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2017年7月

2017年7月30日 (日)

07/30 【聴】 Soul Jazz / Georges Arvanitas Quintet, EMI|ArtHanorProductions|澤野工房(AS091)

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 Georges Arvanitas(Piano)、Francois Jeanneau(Tenor Sax)、Bernard Vitet(Bugle)、Michel Gaudry(Bass)、Daniel Humair(Drums)の5人編成、Georges Arvanitas Quintetの1960年アルバム。手元のアンチョコ(解説)によれば、Arvanitasは18才でプロ活動を開始、2005年に逝去するまで、数多くのプレーヤとの共演、アルバムリリースを重ねてきたという。日本には"3a.m."、"Cocktail for Three"そして"Trio in Concert"の3枚が紹介されているとのこと、大々的に日本に紹介される4枚目アルバムが、澤野商会からリリースされるというのは実に喜ばしいところだ。全9曲。亭主が好きなドラマーDaniel Humairが参加しているのもうれしい。


 9曲の構成としては、Monkの作品が2曲、Bud Powellが3曲、B. Timmons、Sonny Rollins、Max Roach、O. Pettifordの曲が1曲づつ。いずれもハイスピードを売りとしたハード・バップテイストな演奏が楽しめる。3拍子を基調としたM1 "This Here" ...多分Threeのアナグラムと思われる...を筆頭に、Bud Powellの"Oblivion"、Max Roachの"Mister X"など、いずれも大音量で「音を浴びるように」聴くのにふさわしい曲ばかり。先のMichael Naura Quintet(こちらも奇しくもクインテットだ)もそうだったが、これがヨーロッパの作品であると、1960年代の作品であるとはにわかに信じがたいホットな演奏である。これを聴くと昨今のヨーロピアン・ジャズのクールさが、ヨーロッパ的な自尊心によって勘違いを繰り返した結果のような気もしてくる。かつて多くのアメリカのジャズメンたちがヨーロッパに渡ったそうだが、当時のジャズシーンにおいてアメリカと欧州が地続きだったからこそ、こぞってヨーロッパを目指したのかもしれない。(先のMichael Naura同様)本作も言うまでもなく名盤。但し書きなどは一切なし、掛け値なしの名盤である。(2017.07.18)

2017年7月29日 (土)

07/29 日々雑感

世間はPS4だ、ドラクエ11だと騒いでいるが、亭主はもっぱら初代PlayStation(PS)が欲しい。フルスペックのPSはもちろん、廉価版であるPS-Oneでさえ製造を中止しているので、中古店か、あるいはどこかで新品在庫を買うしかない。PS時代にリリースされたNamco Museumに収録されているAssaultがプレイしたい。それだけの理由である。以前はPS2, PS3を所有していて(PS3はまだ手元にある)ソフトも多少はそろえていたが、いずれも大作ゲームばかりであった。大作ゲームはクリアに時間も手間もかかるので多忙を極める亭主には荷が重い。アーケードゲームを移植したNamco Museumシリーズならば、ちょっとしたスキマ時間に楽しめる。

初代PS3は、PS2のタイトルがプレイできたうえ、SACDも再生できるという優れモノであった。ただ亭主自身PS2のソフトも、PS3のソフトもほとんど持っておらず(PS3はElder Scroll IV OblivionとRidge Racer 7だけだった)、SACDのソフトも数枚しか持っていないので、かなり高い買い物だったように思う。PS3はSACDが再生できた。PS2はDVDが再生できた。しかし実際はどちらもほとんど使っていなかった。DVDはPioneerのLDプレーヤDVL9、のちにユニバーサルプレーヤ(DV-600A-S)を使っていたからだ。ちなみにDV-600A-SでもSACDが再生できたし、その後譲ってもらったDV-S747AもDVD、SACDが再生できたが、結局SACD再生には使っていない。

