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2018年4月

2018年4月29日 (日)

04/29 日々雑感

ここのところ、自室の真空管アンプの調子がいまひとつよろしくない。

左右の音量差が目立つようになってきたほか、ボソボソといったノイズも乗るようになってきて、オーバーホールの必要性が高まっている。いや、ずっと昔からオーバーホールは必要と思っていたのだが、そもそも真空管アンプをメンテナンスできる人が周囲にいない。誰にも相談できず思い悩む状況がいよいよ深刻化したと言った方が正確なのかもしれない。

会社のYさんとふと雑談をしていたところ、Yさんの奥様が懇意にしているバレエ教室の先生の息子さんが、この真空管アンプを購入したお店の店長だったということが判明した。店長は一時期東京に出て、オーディオメーカで修理などを担当していたようだが、現在は宇都宮に暮らしているという。人の縁というものはなんと不思議なものなのだろうとしみじみ思う一方で、店長を介してこの真空管アンプを手入れする、あるいはアンプを店長にお返しするという可能性が出てきた。実は亭主の所有する真空管アンプは当時ずいぶん無理をいって譲ってもらったものなのだ。店長が経営していたオーディオ店にゆかりの深いアンプだったため、「いつか戻してもらえますか」と言われてもいた。(不調のままお返しするのは気が引けるが)今がその時期なのかもしれない。

真空管アンプの代替に、なにかアンプを買おうかと漠然と考えているが何を買うかは全くの未定、ノーアイデアの状態である。往年の名機か、最新のデジタルアンプか、最近また盛り上がってきた真空管アンプか。機種はもちろん、中古か新品か、どこで買うかすらも決まっていない。

2018年4月25日 (水)

04/25 【聴】 Cold Sand / Alessandro Galati Trio, Atelier Sawano(AS-155)

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 Alessandro Garati(Piano), Gabriele Evangelista(Bass), Stefano Tamborrino(Drums)によるピアノ・トリオの作品。全12曲のうち11曲がAlessandroによる作曲、徹底的にオリジナルへのこだわりをみせる、Alessandroらしいアルバムといえる。なお残りの1曲はビートルズのナンバーで"Here, There & Everywhere"


 本作品を冷静に聴くならば、ジャズに特化したアルバムというよりも、Alessandroのピアノを存分に楽しむアルバムといったほうが適切かもしれない。いわゆるジャズのナンバーもあれば、イージー・リスニング、コンテンポラリー・ジャズ的なナンバーもある。正統派ピアノ・トリオを期待して聴いたリスナーがどう思うかは良く分からないが、どの曲も静かに、ゆったりとした気分で聴くのがしっくりくる。ピアノの奏でるメロディの美しさ、豊かさが、聴く人の心を癒す。 なお、M7のビートルズのナンバーに続いては、インプロビゼーションが4曲続く。M8"Here", M9"There", M10"Everywhere"と曲タイトルをモチーフにした3曲と、M11"Nowhere"の1曲。いずれも美しい演奏、即興とは思えない流麗さ、ち密さに耳を奪われる。(2018.04.06)

2018年4月24日 (火)

04/24 【読】 「古本屋台(Q.B.B.(久住昌之+久住卓也)、集英社)」

「古本屋台(Q.B.B.(久住昌之+久住卓也)、集英社)」


 「孤独のグルメ」原作者である久住昌之と、その実弟でイラストレイターの久住卓也によるユニット、Q.B.B.の完全最新作。屋台に古本を積んで売り歩く「古本屋台」と、それに惹かれ、集う古書マニアたちの日常を描く。彷徨舎「彷書月刊」、イーブックイニシアティヴジャパン"eBook Japan"、集英社「小説すばる」連載に、書きおろしを加えた豪華版。また日本出版社「猫びより」で連載していた猫マンガ「アネコダ」を併録する。


 東京郊外、夜中になると現れる「古本屋台」。「古本」と書かれた赤ちょうちんが誘蛾灯のごとく、本好きたちを引き寄せる。オヤジが一人で切り盛りする屋台には、いくつかのルールが存在する。「一、白波お湯割り一杯百円。おひとり様一杯限り」「二、ヘベレケの客には酒は出さない」「三、騒がしい客には帰ってもらう。ウチは飲み屋じゃない、本屋だ」。本と酒を愛するサラリーマンをはじめとする常連たち、屋台の噂を聞きつけたイチゲン客たちが、焼酎をちびちびとやりつつ古書のページをめくらせる、ただそれだけの物語である。古書のウンチクも、また華々しいドラマもない。中崎タツヤの「じみへん」を思わせる淡々としたコマ割りの中で、毎度毎度どうでもいい会話が繰り返される、それが本書の主たる内容である。オビには「斬新すぎてジャンル分け不可能」との惹句どおりの異色本、読んでみるとなるほどそんな感じだねと納得する。


