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2019年3月

2019年3月26日 (火)

03/26 日々雑感

このところ、YMO関連のアルバム再発が続いている。


Yellow Magic Orchestra, Solid State Survivorほか、YMOの歴代アルバムがSACDハイブリッドで再発されていて、SACDプレーヤを持っていない亭主にとっては無駄遣い以外のなにものでもない。ライナーノーツに新たな記事が追加されているだの、デジタルリマスターで音質が向上しているだのと売り文句は盛大だが、肝心のSACDが無ければ音質向上もへったくれもないのである。こんなことを言ってはまずいのかもしれないが、「あとで買い逃して後悔しないように今買っている」。YMOの再発盤を買う理由はこれに尽きる。いや、YMOの再発ならば、アルバムの枚数もたかが知れている。計画的にリリースされるのであればその時々の楽しみとして購入しても良い。その程度の前向きな理由は持ち合わせているつもりだ。


ところが先日、Amazonのマイリストを覗いていたら、細野さんのPhilharmonyも再発されるというではないか。すでに細野さんはHosono HouseのセルフカヴァーであるHochono Houseをリリースしている。そういえばユキヒロさんもセルフカヴァー作Saravah! Saravah!をリリースしているので、ここらで一気に旧作が再発になるのかもしれない。探してみると坂本さんの千のナイフも再発される。細野さんのはらいそや、ユキヒロさんの薔薇色の明日も再発される。これはいかんと夢中になってAmazonのカートにCDを突っ込んでいたが、ふと我に返ってカートからすべてのアイテムを削除した。再発ラッシュにまんまと乗せられ、軽いパニックに陥っていたようだ。


再発が悪いというわけではない。手に入りにくくなった旧作ではなく、再発で新たなファンを獲得するのは良いことだ。リマスタリングで音質を向上させるのも付加価値としてはまっとうだろう。しかし、すでにアルバムを所有している古くからのファンにとっては、再発盤の購入は二重投資、三重投資になる。なにしろ細野さんも坂本さんも、ユキヒロさんも尋常でない数のアルバムをリリースしている。これらすべてが再発の対象だというならば、亭主にはそれを買うだけの金も、買った後アルバムを保管するためのCDラックもない。


その昔、行きつけだったCD店の常連客に「カタログ買い」をする人がいて、月に一度CDジャーナルを持って現れては「ここ(と新譜情報の一部を指さす)から、ここ(と別の部分を指す)まで買いますと言っていたのを思い出す。この常連客が聴いていたのはもっぱらジャズだった。ジャズやクラシックならばカタログ買いや、「ここから、ここまで」といった大量購入もありかもしれない。しかしそれにしたって自宅に同じアルバムが2枚、3枚と重複するのは金と置き場所と聴く時間の無駄にならないだろうか。


とりあえず他人のことは良い、と気を取り直す。アルバム未収録のボーナストラックが追加されているとか、未収録作品やアレンジバージョンをまとめたDisc 2が同梱されているなどといったら、それだけを目当てに買うというのも理由の一つだろう。あえて1曲、2曲オリジナルに加えてくるというのも(多少姑息ではあるが)販売戦略の一つと理解しつつ、それでもなおモヤモヤとする亭主である。

2019年3月25日 (月)

03/24 【聴】A Salty Dog / Procol Harum, Esoteric Recordings(ECLEC-22503)

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 Gary Brooker(Vocal, Piano)を中心とするイギリスのロックバンド、Procol Harumの3rdアルバム。1967年にバンドを結成、メンバー交代を繰り返しつつ現在に至る長寿命バンドの代表作ともいえるアルバムが本作となる。タイトル・ナンバーである"A Salty Dog"ほか全10曲。リリース当時はアメリカビルボードで32位、イギリスチャートで27位と果たしている。今回はEsoteric Recordsから、ボーナス・トラック12曲がDisc 2として追加された特別イシューを購入した。オリジナルは 1979年リリース。Disc 2にはスタジオセッション、ラジオ収録バージョン、ライブ録音などのレアトラックが並び、ボーナストラック12曲中5曲が未発表曲となっている。

