雑談

2021年2月19日 (金)

02/19 サイトリニューアルに向けての作戦会議(第4回)

 このところ文章の「速」について考えている。

 たとえば昨日の記事の文章。

 災害の記事、ということで関係各所へ配慮した結果、なんとも重たい文章になってしまった。まるで漢文か、それともワンピースの「歴史の本文」みたいで、自分で読んでも堅い堅い。これじゃ誰も読んでくれないよなぁ、PVは伸びないよなぁと反省しきり。

 サイトリニューアルに向けて参考にしたいサイト(第3回参照)のテキストはいずれもかなり「速」が高くて、自分もこういうテキスト満載のサイトにしたいと思っている。ちょい前に「精神地理学」を題材に、速い/遅いテキストを書いてみたのだけれど、しっかり書こうとするとどうしても重たい、重い文章になるようだ。

 今般「どむや繁盛記」に追加したカテゴリ「精神地理学」は、再生YMOのアルバム「テクノドン」に収録されている"Floating Away"から引用したものである。この曲の詞はSF作家のウィリアム・ギブスンから(朗読にて)提供されたもので、YMOがこれを切り貼りして歌詞としている。朗読の中でギブスンは"Psycho Geography"という単語を使ったが(のちの解説によれば)これは、彼が初めて日本を訪れ、夜の東京の街を歩いた時の困惑を表現したものらしい。初めて歩いた夜の東京は、映画「ブレードランナー」の舞台「チバシティ」にそっくりだったという。近未来の世界が突如現在の東京に現出したときの彼の驚きと当惑は想像に難くないだろう。一方、"Psycho Geography"の直訳である「精神地理学」は哲学者・宗教学者である鎌田東二氏の著作「聖地への旅~精神地理学事始(1999年)」でも使われていて、こちらは世界各地の聖地を巡る旅、近代思想によって幻想や迷信の領域に追いやられた見えないものを見るためのフィールドワークを意味するのだそうだ(未読。そのうち読む)。亭主の「精神地理学」はギブスンと鎌田氏のちょうど真ん中、何度も夢を見ることで浮かび上がる夢の中の地図の探求、現世の記憶と、精神という井戸からくみ上げられる「無意識」とが織りなす文様を読み解く試みと定義している。ラブクラフトの著作「幻夢境カダスを求めて」は夢の世界を旅する物語。佐々木淳子のコミック「ダークグリーン」シリーズもまた夢の世界(こちらは人々共通の夢)での戦いを描いた物語で、亭主の取り組みはこれら作品にも大きな影響を受けている。ただし周囲を改めて眺めてみるに、令和の今あらためて夢分析をしている人間も見当たらず、スピリチュアル・ブームが去った今だからこそ、一周回って新たな知見が得られるのではないかとひそかに期待している。

 このテキストの速いヴァージョンを書いてみたら、単なる要約になってしまった。これは違う。

 SF作家ウィリアム・ギブスンは、再生YMOのアルバムに向けた朗読のなかで"Psycho Geography"という単語を用いた。この単語は彼が初めて東京を訪れた夜の街に映画「ブレードランナー」の舞台「チバシティ」のイメージを重ねて生まれたのだそう。一方、直訳である「精神地理学」は哲学者・宗教学者鎌田東二氏の著作「聖地への旅~精神地理学事始」で世界各地の聖地を巡る旅と定義する。亭主が「どむや」で用いる「精神地理学」はギブスンと鎌田氏のちょうど真ん中、現世の記憶と無意識とが作り出す夢の中の光景を、一つの世界、一枚の地図として読み解く試みである。

 口語体にしたらいくらか速くなるのか、細かい説明をとっぱらえばよいのかとあれこれ試行錯誤したが、結局のところ「速い文章=思考の速さ」なのだろう。

 毎日みている夢の中身をつなぎ合わせて、一枚の「地図」にしたらどうかというアイデアに「精神地理学」という名前を付けた(元ネタは再生YMO "Floating Away")。どんな地図ができるかは亭主にもわからない。過去の記憶が作り出す懐かしい町の地図か、それとも深層意識が作り出す人外魔境か。長い仕事になると思うがぼちぼちやっていくつもり。

 突然守護霊が降りてきて自動筆記してくれたらどんなに楽なことか。実際は気合いとノリでばばばっと書く感じ、しかし背後には様々な思いが詰まっている。ベルヌーイの定理から導き出される流量の式(チョーク流れ)がまさしくそれ。

 v ∝ √(P/ρ)

