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2017年8月

2017年8月31日 (木)

08/31 【読】 「愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュ(3)(中沢新一、講談社選書メチエ)」

「愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュ(3)(中沢新一、講談社選書メチエ)」

 人類学者中沢新一氏のライフワークともいうべき「対称性人類学」より、2002年中央大学での講義録を全5冊にまとめたシリーズが「カイエ・ソバージュ」。第3巻となる本作では、1920年代に人類学者マルセル・モースが著した「贈与論」をベースとし、北米北西海岸に居を構えていた先住民族ポトラッチ族の習俗から「純粋贈与」の概念を紡ぎ出す。さらに「純粋贈与」「贈与」「交換」という3つの原始社会活動から現在に連なる資本主義社会の構造を考察するとともに、この構造が資本主義社会の限界と、ブレイクスルーとを指し示す。

 本書に記されている事柄の多くは、「緑の資本論」や「純粋なる自然の贈与」といった氏の著作からの引用であり、氏の著作を多く読んでいる人間にとっては馴染み深い内容。ただしその引用が有機的に結合し、氏の思索の集大成となっている点は大いに注目すべきだろう。先に記した通り、本書は講義録からの書き起こしであり、一部追補はあるものの基本的に口語調、非常にわかりやすく記述されている。講義をうけた学生はもとより、読者にとっても理解しやすい。北欧神話や聖杯伝説、あるいは世界的な行事となったクリスマスの成り立ち、あるいは導入部に示される志賀直哉の小説などなど、多数のエピソードもまた氏の思索を理解するためのサブテキストである。(2017.08.31)

2017年8月30日 (水)

08/30 【読】 「悲しき熱帯(レヴィ=ストロース著・川田順造訳、中央公論新社)」

「悲しき熱帯(レヴィ・ストロース、川田順造・訳、中央公論新社)」

 フランスの人類学者・社会学者でブラジルのサンパウロ大学教授。サンパウロ大学赴任時にはインディオ社会のフィールドワークに従事したレヴィ・ストロースが、1955年に記した南アメリカ人類学の名著。日本では1967年に日本語版が初版、以降多くの国内人類学者・社会学者たちがテキストとして引用した。中公クラシックス版は2001年に2分冊として刊行。今回はその第1巻を読了。

 ポルトガルのセウタ攻略によって始まった大航海時代。アフリカ・アジア・北米・カリブ海諸国とその版図を広げる欧州列強にとって、南アメリカもまた重要な搾取の対象であった。欧州諸国による植民地支配は、南アメリカ先住民族(インディオ)たちの生活に大きな影響を及ぼす。一部は奴隷として欧州へと連行され、また一部は海岸から奥地へと追いやられたが、欧州諸国の経済・文化と急速に同化し鉄道敷設や農場経営などに従事した人々も多かったようである。急速に文明化され、その原始性を喪失していくインディオたち。彼らの文化を記録すべく、人類学者であるレヴィ・ストロースはブラジルに渡航、サンパウロから船・鉄道などを乗り継いでアマゾン川流域に住むインディオたちの村を目指すこととなる。

 本書は大きく5部から構成される。第1部はストロースが南アメリカに出発するに前の心境(まだまだ南アメリカが「未開の地」として探検されていた時代の話も含む)。第2部はストロースが南アメリカへ向かう途中、ポルトガルや北アフリカの港に寄港した際に記した雑文、第3部は南アメリカ到着直前・直後に記した船内外の様子、第4部は急速に近代化を遂げつつある南アメリカ都市部の様子、そして第5部はアマゾン川流域でインディオの小村にとどまった際のフィールドワークの結果。研究対象の構成を要素に分解し、要素間の構造を詳らかにする構造主義は、言語学者であるソシュールが端緒となりストロースが普及させたとのこと、本書の後半、第4部以降は確かに構造主義的な考察が多く見られる。一方、第1部から第3部は叙情的な技術が多く見られ、フランス人らしい過度な装飾と比喩を伴う文体や、ストロース自身の感情の乱れが目立つ。亭主ごときが訳の巧拙を云々するのはおこがましいとは思いつつ、それでもやはり微妙な訳が気になったりもする。第1部から3部までをなんとか乗り越え、第4部からようやく面白くなったというのが率直な感想である。ただ、第2部の「日没」の章などは、見渡す限り海の中で太陽が西へと落ちていく、その情景が荘厳に描写されていて、大いに叙情をかきたてられた。