 亭主はこのあたりのロック・シーンに詳しくないため、単なる印象として述べるにすぎないが、個人的にはオーソドックスなブリティッシュ・ロックという印象。ただしロックのエネルギーで押しまくるという感じではなく、むしろバラエティに富んだアレンジ、豊かな世界観などサウンドトラック的な雰囲気を持つ。その後英国のロックはニューウェーヴの波に席巻されることになるのだが、その後のロックに比べればこのアルバムは文句なく「牧歌的」であり、誰もが安心して聴ける健全な音楽である。

 一方、亭主のようなYMOに大きく影響を受けた人間にとって、本アルバムは「YMOのエッセンス」が凝縮されたアルバムでもある。アルバム・ジャケットのデザインは、その後細野さんがアルバム"Tropical Dandy"でまるまる引用している。浮き輪の中の水夫然とした人物は、Tropocal Dandyでは細野さん自身のイラストに置き換わっているほか、Procol Harumの"Harum"は細野さんの名前"Haruomi"と音素が共通する。それだけではない、このアルバム・デザインから想起される「海」のイメージは、細野さんのみならずサディスクティック・ミカバンドやはっぴいえんどにおける「海賊」や「港」へのイメージへと受け継がれている。ミカバンドやはっぴいえんどなどのアルバムにおいて「海」は還るべき場所であるとともにフロンティアであり、「海賊」は反逆と自由の象徴である。社会からはじき出され、異分子として肩身の狭い日々を送る若者にとって、「海」や「海賊」は最後の希望なのだ。

 そういえば荒井由実がアルバムを作る際、Procol Harumの曲に大きな影響を受けた、あるいはProcol Harumを意識した曲作りをしたなどという話をどこかで聞いたことがある。アルバム最後の曲"Pilgrims Progress"はその後鈴木慶一と高橋幸宏のユニット、Beatniksがアルバムでカヴァーした曲でもある。YMOを追っかけている人間ならばこのアルバムのはしばしに懐かしいものを感じるだろうし、現在の音楽シーンの根底にProcol Harumを含むブリティッシュ・ロックの系譜があることに気が付くことだろう。

 ちなみにPilgrims Progressは亭主が大好きな曲の一つで、精神が弱っているときには必ずこれを聴いていたし、スピーカの前を離れてもこの曲が頭の中をリフレインしていた。これももう30年も前からの話である。

2019年3月21日 (木)

03/21 日々雑感

ココログの大規模障害はまだ完全に収まっておらず、「ポータル」からブログをクリックすると「見つからない」と怒られる。


見つからないというアドレスを見るとどうやらココログのトップから各ブログへと飛ぶためのインデクスが切れているようだ。直接アドレスを入力すると正しく表示される。@niftyはDNSの関係上不具合は徐々に解消していくというが、ココログ自体にもまだ何らかの不具合があるのではないか。


そもそも大規模障害は、ココログのユーザ管理画面のリニューアルによって引き起こされたようである。バックヤードでのリニューアルでシステムが倒れた、というお粗末な話でただただ呆れるしかないのだが、ならばとココログからブログを引き払おうにも管理画面に入れずデータがサルベージできないため、しぶしぶ@niftyの対応を見守っている。幸い管理画面に入ることができブログの投稿もできるようである。あとはインデクス切れが修正されることを祈るばかりだ。


2019年3月19日 (火)

03/19 【聴】 Hochono House / Hosono Haruomi, Victor(VICL-65086)

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 1973年にリリースした細野さん初のソロ・アルバム「ホソノハウス」を細野さん自身がリメイクしたアルバム。当時としては画期的な自宅録音、埼玉県狭山の一軒家で仲間とともに作り上げたアルバムが、46年の時を経て復活した。71歳となった細野さん自身のヴォーカル、デスクトップ・ミュージック、そして最新の録音技術。アレンジ含め全てが新しく生まれ変わっている。


 以前にも書いたと思うが、亭主にとって「ホソノハウス」は自身の青春時代を代表するアルバムだった。当時精神病院のような冷たい床の寮室で、隣への音漏れを気にしながら聴いたホソノハウスがリメイクされると聞いて、わくわくしないわけがない。ところが実際に作品を聴いてみると、かつてのオーガニックな雰囲気はどこへやら、様々な新しいアイデアが投入された、最新型フォーク・ロックであった。