あえて教訓めいたことを言うならば、亭主の場合、使わない機器は結局最後まで使わない。使う理由を探すような機器は結局使う理由が見つからないまま手放す。忙しいとか、SACDのタイトルが少ないとか、見たい映画がないとか理由は様々であるが、理由の前に直感が働く。そこを押して買ったとして、直感が覆ることはまれである。

いま、あえてPSを買う価値があるだろうか。直感が働かないか、天啓が降りてこないかと頭の上30cmあたりでもやもやするが、特になにも働かないし、降りてこない。若い頃夢中でプレイしたゲームを、年経た今プレイして楽しいだろうか。たぶんゲームの難易度についていけないことだろう。難しいならば楽しさも割引きになるだろう。ゲームを起動し、数回軽く遊んだあと電源を消す。その程度の使い方ならばたぶんおそらくPS-Oneを買うほどのことでもないのだろう。

07/29 iPod nano, iPod shuffle販売終了

Apple、「iPod nano」と「iPod shuffle」を販売終了(ITmedia)

亭主はiPod classic(160GB, 第6世代)を愛用していて、classicがディスコンになって以降はiPodから遠ざかっている。もちろんclassicは現役で稼働しており、もっぱらVolkswagen PassatのDiscover Pro(純正ナビゲーションシステム)で音楽サーバの役割を担っている。1153枚、13556曲の音楽トラックを保存していて、最近購入したCDはすべてclassicに転送済み。日々の通勤はもちろん、ロングドライブにも欠かせない大事な相棒である。

iPod nanoは16GB, こちらも第6世代を保有しているが、ランニングの際にときどき使う以外はほぼ死蔵状態となっている。長らく使用しないとバッテリーが放電してしまうようで、いざ使う段になるとバッテリー容量がない、という状況が実に多い。それでもなかなか捨てられないのが人情というものだ。

iPod nano, shuffleがディスコンとなって、残る音楽プレーヤはiPod touchの1機種、32GBと128GBの2モデルとなる。個人的には128GBという中途半端な容量が気に入らないし、iPhone,とiPad, iPad miniのユーザであるだけに、touchを購入する気になれないでいる。ただ、classicがこれから故障しないという保証もない。classicが故障したらどうしようか―――それが亭主の目下の悩みでもある。

ただ、亭主は最近、出張やおでかけの際に、iPad classicとイヤフォンで音楽を聴いていない。以前、電車の中で小銭入れを忘れて以来、外出でいろいろ荷物を持ち歩くことに抵抗を覚えるようになった、いうのがその主な理由だ。「空気を吸うように音楽を吸って生きている」などとカッコつけたこともあったが、当然ながら、聴かなくても特に困ることはない。

一方世の中では、すっかりスマホが音楽プレーヤとして浸透しているようだ。スマホを音楽プレーヤとして聴いている人たちにとっては、スマホの容量(おおよそ64GBくらいか)は特に問題ではないらしい。容量が困るくらいに音楽をため込んでいる人は、おそらくいないのだろう。

ウォークマン、CDウォークマンから連綿と続いてきた、「ポータブルオーディオ」の世界は、いま緩やかな死を迎えている。時代の流れから外れた好事家やマニアたちは、ディスコンと修理不能という機器の終焉を予感しつつ、なすすべのないままこの瞬間を楽しんでいる。

2017年7月25日 (火)

07/25 【聴】 European Jazz Sounds / Michael Naura Quintet, Universal|澤野工房(AS052)

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 Michael Naura(Piano)、Peter Reinke(Alto Sax)、Wolfgang Schluter(Vibes)、Wolfgang Luschert(Bass)、Joe Nay(Drums)の5人編成、Michael Naura Quintetの1963年アルバム。大阪は履物屋さんを営む澤野商会(澤野工房)よりアナログで枚数限定で復刻、その後CD盤が堂々リリースのはこびとなった。全6曲、Oliver NelsonのThree Seconds、Jackie McLeanのDr. Jekyll、Tubby HayesのDown in the Villageがカヴァー曲、そのほかMichael Nauraによるオリジナル曲3曲を収録する。