 実を言えば、本書読了までにはかなりの時間がかかっている。第2部を読んでいる途中で本が水に濡れてしまい(カバンの中にミネラルウォーターをこぼして気づかなかったのだ)、本が読めなくなってしまったこともあった。体調が悪くなり数行読んで意識が落ちることもあった。その意味では印象深い作品ともいえるのだが、必ずしも内容の深い理解に繋がらなかったことは少し残念である。

2017年8月27日 (日)

08/27 【食】 らーめん大龍

福島県福島市鎌田、県道387号線、福島市立北信中学校と道路を挟んで向かい側にあるラーメンの店。メニューはラーメン、味噌ラーメン、チャーシュー麺などラーメンが中心で定定食類はない。店の看板メニューは大龍ラーメンだそうだが、今回はメニューの最初にあった「パーコーメン」を注文した。

パーコーメンは豚ロースのから揚げをラーメンに乗せたもの。カリカリ香ばしい衣と、ジューシーなロース肉、そして衣から出る油がラーメン全体のボリューム感を底上げする。

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亭主が最初にパーコーメン(排骨麺)を食べたのは大学生の頃だったが、あちらはパーコーメンというと豚のリブを揚げたものだった。こちらは豚ロースと部位が異なるほか、「揚げた」感じも強い。醤油味のラーメンによく合う、こってりした味わいを堪能している。

08/27 【動】 第57回伊達ももの里マラソン大会

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福島県伊達市で開催された題記大会に参加した。

伊達市の中心街、保原中央交流館を会場に全国から6550名のランナーが、1km(親子)、1km(小学二年生)、2km(小学三年生、四年生、五年生、六年生)、3km、5km、10kmそれに5kmウォーキングの各種目で健脚を競う。特にボリュームゾーンは10kmであり、3500人が、会場前の陣屋通りを東進、ふもとの田園地帯までを往復する。亭主はたしか本大会は3回目だったか、10kmに出場している。

この日は朝方少しひんやりとしたものの天気が良く、太陽が昇るうちに気温がどんどんあがっていくという夏レース特有のコンディション。ランナーは各所に設置された給水所で水分や塩、スポーツドリンクなどを摂りながらゴールを目指す。大会には1000人を超えるボランティアの皆さんが参加しているとのことで、厚いサポートを受けてランナーたちは福島の夏を存分に満喫できたのではなかろうか。

斯く言う亭主はといえば、このところの激務続きではっきりいってお疲れ気味、練習不足もたたって身体が重く、果たして10kmなど走れるのだろうかと思うほどのバッドコンディションであった。実際、走ってもスピードが乗らず、呼吸が続かない。なんとか1時間を切ったものの、これからのシーズンに向けてさらに鍛錬を積まなければならない。

走っていて楽しかったのは、沿道各所での和太鼓の演奏。亭主の走るペースとよく似ているせいだろうか、太鼓のリズムを意識すると急に足が軽くなり、軽快に走ることができた。太鼓の前にくると演奏者に盛んに声をかけ、手を叩いて喜んでいた、あれが亭主である。太鼓が走る力の源泉となったことに、深く感謝したい。

走った後は、定番になっているかき氷。今回は「ラムネ味」を試した。氷が走ったあとの体に染み入って、最高のクールダウンとなった。

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ちなみに本大会の参加賞は、伊達市名産のもも(Tシャツも選べる)。亭主はほかに2kg 5個入りのももも買っている。甘味が強く、瑞々しい福島のももは、亭主も、亭主の妻も大のお気に入りである。

2017年8月23日 (水)

08/23 【聴】 グイン・サーガ/光の公女 / 淡海悟郎, Columbia(COCC-13710)

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 国産ヒロイック・ファンタジーの金字塔・グイン・サーガ。全100巻を目標に1979年に早川文庫より刊行を開始したものの、2009年に作者である栗本薫氏がすい臓がんのため死去、絶筆である130巻が刊行されたのち未完となった。現在は宵野ゆめ氏、五代ゆう氏の両氏が正編の執筆をつづけており、こちらは141巻まで刊行されている。本アルバムは正篇第24巻「赤い街道の盗賊」から27巻「光の公女」までのエピソードのイメージアルバム化したもの。全8曲。シリーズを通じての作者はシンセサイザー奏者でプログレッシヴ・ロックの大家でもある淡海悟郎氏。