 一番の違いは、曲順がオリジナルとは全く逆になっていることだろう。まるで時計を逆回転にするように、アルバムの後ろから頭に向かって一気呵成に突き進む構成。年を経て滋味の増した細野さんのヴォーカルは心地よいが、原曲から微妙にずらしたアレンジに、オリジナルを知る亭主はことごとく「あ、原曲と違う」とひっかかる。もちろん細野さん自身のアレンジであるから、オリジナルが正調であるのと同様に、本アルバムもまた正調である。「僕は一寸」が夏バージョンとなり、「Choo Choo ガタゴト」はその舞台を日本からアメリカに移している。最新盤ともいうべき「ホソノハウス」のサウンドに無理やり意識を添わせていく感覚は、「ひっかかり」と同時に炭酸ジュースののど越しのような刺激である。おっと、アルバムのタイトルからしておもいっきりずらしている。悪ふざけのようなタイトルにイキオイの良さを感じるが、投げやりな感じも否めない。


 そういえば少し前にユキヒロさんが「サラヴァ」のリメイクをリリースしていた。あちらは当時の音楽トラックはそのままに、ヴォーカルを新録、ミックスを変えることで新しい作品へと仕上げていた。こちら「ホチョノハウス」はその「サラヴァ」以上の大工事...のはずなのだが、全体的におふざけな印象が強いせいか、大工事に感じさせないあたりが面白い(2019.03.07)

2019年3月13日 (水)

03/13 日々雑感

東日本大震災から8年が経過した。


本来ならば震災発生の3月11日に日記を上げようと思っていたのだが、いろいろと考えていたら二日も経っていた。


震災から8年が経過してもなお、被災地は完全復興には程遠く、故郷を離れて不自由な生活を送る人たちも多いときく。だが、亭主がそれを今ここで語っても、それは自分自身の言葉ではなく、また自身それに対して何ら解決法を見出していない状況で何かを語ったとしても、単なる愚痴やぼやきに過ぎない。


むしろ亭主がぼやぼやとしていたのは、3月11日と現在の状況がどことなく似ていると感じている、その理由を言葉として表現したかったからだ。


2011年3月11日前後で、世界は大きく変化した。亭主にとって2011年3月10日と11日、いや3月11日14時と3月11日15時の間には、越えることのできない溝があって、過去を思うたびこの「溝」が亭主の心の中で引っかかっている。本来連続するはずの歴史がそこだけ不連続であるという、ある種の境界線だ。


ならば今はどうか。かつての不連続が「溝」によるものだとしたならば、昨今の状況は「潮目の変化」に近い。これまで順当に流れていたものが、急に方向を変え速度を変え、見知らぬ方向へと動き始めている、そんな気がしてならないのだ。

2019年3月11日 (月)

03/10 【動】 第52回奥久慈湯の里大子マラソン大会

今年も茨城県大子町で開催された大子マラソン大会に参加した。


毎年この時期、亭主が参加している大会である。毎年参加する亭主に、妻は「大子国際マラソン大会」などとたいそうな名前で呼んで茶化すが大きなお世話である。袋田の滝と大子温泉、奥久慈茶と奥久慈リンゴで有名な大子町で開催される小さなマラソン大会、規模が小さい故ごちゃごちゃとした感じがなく、また参加者も殺伐としていないため非常に居心地が良いのだ。今年は1600人ほどが参加したという。大子広域公園陸上競技場をスタート/ゴールに、ハーフ、10km、5km、2kmの4種目で健脚が競われる。亭主は例年通りハーフマラソンに参加した。


大子マラソンといえば、ハーフのコース中間地点に待ち受ける壮絶な山登りがとくに有名。その過酷さから「大子マラソン=山登り」というイメージが強く、スタート・ゴール地点のダウンヒル・クライムヒルと合わせて格別大変な大会と知られている。ところが今年は何を思ったか、途中に折り返しポイントを新設した結果山登りがなくなり、途中脇道に逸れての折り返しが追加された。スタートの際に大会委員からランナーに向けてコース変更があったことが告げられると、どこかから拍手の音が聞こえてきた―――


―――が、脇道もまた負けず劣らずのアップダウンがあると誰が想像していただろう。しかも前半、まだまだこれからというところで上り・下りを繰り返すというハードコース、後半に残していた体力を前半で一気に使い切ってしまうという番狂わせに、亭主もまた大いに苦労させられた。


