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2018年6月

2018年6月29日 (金)

06/29 【聴】 Tropical Love Tour 2017 / 電気グルーヴ, Ki/oon|Sony(KSXL-261-3)

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 電気グルーヴのアルバム"Tropical Love"リリースに合わせて開催されたライブツアー・ファイナルの模様を収録したアルバム。ディスク3枚の構成、1枚目はBlu-ray、2枚目、3枚目がCDとなる。Blu-rayとCDの曲構成は同一。アンコール含めた全22曲。


 2017年3月25日Zepp Tokyoでのツアー・ファイナル。最新アルバムから9曲、アルバム「人間と動物」からシングルカットされている4曲のほか、"25", "J-Pop", "Vitamin", "Voxxx"などからも1~2曲がセレクトされている。古めの曲はいずれも電気を代表する曲(たとえば新幹線やエヌオー)だが、なぜか大ヒットしたアルバム"A"の楽曲だけは収録されていないのが面白い。ただし、楽曲に格段の仕込み(たとえばゲストが乱入するとか、ライブ用にこしらえたスペシャルミックスが流れるとか)があるわけでも、またライブ映像に格段の仕掛けがあるわけでもないことから、比較的淡々としたライブセットという印象が強い。電気の曲を聴き込んでいる(亭主を含めた)ファンにはおなじみの内容、少し物足りないかもしれない。


 もちろん、アルバムそのものの作りは良い。Blu-rayの高精細を意識した映像作り、CD向けにリマスタリングされた音源(ライン録音を使用している)は音質も良く、クオリティは申し分ない。個人的に楽しかったのは、電気の二人+ライブでサポートDJを務めた牛尾憲輔(agraph)による映像副音声のトーク。ライブ映像とは全く関係のない話題でひたすら盛り上がるあたりはオールナイトニッポンのノリに近い。裏話あり、バカ話あり、およそ2時間の音声エンターテイメント。電気のライブアルバムというとむしろこちらを楽しみにしている人も多いのではなかろうか。(2018.06.29)

2018年6月28日 (木)

06/28 【硬】 Denon プリメインアンプ PMA-60-SP

 DENONのPMA-60-SPを購入した。


 以前にも書いたように、サブシステムである真空管アンプのボソボソというノイズが聞き苦しく、代替となるアンプを探していたのだ。特に夏場はエアコンの作動音が真空管アンプに混入し、音楽を楽しむという状態からは程遠かった。真空管からデジタルへ、とは路線変更も甚だしいが、変えるならばこれくらい変わった方がいっそのこと気持ち良い。


 サブシステムではスピーカにAuratone QC-66を使用している。スタジオモニターとして使われているスピーカであるが、実際に聞いてみるとモニター的な荒々しさは感じられず、むしろ良質な3Wayスピーカという趣である。1984年発表のスピーカというからヤレが入った結果、モニター的でなくなってしまったのかもしれない。一方PMA-60はハイレゾ対応、USB入力にも対応する最新アンプである。エンジンばかり最新でも、タイヤがオンボロではどうにもならない、という意見もあろう。ハイレゾに対応した最新のスピーカと組み合わせたほうが音楽として楽しめるのかもしれないが、最近のスピーカはどれも個性に乏しく、「欲しい」と思える魅力的なものが見当たらない。


 Amazonから商品が到着、早速真空管アンプと置き換える。真空管アンプと組み合わせて使ってきたAudinst HUD-mx2も退役とし、PCからUSB経由でPMA-60とQC-66を接続する。PMA-60のスピーカ端子はバナナプラグに対応する一方Yラグが使えないため、Beldenの細めのケーブルを使うことにした。電源は3ピンの大型だが、締め込みがきつくなかなか本体に入らない。色々と手間がかかる。