 もともと全100巻を構想していたというグイン・サーガ。シリーズ開幕当初は5巻毎にストーリが大きく変転したことから、5巻を節目に1枚のイメージアルバムをリリースする予定であったらしい。正篇100巻に、イメージアルバム20枚。正篇完結の暁には20枚のアルバムをマラソン試聴しよう、などと栗本氏もノリノリであったらしい。実際には正篇に対応するアルバムは6枚、外伝も6枚がリリースされたのみ、そうコトが上手く運ぶわけもない。


 ともあれ、本作「光の公女」。自らの国を立ち上げるべく街道筋の盗賊の頭目となったイシュトヴァーンが、軍師となったアリの力を借りてモンゴール公女アムネリスを幽閉先から救出するまでのエピソードが音楽でつづられている。シンセサイザーを駆使し、民族音楽やプログレをフィーチャーした重厚なサウンドを指向してきた本シリーズ、ただし本アルバムでは新たな試みとしてハードロックもフィーチャーする。盗賊の頭目をきっかけに、国盗りをもくろむイシュトヴァーンと軍師アリの活躍が、ロックという手法によって生き生きと表現されている。本シリーズは主要登場人物それぞれにメロディ(というかテーマ)が設定されており、楽曲の端々に登場人物のテーマが変奏される。まるでオペラやミュージカルを見ているようなドラマ性に、ワクワクしながら正篇を読んでいた亭主浪人時代が思い出された。(2017.08.11)

2017年8月22日 (火)

08/22 日々雑感

コンビニで現金払いをする理由を聞いた、マイナビの調査結果が面白い!現金派にも主張あり…ですが、半分くらいは理解しがたいものばかりです。(クレジットカードの読みもの)

電子マネー派か、現金派かと問われたら、どちらかといえば電子マネー派であると答えることにしている亭主ではあるが、完全に電子マネーに移行するにはまだまだ乗り越えるべきハードルがある。

出張ではSuica、自宅周辺ではもっぱらnanaco(セブンイレブン、デニーズ、ヨークマート)を利用している。au-Walletも所有しているが、使いどころがよくわからない(一度ミニストップで使ったか)。ただ、その他の場所や店では圧倒的に現金を使う。ジョギング中や仕事中に買うドリンクは、コインでないと購入できないし、ふらりと立ち寄った食堂での支払いも現金である。時流は電子マネーとばかりTwitterで「今時現金とかバカですか?」と煽るお調子者たちも、そこにある自販機が現金専用であるという事実を覆すことはできない。

自身は電子マネー派ですと標榜したところで、現実には現金を使うしかないシーンはいくらでもある。問題は、原因を使うしかないシーンで、どのように振舞うかなのだ。先のお調子者たちが真の電子マネー派を自称するならば、いくら金を積まれても、命が危うい状態に置かれたとしても現金を使わないのが電子マネー派たる人間の矜持というものだ。

「どちらかといえば」電子マネー派の亭主は、当然のように小銭を持ち歩いているし、小銭がなければ千円札を自販機に入れてドリンクを買う。

まあ、真の電子マネー派といっても、命が危ういとなれば千円札を自販機に入れるだろう。だが、戻ってきたおつりはそのまま釣銭入れに残すか、その辺に捨てて、決して持ち歩くことなどないだろう。ところが亭主のような「どちらかといえば」な人間は、そんな時しっかりとおつりをとってしまうのだ。このメンタルの弱さを乗り越えないことには、電子マネーへの完全移行は難しいと言わざるを得ない。

2017年8月18日 (金)

08/18 おススメPVなど

最近気になるCMに「住宅情報館のTVCM」がある。lolが歌う"Party Up!"のハジけた感じも良いが、橋本環奈のダンスのキレの良さが目を惹く。



Party Up ! / lol



住宅情報館TVCM ダンス篇 30秒ver 

 人間の動きらしからぬ肘・膝の動きとステップ。密かに亭主も練習しているがなかなかモノにならない。

2017年8月17日 (木)

08/17 【聴】 ワカラナイ / 石川浩司+突然段ボール, 日本カセットレコーヂング(JCRCD-3)