 ヨーロッパジャズ最高峰のアルバムとして、ながらくマニアの中で聴き継がれてきたという本アルバム。その後ヨーロピアンジャズがスタイリッシュで静かな作風に振れたのに対し、Michael Nauraの楽曲はオリジナルであるアメリカのジャズ同様に熱く、また同時にヨーロッパ的なクールさを併せ持つ。編成にサックスとビブラフォンが入っているからだろう、動と静、ホットとクール、繊細さと柔和さとが同居する、バランスの取れたアルバムに仕上がっている。もちろん、サックスとビブラフォンがそれぞれに個性を発揮しているというわけではない。たとえばM3"Dr.Jekyll"などは疾走するドラムの上をサックスとビブラフォンが空中戦を繰り広げる。クインテットならではのゴージャスで攻撃的なアレンジ、これが1960年代の作品だなどとは誰も思わないことだろう。もちろん音質も良い。(2017.07.18)

2017年7月23日 (日)

07/22 日々雑感

以前Bic-Cameraで購入した、Sandisk Ultra PLUS 128GB(SDカード)に「ジャズ喫茶四谷いーぐるの100枚」に紹介されている100枚のアルバムから94枚をコピーした。

カーオーディオで聴くためである。

カーオーディオにはiPod Classic(160GB)が接続されているが、1152枚分のアルバム管理はさすがに厳しいため、SDカードに「いーぐる」のアルバムをまとめてみたのだ。聴いてみるとこれがなかなか使いやすいうえ、SDカードにはロスレスのデータが入っているため音質もすこぶる良い。

カーオーディオには2枚のSDカードが搭載できるうえ、カード保管用のスロットが2個搭載されているので、「いーぐる」以外にもテーマを決めてコピーしても良い。シリーズ化できるならば、たとえば澤野工房からリリースされているピアノ・トリオのアルバムをまとめるのも面白そうだ。

2017年7月20日 (木)

07/20 日々雑感

土曜日くらいからめまいが酷く、一時的にブログ更新を休んでいる。

仕事も家庭も多忙を極めていて、過労で三半規管が不調となっているものと考えられるが、こればかりは自分ではどうにもならない。とりあえず不調でもエンジン全開で頑張る所存。

影響がブログに及んでいるが、まあここくらいは休んでも良いよね。

2017年7月18日 (火)

07/18 【読】「書楼弔堂 炎昼(京極夏彦、集英社)」

「書楼弔堂 炎昼(京極夏彦、集英社)」

京極夏彦の最新長編。異形の古書店「弔堂」の店主が、店に迷い込んだ客である明治期の有名人にもっともふさわしい一冊を選び出す「探書」シリーズ第2巻。「探書漆」から「探書拾弐」まで、6つのエピソードを収録する。

都内某所、某寺へと続く坂道の途中を折れたドン詰まりに、陸燈台のようにそびえ立つ異形の建物「弔堂」が物語の舞台。中には古今東西の書物~西洋の稀覯本から地方の新聞紙に至るまで、あらゆる書物がそびえ立つ壁沿いに並べられている。店を仕切るはかつては僧侶、現在は還俗したという弔堂店主(名前は後々明らかとなる)。皮肉屋の美少年、しほるをお手伝いに、書物三昧の日々を送っている。弔堂の客は明治の文豪、文化人から学者、政治家、軍人に至るまで多岐にわたる。いずれも口伝にて店の名を知った人々、それぞれに悩みを秘めて店を訪れる。弔堂店主は彼らとの対話の中で彼らの悩みの本質を暴き出し、彼らが真に求める書物を選びだす、というのが本シリーズの大きな骨格である。