 実は亭主、最近の久住昌之原作コミックに、少し飽きてきた頃だった。大ヒットした「孤独のグルメ」のほか、「野武士のグルメ」「食の軍師」「花のズボラ飯」といった食事ものは食傷気味、個人的に大好きな「ちゃっかり温泉」のような軽妙な作品が読みたいと思ってきた矢先、この本が上野駅構内の書店に平積みになっているのを発見したのだ。そのときはあいにくビニールがかけられていて内容はわからなかったが、「古本屋台」という書名と装丁の渋さに「これは当たりだ」と直感し購入、帰りの特急車内でその直感が正しかったことをあらためて確認することとなった。古本を屋台に積んで売り歩くといういまどきありえないシチュエーションと、オヤジや常連たちとのありふれた会話とが作り出す虚構が心地よく、文字通り一文一文をよくよくかみしめつつ読了した。久住さんの本領たる古書の分野、ホームグラウンドでの堂々たる姿に感心しつつ、ここにレビューとしてしたためた次第。


 なお「アネコダ」は、猫好きな妻とそれに振り回される夫の物語。夫婦で会話をしていても妻の「あ、猫だ」で話題が遮られる。その「あるある」な感じ、猫に夢中になる妻の姿が微笑ましい。(2018.04.24)

04/24 【読】 「怪異を語る―伝承と創作のあいだで―(喜多崎親、編・著、三元社)」

「怪異を語る―伝承と創作のあいだで―(喜多崎親、編・著、三元社)」

 成城学園創立100周年、成城大学文芸学部創設60周年を記念して開催されたシンポジウム「怪異を語る」の内容をまとめた書。近年の怪談ブーム、「妖怪ウォッチ」に始まるポップ・カルチャーとしての妖怪ブームを受けて盛り上がりを見せる「怪異」の分野を、文学、芸能、美術などの専門家5人が解説する。2017年3月刊。


 内容は大きく、講演部分と、質疑応答部分に分かれる。講演はそれぞれ講演者の専門から「百物語の歴史・形式・手法・可能性について(東雅夫、文芸評論家)」、「怪談・ミステリーの語りについて(太田晋、英文学者)」、 「民俗学というメソッドからみた怪異の語られ方(常光徹、民俗学者)」、「<出る>図像(喜多崎親、美術史家)」、「語り手の『視点』という問題(京極夏彦、妖怪研究家・作家)」の5件。いずれも専門性の高い話題を、一般向け講演ということでかみ砕いて説明している。文章も口語体であることから読みやすく、難しさを感じさせない。図版も多く使われていて、喜多崎氏の講演には貴重な幽霊画が多数掲載されている。「怪異」とはなんぞやと、集まった聴衆に様々な分野・視点から説明する試みは、見事その目的を果たしたかのように見える。


 しかし、本書を読む限り、京極夏彦氏はこの講演に納得していない。質疑応答にて質問に立った成城大学ミステリーサークルの学生の質問を「質問が間違っている」と一刀両断。近年の「妖怪ウォッチ」に始まるブームが失速し、結果的に妖怪や怪異の本質を見失ったまま終息していく、悪いことにはいわゆる巷間の学者や在野の研究者らが、誤った認識のもとで怪異の本質を固定化させてしまうことに危機感を覚えている。結果、氏の発言はある種紋切り型というか、挑発的というか、ぶっちゃけトーク的というか、投げやりというか。挙句の果てにはシンポジウムのタイトルにもいちゃもんをつけて質疑応答を〆るという、大立ち回りを見せている。氏の発言はこれまでにも本質を鋭く射貫くという意味で多くの人々に注目されてきたが、本誌における氏の発言は、これまで散々語ってきたにもかかわらず全く理解されていない、怪異研究の質が全然上がってきていないことへの苛立ちであるように読める。氏の発言を受けて司会は(笑)をとってシンポジウムを終えようとしているが、京極氏にとっては「わらいごっちゃない」のだ。さて怪異などを軽々しいタイトルを付けたミーハーな連中をどうしてくれよう、という話なのだ。もとより京極氏のように怪異に対して常に思索を巡らす人々たちばかりではないというのに、どうせよというのだろうか。(2018.04.24)

2018年4月22日 (日)

04/22 【聴】 Outer Gold, Inner Lord / Alessandro Galati Trio, Atelier Sawano(AS-161)

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 Alessandro Galati(Piano), Gabriele Evangelista(Bass), Stefano Tamborrino(Drums)によるピアノ・トリオ作品。これまでオリジナル作品にこだわってきたAlessandroが本邦初となるスタンダード・カヴァーのアルバムをリリースした。Blue Monk(Thelonious Monk), Caravan(Duke Ellington), Django(John Lewis), Garota de Ipanema(A.C. Jobim)など有名曲、スタンダード曲を8曲収録している。