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 蔦木栄一、蔦木俊二の兄弟を中心に結成されたユニット「突然段ボール」と、「たま」のヴォーカル・ドラム担当である石川浩司のコラボにより制作されたアルバム。1996年に「日本カセットレコーヂング」からアルバムリリース、その後2001年にいぬん堂から再リリースされている。全7曲。


 Wikipediaによれば最新のメンバーは蔦木俊二、中野善晴、ユキユキロの3名の突然段ボール。当時は栄一、俊二、そして繰吾(声のみの参加)という兄弟ユニットであった。ギターおよびシンセを駆使したモータリックなテクノ・サウンド(俊二が担当)と、パーカッション、オルガンなどを駆使する人力サウンド(石川が担当)とのコラボレーション。歌詞は栄一・石川が担当し、なんともまったりとした作品に仕上がっている。「たま」にみられた牧歌的あるいは奇妙さとは一味違うまったり感、たとえば「ソフト・パンク」なるジャンルがあるとしたら、真っ先にCDをその棚に置きたいところだ。ヴォーカル曲のみと思いきや、生録ともインプロビゼーションとも区別の付けづらい約10分の大作・M5「でかい」なども収録されている。本アルバム一番の聴きどころといえるだろう。(2017.08.11)

2017年8月14日 (月)

08/14 【聴】 Love / 口ロロ, Asian Gothic Label(asg-038)

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 三浦康嗣、村田シゲ、いとうせいこうの3人によるヒップホップ・ユニット、口ロロ(クチロロ)の最新ミニアルバム。CommmonzからThe Band Apartの主宰するレーベル"asian gothic label"へ移籍して最初のアルバムとなる。全6曲。

 毎回様々な趣向を取り入れつつ、常に新しいサウンドを追求し続ける口ロロ。ブレイクビーツやエレクトロニカ、ポップス、あるいは合唱曲(!!)などなど、アルバムごとに傾向を変えてくる彼らが新たなレーベルからリリースした作品は、どちらかといえば非常にニュートラルなラブソング集。前作・2013年にリリースした"Japanese Couple"から4年を経た作品、となるが、ブランクをそれほど感じさせない、というよりも前作から大きく方向性を変えていないというべきか。リズムやメロディの斬新さよりも、歌詞の持つフレッシュさを意識した作品で、ポップスのフォーマットにヒップホップ/ラップの歌詞を乗せることにより強いメッセージ性を打ち出すことに成功している。ただしさっきも書いたように、メッセージの内容は主としてラブソングである。深刻な要素は一切ない。これまでの彼らの作品に特徴的な、ヴィヴィッドな感性に裏打ちされた一種過激な発想は一切封印されている。これが単に新しいレーベルから作品を出すにあたっての様子見なのかはよくわからない。

2017年8月12日 (土)

08/12 亭主ぶらり旅(第4回、日立市川尻町)

諸事情で妻が亭主のスマホを持ったまま二泊三日の研修に行ってしまったので、いろいろと細かいフォローができず申し訳ない。

あちらはあちらで便利に使っているようだが、亭主の手元に残された妻のスマホは、女性のスマホユーザにありがちな話として画面がバキバキに割れていて、使うのが憚られる。お気に入りというスマホケースも同じく角がバキバキとなっている。そもそもスマホケースがあるのに、画面がバキバキに割れるというのがおかしい―――とも思えるが、実際にスマホケースを手に取ってみると表面がつるつると実に持ちにくい。女性の小さな手でホールドしたら、何かの拍子に簡単に手から滑り出るに違いない。

世の女性のスマホのバキバキの原因はわからないが、妻の場合スマホケースの構造上の欠陥と言えそうだ。本人が喜んで使っているならば特に何をいうこともない。そろそろ話を本題に戻す。

妻は研修、マハロくんとアロハちゃんはトリミング、Q太郎は家ですやすや昼寝をしているので、飯を食いに外に出た。以前から気になっていた日立市川尻町の天龍に向かう。国道6号沿いに「自家製手打ち麺」と看板が出ていて、前を通るたびに行きたいと思っていたのだ。天龍は国道6号から少し離れた場所にある。手前にファミリーラーメンの店があって、こちらは昼時ということで満員御礼。ところが亭主が目指す天龍の駐車場には、亭主を含めて車が2台しか止まっていない。果たして店内は先客である男性と亭主のみ、あとは厨房にご主人と奥様がいて、都合4人の小宇宙。失敗したかとちょっと不安になる。