 PCからiTunes経由で音を出す。盛大な音が出てびっくりする。アンプ、iTunes、OSそれぞれにボリュームコントロールがあるため、組み合わせ的にボリューム調整が必要なのだ。あわててアンプのボリュームを下げたが、調整しろが多すぎるのは問題である。残念ながらiTunesのサウンド出力はあまり良質とはいえない。想像した通りうすぼんやりとしたローファイな出音。普段亭主がメインシステムで聴いているJRiver Media CenterからWASAPI経由で再生すると、こんどはふわりと音場が広がった。「ふわり」である。音のキメが細かい。かつて亭主は激安のデジタルアンプを使っていたが、当時は荒々しい出音、低域から高域までソースの音を無骨に出していた。ソースであるデジタル信号を無加工で再生しているのだろうが、亭主には「やかましい音」としか感じられなかった。


 これに対してPMA-60は、音場豊かでキメの細かい音がする。「ハイレゾ音源を持っていない、スピーカが超高域に対応していない」ことから超高域の評価はできないが、高域も、また低域も特に強調した感じがなく自然である。亭主にとっての「自然」はむしろ好評価である。中域の存在感も良い。かつてDENONといえば物量投入による重心の座ったサウンドが売りであったが、PMA-60に限っては中域にエネルギーを集めつつ、デジタルアンプの鮮度の良さ、キレの良さからくる荒々しさを、キメの細かさで補っている。おなじJRiverから、Orpheus+Studio 1へと出した音に比べるとPMA-60のほうが中域の鮮度が良く、溌溂と快活に感じられる。ジャズもサックスやトランペットなどは特に気持ちが良い。注目すべきはドラムの、いわゆる縁を叩く音が生々しい。カンカン、コツコツと素材が見える。先に「自然」と書いたが、こういう生々しさ、外連味が多少あるとオーディオ的には楽しさが増す。その意味においてはオーディオ的な要素、楽しみ方も多分に含まれたアンプと言えそうだ。


 こうなるとハイレゾ対応の最新スピーカとの組み合わせも気になってくる。それにしてもなぜ我が家には骨董もののモニタースピーカしかないのだろうか。

2018年6月21日 (木)

06/21 日々雑感

 このところ「読」記事が続いている。


 このブログの読者が果たして記事に興味を持ってもらえるかとは全く関係のないところで、ひたすら亭主が読んだ本の情報を上げ続けている。


 記事を書くことができる、ということはとりもなおさず「読書が出来ている」ということでもある。一時期は極度の眼精疲労で目を開けるのすらつらかったものが、なんとか読書が出来るまでは回復しているということでもある。


 なぜ眼精疲労が回復したかは、正直って良く分からない。しつこく目の体操を続けたからか、それとも最近買った目薬が効いたせいか。ただ一ついえることは、亭主が目を悪くする原因は、常に「ゲーム」であったということだ。亭主が目を極度に悪くした、その都度都度に携帯ゲームが登場する。大学時代に平安京エイリアンがやりたいがためにゲームボーイを買い、次いでゲームボーイ用ソフトメトロイドIIを購入・プレイしたところで視力が極度に悪くなってしまったことからソフトともども大学の同期に安価で売ったことがある。


 会社に入って8年目くらいか、モバイル環境へのあこがれからPlayStation Portable(PSP)を購入し、ソフトとしてルミナス(というリアルタイムパズルゲーム)ともじぴったん(という単語ゲーム)を購入したところ視力がさらに悪くなってしまい、もじぴったんはおろかルミナスすらもまともにプレイしないまま弟に進呈したことがある。


 ここ数年はiPhoneを使っているが、これもまた眼精疲労の原因となっているようである。亭主自身それほど廃人ゲーマーでもないのだが、それでもゲームで遊べばそれなりに目も疲れるし、肩も凝る。おまけにこの頃は老眼もすすんでいるらしく、スマホの小さな文字が読みにくくなっている。