 カヴァーという体裁を採ってはいるものの、非常に独創的で先進的なアルバム。有名曲のフレーズを彼自身が再解釈、まるで全く新しい曲であるかのようなアレンジを加えている。たとえばM2"Blue Monk"は、メイン・テーマであるブルージーなピアノ・メロディを数小節繰り返したあとは不定形なモード・ジャズへと変化し、ピアノも、ベースも、ドラムですらも予測不能な変拍子を多用したサウンドを聴かせる。全ての曲が予測不能、というわけではなく、M3"Caravan"は中東の雰囲気を、M4"Falling in Love with You"は流麗な恋の世界を存分に堪能できる。いずれもAlessandroの世界観なのだろうが、聴き手(といってもここでは亭主)の感性にすんなりなじんでしまうせいか、どれほど聴いても飽きることがない。8曲という曲数も絶妙で、うっとりと聴いているといつのまにかM8"How Deep is the Ocean"(Irving Berlin)の終盤に差し掛かっていて、「え?もう終わり?」と思ってしまう。亭主のカーオーディオはなぜかアルバムリピート機能がないため、ボヤボヤしていると次のアルバムに移ってしまうのだ。(2018.04.06)

2018年4月19日 (木)

04/19 【読】 「アマゾノミクス―データ・サイエンティストはこう考える―(アンドレアス・ワイガンド著、土方奈美訳、文藝春秋)」

「アマゾノミクス―データ・サイエンティストはこう考える―(アンドレアス・ワイガンド著、土方奈美訳、文藝春秋)」

 アマゾンの元チーフ・サイエンティストとして創業者ジェフ・ベゾスとともに初期プラットフォーム構築に貢献したワイガンド氏が、自らのアマゾンでの取り組み、また近年のビッグデータ活用のトレンドを解説した書。2017年7月刊。現在はビッグ・データの専門家として活動、アリババ、ゴールドマン・サックス、ルフトハンザ航空のe-ビジネスをはじめ、婚活サイトや旅行サイトのデータ戦略をコンサルティングしている。スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレイ校、上海復旦大学で講師として教鞭も振るっているとのこと。


 アマゾノミクス―などというキャッチ―な名前がついているものの、実態はビッグデータ・ビジネスにかかわる様々なサイト・サービスの内容を俯瞰した書。アマゾンのみならず、フェイスブックやリンクトイン、ウーバー、アリババなど、様々なサイト・サービスにおけるデータの扱いと、データが生み出す様々な価値を解説している。日本でビッグデータなどというととかく「個人情報保護」や「ハッキングによる情報流出」、あるいはもっと後ろ暗いビジネスを想起させる記事が多いが、本書におけるビッグデータの取り扱いは極めてポジティブで、アグレッシヴで、未来的である。ショッピングサイトでの利便性を高め、フェイスブックで有用な情報を引き出し、個人と企業の双方に利益をもたらすデータ解析の事例を紹介することで、ソーシャル・データの重要性、未来におけるデータと、ユーザのあり方を提言している。


 本書で特に著者が主張したいことを列記するならば「ビッグ・データは、フェイスブックやアマゾンなどソーシャルなデータを扱うサイトで当たり前のように活用されており」「世界に点在する1兆個ものセンサが、人間の行動をあらゆる手段をもって監視していて」 「ビジネスだけでなく、個人の社会的信用、治安維持といった個人のリスクにかかわる分野にまでセンサデータが用いられている」ことにある。さらに言えば、「個人のソーシャルデータは、大量に蓄積されてこそ価値が発揮されるため、個人のデータそのものにはほとんど価値がない」こと、「個人がサービスから恩恵を受けるには、データに値段をつけキャッシュバックするのではなく、より多くのデータを提供することでそのサービスからより多くの恩恵を得る」ことであり、「個人のデータは、提供先であるサービスを越えて様々な分野で(ビッグデータとして)流用され、様々な価値を個人へとフィードバックしている」ことを理解する必要があるのだという。本書には、個人情報保護や情報流出の危険性を訴える論調は一切ない。むしろ著者は、「提供したデータを提供者が、どのようなデータが提供されたかを俯瞰できること」「都合の悪いデータを提供者が自由に変更、消去できること」が重要であるとする。ビッグ・データの専門家らしい先進的な考え、日本人にはなかなか受け入れがたいフリーダムかつポジティブな考え方だが、これもまた一つの見識であると思っておいて損はない。もちろん、ワイガンド氏の考え方が絶対に正しいというわけではない。むしろEUなどは、ワイガンド氏のフリーダムさに徹底抗戦するかのようにデータの扱いに対して厳格な態度をとる。データを活用する側と、規制する側。二つの勢力が拮抗するちょうど真ん中で読者もまた選択を迫られる。


 なお、昨今の多くの解説書がそうであるように、本書もまた様々な事例を集成した内容であり、ひとつひとつの事例の関連性は低い。理論面を突き詰める、というよりも事例を集めた(各論ばかりの)構成を、人によっては物足りないと感じるかもしれない。(2018.04.19)