奥様がコップに水を入れてやってきた。おススメはレンコン麺だというが、レンコンの気分でもないのでパス。低糖質メニューはシイタケをふんだんに使うようだが、これもパス。今回は豚の角煮ラーメンというのを注文した。出てきた水がぬるい。

冷房のない店内、開け放した窓から蝉の声が聞こえてきて、夏をしみじみ実感する。朝から雨で少し蒸すが、我慢できないというほどでもない。テレビで放送されていたNHKの歌謡ショーをぼんやり見ながら待っていると、ご主人が角煮ラーメンを持って出てきた。奥様が水、ご主人がラーメンの全員プレイである。ファミリーラーメンの店ではこうはいかない。

角煮ラーメンは、大きな角煮が2個入ったラーメンを、あんかけでまとめたもの。スープはしょうゆ味と思いきや鶏がらを使った中華スープ、麺は手打ちだそうだが、太さ、歯ごたえなどよく出来ていてあんかけのとろみをしっかりと受け止める。そして中華スープと角煮とからしっかりと香る、ハッカクの風味。うわ美味い。そうか天龍は中華料理店なのだ。面目躍如たるハッカクの風味に亭主の不安は一気に吹き飛び、ラーメンを心ゆくまで堪能したのであった。この味は他のラーメンチェーン店では出せまい。

本当は写真付きで紹介したかったのだが、冒頭の事情により写真はない。

ラーメン店巡りも良いが、中華料理屋巡りもまた良い。チャーハンもニラレバ炒めも、しっかりと中華料理しているだろうから、きっとこれらも亭主の口に合うことだろう。

旨かったのでまた行く予定。

2017年8月11日 (金)

08/11 Canon IXY Digital

 以前ブログに「PS1が欲しい」と書いたあと、ずっとそのことが気になっていた。



 Amazonで中古を探したりもしたが、今ひとつピンとこない。山の日の今日、近所のリサイクル店を数件回ってPS1、PS2を見てきたが、やはりいずれの店でもピンとこない。内蔵の電池切れであるとか、ケーブルが欠品であるとか、キズ汚れが激しいとか、そもそも購入意欲を削ぐような品ばかりである。



 この日最後の店、市内のハードオフでも購入意欲が沸かず、一通り店内を巡って帰ろうかと思ったところ、ジャンクの棚に懐かしいものをみつけた。



 CanonのIXY Digital、初代機である。



 フィルムカメラのIXYの筐体にデジタルカメラ技術を詰め込んだCanonの意欲作。Canonがデジタルカメラ市場に本格参入するきっかけを作った製品である。亭主にとっては2台目のデジタルカメラにあたる。画素数は2Mピクセル、後継機と比べれば画質はあきらかに落ちるが(当たり前だ)、その洗練されたデザインはその後のデジカメのデザインを大きく方向付けたと思うがどうですか。そうでもないですか。うーん、そうだと思うんだけどなぁ。違うかなぁ。



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 当時といえばFUJIFILMのFinePix、オリンパスのCamediaなどがしのぎを削っていた。亭主の1台目のカメラはFinePix700だったが、独特の撮影スタイルに「カメラを使っている」気分になれず、どこかカッコ悪さを感じていた。またCamediaの(少し安っぽい)デザインは亭主好みでなく、むしろフィルムカメラであるIXYのメタリックでクールなデザインに惹かれていたのだ。それまで亭主が使っていたがフィルムカメラといえば「写ルンです」ばかり、シンプルライフを標榜する亭主にとってレンズや三脚などアクセサリを駆使し、撮影に際して細かい調整か必要となる一眼レフには興味が持てなかった。一方IXYのようなコンパクトカメラには少なからず興味があったためIXY Digitalを店頭で見かけた時は一切の躊躇なく購入。以降IXY Digital 300登場まで亭主の愛機となった。ちなみにその後はずっとCanonのデジカメを愛用、現在のPower Shot G16まで続いている。



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 久々に目にした初代IXY Digitalは相変わらず素晴らしいデザイン。自宅で確認したところ内蔵電池が完全放電、充電池の容量も完全に抜けていて、ピント合わせもすこしぎこちないとヤレは見られるが、外見は非常に綺麗で見ていて飽きることがない。以降のデジカメでは標準となる撮影モード選択のダイヤルがなかったり、液晶ファインダーが超小型だったりと、初期デジカメならではのシンプルなインターフェースもむしろ好ましい。