 ゲームボーイやPSPをほとんどプレイしなかったことを考えると、これらゲーム機の購入は健康に害ある一方なんの利もなかったと後悔ばかりである。過去の自分にメッセージが送れるならば、この2機種は買ってもまったく使わないばかりか、目を悪くする原因だと強く警告を発したい。


 亭主が視力を悪くしたのは中学二年生の頃、以降ずっと眼鏡をかけ続けている。いまとなっては手遅れであるが、いつか眼鏡を使わない生活に戻ってみたい、不便な生活から脱したい、伊達メガネをかけてみたいと思っている。


 視力が回復しても伊達メガネかよ、というツッコミもあるだろうが、サングラスやデザイン眼鏡を自由にかけかえて楽しむ、というのも一つのあこがれとなっている。

2018年6月20日 (水)

06/20 【読】 「定本・二笑亭綺譚(式場隆三郎、藤森照信、赤瀬川原平、岸武臣、式場隆成、筑摩書房)」

「定本・二笑亭綺譚(式場隆三郎、藤森照信、赤瀬川原平、岸武臣、式場隆成、筑摩書房)」


 昭和初年、関東大震災からの復興進む東京は深川に、異形の建物が出現した。近隣から牢屋などと訝しがられる、その建物の名は二笑亭。この建物、深川一帯を地所に持つ資産家、渡辺金蔵なる人物が大金をかけて建設したものだという。牢屋と呼ばれるほどの圧倒的な重量感、あらゆる部分が非対称の意匠、そして屋敷内に施された意味不明・用途不明の仕掛けたち。だが、ある事件を発端として建物の建設は中止、渡辺氏自身も精神病院へと送られてしまう。


 本書は主人を失った二笑亭が取り壊される少し前、医師で文筆家であった式場隆三郎氏が建築家の谷口吉郎氏とともに現地調査した書「二笑亭綺譚」をベースとして、後年出版されたアンソロジー「五十年目の再訪記」ほかを加えたもの。なお再訪記は、藤森照信氏、赤瀬川原平氏、岸武臣氏、式場氏のご子息である隆成氏らの共著となっている。


 昭和初期の怪建築、二笑亭に関する文献としてはおそらく本書が最初で最期の決定版。お化け屋敷的な興味の集まる怪建築の謎を理性的に解き明かした書として、これ以上の解説は不要というほどの完成度を誇る。施主である渡辺氏による異形のデザインの意図、海外やその後の国内におけるデザインのムーブメント、あるいは渡辺氏が亭建築に取り掛かる直前に敢行していた世界一周旅行の旅行記など、多方面からの考察、資料が集まっているほか、赤瀬川氏によるオマージュ小説も収録されている。二笑亭といえば、最近藤田和日郎氏が「双亡亭壊すべし」なるオカルティックな漫画作品を週刊連載しているが、本作に登場する怪建築「双亡亭」の下敷きが二笑亭である。漫画ではあらゆる邪悪の根源、また放つ破壊不能の建物として世界規模の脅威となっているが、元ネタである二笑亭は、そんなオカルトとは無縁の、むしろ物悲しいエピソードで語られるべき儚い存在だ。本文中「気味が悪い」などと形容される異形は施主である渡辺氏の狂気を感じてのもの、しかしその渡辺氏もまた孤独の中で生きる一人の人間であった。


 実は亭主、本書を以前に購入していて、今回が二度目の読了となる。一度目は会社に入ってすぐ、赤瀬川原平氏の「超芸術トマソン」を読むながれで、こちらにも興味が動いていた。だが当時の亭主は、公私ともにいろいろと病んでいる時期でもあって、本書に登場する渡辺金蔵氏の狂気が自らにも伝染するのではないかと心底怖れを抱いたのだ。確かに本書は面白い。ミステリやオカルトの要素を含みつつ、謎解きゲームを進めるような気分で読むことができる。しかし先にも書いたように、本書の本質は未完成のうちに精神病院へと入れられた渡辺氏の悲運にある。当時の亭主にとって狂気や悲しみは、自らの精神を侵す猛毒だった。いまこの猛毒に対抗しうるだけの抗体が自らの精神に備わっているかどうかはわからないが、それでもなんとか読み終えることができた。