2018年4月18日 (水)

04/18 【聴】 Collecting Net / Inoyamaland, ExT Recordings(EXT-0025)

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 井上誠と山下康によるシンセサイザー・ユニット、イノヤマランドが手掛けた幻の音源が本邦初めてCD化された。1977年、巻上公一が主宰していた前衛劇団ユリシーズの「コレクティング・ネット」公演で使用されたサウンドトラックとのこと。全14曲。なお、井上誠、山下康の両名は、かつて巻上公一率いるヒカシューのメンバーとしても活動していた。


 イノヤマランドといえば、アルバム"Danzindan Pojidon"をYen Recordsからリリースしていて、そちらのイメージが強い人が多いかもしれないが、本作はむしろCluster(Roedelius + Moebius)やBrian Enoなど、ジャーマン・ロック、クラウト・ロックといったジャンルと非常に近い作品となっている。日本でイノヤマランドが活動していたちょうどその頃ヨーロッパにおいて新しい音楽のムーブメントが巻き起こっていることを考えると、井上、山下がいかに新しい音楽、先進的な音楽にチャレンジしていたかが良く分かる。サウンドトラックとしての機能性は(亭主はこの劇団の作品を見たことがないので)わからないが、シンセ・ミュージックとしては前衛とポップとが絶妙なバランスで並立していて、ただただ「スゴイ」と「ヨイ」の2語に尽きる。こういう作品が日本で生まれていたことは素直に驚きであるし、その後のテクノ・ポップの潮流(すなわちYenレーベルを中心としたジャパニーズテクノの隆盛)へと自然につながっていることもまた驚嘆に値する。


 本作品によってジャーマン・ロックと日本のテクノとのミッシングリンクが見事につながった。レア音源というだけでなく、日本のテクノ史を紐解く上で極めて重要な作品と位置付けることができそうだ。(2018.03.31)

2018年4月15日 (日)

04/15 【聴】 Simply Beautiful / Nadama, Malimba Records(MB-4112)

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 ヒーリング音楽家として1990年代から活動するNadamaの2012年アルバム。ゆったりとしたテンポと穏やかなメロディが、聴く人の心を優しく包み、癒す。全8曲。


 このアルバムもまた妻が「聴きたい」ということで購入したアルバムである。リラクゼーション/ヒーリングを意識したサウンドは、たとえばマッサージ店やヨガ講座などのBGMにしっくりくる。明確なメロディがないぶん各曲のインパクトには乏しいが、インパクトの乏しさこそがヒーリング音楽のキモである。音楽からの自己主張がほとんどないため、たとえば身体を動かしたり、思索にふけったり、もっと言えば疲れて何も考えたくないときなどにも聴ける。しかしどの曲もワンパターンというわけではなく、同じ曲が延々続いているという感じもない。Brian Enoのアンビエント・テクノのジャンルとはまた明確に異なる音楽ジャンルであることを再認識させられる。


 当初亭主は本アルバムにあまり興味がなかったのだけれど、聴きこむうちにその優しさに惹きこまれ、結果的に好んで聞いている。ここのところ仕事のお疲れが酷く、体がヒーリング音楽を欲していたこともあるだろう。Nadamaの音楽にもう少し自己主張が生まれると、CantomaになったりGigi Masinになったりするのだろうが、いまの亭主の精神状態にはNadamaの謙虚さがちょうどよい。ときには無視されてでも放っておいて欲しい時もあるのだ。(2018.03.24)

2018年4月14日 (土)

04/14 【聴】 Richard Clayderman Best / Richard Clayderman, Victor(VICP-41277)

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 フランス出身のピアニスト/シンセサイザー奏者であるRichard Clayderman(本名はPhilippe Robert Louis Pagesというらしい)のベストアルバム。現在もコンサートなどで精力的に活動する彼の代表作、人気作を1枚に集めたアルバムが本作となる。 「渚のアデリーヌ」「星空のピアニスト」「ドランの微笑」など全17曲。リストの「愛の夢」のピアノバージョン、日本の皇太子・徳仁親王をイメージした「プリンス・オブ・ライジング・サン」を含む。


 実はこのアルバム、妻が聴きたいということで購入したもの。いわゆるポピュラー音楽の祖とでも言うべき曲、有名曲が目白押しであり、氏に詳しくない亭主でも知っている曲ばかりである。あまり嬉しくない思い出を語るならば、本アルバム、かつて亭主がつとめていた職場で、始業時に流れていたもので、亭主などはこのアルバムを聴くと当時のことをありありと思い出す。「嬉しくない思い出」というように、正直言って辛い日々であった。あまりのハードラックに心が折れ、しばらく人事不省に陥ったこともあった。そうそう、亭主が通勤時に車にひき逃げされ、腕を骨折したのもこのころだ。ブログにもこのころの出来事がつづられている。かなりマイルドに書かれているが、当時は本当に暗黒時代であった。もちろん、Richard Claydermanには一切の責任はないし、氏の音楽を今聞いたとしても起こりうる不都合は一切ない。もう過ぎたことばかりで、誰かを各段に恨んでいたわけでもない。ただひたすら不幸が続いた結果、自分の心が間断なく折れ続けた、それだけのことだ。