ここで、v:流速、P:圧力、ρ:密度

 テキストの速vは気合いPに比例し、内容の濃さρに反比例する。気合や想いが足りなかったり、複雑な話は速が小さい。ざっくりそんな感じだろうか。

2021年2月17日 (水)

02/17 大地震と我が家の地震対策

 2021年2月13日23時13分、福島県沖を震源とするM7.1の地震が発生した。最大震度は6強、福島県、宮城県などが強い揺れに襲われ、遠くは北海道、島根県まで揺れる巨大地震となった。2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(いわゆる東日本大震災)の余震と見られ、多くの家が揺れで損壊したほか、各地で土砂崩れが発生、常磐道や東北新幹線が止まる事態となった。おりしもコロナ禍の真っ只中、しかも翌々日には爆弾低気圧が日本全国を襲い、ダメージを受けた家々が暴風雨や吹雪に見舞われるという、二重・三重の災害へと発展した。東日本大震災では宮城県沖、福島県沖、茨城県沖の3つの震源が連動することで大災害へと発展したが、今回揺れたのは一つの震源のみ、ただしその揺れの規模は東日本大震災に匹敵し、もう少し震源が浅かったら津波も発生していた、とのことである。

 今回の地震で、亭主の住む街は震度5弱、家も大きく揺れたが、幸いにも被害はほとんどなかった。小刻みな縦揺れののちスマホが緊急地震速報のけたたましいサイレンを発し、ゆっさゆっさという横揺れがしばらく続いた。大震災以降様々な揺れを体験してきた亭主であったが、この揺れは「まじもん」であった。うっかり揺れたのではなく、人の命を本気で獲ろうとしている、本気の揺れであった。ただ、揺れの方向が南北だったため、南北に長い食器棚の扉は開かず、食器も飛び出ることはなかった。

 亭主の部屋はといえばスピーカが倒れたほか床積みしていたCDの山がぞろぞろっと崩れていて、深夜にCDを積み直していた。そういえば震災の際にもCDの山が崩れた。幸いにもケース割れはなく(震災でもケース割れは数枚だった)実質的な被害はなかったものの、震災の経験が活かされていなかったことは反省点といえる。

 以前も書いたが、亭主はCDを衣装ケースに入れて保管している。幅39×奥行53×高さ23cmのサイズを31ケース、横5、縦6(おっと一つは縦7だ)に積んでいる。独身時代には壁面一杯のCDラックを使っていたのだが、自重でたわんできたことからCDラックをRさんに譲り、以前から本の収納に使っていた衣装ケース(4ケース)に27個を買い足したのだ。結婚して今の家に移ってからも31ケースのラックを引き続き使っていたが、その後ケースを買い足すことはなく、CDを買ってもそれまでのケースに無理やり押し込んだり、机の下に積んだりしてなんとなく現状維持を続けてきた。このケース、積み上げることで相当な自重となるため、東日本大震災でも一切崩れず、結果ほとんどのCDが無傷だった。どこかの掲示板に亭主のオーディオシステムの写真が晒され、その際にケースの一部が映りこんでいたことからずいぶん貶された記憶があるが、震度5強だろうが震度6だろうがびくともしなかった、というのは相当な実績。亭主は衣装ケースのCDラックに全幅の信頼を置いている。

20210217cdrack 今回、CDの山が崩れた反省から同じサイズの衣装ケースを4つ追加し、35ケース、横5、縦7の壁面収納へと拡張。結婚以来なんとなく床積みになっていたCDをすべてラックに収納した。ひとつのケースにはおおよそ130枚ほどを収納できるので、ざっくり「YMO関係」「邦楽」「洋楽」「ジャズ」の4つに分類した。床置きCDをすべて収納してもまだまだ余裕がある。今後は他のケースの中身と入れ替えるなどしてジャンル全体の整理をしていく予定。

 ともあれ、今回の地震で被災された方には謹んでお見舞いを申し上げたい。自然の「純粋な敵意」に警戒しつつ、一刻も早い日常生活への復帰を祈りたい。

2021年2月 3日 (水)

02/03 サイトリニューアルに向けての作戦会議(第3回)