一方、第2巻となる本作の主人公は塔子という女性に交代する。薩摩隼人の士族を祖父に持つ彼女は、旧態然とした家父長制に支配された家風と、急激に社会進出をはかる世の女性たちの間で葛藤する。束縛と、自由。従属と、自立。息の詰まる家を抜け出し街へと出た彼女は、新体詩で一世を風靡する詩人、松岡と出会い、弔堂ののれんをくぐることとなる。

本書に登場する弔堂の客は、田山花袋、添田唖蝉坊、福来友吉ほか。いずれも当時高い知名度を誇り、現在もたびたび話題に上る有名人である。彼らが古書店「弔堂」を訪れたという史実はなく、あくまでも京極氏の遊び心・フィクションにすぎないのだが、彼らがなんらかのきっかけで人生に変節をもたらしたことは確かなようである。本書では「弔堂への来訪」を変節と解釈する。緻密な時代考証と綿密な物語が、作品全体にリアリティを与えている。

ところで。

この頃の出版界隈、「専門知識」の開陳をメインに据えた作品が乱立している。例えば「食」に関していえば、古くは知識人の教養として北大路魯山人や子母澤寛、水上勉らによって食のエッセイがしたためられていたものが、漫画「美味しんぼ」あたりで巷間のグルメブームと繋がり急速に普及、この頃はどのコミック誌にも「食」に関する作品が掲載されるありさまである。もちろん、「食」に関する作品の乱立は今に限ったことではない。「鉄鍋のジャン!」や「ミスター味っ子」あるいは「OH!MYコンブ」など食をテーマにした作品は以前からもあって、これらがひとつのジャンルを形成していたことは言うまでもない。対する現在の食をテーマにした作品は、おそらくだが「孤独のグルメ」あたりを発端としている。

「孤独のグルメ」を筆頭とした作品群の大きな特徴は、(1)それぞれのエピソードが完全に独立している、(2)エピソードの構造が常に画一的でありテンプレート化が進んでいる、(3)エピソードを重ねても作品としてのストーリーは進行しない、の3点にあるだろう。高い専門性や深い知識があって、登場人物が魅力的であるならば、テンプレートに沿っていくらでも再生産できるのが、現在の食をテーマにした作品である。

本書もまた、上に挙げた3つの特徴をおおむね満たしており、巻毎に主人公が変わる一方でネタさえあればいくらでも再生産可能な構造を有している。この点は京極氏の他の作品、たとえば「京極堂シリーズ」や「巷説百物語シリーズ」には見られない。底意地の悪いことを言うならば、亭主はこれらの構造を持つ作品をあまり評価していない(面白いとは思うがそれも飽きるまでの話だ)。本シリーズがどのような結末を迎えるかは良く分からないが、ネタが尽きるのが早いか、亭主が飽きるのが早いか、それとも京極氏が飽きるのが早いかの競争になるのなら、亭主としてはとっとと勝負から降りたいところだ。

2017年7月17日 (月)

07/17 日々雑感

前回の記事でNetwalkerを「中途半端なスペックの機器を」「拙速に買ってしまった」と書いたのは、いささか拙速だったかもしれないと少し反省している。

当時はたしかにNetwalkerを選ぶ意味があったのだ。へこへこなキータッチ、狭いキーピッチとはいえ、テキストを快適に入力するためにはフルキーボードは必須だった。他の機種もそうだ。電池容量を気にせず、目の疲れを意識せず読書するには、kindle whitepaperが最適だった。そこにブレは一切ない。

ところでPomera DM100は、FlashAirの現行製品W-04が接続できない。W-03あるいはさらに一つ前の機種W-02の接続が保証されているだけに、04が使えない理由が今一つ見えない。AmazonあたりならばW-03も平行輸入品が販売されているので、不自由を感じることはない。ただ、こういうちょっとしたズレが、将来に向かってどんどんその製品の活躍範囲を狭めていく。