ともあれ、大子マラソン。この日は天気も良く、最高気温はおそらく21℃くらいだったのではなかろうか。青空のもと農村地帯を走るのはまた格別で、アップダウンはともかく、非常に気持ちよく走ることができた。沿道で声援を送ってくれる皆さんもまた春の陽気を存分に満喫して、近年まれにみる好条件、亭主自身非常に快適に、楽しく走ることができた。タイムは凡庸であったが、走った後もしばらくは疲れと達成感から芝生に寝転がってしまったほどだ。


正直なところ、亭主は小さな大会が好きである。規模が大きくなりすぎて決まり事の多い大会は、気苦労ばかりで窮屈である。大子マラソンは52回目という歴史から運営が非常に手慣れている一方で、そこここに手作りな感じもあって、アットホームな雰囲気が心地よい。抽選で温泉に無料で入れるチケットがもらえるのも遊び心があって楽しい。世の中には回を重ねるごとにおかしな方向に変質していく大会も少なくないだけに、いつまでも変わらず、こじんまりと続けてほしいと思える大会であった。


2019年3月 9日 (土)

03/09 【聴】 X∞Multiplies(2018 Remastered) / Yellow Magic Orchestra, GT|SONY(MHCL-10111)

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 YMOのオフィシャル4枚目となるアルバム。当時FM放送で人気を博していた「スネークマンショー」とのコラボレーション、スネークマンショー(桑原茂一、小林克也、伊武雅刀)のシュールなギャグと、テクノポップ旋風の追い風を受けたYMOのアーティストとしての実力が拮抗したミニアルバム。Archie Bell and the Drellsの"Tighten Up"カヴァー、スネークマンショーのギャグ合わせて全12トラック。なおギャグと音楽とが交互に現れる構成は本作が史上初となるらしい。1980年リリース。再発盤はSACDハイブリッド、Bob Ludwigによるデジタルリマスターで音質向上が図られている。


 スネークマンショーといえば、YMOとほぼ同時期にALFAレコードからリリースされた「ピテカントロプスの逆襲」が当時大人気で、FMが聴取できなかった亭主のような田舎でも、アルバムがダビングを繰り返されて子供たちの間を流通していたことが思い出される。小林克也によるアメリカン・イングリッシュと、親御さんには到底聞かせられないアダルトな内容に、亭主を含む当時の子供たちは勉強部屋のラジカセにイヤフォンを差し込みドキドキしなかがら聴いたものだ。セックス、ドラッグ、ロックンロール。音楽アルバムチャート一位を獲得し、当時最先端の音楽であるテクノポップを手掛けるYMOが、当時のアンダーグラウンド・カルチャーと手を組んだことは当時の子供たちに最高に刺激的で、恰好良いものだった。


 もちろん、本作は音楽としてもかなり面白い。Archie Bell and the Drellsによる難曲"Tighten Up"のうねるようなベースラインを、苦も無く演奏してしまう細野さんのアーティストとしての実力の高さは当時もかなり衝撃だった。あとで原曲を聴いてみたところ、原曲のベースラインのほうが(手数は若干多いようだが)もたついている。もちろん楽器の違い、弦の張り方にもよるだろうが・・・。(2019.02.26)

03/09 【聴】 Public Pressure(2018 Remastered) / Yellow Magic Orchestra, GT|SONY(MHCL-10110) 

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 YMOとしてはオフィシャル3枚目のアルバム。入念な戦略による海外デビュー、ロンドン・パリ・ニューヨーク、そしてロスアンジェルスのグリーク・シアターでの公演を経て国内でも人気に火が付いた彼ら初となるライブ・アルバムが本作となる。2枚目のフルアルバム"Solid State Survivor"の楽曲5曲に、1枚目"Yellow Magic Orchestra"から2曲、シーナ&ロケッツの楽曲から1曲、さらに凱旋公演となった中野サンプラザでの収録からメンバー紹介のMCのみをピックアップした1トラック(Back in Tokio)の合計9曲。Back in Tokioの最後に"Behind the Mask"のイントロが流れるが残念ながらそこでトラックは終わってしまう。なお本アルバムはYMOのアルバムで初めて国内アルバムチャート1位を獲得。YMO現象と言われたブームの始まりを告げるアルバムとなった。1980年リリース。再発盤はSACDハイブリッド、Bob Ludwigによるデジタルリマスター処理がなされ、ハイレゾ対応の音源としてさらなる音質向上が図られている。


