« 05/31 日々雑感 | トップページ | 06/06 【読】 「フィンランド語のしくみ《新版》(吉田欣吾、白水社)」 »

2016年6月 5日 (日)

06/05 日々雑感

知人がMR-Sを買った際、フロントのエンブレムをMR-S独自のエンブレム(クワガタ?)からトヨタのエンブレムに変えてもらったと話していたのを思い出した。

なぜトヨタは、フロントのエンブレムを車種ごとに変えるのだろう。フロントにトヨタのエンブレムを冠するものもあるにはあるが、少なくともMR-Sやエスティマ、ヴィッツなどは独自のエンブレムを冠している。ポルシェもフェラーリもボルボもベンツもアルファロメオも、また日産もスバルもホンダも、フロントのエンブレムは企業のエンブレムである。車に乗るということは、ユーザがその企業というブランドに愛着と信頼を置いているということも意味する。それに対しトヨタは、フロントのエンブレムに企業のブランドを冠さず、あくまでも車種というブランドを置いている。亭主にはそこがいまひとつ気に入らない。

トヨタのホームページでカーラインナップを見ると、実に多くの車種が市場で売られていることに気づかされる。それはまるで、人々の多様化する嗜好をトヨタ一社ですべてカバーしようとしているかのようである。カーメーカーはトヨタ一社でよく、選ぶ車もトヨタの中だけで事足りる。壮大なユーザの囲い込み。囲い込んだ内側は、すべてトヨタ車であるから、あえてトヨタというブランドを宣伝する必要がない。ならばフロントのエンブレムを、わざわざトヨタとする意味がない。そういう話なのだろうと、想像している。

だが亭主は、そんなトヨタの考えには共感しない。子供のころから車とは、どこへでも連れて行ってくれる「翼」であり、自由を手に入れるための夢の乗り物であった。ポルシェやフェラーリやランボルギーニに興奮し、その形の美しさやパワーに憧れを抱いていた。スーパーカーでなくとも子供には到底手に負えない値段であり、車を所有すること、それは一つのステイタスであった。多様化する嗜好に合わせて、車側から折り合ってくれる、高みから降りてきてくれるようなものであってはならないのだ。

人々の多様化する嗜好に合わせるべく、トヨタの車は頻繁にモデルチェンジする。新モデルが登場し、旧いモデルが簡単に消えていく。もちろん古くからの名前を持つモデルもあるが、ポッと出のモデルも実に多い。そんなポッと出のモデルに、ステイタスを感じろというのは無理な話だ。もちろんMR-Sをはじめ86やハリアーなど面白い車種はたくさんあるが、メーカとして好きになれない以上、これら車種が候補に挙がることはない。

« 05/31 日々雑感 | トップページ | 06/06 【読】 「フィンランド語のしくみ《新版》(吉田欣吾、白水社)」 »

雑談」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 06/05 日々雑感:

« 05/31 日々雑感 | トップページ | 06/06 【読】 「フィンランド語のしくみ《新版》(吉田欣吾、白水社)」 »

2019年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
フォト
無料ブログはココログ