 なお、本書は古書店から中古で入手したものであるが、藤森照信氏によるサイン本であった。サインには〇〇様~と以前の所有者の名前も記されていて、持ち主の手を離れた経緯に思いを馳せると、やはりここにもドラマがあるように感じられた。(2018.06.20)

2018年6月19日 (火)

06/19 【聴】 鉄、色、雪のパール兄弟+(秘) / パール兄弟, Hagakure|Universal(UPCY-9808)

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 サエキけんぞう、窪田晴男、松永俊哉、バカボン鈴木の4人からなるロック/ポップス・バンド、パール兄弟のシングル・ミニアルバムを1枚にまとめた復刻盤。12inchシングル「鉄カブトの女」「ヨーコ分解」、クリスマス期間のスペシャルアルバム「パール&スノウ」、杉浦茂のイラストが話題を読んだミニアルバム「色以下」の4枚に、当時のアルバム未収録曲"Disco Dawn"ほかボーナストラック6曲収録されている。全18曲で1000円(税抜き)という価格ははっきりいってお買い得である。ライナーにはすべてのシングル・ミニアルバムのジャケットが復刻・収録されているほか、ライナーノーツも当時のものを流用、しかも解説、ヒストリー、サエキさんによる曲解説と、豪華絢爛、完全保存盤の内容。


 「鉄カブトの女」が1986年、「ヨーコ分解」「パール&スノウ」が1987年、そして「色以下」が1989年。いずれも亭主の学生時代を彩った懐かしいアルバムたちである。もともと亭主が最初に買ったパール兄弟の作品が「色以下」であった。たしかマツダ・ファミリアのTV-CMソングだったと記憶している。重厚なコーラスが気に入って購入し、以降サエキさんがかかわったユニットやプロジェクト(たとえばハルメンズやハレハレないと等)をこまめにチェックしていくことになる。ハルメンズから戸川純が、ハレハレないとからEXPOやコンスタンスタワーズやその他数多くのインディーズ・アーティストが紐づいて、結果的に亭主の音楽世界は見事に蜘蛛の巣状に広がりを見せた。サエキさんとパール兄弟は、亭主の青春時代を彩る代表的なアーティスト。しかもその熱狂は現在に至るまで収束するそぶりすら見せない。現につい最近パール兄弟は復活を遂げ、矢代恒彦を含めた5兄弟となったばかりである。


 ちなみに亭主が本アルバムで最も好きな曲もまた「色以下」だ。当時のロックバンドとしては異色のコーラス、色彩と奥行き、そしてスピード感を兼ね備えた「これぞ新時代」とでもいえる曲を当時かなり聴きこんでいた。もちろん、音楽的に閉塞感の強い今聴いてもあいかわらず「これぞ新時代」な曲である。30年を経ていまだこの曲のスケールを超えるロックはなかなか耳にしない。(2018.06.19)

2018年6月15日 (金)

06/15 【読】 「Spectator Vol.41 つげ義春」

「Spectator Vol.41 つげ義春」

 「ねじ式」「紅い花」「沼」などの作品が評論家・読者から高い評価を受け「つげブーム」などと呼ばれる社会現象を引き起こした漫画家・つげ義春。 精神的不調から寡作となり1988年の連作「無能の人」以降断筆状態にある彼が、2017年に第46回日本漫画協会賞大賞を受賞した記念に刊行されたムックが本作。幻冬舎扱いのSpectator誌としては41番目の特集記事にあたる。