 正直言うが、亭主はこのPublic Pressureというアルバムがあまり好みではなかった。一つは収録曲が少ないうえに、1枚目、2枚目の曲どちらもが中途半端に収録されていて、お得感に乏しい。「お得感」などというとずいぶんしみったれた感想に聞こえるが、当時中学生だった亭主にとってアルバムを買うことは国家の一大事業的な感覚であった。同じ値段からたくさん曲が入っている方が良いし、知らない曲が多ければ多いほど良い。


 好みでなかったもう一つの理由は、その演奏だ。当時の亭主はシンセの奏でる電子音と、プログラムによる自動演奏に惹かれていて、髪を振り乱し、汗をまき散らして演奏するタイプの音楽を「かっこ悪い」と思っていた。人民服に身を包み、メンバーの顔をあえて隠して演奏する彼らのスタイルこそが、未来の音楽と信じて疑わなかった。ところが本作では、自在なアレンジと自由な演奏がフィーチャーされているうえ、メンバー以外のヴォーカル(その後矢野顕子さんだと知る)まで収録されていて、しかも矢野さんの奔放な歌声がYMOの持つ未来のイメージから外れるものだった。


 むしろライブ盤として楽しむのならば、いっそフュージョン・サウンドに寄せまくった"Faker Holic"のほうが潔い。もっともあちらも契約上の関係で渡辺香津美氏のギターがごっそり削除され、坂本さんのシンセ・ソロに差し替えられているのだけれど。(2019.02.26)

2019年3月 8日 (金)

03/08 日々雑感

会社からdocomoのガラケー(SH-02K)を支給されたが、これがすこぶる使い勝手が悪い。

亭主はこれまでJ-phoneとauのガラケーを使ってきたので、docomoのガラケーのユーザインターフェースに慣れていないことも、使い勝手の悪さに影響している。auのメニュー機能はかなり整理統合されていて、操作に不慣れな人間でもボタンを一定方向に押し続ければ、必ず目的とする設定画面にたどり着くようデザインされている。これに対しdocomoのメニューはメニューがツリー状に構成されているため、どこになにがあるか直感的にわかりにくく、試行錯誤を必要とする。

さらにお粗末なのは、絵文字だ。auやsoftbank、あるいはiPhoneやAndroidの絵文字の表情の豊かさ、暖かさに比べると、docomoのガラケーのそれは「ひどい」の一言につきる。docomoのユーザーが、こんなお粗末な絵文字でコミュニケーションをとっては満足しているのだと思うと頭がくらくらする。これが国内最大手キャリアといわれるdocomoが、国内最多数のユーザに提供するユーザーエクスペリエンスなのだと思うと目の前が真っ暗になる。

しかし亭主を一番いらつかせたのは、メニューでも絵文字でもなく、メールの文字入力である。もっとも文字入力に関してはauやSoftbankのガラケーでも使いにくい。テンキーをぽちぽちと押してかな文字を入力する、あれ。ただしdocomoのそれは、ガラケーの操作に慣れていたはずの亭主ですら苦痛なのだ。改行が右下の「#」になく、左下の「*」にあるのはなにかの嫌がらせだろうか。往年のJ-Phone(Vodafone, Softbank)、auは「#」に改行を割り当てていた。PCのテンキーもiPhoneやAndroidのフリック入力も右下が改行である。独特の価値観を国内最多数のユーザに押しつけるdocomoの傲慢さが亭主の癇に障っている。

いまさら過去の製品にケチをつけるのが見当違いであることは十分理解している。セキュリティやコストの観点から会社がスマートフォンではなくガラケーを支給する理由もわかる。かつてはこんな非人間的なユーザインターフェースを使用していたという歴史的事実からスマホのありがたみを実感し、ほのぼのするならばそれもよい。

しかし現実はといえば机の上に件のガラケーがデンと存在感を放ち、さあ押し戴いて使いなさいと主張している。そのうち携帯が振動し、社用の長いメールが送られてくるかと思うと気が重い。

2019年3月 4日 (月)