 Web界隈において、スマホやタブレットからのブラウズを意識したサイトデザインはもはや常識になっているが、肝心カナメの「サイトの中身=コンテンツ」についてなにか格段の進歩が見られたという話は残念ながら聞いていない。

 mixiが人気になってきた頃から、個人の情報発信のプラットフォームが個人のホームページからTwitterやFacebook、Instagramあたりに移ってきていることは確かで、TikTok、また転職系やペット系のSNSあたりのサービスを含め、「画像+短いテキスト」での情報発信・共有が標準になっているようである。

 変わり種は最近話題の「クラブハウス」で、これは音声で情報発信・共有するのだそう。

 ではいわゆる個人ホームページが消滅したのか、といえば(たしかにGeocitiesやInfoseekの閉鎖などでその数が大きく減ったものの)どっこい生きているわけで、たとえば「にほんブログ村」にはCDレビュー系ブログのランキングがあるし、「ほめぱげ」でGoogle検索すれば個人ホームページはまだまだたくさん生きている(問題なのはこういった個人ホームページにリーチする手段がほぼ失われていることだ)。とはいえ、コンテンツという観点からすればインターネット黎明期のものと何ら変わるものはなく、人類が「思考→言語→読解」という手順を踏む限り、そうそう簡単に変質しないのだろうと、むしろ勇気づけられて良いものなのかもしれない。

 亭主はかつて自ブログで、インターネット黎明期に綺羅星のごとく輝いていた優良コンテンツサイトとして「吉牛士一級への道」「ハッピーハッピーうさちゃんまつり'67」「ヤングオデオン」「サカムクレトンガリキッズ」あたりを挙げていた。前の2つはいわゆる「ネタ」サイト、後ろの2つは「評論」やエッセイ色の強いサイトだったと記憶している(「サカムクレ〜」は自ら制作したテクノトラックをRealオーディオで配信していた)。「ハッピー〜」が1996年開設とのことなので、上の4つはだいたい1996年±2年くらいの時代と思ってよい(このあたりの考証は「テキストサイト関連年表(https://fishq.ifdef.jp/trash/webtexthist.htmlに詳しい)。

 では後ろの2つがどんなサイトだったのかとあらためて説明するのは難しいのだが、事実を積み上げるのではなく、どちらかといえばハイテンションで駆け抜けるタイプのテキストだったと記憶している。最近よく言われる「エモさ」はなく、かといってバカ騒ぎ感もなかった。かいつまんでいえば「最新の話題を」「多少の笑いをからめて」「あっさり書く」。「どむや」もそんなコンテンツを目指したいと思っている。

2021年2月 2日 (火)

02/02 サイトリニューアルに向けての作戦会議(第2回)

 先日ラジオ番組で、雑誌「BRUTUS」2021年2月15日号の特集が「音楽と酒。」であると知った。

 本日、会社の帰りに書店に行ったところ、「音楽と酒。」の隣にムック「POPEYE 特別編集 ぼくの好きな音楽。」が置かれていて、エイヤとばかり両方購入した。なんという偶然。しかも両方ともタイトルの最後が「。(読点)」で終わっている。流行っているのだろう。

 早速自宅でパラパラと眺める。BRUTUSの特集はタイトルの通り「音楽」「酒」そしてそれを提供する「場」にフォーカスした企画で、様々な作家や芸能人、アーティストが、ナイスなバーで様々なトークを繰り広げる。音楽が聴ける国内の飲食店やジャズ喫茶の紹介、もちろん「音楽」や「酒」のレビューもある。

 一方POPEYEのムックには、128人の作家や芸能人、アーティストがおすすめする音楽が怒涛の物量で紹介されている。国内のみならず海外のアーティストの記事もある。見れば2020年7月に発刊されていて、コロナ禍の第3波で世界が大混乱に陥る直前ギリギリの企画であったことが伺える。

 どちらの雑誌にもCDレビューが相当数掲載されていて、丁寧に読めば相当のボリューム。ただ(編集してくれた人には申し訳ないが)全部はとても読んではいられない、というのが正直な感想だ。テキストの分量が膨大なうえ、すべてのレビューに興味があるわけではない。知っているアルバム、好きなアーティストのレビューをナナメ読みする程度だろう。しかし、そこに紹介されている音楽がどんなものであるかは分からないだろう。音楽の場合、「百聞は一見に如かず」ではなく「百見は一聴に如かず」なのだ。