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 いちおう内蔵電池が交換可能か、充電池の交換品がないかはさがしてみるが、もとより2Mピクセル、今となってはトイカメラにもこんな低解像度の商品はない。幸いほとんど傷のない品なので、オプジェとして日々眺めても良いかもしれない。

2017年8月 9日 (水)

08/09 【食】 蘭丸(赤味噌チャーシュー麺、茨城県水戸市)

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茨城県水戸市、千波湖近くにある味噌ラーメンの店。以前は九州ラーメンの店だったように思う。テナントが入れ替わったのか、結婚以降ラーメン食べ歩きもご無沙汰なので、ラーメン事情にはかなり疎くなっている。まあわりとどうでもよい。

水戸の眼鏡店に行った帰り、昼を回りそうだったので何も考えずに入った。この店のラーメンは基本が味噌味、赤味噌と白味噌が選べるという。亭主の前に入った客2人がどちらも白味噌ラーメンを頼んだので、亭主はバランスをとって赤味噌ラーメンを注文した。ふと考えてチャーシュー麺にした。しばらく待って出てきたラーメンは、写真の通り。

麺は太目の中華麺、かるくウェーブがかかっており味噌味のスープによく合う。赤味噌のスープは濃さも塩加減もばっちり。具はもやしと、あとニラが少し入っているような気がする(よく覚えていない)。当然ながらもやしは味噌ラーメンの基本である。上に乗っているチャーシューは表面をカリカリにあぶっており、ボリュームたっぷり。隙というものが感じられない。味噌ラーメンの王道を行く味を久しぶりに堪能した。立地もだが、格別気合をいれなくとも気軽に食べて美味い。しばらく食べ歩かないうちにずいぶんレベルが上がったなぁと、感心しきりの亭主であった。


08/08 日々雑感

眼鏡レンズの表面コーティングが剥がれて、見にくいことはなはだしい。

日曜日に水戸の眼鏡店を訪れたところ、コーティングは修復不可能とのこと。以前から度が合わなくなっていることもあって、いい機会と眼鏡を新調することにした。レンズを作るため視力測定をしたところ、右目は乱視が少し進んだのに対し、左目は近視がさらに酷くなっているという。右は遠くが見え、左は近くが見える状態。右と左で分業が進んでいるらしい。

左右で見え方が違うのは、目にもよくないが脳にはさらに良くない、頭痛や不快感が酷いでしょう、大変だったでしょうと同情されてしまった。たしかにここ数ヶ月の亭主はといえば、もう目も開けていられないくらいひどい状態が続いていたが、まさか視力が原因とは思いもよらなかった。

フレームは現在と同じブランド、ただし色をシルバー=ブルーのツートンから、シルバー=グリーンに変更した。

新しい眼鏡が届くのは2週間後である。なんとかこの2週間を乗り切ればと思いつつ、今日もきょうとて体調が悪い。やはり眼鏡なのだろうか。

2017年8月 8日 (火)

08/08 【読】 「応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱(呉座勇一、中公新書)」

「応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱(呉座勇一、中公新書)」


 応仁の乱。日本史史上最大の内乱とされるこの大騒乱の顛末を、奈良興福寺の二人の僧侶の視点から解説した書。著者は中世日本史研究家である呉座勇一氏、2016年刊行後大きな話題を呼び日本史関連では大変珍しいことに大ベストセラーとなった。

 亭主はそもそも日本史が苦手、従って応仁の乱が一体どのような騒乱だったのか上手く説明できない。ただ本書によればこの騒乱、きわめて難解な事件だったらしい。そもそも応仁の乱がなぜ起きたのかを端的に述べることが難しい上、誰と誰が戦ったのかも、どこが勝ったのかも、そしてどうやって幕引きしたのかも明確に語ることができないというのだ。大きくは京都を舞台に、東軍(幕府側)と西軍が対峙したようだが、陣営内では相手方への寝返りが頻発、度重なる停戦調停は幾度となく反故となり、終わらせようが無くなった結果騒乱は20数年にも及んだという。