03/04 日々雑感

奇妙な夢を見た。


雨の降った日曜日の午後、犬たちとストーブの前でうつらうつらしていたら、いつのまにか以前夢に見た場所にいた。ただし今度は妻と一緒だ。


車で出かけようとすると、車の後ろから妻が言付けを持って追いかけてきた。助手席に座り、二言三言、一旦妻を家に送るため、近所をぐるりと回って家に戻ることになった。


ナビによれば、右折、右折、右折、そして左折すると元の場所に戻る。ナビ通りに右折、その先を右折。


ところがその先には予想とは全く違う景色が広がっていた。亭主が生まれ育った集落のようにも見える。河岸段丘の途中にある細長い集落。道は一本、その左右にぽつりぽつりと家が建っている。


家の並びは、亭主の生まれた場所とほぼ同じ。家の形もよく似ている。妻が犬をつれて、亭主の実家の方へと走っていくが見失う。亭主も犬を連れて実家への道をたどる。途中で妻のつれていた犬が戻ってくる。リードはついているが妻の姿は見えない。亭主は2匹の犬を連れていることになる。


やがて実家の前へとやってくるが、よく見ると実家とは窓の形が違う。道から眺めるに建物の形や棟の構成はそっくりなのに、外壁や窓の形が違うため、これが自分の家なのか、それとも他人の家なのかの判断がつかない。実家が改築したという話もないので、これは多分他人の家だろうとさらに道を進むが妻の姿は見えない。


ああ、多分これはパラレルワールドに迷い込んだのだろうと、漠然と思う。妻は元の世界に、亭主と2匹の犬は現実とよく似た、しかし現実とは異なる世界にいる。妻の連れていた犬は現実からこの世界へと、世界を超えてやってきたのだ。


―――目を覚ますと亭主の周りに3匹の犬が寄り添って寝ていた。ああよかった夢だったと思いつつ、結局あそこはどこだったのだろう、実家にそっくりな家には誰が住んでいたのだろうかと、ぼんやり考えていた。


そうそう、夢の中にいた犬は2匹だった。現実には3匹いる。


3匹のうち1匹は現実に居た。もう1匹は亭主と夢の中のパラレルワールドに、最後の1匹は妻と夢の中の現実にいた。妻の連れていた最後の1匹は夢の中の現実世界から、亭主が居た夢の中のパラレルワールドへと世界を超えてやってきた。


しまった、妻を夢の中に残してきてしまった―――と思ったら、玄関が開いて妻がヘアカットから帰ってきた。


妻と亭主、3匹が全員そろって、これで夢はおしまい。めでたしめでたし。

2019年3月 3日 (日)

03/02 【聴】 R4 Ridge Racer Type 4 -The 20th Anniv. Sounds- / V.A., Supersweep|Sweep Records(SRNS-2004)

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 namcoのレースゲームRidge Racerシリーズから、PlaystationオリジナルタイトルとしてリリースされたR4 Ridge Racer Type 4のメモリアルアルバムが登場。タイトルリリース20周年を記念した本アルバムには、リミックスバージョン16曲に、オリジナルのリマスタリングバージョン25曲が全2枚組として収録されている。また、初回限定特典として20年を経てさらにスタイリッシュに進化した7曲が収録された"20th Club Mix"(Extra Disc)が同梱されている。


 2月にリリースされたタイトルを3月にレビューするという間抜けなことになってしまっているが、3枚組ディスクというのはなかなかのボリュームでいまだに全貌を把握しきっていない。すべての曲を通して聴くほどまとまった時間がとれていないということもあるし、カーオーディオでアルバムの続きを聴こうとすると、トラックマークが元に戻ってしまっているという、カーオーディオ側の技術的な問題もある。結果的に行きつ戻りつ聴いている。とはいえ急いでレビューするほどの話でもない。


 初期のRidge Racerシリーズは、ロッテルダム・テクノを意識したクレイジーなサウンドをフィーチャーしているが、R4以降はNYのハウス・レーベル、King Street Soundとのつながりが強い。レースゲームのBGMというよりも、深夜ほとんど車のいない高速道路を、ひたひたと疾走する際のBGMという感じ。King Street Soundとのコラボレーションはその後のRidge Racer Vで完成をみることとなる。(2019.02.22)

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