 これまでにも多くの雑誌が特集を組んでいて、本書が何度目の特集記事に当たるか、亭主にはとんと見当もつかない。 旧作の再掲、関係者によるエピソード、評論、年表。おそらくこれまでにも様々な角度から光が当てられ考察されてきたつげ作品だけに、本書もまた多数の特集記事の一つと見做されるかもしれない。 ただ、本書は、関係者の生の声を特に重視する。貸本マンガ時代に知り合い、以来親友として交流する遠藤政治氏、若いころの氏をよく知り、ともに旅を楽しんだ仲でもある正津勉氏ほか多くの友人知人の声を集め、 昭和40年代の日本の原風景を緻密な筆致で描き出したつげ氏と、その時代背景を生々しく再現する。作品を手放しで礼賛する記事、と必ずしもなっていないところが本書の特徴であり、良さでもある。 年表や著作集、あるいはつげ氏自身へのインタビュー(つげ氏は必ずしも快く引き受けたわけでもないらしい)なども最新のものにUpdateされており、現時点での決定版、最新版と言って差し支えない。

 それにしてもSpectator誌、装丁というか本の構成が非常に独特で、いわゆるムック本として異彩を放っている。 具体的には本書を手に取って眺めてもらうのが一番良いのだが、広告がいちいちおしゃれで、本文に入る前から読者をハイソな気分にさせてくれる。 巻末に集約された小さな広告の集合体は、インディーズの手作り感をぷんぷんさせている。 文字を最小限に、デザインとアイコンだけで作られたコンセプチュアルな紙面づくりに徹底したこだわりが感じられて、かつて同人誌を編集したこともある亭主、久しぶりにワクワクさせられた。(2018.06.15)

2018年6月13日 (水)

06/13 【読】 「[アルファの伝説]音楽家村井邦彦の時代(松木直也、河出書房新社)」

「[アルファの伝説]音楽家村井邦彦の時代(松木直也、河出書房新社)」

 作曲家として数々の名曲を生み出したほか、音楽プロデューサーとしてアルファ・レコードを創設。 荒井由実(松任谷由実)、YMO、赤い鳥、ハイ・ファイ・セット、サーカスなど時代の名アーティストたちを輩出したことで知られる村井邦彦氏の生涯をまとめたノンフィクション。編集は音楽ライター、インタビュワーとして活躍する松木直也氏。2016年8月刊。


 若い頃はアルト・サックス奏者としてジャズ、ビッグバンドで活動。高校時代からリストランテ「キャンティ」に出入りし多くの音楽家、著述家と親交を深めたという。大学時代にはレコード店を経営するも廃業、フィリップス・レコードから作曲家としてデビューしてからは「翼をください」ほかヒット曲をつぎつぎと飛ばし若くして音楽シーンの中心的人物となる。24歳で音楽出版社「アルファ・ミュージック」設立、日本コロムビアに「アルファ・レーベル」を立ち上げる。フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」ほか海外の様々なアルバムを国内に紹介、版権収入によって事業を軌道に乗せる。音楽プロデューサとして世界各国を飛び回り、最新の音楽、最新鋭の録音スタジオ、最新の著作権ビジネスなどを日本へと紹介。「赤い鳥」のメジャーデビュー、当時高校生だった荒井由実のプロデュース、細野晴臣らをレーベルに招聘、電子楽器を駆使した音楽ユニット「YMO」の全世界デビューに尽力する。


 音楽家としての実力はもちろんのこと、世界をまたにかける実業家として、ニューミュージック(荒井由実)やテクノポップ(YMO)など新しいムーブメントをつぎつぎと仕掛ける音楽プロデューサとして氏の評価は著しく高い。レコード製造を手掛けない日本初のレーベル設立、音楽著作権ビジネスへのいち早い参入、アメリカの最新鋭の録音機材を惜しみなく投入した「スタジオA」などなど本邦初の試みはその後の音楽ビジネスのひな形となった。高度経済成長の波に乗っての著しい発展、しかしアルファの歴史における村井氏の活躍は、1969年から1985年までの、たった16年にすぎない。16年という短い期間のなかで日本の音楽シーンに与えた影響の大きさからも、村井氏の功績が伺える。