たぶんNetwalkerがキータッチ、キーピッチを考慮したフルキーボードを備えていたならば、Pomera DM100が標準でWi-Fi機能を備えていたならば、その後の展開はずいぶん変わっていただろう。kindle whitepaperについては言うことはあまりないが、たとえば電子インク(e-paper)の応答が液晶並にスムーズだったら、Fire HDあたりのラインナップも変わっていただろう。

以前このサイトで、亭主は電子書籍の用件として「目に優しいこと」「軽いこと」「バッテリーが持つこと」を挙げている(2016.12.10記事参照)。テキスト書きに限って言えば「フルキーボード」が重要であり、もちろん「軽いこと」「バッテリーが持つこと」もはずせない。さらにいえばWi-FiやEvernote投稿などで、ネットワークに接続できること、日本語変換が快適であることも用件に含めて良い。

そうやって重要なことをひとつひとつと挙げていき、現行機種にその機能を求めた際に、その機種に足りない部分が一つ、ふたつと見えてくる。そこを我慢したり「あばたもえくぼ」と肯定し、それらを満足する製品が出る前に現行機種を買ってしまう、そこを「拙速」と呼んでみたのだ。

もしかしたらそんな満足するような機種はその後登場しないという可能性を考えたら、現行機種を買うのもまた一つの選択なのだ。

2017年7月14日 (金)

07/13 【聴】 Mellow Waves / Cornelius, Warner(WPCL-12660)

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 小山田圭吾のソロ・プロジェクト、Cornelius。小沢健二とのユニット・Flipper's Guitarを解散後、1994年にアルバム"The First Question Award"をCornelius名義でリリースした彼が、約11年の歳月を経てリリースした6枚目のオリジナル・フル・アルバム。全10曲。


 近年は細野晴臣のライブ・サポートに参加したほか、高橋幸宏、テイ・トウワ、砂原良徳、今井レオ、ゴンドウトモヒコらとともに結成したユニットMETAFIVEでの活動でも知られる小山田圭吾。11年ぶりのアルバムというわりには、音楽シーンのどこかで必ず見かけていて、ブランクというものは一切感じられない。Cornelius始動当初のギター・ポップ、あるいはシンセを駆使したソフト・ロックな曲調をそっちにおいて、Sketch ShowやPupa、あるいはMETAFIVEのサウンドをそのまま継承するエレクトロニカ/シンセ・ポップが本作の最大の特徴だ。全曲・全パートを彼自身が担当、タイトル通りのメロウな作風を指向していて、METAFIVEと比べると「青春度」が高い(あちらはどちらかといえばアダルト・オリエンテッドなロックに近い)。「青春度」にメロウさを感じてしまうのは亭主がもう若くないことの証左なのだが、そもそも小山田圭吾と亭主とは10日と誕生日が離れていなかったりするので、年代的な価値観の部分に多くの共通点があるからなのだろうと思っている。


 なお、先にも書いたが本作のトラックは「エレクトロニカ」と「シンセ・ポップ」に大きく分けることができる。エレクトロニカはSketch Show(細野晴臣+高橋幸宏によるユニット)の影響が色濃いほか、Aphex TwinがPolygon Window名義でリリースする"Surfing on Sine Waves"にインスパイアされた曲"Surfing on Mind Wave pt 2"などもある。一方シンセ・ポップは彼の得意とするところであり、こちらは高野寛やPupaの影響が強い。このあたりのアーティストが大きくクラスタを成しつつ、シーンを形成しているのだろう。亭主もまたシーンの周りを回遊する魚の一匹である。(2017.06.28)

2017年7月12日 (水)

07/12 日々雑感

最近下火になったものの、巷間ではまだまだ実践者の多いミニマリスト。

亭主は彼らの生き方を格別うらやましいとも思わないし、実践しようとも思わないのだが、その考え方自体には一部共感するものがある。

浪人となり予備校の寮に入った亭主、布団と衣類と勉強道具、それにラジカセと10本ほどのカセットテープしか持たない生活は、まさにミニマリストのそれであった。大学に進学し、今度は長野県の学生寮に入ってからは、それまでのうっぷんを晴らすかのように本を買い漁り、CDを買っては聴きまくった。本と、音楽。家財がそれらだけであった大学時代をいま改めて振り返るに、これはこれでミニマリストの生活、「一部に特化したミニマリスト」の生活だったように思われる。