 これは音楽レビューをメインコンテンツとする亭主のサイトにも言えることだ。サイトを訪れる人が亭主の聴いた音楽に興味をもつとは限らないし、よしんば興味を持ってもらったとしても、亭主のつたない文章から音楽の魅力を十分に知ることはできない。文章の限界、テキストサイトの限界、と早々にあきらめてしまうのもどうかと思う。BRUTUSやPOPEYEのCDレビュー(あるいはおこがましくも亭主のサイトのCDレビュー)がフォーマットの完成形の一つだとして、「どむや」がそれを踏まえてどうするか、伸るか反るか、それともまったく別の方向へと進むかを、考える必要がある。

 

 

 

2021年1月14日 (木)

01/14 サイトリニューアルに向けての作戦会議(第1回)

マキタスポーツ氏の「越境芸人」に「おば写」と「おじ写」という言葉があって、ナルホドと得心してしまった亭主である。

マキタ氏によれば「おば写」は構図を無視したパッションを感じられる写真。人の家の庭先に咲いている花を「まあ、きれい(はーと)」とかいいつつ撮っちゃうのが「おば写」だそう。一方「おじ写」は「こうみられたい」「誰かに見られたときに恥ずかしくないものを」みたいなつまらない言い訳、べき論的退屈さがある写真なのだそうだ。

翻って亭主のサイトを眺めれば、亭主の写真もまた「おじ写」の要素が強い。どこか引いているというか、醒めているとか、パッションと呼ぶにはほど遠いものが多くて、「パッション」がサイトリニューアルの際の一つのコンセプトになるのかな、と思ってみたりする。

まずもって、1998年に亭主がデジカメ(Fujifilm FinePix 700)を買ったときに、最初に思い浮かんだ用途が「ホームページのための素材集め」や「PCのデスクトップの壁紙」で、素材(テクスチャ)も壁紙も、どちらかといえば一歩引いた画像なのだから亭主のメンタリティは「おじ写」よりももっと実用性に寄ったものなのだろう。だがDomuya Portalのトップページの画像に「おじ写」的な言い訳があることは否定できず、結果的に淡々とした内容のサイトになっているのではないか。

亭主のスマホのアルバムを眺めてみると、だいたい98%は犬の写真で、残りはラーメンの写真という有様である。パッションはおろかホームページの素材すらないという体たらくに絶望するが、そもそも街歩きが自粛されているなかで、見慣れた身の回りの品物にパッションを感じろというのが無理な話である。

もう一つ。手元にスマホがあるから常にパッションのある写真が撮れるとは限らない。いつでも撮れるという安心感が、写真を撮る行為をおろそかにしている。本来写真を撮る行為とは、もっと緊張感のあるもの、一瞬のチャンスをものにするための真剣勝負の結果なのではないかと思うのだ。

思うだけだけど。

歳をとって気分がすっかり沈滞しているのもよろしくない。歳を経るにつれ人生の可能性がどんどん失われ、選択肢がせばまり、貯金がどんどん目減りし、毎朝起きてもHPがぜんぜん回復していない、という現実がパッションを無くしている原因ーーー

とかもう考え始めるとどんどんおなか急降下なので、もうこれ以上はなにも言わないけれど。マキタ氏によれば「おば写」と初期のヒップホップは「つい、うっかり」という点でよく似ているという。敷衍すれば「おば写」のパッションは芸人のそれとも共通するだろう。してみると亭主のサイトリニューアルの原動力はもしかしたら「つい、うっかり」であり芸人的なメンタリティなのかもしれない。

以前の「Plannet Act3」や「四季旬彩どむや」にはそんな芸人的なメンタリティを持つコンテンツ(たとえば廃墟とかラーメンとか、一発芸的な写真とか)が結構あったように思えて、ああいうノリは間違っていなかったなと改めて思う。ただ、ああいうコンテンツは賞味期限が短く、蓄積していってもまったく厚みが出ない(この「厚み」についてはいずれ改めて考えてみたいと思う)。

亭主のサイトリニューアル、まだまだ考え中といったところだが「パッション」と「つい、うっかり」というキーワードはありがたくいただいておきたい。

2021年1月13日 (水)

01/13 Domuya Portalがモバイル対応になりました

この日、一念発起し「どむや」のほぼ全ページをモバイル対応へと改修した。

実際にはサイト内の要素のサイズを、PCの解像度とスマホの解像度で切り替えるためのcssを実装したうえに、スマホで見た場合に不自然にならないようフォントサイズや要素のレイアウトを調整している。構想1日。作業時間は約5時間。