 そんな乱世にあって、混迷する畿内の情勢をつぶさに見、書き留めていたのが興福寺の僧侶・経覚と尋尊の二人だ。当時奈良で最も力のあった興福寺を戦乱から守るべく、調整者としての能力を遺憾なく発揮した経覚と、常に冷静な視点で事態を俯瞰した尋尊。彼らがそれぞれに記した「経覚私要鈔」「大乗院寺社雑事記」の内容が本書の骨格となっている。それまで中世史研究者から軽んじられてきた二人の記録を本書で殊更に取り上げたのは、先行研究において貴族や武士たちからの視点で分析されてきた騒乱が、僧侶の視点を加えることでより俯瞰的かつ多面的にとらえられたからである。当時の興福寺は、いわゆる僧兵を持するという意味では武士的でもあり、地方に直轄地を持つという意味で貴族的でもあった。祈祷などでは将軍や朝廷の屋敷に出入りし、年中の行事では地方の有力者や民衆とも近しい関係にあった。寺社というcross sectionから騒乱を眺めることにより、もとより混沌としていた畿内の情勢が整理されて語られている。それにより、主役が存在せず、敗者勝者すらあいまいであった大騒乱が後世に与えた影響が、つぶさに見えてくるあたりもまた本書の大きな特徴と言えるだろう。

 ただ、やっていることはチンピラの小競り合い、しかもヒマに事欠いて他の領地にちょっかいをだしては大げんかになっているという感じ。当時の武士たちから品位や理性や知性といったものが感じられないあたりは残念で仕方ない。(2017.08.08)

2017年8月 6日 (日)

08/06 【聴】 Horror Survivor / The Aprils feat. その名はスペイド, Aprisl(APR-1707)

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 現在はイマイケンタロウ、イグチミホ、ショトクジユウキ、ナカマノリヒサの4名で活動するキラキラ系テクノ・ポップユニット、エイプリルズが、4年ぶりにリリースしたシングル。ゲストヴォーカルに「その名はスペイド」の桑原永江を迎え、原色きらめくポップス2曲を聴かせる。


 久しぶりのエイプリルズ、トラックメイカーでリーダーでもあるイマイケンタロウのサウンドのキレの良さは全く変わっていない。CapsuleやRoundtable、YMCKなど2000年代中盤あたりにバクレツに拡散した新世代のデジタル・ポップと、男女混合によるバンド編成というフォーマットは、2010年代の後半(!)が差し迫る中でもしっかりとその存在感を保っている。そのフォーマットを中田ヤスタカはPerfumeやCapsule、きゃりーぱみゅぱみゅといった方向でメインストリーム化し、Roundtableはアニメへの楽曲提供という形でコアへのアピールを図った。エイプリルズは2012年のアルバムリリース以降、番組への曲提供やライブなど様々な活動を行っていたようである。CDを中心としてアーティストを追っかけまわしている亭主には、すこし情報が遅かったようにも思えるが、とにかくこうやって彼らの音楽を聴けるのはうれしいことである。すっかりオジサンと化してしまった亭主、しかしときどき強炭酸なデジタルポップが無性に聴きたくなるのだ。(2017.07.31)

2017年8月 5日 (土)

08/05 日々雑感

アドラー心理学だったか、「人間の悩みはすべて対人関係」とかなんとか、そうなのかなぁ、そうだよなぁとぼんやり思う今日この頃である。

ただし、相手に対して言いたいことが多々ある一方で、実際に「相手に対して言っている」状態というのはほとんどない。大抵の場合アタマの中にいる「仮想の相手」に何を言うべきか、どう言うべきかを悶々と考えている状態なのだ。アタマの中にいる「仮想の相手」に何を言おうが、事態は一切進展しない。良くもならなければ、悪くもならない。ハムスターのケージの中においてある運動器具のように、カラカラとその場で回るのみ、本人だけがどんどん消耗していく。

相手に対して何を言うべきか、どう言うべきかをアタマの中でシミュレーションする、こじらせないように(あるいは反論の余地をあたえないように)発言を吟味することもまた大事だとは思うが、たいがいにしておいたほうがいい。

それにしても、どいつも、こいつもである。対人関係も一人や、二人ならば我慢もできようが、あっちも、こっちもでは精神がもたない。こういうときはおそらく、相手もだが、自分自身もまた平静からは程遠い状態にあるのだろうと自らを戒めておくことにする。自らの状態が異常ならば自分自身の周囲もまた尋常ならざる状態に見えるに違いないからだ。