昨晩のエントリがどうも歯切れの悪いものになったのは、亭主の所有するモバイル群が「特化型ミニマリスト」のポリシーに沿わなかったからに他ならない。

本来、コンピュータは「据え置き1台、モバイル1台」で済ませられるのが理想なのだ。その方が出費も抑えられるし使っていても迷いがない。デジカメもケータイも、オーディオもそうやって迷うことなく突き進んできた。それがNetwalkerあたりから迷走をはじめ、いまや複数台のモバイルが死蔵状態になっている。中途半端なスペックの機器を拙速に買ってしまったのがそもそもの原因なのだ。

07/12 日々雑感

Netwalker、iPad 2、iPad mini 4、Kindle Paperwhite、Pomera DM100、Tekwind WP004(キーボードPC)。

いつのまにやら増えていた端末に、ビビっている亭主である。

新旧端末を使い分けているかどうかは、正直言って良く分からない。このところ常用している端末はiPad mini 4、Pomera DM100、Tekwind WP004の3台。iPad mini 4はもっぱら電子書籍とテキスト書きに、Pomera DM100もテキスト書きに使い、Tekwind WP004は自宅のサブPCとしてちょっとした空き時間にネットを見るのに使っている。

iPad mini 4は、当初は電子書籍リーダーとしてのみの使用を想定していたが、外付けキーボードを使うことで書き物に使えることが判明し、出張先で活用している。本来はほかにもいろいろと使えるハズで、そこをあえて使っていないのがもったいないといえば、勿体ない。

Pomera DM100は、先日FlashAirを破損して以来存在感が急速に薄れている。使い勝手は、ネットワークにシームレスにつながっている端末、アプリなどでブログに直接投稿できる端末にはやはりかなわないのだろうか。バッテリーの持ちと日本語入力の軽快さでどこまで盛り返せるかが鍵である。FlashAirは買いなおした方がよいのかもしれない。

意外と毎日使っているのが、Tekwind WP004である。消費電力が少なく可動部もないため、常に電源を付けて起き、朝のちょっとしたスキマ時間、メインPCを立ち上げる時間がないときなどにネットを覗いている。メインPCと同じ液晶ディスプレイを使っているので、画面が広いのがうれしい。ただ、CPUスペックが低いからだろうか、Atom(HTMLエディタ)や、OneDriveの最新バージョンがインストールできない。ブラウザあるいは電子書籍用途を超えた使い方ができていないのが目下の悩みだ。

ありていに言うならば、亭主のPCの使い方が偏っている、ということでもある。本来様々な用途で使えるハズのPCを、ごくごく限られた用途にしか使っていないのは勿体ないことだ。iPhoneにせよiPadにせよ、ストアにある膨大なアプリをほとんど活用していないのももったいないことの一つである。

Kindle応援団、Pomera応援団だったはずの亭主が、いつのまにかiPad mini 4に偏っているのは、Appleの製品が使いやすいからだろうか、それとも亭主の思考が凝り固まっているからだろうか。

2017年7月 8日 (土)

07/08 【聴】 Rage Racer Remix - the 20th anniv. sounds / namco, Sweep Records(SRNS-2002)