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情報量が多く、スマホで読むには若干きついかな?と感じてしまうのはテキストサイトの宿命。とはいえ、最小限の変更で、PCサイトとスマホサイトを切り替えられるようになったのだから当初の目論見は達成された、と言っていいだろう。新年早々サイトの目標の一つが達成されたので、調子にのって次の目標である「サイトのデザイン変更を」―――と思いつつ沈思黙考、まずは構想を立てることから始めたい。

2020年12月30日 (水)

12/30 年末のご挨拶

 2020年もあと1日を残すのみとなったが、個人的にはさんざんな1年だった。

 1月に伊豆伊東のサンハトヤに行き、念願の海底温泉に入った以外は本当に良いことがなかった。実際ブログ記事もCDレビューが主体、それもレビューを上げるのが1ヶ月近く遅れていて、12月の記事に至ってはまだ1つしか上がっていないという、大変残念な状況となっている。

 亭主の場合、CDのレビューを書く時はまずじっくりと作品を聴きこむことから始める。聴くうちに心の中にもりもりと「何か」が盛り上がってくるので、こんどはその「何か」の言語化を試みる。「何か」がすっきりとした言語となったらいざテキストにしたためる。「何か」がどんどんと盛り上がってくる作品は記事にしやすいが、その逆はかなり苦戦する―――といってもたいがいは時間が解決してくれるので、あわてず騒がず、まったりと作品を楽しんでいればいつかなんとかなるだろうと、気楽に考えている。

 割と楽に書けるCDのレビューに対し、本のレビューは本の完読が大前提なので、毎回時間がかかる。そもそも本を読む時間がない。部屋の隅には読んでいない本がうずたかく積みあがり、もう何年も積読状態になっている本もある。もっとも旬を過ぎたら面白くない、などという本は買っていない(つもりな)ので、あとは時間が解決してくれると思いたい。

 来年はどんな一年になるのだろうと考える。コロナはしばらく終息しないだろうから、日々増え続ける感染者の数にうんざりしながら自粛生活を送ることになるのだろう。世間のコロナに対する感覚のずれに、常にストレスを感じる生活になるかもしれない。そんな中にあってもCDや本は、そんな世界にあって自らの精神を健全に保つ安定剤となっている。

 それはさておき。

 皆さま、本年も当サイトをご愛顧いただきありがとうございました。

 大変な一年となってしまいましたが、来年こそはきっと穏やかな日々となりますよう、心から祈念して本年最後のご挨拶とさせていただきます。

 来年もDomuya Portalそしてどむや盛衰記をどうぞよろしくお願いいたします。

どむや亭主拝

2020年12月 3日 (木)

12/03 日々雑感

 早くも今年もあと1ヶ月を切った。


 5月頃には収束するだろうなどといわれていたコロナ禍も、蓋を開けてみれば8月、10月、どんどんと延びて、結局年末までもつれそうな勢いである。いや、例年ならばこの時期猛威を振るっているであろうインフルエンザなどと併せて、結果的に来年の春まで、いや5月、8月、10月、来年のこの時期もやはり結局コロナに脅かされているような気がする。


 GOTOキャンペーンだの医療崩壊だのと世間は相変わらず騒がしいが、亭主が何か言ったところで事態は良くも悪くもならないし疲れるしで、得になることは一切ない。うちの会社が社員にアンケートをとったところでは、コロナの影響で社員の心理的疲労というかストレスがきわめて高くなっているそうである。精神の不調で会社を休みがちとなる人の割合も増えている、とのこと。パンデミックが収拾しないなか、自らの精神を健全に保つことができるのは(国でも社会でも会社でもなく)もはや自分自身のみである。


 最近少し気になるのは、現代を舞台にしたフィクションの作品で、登場人物が「マスク」をしているものが増えていることだ。現代社会をリアルに再現する、あるいは物語にリアリティを与えるために必要な演出かとは思うが、そこまで現代社会を再現せずともよいような気もする。たとえばコミックの場合、登場人物がだれもかれもマスクをしていたら、キャラのかき分けができないし、表情の多くがマスクに隠れて、マンガで一番重視すべき微妙な表現が一切できなくなってしまう。コロナが収拾するまでの経過措置といえなくもないが、亭主にはパンデミックの終わりが見えないでいる。いや、せっかくコミックという、現実世界と切り離された世界で登場人物を活躍させるのだから、その世界にまでコロナを持ち込まなくとも良いと思っている。