 ところでこのベストアルバム。冷静に聴くとほとんどの曲が2分~3分の中に入っていて非常にコンパクト。1曲1曲があっという間に過ぎるのが面白い。曲は短めだが印象的なフレーズ、美しいメロディがしっかりと織り込まれていて、今のポップス、ロックのような複雑怪奇な構成を踏襲していない。誰もが好む親しみやすさにホッとする反面どこか物足りないというか、スムーズすぎて多少飲み込みにくい部分もあったほうがよかったかと余計な気をつかってしまう。(2018.03.24)

2018年4月11日 (水)

04/11 【聴】 More Fast Songs about the Apocalypse / Moby & The Void Pacific Choir, Little Idiot|Mute(IDIOT057CD)

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 UKハウスの大御所、Mobyの最新プロジェクトThe Void Pacific Choir(ヴォイド・パシフィック・クワイア)の2ndアルバム。Mobyのほか男性ヴォーカルが多数参加、全員が同じ歌詞をシャウトするという異形のロッキン・ビーツは、 全世界に大きな衝撃を与えた。全9曲。まだ国内発売はされていない模様。


 クワイア=聖歌隊と呼ばれるように、男性コーラスをフィーチャーしたアルバム。ロック・サウンドに攻撃的な歌詞を乗せる独特のサウンドは、前作から引き継がれている。コーラスだけでなく、メロディもまた重層的な音作りがなされていて、まるで聖堂音楽をロックに、聖歌隊をシュプレヒコールを上げる群衆にでもたとえそうな、極めて攻撃的な作品となっている。曲調は各曲に共通していて、歌詞もまた曲調に合わせてまっすぐ。ただし本作の歌詞は、前作にくらべるとずっとポジティブで健全である。憤懣やるかたなし、という感じだった前作に対し、こちらはずいぶんと溜飲を下げている。そのエネルギーは、ニュー・オーダーやヒューマンリーグのような、ヴォーカルを中心としたロック/テクノポップも通じるところがある。ただアレンジが全て同じ、聖堂音楽のような荘厳さを狙っているためか、曲ごとの区別がつきにくい。男声の発音にメリハリがあって聴きやすいことは聴きやすいが、ちょっとキワモノ感が強くなってしまったと言わざるを得ない。(2018.03.22)

2018年4月 9日 (月)

04/09 【聴】 鯛-最後の晩餐- / 小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド, Speedstar|Victor(VIZL-1355)

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 小林克也とザ・ナンバーワンバンド久しぶりのフルアルバム。25年ぶりとなる最新作は、今年喜寿を迎える「めで鯛」(レコード会社が命名)に「おそらく最後(笑)」(のアルバム)という想いで「最後の晩餐」と名付けたという。完全生産限定盤は豪華2枚組、ディスク1には最新14曲、ディスク2には1983年の秘蔵ライブの模様(全12曲)と新曲4曲を収録している。


 小林克也とザ・ナンバーワンバンド、といえばやはり「もも」「東京あたり」が代表作として挙げられる。スネークマンショーにも一部楽曲が収録され話題となったこれらアルバム、世間的には「親に隠れて聴く音楽」に分類されて、当時の小・中学生男子にとっては「鶴光のオールナイトニッポン」などと並んで隠れた必修科目であった。その後「ワイルドで行こう」では正統派ロックを「ゴー・ゴー・ボーイ」では場末感満載のダウンビートをフィーチャーし、平成に入って発表された「極楽ドンバ」でブルーズやジャズと本格的な接続を果たすなど、アダルト・オリエンテッドなロックとして完成をみる。個人的にその後の「ます」や「ももんこ」は、ポップ過ぎてあまり真面目に聴かなかった記憶がある。亭主にとってザ・ナンバーワンバンドは、ロック、パンク、ジャズやブルーズ、民謡や童謡、大衆歌謡までを包含する音楽の坩堝であった。その認識は現在に至っても変わることがない。


 前振りが長くなってしまったが、本作「めで鯛」は原点回帰を意識しつつ、これまでの作品とは少しカットを変えることで、小林克也のさらなる一面を見せたアルバムである。さらなる一面は、その楽曲のタイトルからもうかがい知れる。「ナムアミダブツIN九品仏」「The Noh Men」などは往年のEd Sheeranを意識しつつ日本の原風景たる宗教観をフィーチャーしている。一方「豊満な満月~フムフム・ヌクヌク~」はハワイ・ディスコ。「ナミマニ」はポップスでミニマル・ミュージックを掛け合わせる。これまでなかったジャンル、見落としていたジャンルを丁寧に拾いつつ、小林克也の世界をしっかりと稠密に満たし、円環を閉じる。「最後の晩餐」というアルバムタイトルに相応しい見事な始末と言うより他にない。


