつらうつもりは毛頭なく、ただ今年こそは穏やかな年であってほしいと願うばかりである。

言いたいことはいろいろあるし、書きたいことも様々あるのに、いざキーボードの前に向かうと思考が停止する。様々な言葉が頭の中をよぎるものの、文章にしようとするとなぜか言葉が(言の葉、というとおり)ヒラヒラと掌をすり抜けてゆく。結果、ブログは全く更新されず、ただひたすら「進捗」ばかりが進捗していく結果となった。

年が明けたら状況が180度好転するはずもない。今年も多分、キーボードに向かえば思考は停止することだろう。

なので、今年も引き続き、無理に言いたいこと、書きたいことをブログ記事にすることはしない。その代わりに「読」や「聴」の記事の中に、自らの想いをたっぷりと込めることにする。そもそもこのサイトは音楽と読書のページなのだから、そちらが充実するのならばそれに越したことはない。

そんなこんなで、今年も楽しくレビュー記事を上げていきます。

皆様引き続きのご愛顧をよろしくお願いいたします。

より以前の記事一覧

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
フォト
無料ブログはココログ