 もし現実世界が「ニューノーマル」などとマスクをするのが当たり前の世界になってしまったら、コミックの中でも登場人物はマスクをするのが当たり前になってしまうのだろうか。モラリストたちがコミックの中で登場人物がマスクをしていないとクレームを付け始めるのだろうか。そう考えて暗澹たる気分になる。

2020年11月25日 (水)

11/25 日々雑感

 このところブログ更新が滞っているのは、一つはグラブルの古戦場イベントが激烈だったこと、もう一つは体調不良が続いていて、頭が回っていないことによる。

 体調不良といってもいわゆる「コ」の字ではない。ここ1週間ほど肩こりがひどく、首から肩から背中から、ガチガチに固まっていて文字通り「首が回らない」状態なのだ。クイックマッサージにいきたいのだが、妻に基礎疾患があり「コ」の罹患は命に関わる。先日の三連休も、スーパーとコンビニ、それにわんこの散歩以外はほぼ家で過ごした。ところが妻はスポーツクラブのプールにいそいそと通っていて、基礎疾患はどうしたと心の中でつっこみを入れている。

 最近スカイリムをプレイしていることも、首がガチガチに固まっている理由の一つかもしれない。独身時代にオブリビオンにドはまりしたこともあって、スカイリムもまた亭主の心をしっかりとらえて離さない。このゲーム、オープンワールドということで圧倒的な自由度の高さが売りなのだけれど、亭主の場合リアルで美しい自然描写が気に入っていて、戦闘よりもまずフィールド探索、風景を見ながらの移動が楽しい。森の中に突然現れる廃屋や、異形のデザインを持つ巨大構造物や地下迷宮が、亭主の旅心や廃墟心をいたく刺激する。いや実際、スカイリムをプレイする前後から、亭主の夢の中には廃屋や巨大構造物がたびたび現れるようになっていて、亭主の深層心理が掘り起こされたのか、それともスカイリムの世界が亭主の意識を侵食したのか、いずれにせよ大きな影響を与えていることには間違いない。

 グラブルに関しては、古戦場の話題以前に「どむや」での進捗報告が滞っていて、いまさら報告してもなぁ、と半分あきらめモードである。十天衆の最終上限解放を完了して以降、アーカルム召喚石をすべて最終上限解放した。また十賢者の3人目・ニーアを仲間にした。高難度コンテンツ(たとえば六竜ソロ)にも積極的に参加するようにしていて、黄龍黒麒麟武器はすべて最終上限解放(5凸)済み、アストラル武器はすべて4凸済み、目下六竜武器の強化を進めている状況である。六竜武器6本のうち2本を5凸し、残り4本の5凸を目指しているが、素材が遅々として集まらないので気長に取り組んでいる。そうそう、ニーアを仲間にするために必要なセフィラ玉随は、古戦場の勲章交換で取得した。古戦場で念願の個人貢献度7万位以内を達成し、勲章100個をもらったのが大きかった。

 90日間のダイエットを終えて、現在は維持期に入っている。以前に比べると1kgほど戻ったが、ダイエットの当初目標体重以下をキープしていて、とりあえず現状維持といったところ。亭主の場合、ジョギングをするとなぜか体重が増えるようである。三連休でのジョギングで体重が1kg増えた他、背中や肩のこりがひどくなったりもしたので、正直あまりいいことがない。ただ、いいことがないからとサボるわけにもいかず、とりあえずこれからもできる範囲で粛々と走る予定。

 オーディオに関してはSACDプレーヤが欲しいとかねがね思っていて、できれば高品位DACのついたSACDプレーヤが買いたいと思っている。現在のAccuphase DP-55Vのリプレースとなるだろうか、DP-750あたりが欲しいと思いつつ当然手がでない。DP-750を買ったあかつきにはこれまでメインDACとして使ってきたRotelのRDD-06を退役させ、PCオーディオのグレードアップを図りたいと思っている。ついでに最近すっかり使わなくなったアナログプレーヤPro-Ject Perspectiveを処分して別のプレーヤを購入しようかと思っているが、使用頻度の低いアナログに追加投資をするかどうかは判断の迷うところである。