 なお、ボーナスディスクは1983年10月20日に名古屋で開催されたライブの模様を収録。ゲストに世良公則を迎え、全盛時のカツヤ・コバヤーシが存分に堪能できる。疲れているのか全編にわたってヴォーカルの息切れがひどいのはご愛嬌。会場最前列におねえちゃんが陣取っているようで黄色い声が妙に生々しい。このおねえちゃんたちは今頃何をしているのだろうか。存命だろうか。多分存命とは思うけれども。


 完全生産限定盤にはA5サイズ100ページを超えるブックレットが付属する。小林さんとともに「もも」「東京あたり」を制作し、本作も手掛けるプロデューサ・佐藤輝夫との対談では、ナンバーワン・バンド成立の経緯が語られるほか、新作アルバムの全曲解説、小林さんの生い立ち、関係者インタビューなど盛りだくさんな内容。大棚ざらえという感じもして寂しい気もするが、いずれまた機会があれば元気な声を聴かせてくれるだろう。なにしろ1983年のライブよりもずっと声が若々しく、またハリもあるからだ。(2018.03.22)

2018年4月 8日 (日)

04/08 【動】 第18回日立さくらロードレースへの参加

茨城県日立市で開催された題記大会に参加した。

「日本のさくら名所100選」にも選ばれる桜並木を擁する日立駅前平和通りをスタート、シビックセンターをゴールとするさくらロードレース。ランナーが選ぶ「全国ランニング大会100撰」として、毎年多くのランナーが集う人気の大会である。

競技は、ハーフマラソン(4309人)、10km(4322人)、5km(2493人)、中学男女2.2km(1132人)、小学男女1.8km(922人)、親子1.8km(4325人)の6種目、17503人が春の日立を走る。ハーフと10kmが人気を二分し、親子の参加も多い、というのが本大会の特徴である。桜並木をのんびりと、お花見気分で走る人も多いそうだが、今年は開花が例年よりも10日早まった上に、数日前の強風で花弁がほとんど散ってしまい、葉桜(というほど葉も出ていない)の中でのランとなってしまった。遠くは北海道、沖縄県からも参加があって、桜が咲いていないというのも気まずいが、まあ散ってしまったものは仕方がない。

さて、さくらロードレース。

地元である亭主が言うのもなんなのだが、地方大会、比較的小さな大会としては催しの規模が大きい。日立市主催の「さくらまつり」の一環であること、開催場所がいわゆる「運動公園」などではなく市街地、それも市の施設が集中する一等地であることから、出店の数が桁違いである。参加賞がTシャツ(大会前に郵送される)のほか、完走記念にタオルが配られ、完走証に日立市オリジナルのクリアファイルが付くなど、とにかく豪華である。完走後に配られる水は日立市の水を詰めたペットボトル、パンは日立市内のパン屋で給食パンとして市内の学生ならば知らぬ人はいない「キムラヤ」のクリームパンなどなど、とにかく地元に特化している。会場から続く商店街には出店が立ち並び、焼きそばや焼き鳥、ケバブ、地元の野菜や手造りの工芸品なども売られている。ステージがあるアイドルたちのミニライブが開催される。とにかくにぎやかで豪華、楽しいお祭りなのだ。

一方、走るコースも非常に特徴的である。コースのメインは、ハーフマラソン、10kmともに国道6号バイパス、海岸線に作られた長大な橋の上。一部は海から支柱が出ているなど、「海岸線コース」というよりも「海上コース」に近い。普段は自動車専用道路であるため人間はもちろん、自転車すらも通行できない珍しいコースを走るというのが本大会の目玉である。幸いこの日は曇り空ながらも風が弱く、海風などを気にすることなく快適なランを楽しむことができた。海上から見る未来都市さながらの日立駅舎、またどこまでも遮るもののない太平洋を眺めながらのランは(本大会が100撰に選ばれることからもわかる通り)他の大会ではなかなか味わえないものばかりである。

長くなってしまったが、今回亭主は、妻とともに10kmに参加している。これまで週1で練習してきたこともあってあまりパワフルな走りはできなかったが、10kmという距離であればそれなりに余裕もあるし、無理もできる。天気が良く、また起伏の少ないコースということで一応目標としていたタイムはクリアし、ささやかな満足感を得ることができた。

沿道には多くの皆さんが応援に並び、亭主含めたランナーに盛んに声援をおくってくれた。スタッフの皆さんの誘導・案内もフレンドリーで、気持ちよく大会に臨むことができた。地元の大会がこれほどホスピタリティに富んでいるとは自分自身想像だにしておらず、大会中は常に驚きと感心していた亭主であった。