 本書はそんな村井氏とアルファの歴史を、様々な人へのインタビュー、文献をもとに辿る。村井氏の生い立ちから始まり、1969年のアルファ設立とその後の活躍、1985年のアルファレーベル退社までが淡々と、しかし愛情いっぱいに語られる。ラストは2015年に村井氏70歳を祝って開催された「ALFA・MUSIC・LIVE」の模様。アルファで育ったアーティスト、またその後継者たちが一堂に集い、村井氏とともに懐かしい歌をうたうさまは、彼がビジネスマン・音楽家というだけではなく、多くのアーティストに愛されたゴッド・ファーザーであったことを意味する。


 文体は読みやすくニュートラルな立ち位置、駆け足気味ながらもスピード感があり、爽やかな読後感。ただし固有名詞がかなり頻出するので、当時のことがある程度わかる古い音楽ファンのほうがより楽しめるに違いない。(2018.06.13)

2018年6月11日 (月)

06/10 日々雑感

大病院の院長先生の邸宅が近所にあって、休日ともなると家の中からドンドコドンドコ、重低音が聞こえてくる。


クロネコヤマトがやってきても玄関チャイムの音が聞こえず、あきらめたドライバーが不在票を入れていくほどの大音量である。広い邸宅に、かなり大掛かりなオーディオシステムが鎮座しているに違いない。犬の散歩などで家の前を通ると、ドンドコドンドコ、ドラムセットの音は聞こえてくるのだが、肝心のメロディラインが全く聞こえないため、どんな曲が再生されているのか全く分からない。一定のリズムが刻まれているので映画ではない。テンポやシンコペーションから和太鼓でもない。


いったい何の音楽なのだろう、病院長という立場や年齢からすればジャズ、それともハードロックやヘヴィメタあたりだろうか。ところが今日、たまたま家の前を通りかかったところ、中からうなるような歌声が聞こえてきた。


歌詞から、曲名は「順子」。


カラオケで長渕剛を歌っているのだった。


それにしてもずいぶん若い声だったので、ご家族の方が歌っていたのかもしれない。お世辞にも「上手い」とは言えない歌声だったが・・・まあ楽しければよいのだろう。


どんなオーディオシステムなのだろう、いつかお邪魔してみたいものだと思っていたのだが、なんとなく興味が薄れてしまった。爆音マニアの、亭主の父親ならば気が合うかもしれない。

2018年6月 8日 (金)

06/08 日々雑感

ひさしぶりにブログにコメントをいただいて、相当うれしい亭主である。


このところブログが停滞しているのは、基本的に「書くことがない」「読んだ本、聴いた音楽以外にネタがない」からであるが、そこにはかつてTwitterやFacebookにのめりこみ、半ば中毒状態になってしまった自分への深い反省が込められている。


Twitterのヘヴィーユーザーだった頃は、本当にあらゆることをTweetしていた。頭に考え、たとえば「疲れた」だの「眠い」だの「銀座なう」だのといったどうでもいいことを、躊躇することなくTweetしていた。だが、あるトラブルがきっかけでTwitterを離れたとき、この「躊躇することなくTweet」する状態が、いかに異常であったかに気づかされたのだ。


何かを思いついたとき、ポケットに入っているスマートフォンを無意識に取り出してTweetしようとする。ああ、そうだTwitterはもう止めたのだったと思っても、沸き起こってきたモヤモヤが心の中を占めて落ち着かなくなる。集中力が途切れる。胸が苦しくなる。これを異常と言わずしてなんといおう。


冷静にこれまでを振り返ってみれば、Facebookや掲示板でも似たような経験をし、そのたびにそこから意識して遠ざかってきた。亭主はどうやら、「そういうタイプの」人間らしいのだ。