 AppleからiPhone 12シリーズが発売となった。来年2月にauのアップグレードプログラムが満2年を迎えるので、それを機会に機種変更を考えている。ただ次回はスマホ代金を分割するのではなく、一括払いにしたいと思っているが亭主の契約には妻のスマホ契約分も含まれているので、おいそれと料金プランや、キャリアを変更できない。まあ順当に機種変更だろうとは考えている。そういえば妻のスマホケースはハワイで買ってきた思い出のものなので、機種変更でスマホの大きさが変わるのをいやがるだろう。妻は継続使用を希望するに違いない。もともとスマホにはあまりこだわりのないタイプなので、致命的に処理が遅かったり、画面がバキバキに割れていない限りは現状維持になりそうだ。

 そんなわけで最近の状況。一気呵成に書いてみたが、もしかしたら分けて書いた方がブログネタとしては良かったのかもしれない、などとひそかに後悔しつつ、とりあえず明日以降の記事への呼び水になればと思っている。

2020年10月20日 (火)

10/20 日々雑感

保健師の指導で始まったダイエットも、83日目に突入した。

以前の雑談で

指定された目標は3kg減だが、現時点で2.8kg減ということで、日程を1/3消化した時点でほぼ目標に達しつつある。

ちなみに3kg減はダイエットプログラムから指定された目標。亭主自身が設定した裏目標は5kg減、さらに究極的には13kg落としたいという目標もある。

と書いたが、現在裏目標である5kg減を達成していて、究極的な目標である13kg減まであと8kgというところまできている。

以前は数値をぼかしていたが、そろそろ書いても良いころだろう。開始体重は75.8kg、目標体重は72kg。現在は69.8kgまで落ちており裏目標の70kgを達成済、究極的には62kgまで落としたいと、そういうことである。

以前にも書いたが、予備校時代62kgだった体重は、大学入学後の学生寮の朝晩の食事で2年間で70kgに達した。それ以降70kgを下回ったことはなかったため、現在の体重は実に大学2年生の頃の体重ということになる。かつてはスポーツジムに通ってダイエットを試みたこともあったが、それでも70kgを割り込むことはなかったし、71kg台でも相当身体が辛く、筋肉痛と空腹でヘロヘロになっていた。スポーツジムに通っていた頃に比べれば筋力の量は圧倒的に少ないものの、筋肉痛に悩まされることはないし、食事をしっかり摂っているおかげで空腹に苛まれることも(あまり)ない。おっと、あまり―――と括弧書きしたのは間食をひかえているためで、空腹になることもたまにはある。

ここまでダイエットが成功したのは、ひとえに「はらすまダイエット」なる手法によるものーーーと言いたいところだが、どんなダイエットをするにせよ、しっかりとした戦略がなければ成功までの道のりが遠ざかったり、苦しいものになったりする。実は亭主、以前に「はらすま」を参考に朝晩体重を記録するダイエットを続けていたのだが、途中で投げ出してしまっていたのだ。自分が戦略を立てるにせよ、他者が立てるにせよ、その戦略が合理的であるか、自分にあったものか、また強制力をどれだけもたせるかで苦しさの度合いが変わってくる。基本的に亭主は束縛や強制を好まないため、ライザップのような徹底した自己管理型・他者監視型のダイエットは性に合わず、個人の裁量に任されたわりと自由なダイエットを好む。しかし、自由なダイエットというのは強制力に乏しい分自己管理やモチベーションの維持に「工夫」が必要で、「はらすま」のような朝晩体重を記録しましょうとか、か毎日カロリーを規定数分だけ消費しましょうとか、そういうルールをうまくこなしていくための「工夫」が最終的なダイエットの成否につながるのだ。

亭主の場合、ルールをこなすための工夫として、なるべくシンプルで、気軽なものを選んだ。「砂糖入りコーヒー」や「コーラ」や「スポーツドリンク」や「エナジードリンク」を飲まないというのがそれである。昼食を軽めにすると甘いものが無性にたべたくなるだろうということで「昼食をコンビニスイーツにする」というのも試している(おかげで昼はコンビニの小さなショートケーキや、ティラミスや、モンブランがたべ放題である)。朝晩をしっかり食べたうえに昼にコンビニスイーツを食べていても、また目立った運動をしなくとも、これならしっかりと痩せるのだ。

そうそう、昼にコンビニスイーツだけ、というのはちょっと栄養的にどうかと思い、成分無調整豆乳も飲んでいるがこれは気休めである。それでも三食をプロテインにしたり、あるいはサラダやチキンなどを食べたりするよりもよほどストレスが低いように思うのだが、いかがだろうか。

より以前の記事一覧

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