ちなみに家から会場までは徒歩~市内バスで20分ほど、帰りはコーヒーを飲みながら歩きで25分ほどかかった。朝7時に出発し、昼にはすでに家に居た。家には三太郎(3匹を指す)が良い子に留守番をしていて、長く家を空けずに済んだこともよかった。

地元の大会など・・・と思っていた亭主だが、参加してみると非常に楽しく、また家からの便も良い大会であった。参加者、応援の皆さん、スタッフ各位には格別の感謝を贈りたい。来年はハーフマラソンに挑戦、かな。

2018年4月 6日 (金)

 04/06 日々雑感

精神を病む理由の多くが、人間関係だと聞いてさもありなんと思う亭主である。

毎日機嫌よく暮らしていると思われがちな亭主ですら、会社から帰る時は常に人間関係に不満や不安を抱え、悶々としている。救いなのは亭主がいい加減かつ利己的な人間であり、都合の悪いことから目をそらし、問題を後回しするタチなことだ。基本的に亭主は悩みを翌日に持ち越さないようにしている。翌日同じ悩みを抱えて会社から帰ることもない。なぜなら翌日になると、昨日とはまた異なった不満や不安を抱えることになるからだ。

世の中に人間関係がある限り、物事がうまくいくことはない。これは長年の経験から得られた教訓である。うまくいかないと知れたとき、憤り、他者を攻撃し、全てを投げ出して殻に籠れたらどれだけ楽だろうと思うが、残念ながらそこまでヒマでもない。黙っていても仕事のメールはメールボックスに溜まり続けるし、犬のオシッコもまた膀胱に溜まり続ける。メールボックスと犬の膀胱は亭主の中では概ね同じ扱いである。オシッコをしに時々外に連れ出すのと同様に、メールボックスに溜まったメールもまたせっせと既読マークをつけなければならない。そのメールが何のために送られてきたか、中に何が書かれているかはこの際一切関係がない。

人間関係など一切気にせず、自由気ままに生きてみたいと思う。終わることのない休日を、糸の切れた凧のように、ふらふらと彷徨いたいと思う。独身の頃、夜中にふと銚子まで車を走らせ、犬吠埼のマリンタワーの駐車場で一夜を明かしたことを思い出す。国道50号を水戸から高崎まで延々と走ったことを思い出す。ただし、自由気ままな行動は、時として思わぬトラブルを呼び込むこともある。車で県内を逍遥していたら、脇道から出てきたおばさまの車がぶつかってきたこともある。見通しの良い道路を気持ちよく走っていたら、警察の車に追いかけられたこともある。結婚してこちら、自動車事故にほとんどあわなくなったのは皮肉な話である(ほとんど、というのは、運転中に携帯電話を覗いていた建設会社の営業車が、渋滞で停止中の亭主の車に減速することなく追突した事件があったからだ)。束縛は、ときとして人をトラブルから守ってくれる。これも長年の経験から得られた貴重な教訓である。いずれにせよ人間がいなければ、運転中に後ろから追突してくることもないし、スピード違反と後ろから嬉々として追いかけてくることもない。まあ結局そういうことなのだと思うしかない。

会社での人間関係のゴタゴタもまた「結局そういうこと」なのであり、膀胱に溜まったオシッコと同じく、作業としてどんどん排出するのが良い。一時的に凹むにせよ、それに心をとらわれていて得をした試しがない。経験者が言っているのだからお若いの間違いではない。年寄りの言うことは聞くもんだ。

2018年4月 5日 (木)

04/05 日々雑感

フロアスピーカを使っていると、コンパクトなスピーカが欲しくなる。
セパレートアンプを使っていると、プリメインアンプやCDプレーヤ付きのレシーバが欲しくなる。

複雑なシステムを使っていると、ふとシンプルなシステムへの物欲がむくむくと湧き上がり、kakaku.comやPhile-Webなどの記事を漁ったりするが、大抵の場合漁るだけでなにもしない。だが、複雑なシステムからシンプルなシステムへと移りたいという気持ちは、いっときの気の迷いや気まぐれによるものではなく、むしろ普遍的な心情に近い。

逆にシンプルなシステムを使っていると、プリメインをセパレートに、CDプレーヤに外付けのDACを、2ウェイスピーカを3ウェイ、4ウェイにしたくなるのもまた人情である。断捨離とか破滅的思考といったネガティブなものではなく、物欲や良い音で聴きたいという欲求が、あまたあるオーディオシステムの組み合わせのなかで揺れ動いていると説明するのが正確かもしれない。

残念なのは最近のオーディオ機器に魅力なものがさっぱりないこと。音質もデザインも似たり寄ったりなうえに、所有欲を満たすような機器がない。最近Oppoなるメーカが自社のオーディオブランドOppo Digitalから発売されていた製品の販売を中止するとのニュースが流れたが、最近若者に人気のデジタルガジェットは旬が短い。しかもOppoなる間の抜けた名前、ブランドとしてのあこがれが一切感じられない。