もちろん、SNSを介して人とつながることが悪いというわけではない。普段は連絡がなかなかとれない遠くの人と価値観を共有したり、共感したり、また単純に近況を報告しあうだけでもSNSは充分に有効であるし、SNSをメディアとして多くの人に伝える重要性も理解している。理解してあえて遠ざかるのは、亭主の心にどこか病んだ部分があって、機会あるごとに再発するからに他ならない。


感情を抑え、ただ事実のみをブログの記事とする。最近はこの繰り返しである。愛想なしで申し訳ない、ここ数年もっぱらこんな感じである。


時々コメントをいただくとうれしいし、ああ、こんな山奥にも人どおりがあるのだなと思うと感慨深い。コメントを励みにこれからも続けたいと考えている。

2018年6月 2日 (土)

06/02 【読】 「アースダイバー東京の聖地(中沢新一、講談社)」

「アースダイバー東京の聖地(中沢新一、講談社)」


 宗教学者・人類学者・思想家として活躍する中沢新一氏の最近のプロジェクト「アースダイバー」シリーズの最新刊。古地図・地形図から読み取れる古代日本の原風景を現代の都市へと重ねる本プロジェクトは、東京、大阪ときてついに現代の社会問題へと切り込む。豊洲への移転か、それとも存続かで2018年現在も物議を呼んでいる「築地市場移転問題」、ザハ・ハディド氏のデザイン案が巨額の建設費を必要とするという理由で再選考となった「2020年東京五輪新国立競技場建設問題」の2件が古代日本の思想という視点から語られる。


 そもそも築地市場は、関東大震災で壊滅的な被害を被った日本橋魚河岸の代替として、国によって半ば強制的に設定されたものだという。都心の急速な都市化・高層化によって外へと追いやられた築地市場であったが、その成立には古代から連綿と続く、海民たちによる商いの仕組みが反映されていて、新しいながらもしっかりと「古代日本の原風景」が伝えられている。日本橋魚河岸は、徳川家康が江戸に居城を構えた際に大阪で商いを営んでいた魚商人たちによって形成されたものだそうである。関東・東海・東北の沿岸から新鮮な魚を買い付け、毎日江戸城に魚を届ける。江戸幕府とともに高度に発展・システム化されてきた魚河岸の歴史が細かくつづられている。


 一方、国立競技場建設が予定されている明治神宮は、明治天皇崩御の際に、当時東京に住む人々の「明治天皇の遺徳を伝える記念物を東京に」という思いから作られたもの。都市部に作られた人工の森林、しかしその森林の設計にあたっては古代日本における古墳の思想が反映されている。人間の手を全く入れない、原生林としてデザインされた神宮内苑、社会との接続を図り、積極的に社会へと開かれた神宮外苑という二つの考え方には、「内苑(=円墳)+外苑(方墳)=明治神宮(前方後円墳)」という図式が成立する。2020年東京五輪に向けデザインされる新国立競技場は、果たして本当に日本らしさ、日本の原風景を次世代へと伝えることができているかを読者に問いかける。


 本書のオビには「ほんものの保守思想の根源」とあって、本書を手に取る人は一瞬ギョっとするのだが、読んでみるとなるほど、保守思想とはこういうものなのだと納得するだろう。対する昨今の保守主義者たちの考え方が、いかに利己的で、近視眼的であるかもよくわかる。古代日本の思想とは、徹底的に「外」と「内」を切り分け、自然と人間を対立させ、神を上に、人を下に置く西洋思想とは全く反対のものである。自然の内側に人間を、同時に人間の内側に自然を内包させる、独創的な世界観こそが古代日本の思想の眼目である(この部分は中沢氏のライフワークである対称性人類学に詳しい)。


 なお本書は、課題山積である上記二つの社会問題に対しかならずしも批判・批評する論調をとっていない。徹底的な批判・否定の論調で突き通すこともできたであろうが、あえてトーンを抑え、読者に気付きを与えることで、上記社会問題を建設的にとらえようとする。読後の後味が非常に良いこともまた日本的で好ましい。(2018.06.02)

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