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 レーシングゲームの最高峰として多くのプラットフォームに移植されたRidge Racerシリーズから、PlaystationオリジナルバージョンとなるRage Racerのサウンドトラックがリリースされた。リミックス1枚とオリジナル1枚の全2枚組、Super Sweepから直接購入した場合にはノンストップミックスバージョンのディスク3が追加される。リミックスは全10曲、オリジナルは全20曲(ゲームオーバーやランキングなど、短いジングルの曲含む)、ボーナスディスクは全1曲。Sampling Mastersの細江慎治、佐宗綾子、また佐野信義(sanodg)、相原隆行(J99)といった初代Ridgeからのサウンドクリエータに加え、以降Ridgeシリーズのサウンドプロデュースで敏腕を振るった大久保博、Hiroshi Watanabe、井上拓、Ryu☆、三宅優、江口孝宏らがリミックスに参加している。オリジナルは中西哲一、大久保博の2名が作曲を担当。


 Ridge Racerシリーズは初代RidgeとRave Racer、それにPS3のRidge Racer 7にハマっていた亭主、お恥ずかしいことに、Rage Racerはプレイしたことがない。Playstation用タイトルとのことでクオリティを期待していなかったからか、それともそもそも他のゲームをプレイするのに忙しかったからかはよくわからないが、あっさり通過してきたことは確かなようだ。ロッテルダムテクノでゲーマーとナムコ幹部の度肝を抜いたRidge、アクの強いハウスを指向したRave、そしてディープハウスの老舗King Streetの面々が参加した7と、いずれも個性派ぞろいのRidgeシリーズだが、Rage RacerはどちらかといえばRave寄り。ただSampling Mastersたちが好んだマッドで美麗で複雑きわまりないメロディラインではなく、ミニマルなロッキン・ビーツが特徴なあたり、むしろRidge Vに近いのかもしれない。うねるコースをドリフトで駆け抜けるRidgeシリーズにどの音楽ジャンルが相応しいかは人それぞれであろうが、RageのBGMはかなり玄人好み、クラブミュージック的。ご家庭(Playstation)でプレイを繰り返しつつギリギリとタイムを詰めていく、そんな求道者的なプレイスタイルとも通じる、力強くてシンプルなテクノである。(2017.06.30)

07/07 【聴】 Mandance / Ronald Shannon Jackson, Antilles|Island(422-846-397-2)

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 テキサス出身のドラマー、Ronald Shannon Jacksonの1982年アルバム。Albert Ayler, Cecil Taylor, Ornette Colemanらのバンドで活動したのちは自らのバンドThe Decoding Societyでリーダーを務めている。本作もまたThe Decoding Societyのメンバー、Henry Scott(Trumpet), Zane Massey(Sax)、Vernon Reid(Guitar)、Reverend Bruce Jackson(Bass)らが参加。全9曲。


 ドラマーやパーカショニッストがリーダーを務めるバンド/作品は大概はっちゃけている、という亭主の音楽体験は本作においても例外ではない。仙波清彦しかり、林立夫しかり、神保彰しかり、ドラマーが中心にいるならば、他の楽器がなんであろうが、どんなジャンルを演奏しようが自由なわけで、どの作品も非常に自由で陽性でジャンルを選ばない。Ronald Shannon Jacksonの本作もまた非常に自由なサウンド、ただしこれをジャズというのは(本作が亭主のネタ本・「ジャズ喫茶四谷『いーぐる』の100枚」に紹介されている100枚のジャズアルバムの一枚ということを考慮したとしても)なかなかに無理がある。フュージョンやロックを意識した曲がある一方で、民族音楽的なリズムの曲も収録されている。チャカポコと賑々しいサウンドは、さぞやジャズ喫茶で再生しづらかっただろうと、なぜか気の毒になる。もちろん気の毒になる必要性など全くない。


 なお本作のリリースは1982年。その後時代を下って1988年あたりから仙波清彦が「はにわオールスターズ」で大々的にパーカッションをフィーチャーして活動を開始、バブル経済のあおりを受けて大編成バンド全盛期へと突入していく。モダンチョキチョキズ、東京スカパラダイスオーケストラ、そして仙波清彦とはにわオールスターズ。これらバンドの原点に居るアーティストがRonald Shannon Jacksonだっと言ったら言い過ぎだろうか。(2017.06.27)