2017年8月 4日 (金)

08/04 【聴】 Tropical Love Lights / Denki Groove, Ki/oon|SONY(KSCL-2941)

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 電気グルーヴの最新アルバム"Tropical Love"からヴォーカルトラックを除いた企画盤。収録曲、曲順などはオリジナルとすべて同じ。全10曲。


 「人間大統領」「東京チンギスハーン」など、電気らしい骨太のテクノ・ポップがラインナップされていたオリジナルに対し、こちらはヴォーカル部分が一切なし。その昔シングルCDに穴埋めとして収録されていた「カラオケバージョン」に近い、すかすかなトラックが収録されている。メインヴォーカルだけなくコーラスもオミットされているので、原曲を聴く人にとってはかなり寂しいというか、質素な曲に聞こえる。オリジナルアルバムを持っていない人が本作を買うとしたら、これはもう「間違えた」としかいいようがないのだろうが、やはり寂しい曲に聞こえるだろう。ヴォーカル、ひいては人間の声は、サックスやピアノを超えた存在感を持つ最強の楽器なのだ。


 亭主のような古い人間は、こういうインスト作といえば問答無用にYMOの「浮気なぼくら~インストゥルメンタル~」を思い出す。当時高校生だった亭主、「浮気なぼくら」と間違えてこちらを買い、きょとんとした経験がある。正直に言って、損をしたと思った。ただし「浮気なぼくら~インストゥルメンタル~」はヴォーカルトラックがピアノやシンセのメロディで代替されていた。最強の楽器である人間の声ではなかったが、それでもメロディはなんとか追うことができた。


 対する"Tropical Love Lights"は、ごっそりヴォーカル部分が抜け落ちている。結果的にこのアルバムを聴いた人はアタマのなかでヴォーカルを再現することになる。歌詞を覚えているならばいざ知らず、うろ覚えならばそれなりの再現度となる。うろ覚えの歌詞でトラックを再現する、そのモヤモヤをどう感じるかで本作の受け止め方も変わってくるだろう。(2017.07.29)

2017年8月 1日 (火)

08/01 【聴】 Denki Groove Decade 2008-2017 / Denki Groove, Ki/oon|SONY(KSCL-2942)

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 2000年リリースのアルバム"Voxxx"以来活動を休止していた電気グルーヴが、2008年にリリースしたアルバムが"J-Pop"。以降は"Yellow"、"20"、"人間と動物"そして最新作"Tropical Love"までコンスタントにアルバムを発表している。本作はJ-Pop以降の彼らの軌跡をベスト・アルバムという形で振り返る。シングルカットされた曲を中心に全14曲を収録。PV用、シングル用、リミックスなどバージョンは微妙に異なるが、全体的にはオリジナルに微妙を加えている。なおM7 "Shameful"のみ2017年Zepp Tokyoでのライブ音源を使用している。ミックスダウンの際に全曲を繋げノンストップ仕様となっている。


 Tropical Loveのレビューの際に書いたかと思うが、電気の楽曲はアルバムJ-Pop以来現在に至るまでほとんどその体裁を変えていない。フロア用、ご自宅用どちらにも使える4つ打ちテクノは、時にポップに、時にマニア向けに振りつつも、常に石野卓球とピエール瀧との間にあって大きくぶれることがない。シュールでクレイジー、言語と音とをハイブリッドした日本語詞には多くのフォロワーがいるが(たとえば宇宙犬)、結局生き残っているのは電気のみである。もはや彼らそれ自体が音楽ジャンルであり、スタンダードである。彼らの言葉にみな耳を傾け、その発言の意図を(それがいかにヘンテコなものであろうが)汲み取ろうとみな必死になる。


 ここ10年の活動をまとめた本作ベストアルバムもまた、彼らを知ろうとする人たちによって積極的に聴かれ、その意図を汲み取ろうとする試みがあちらこちらでなされることであろう。しかし彼らの意図を汲み取ろうとする人々が考えれば考えるほど、電気グルーヴは彼らから遠ざかっていく。もちろん電気が遠ざかっているのではない、考える人々が勝手に遠ざかっているのである。電気グルーヴはだれに頼まれずとも今の位置に泰然と居て、彼らの欲するところの音楽を、彼らの創作の衝動の中で作り出している。(2017.07.27)

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