シンプルなシステムとして亭主の頭によぎるのは、かつて亭主がオーディオに夢中だった2000年頃に発売された機器ばかりである。懐古主義と揶揄されそうだが、当時の機器のバリエーションの豊富さ、価値観の多様性には目を見張るものがあった。

2018年4月 3日 (火)

04/03 【読】 「翔けゆく風―グイン・サーガ142―(五代ゆう、ハヤカワ文庫)」

「翔けゆく風―グイン・サーガ142―(五代ゆう、ハヤカワ文庫)」

 グイン・サーガ続編プロジェクト第142巻。五代ゆう氏と宵野ゆめ氏という二人の作家が交互に執筆、正編を進めるという本プロジェクトだが、宵野氏の体調がすぐれないとのことで脱落、前作同様に五代氏が続巻を書き連ねている。次巻も五代氏が担当とのこと、ちなみに年間2冊というペースで刊行されており、個人的にはシリーズ完結を危ぶんでいる。果たして亭主が存命のうちに完結するのだろうか。


 愚痴はさておき、第142巻。本作では大きく二つのストーリが進行する。一つ目はゴーラ王イシュトヴァーンによって殺害されたゴーラ宰相カメロンの遺骸を抱き、故郷ヴァラキアへ帰還せむとするドライドン騎士団、マルコとその一行の物語。かつてはイシュトヴァーンの道連れとして旅を重ねたマルコであったが、カメロンが殺害されたのちはゴーラから離反、仲間とともにヴァラキアへと逃避行を続けている。復讐心に燃えてヴァラキアのある沿海州地方へと入ったマルコら一行を待ち受けるのは、ケイロニア王グインのもとを離れて魔導士修業をしているはずであった見習い魔導士アッシャと、その師であるパロ宰相ヴァレリウス。旅に病んだヴァレリウスを助けたマルコらは、投宿先でもう一人の客人と出会うことになる。それは、パロ王妃として嫁いだものの体内に魔太子アモンを宿し、なかば狂乱のうちに生国へと戻っていたアルミナだった。


 二つ目は、竜王ヤンダル・ゾッグによって魔都と化したミロク教の聖都・ヤガを奪還すべく奔走する、ゴーラ騎士ブランの一行。ヤガ最深部より二人の老僧を救出、魔道生命イグ・ソッグとノスフェラスの魔導師ババヤガを味方につけたブランは、白魔導師イェライシャの助力を受け同じく虜囚となっていたパロの学者ヨナ、スーティの母親フロリーとの合流を果たす。さあこれから反撃開始、ヤガに巣食う魔導師や大導師らをケチョンケチョンにとっちめようという段階になったにもかかわらず、二人の老僧がなんだかんだと文句をタレはじめ、これがなかなかうまくいかない。面倒くさいだの自分の仕事ではないだのミロクの教えに背くだのと御託を並べる二人のジジィをどうしたらよいものかと、ブランが頭を抱えることになる。五代氏も、このジジィどもには手を焼いているようで「スーパー魔道ジジィ大戦はまたしてもおあずけ」などとあとがきに書いているが、不思議と不快な感じはしない。むしろ飄々とした老僧たちの会話に苦笑しつつ、これまで離散していた仲間達が徐々に集まりはじめ、大きな流れとなっていくことにわくわくしている。五代氏によれば、この巻が一つのターニングポイントとなるそうだ。原作者である栗本薫氏の絶筆となった「見知らぬ明日」から続くヤガ篇の結末が徐々に近づいているということだろうか。(2018.04.03)

2018年4月 1日 (日)

04/01 【聴】 Beautiful Days 2010-2015 / Fumiya Tanaka, Sundance(SNDCD002)

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 ミニマル・テクノレーベルSundance主宰。大阪発、世界で活躍するテクノDJ田中フミヤの最新作。2017年にリリースされた3枚のEPから全8曲をセレクト、ノンストップ・ミックスに仕上げている。


 田中フミヤといえば、「とれま」レーベル、op.discレーベルなどを主宰し、ミニマルテクノの良作を数多くリリースしていた。KarafutoやIndivisual Orchestraといった別名義、石野卓球のツアーサポート、あるいはTanzmusikの山本アキヲとのユニットHoodrumなどではメジャーからもアルバムリリースがあり、マニアの多くが彼の作品を聴いているものの、大きく取り上げられたことはあまりなかったように思う。シンプルでストイック、それでいて大阪人らしい音ネタをさりげなく混ぜ込んだファンキーなテクノはアルバムよりもEP、EPよりもテクノレイヴで浴びるのが相応しい。メロディラインのない、リズムセクションとごくわずかな音ネタとが形作るミニマルな世界。本アルバムもまたノンストップかつ大音量で聴くのがおススメである。できれば車の中や自室など、パーソナルな空間で聴けばさらに盛り上がるだろう。(2018.03.22)

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