2017年7月 4日 (火)

07/04 日々雑感

 会社での話。

 目標管理システムで各自今期の目標を提出してください、上司はそれを承認してくださいと、管理部門から依頼メールが来た。本来は期始めに提出すべきものであるが、そもそも弊社は全てが遅い。そもそもこの依頼が来たのも期が始まってしばらくしてのことだ。

 幾人かがまだ提出していなかったため、メールで提出を依頼した。数名からはすぐに反応があったものの、残りの数名はメールを読んだか読まないか、音沙汰がない。仕方なく、管理部門が送って来たメールの文面を転記し再びメールを送ったところ、今度は速やかに提出された。

 管理部門はメールになんと書いたか。

「目標管理システムと、給与システムが連携したため、目標を提出しないと賞与が支払われません」

 子細は異なるが、要するにこういうことが書かれていた。

 提出しないと賃金が支払われませんと人間が言えば、これは脅しである。だが管理部門からのメールは、「システムが賞与を支払わらない」と言っていて、そこには人間の意思や、感情の入り込む余地がない。いわば問答無用である。そしておそるべきことに、この問答無用が人間のすみやかな行動を促している。

 今回の一件が、未来の超管理社会を予見させるなどというつもりはない。一つ言えるのは、いわゆる「システム」というものが、人間の情や理性以上に人間を律し、御するという点だ。逆に言えば、人間が「システム」をうまく利用すると、思いのままに他者の行動を制御できるということでもある。だが亭主はこの方法が必ずしもクレバーな方法とは思っていない。

 亭主が送った依頼メールは、ある種の「社会実験」であった。そしてかなりの確度をもって他者の行動を制御できるということが分かった。亭主はこれ以上、この方法を用いるつもりはないが、効果を確信した管理部門がこの方法を濫用する可能性は大いにあると感じている。

2017年7月 2日 (日)

07/02 【聴】 Monk Studies / Chihiro Yamanaka, Blue Note|Universal(UCCQ-9303)

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 ジャズ・ピアニスト山中千尋が、敬愛するThelonious Monkの楽曲をカヴァーした作品。ベースにはアメリカのヒップホップグループThe RootsのベーシストMark Kelleyを、ドラムにはKUDUやMobyとも競演経験のあるオルタナ/エレクトロニカアーティストのDeantoni Parksを起用。Monk生誕100周年を祝福する。全10曲でDVDには3曲を収録。


 ジャズ・アルバムとしては異例のサウンド、山中さんはピアノのほか、フェンダーローズ・ハモンドに加えシンセも積極的に使用しており、かなり挑戦的なアルバムに仕上がっている。かといって作品がシンセミュージック寄りになっているということは一切なく、むしろフュージョン的な爽やかさ、映画音楽的な賑々しさがあって作品的にはかなり楽しい。亭主自身Monkの作品は何枚か所有していて好きな曲も少なからずあるが、どちらかといえば「地味に良い」という感じであった。それに対して本作は積極的に明るい。大胆なアレンジと積極的な明るさをマニアの皆さんがどう聴くか、どの程度血圧が上がるかはわからないが、亭主のような若い(年齢が、ではなくキャリアが、である)聴き手にとってはインスパイアされる部分が多い。無理やりにジャズの枠にはめ込まなかったことが、自由な音楽としてのジャズの可能性をさらに広げてくれている。しかもそれがThelonious Monkの作品を発端にしている、というのは痛快な話ではないか。


 DVDは、NYブルックリンはBoomTown Studioでの演奏風景を3トラック収録。3人の超絶技巧の早弾きが思う存分に楽しめる。ピアノはもちろんベースも、ドラムもすべて人力、それでもありえないほどの手数が繰り出されている。残念なのは収録映像がDVD画質なこと、これはぜひBlu-rayの高画質で収録してほしかったところだ。(2017.06.22)

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