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2015年5月

2015年5月24日 (日)

05/24 【聴】 Franz Kafka's South America / dCprG(Date Cource Pentagon Royal Garden), Taboo|Sony(VRCL-10122-3)

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菊地成孔を中心としたバンド・プロジェクト、Date Cource Pentagon Royal Gardenの新展開。2010年にメンバーを刷新、新たなメンバーを加えた11人によるニューアルバムはラテン音楽を意識したコンテンポラリー・ジャズ。2015年5月リリース。

CDJを駆使し、コンテンポラリー、アブストラクト、ニュー・ジャズ、ヒップホップなど様々なジャンルを横断してきたDCPRG。プロジェクト名を"dCprG"となぜか大文字小文字交じりへと変えた本作では、非常に分かりやすい、疾駆感溢れるサウンドを聞かせてくれる。一聴すると往年のフュージョン・バンドを髣髴とさせるシンセ・サウンド。ただし作品全体にはアルバムコンセプトである"South America"のテイストが感じられる。随所に登場する詞はシェークスピアに由来しているそうだが、大谷能生あたりが作ったとしても違和感がない。なお本アルバムはCD/SACDハイブリッドディスク。SACDプレーヤを持っている人ならばさらに高音質で音楽が楽しめる。またボーナスDVD としてEbisu Liquidroomでのライブ風景(1曲分-M1 "Ronald Reagan")も付属しており大編成による圧倒的ライブ・パフォーマンスを楽しみたい人はこちらをどうぞ。

ところで"dCprG"。かつてのDCPRGと何が違うのか、明確に出来るようで出来ないあたりが菊地のプロジェクトらしい。サウンドとしては非常に面白いので、余計なこだわりは捨てて純粋に楽しんだほうがよいのだろうが、DCPRGの作品を続けて聴いている人間には少し気になる話題でもある

2015年5月22日 (金)

05/22 【聴】 Technodon / Not YMO, TOEMI(TOCT-27087)

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1993年2月に、「再生」が報道されたYellow Magic Orchestra。商標の関係から元のグループ名を使用できず、YMOにあえてバツ(Not)をつけての再結成となったNot YMOの唯一のフルアルバム。1993年5月発売。オリジナルは全12曲だが、2011年7月にボーナストラック(「ポケットが虹でいっぱい」の英語詩バージョン)を加え、NYはSterling SoundのTom Coyneによってリマスタリングされている。亭主はすでにオリジナルを購入しており、今回はリマスタリング盤を購入した。なお、Not YMO6月10日、11日の両日東京ドーム講演、8月のシングル"Be A Superman"を経て再び沈黙している。再結成は2003年のHASYMO(Human Audio Sponge名義とも)まで待たなくてはならない。

デトロイト・テクノに端を発する新たな「テクノ」シーンの盛り上がり。あるいはジ・オーブを中心とした「アンビエント」が地球環境/スピリチュアルと密接に接続し始めたことをきっかけに、半ば強制的に、不本意に担ぎ出された感のあるNot YMO。大々的なプロモーションのなかで作られたアルバムが、この"Technodon"であると後年まるで黒歴史のように語られている。細野さん、坂本さん、そして高橋さんも本作に関してはあまりいい思い出がなかったようであるし、マニアの中でも本作を「なかったこと」にしたい人は少なくない。バブル経済と通り抜けてきた人たちがあの頃を否定するのと同じように、本アルバムもまた狂乱の時代の徒花ととらえているのだろう。

もっとも、散開後に本格的にYMOに入れ込んだ亭主としては、この「再生」はYMOと時代を共有するまたとない機会であった。CDが擦り切れるほどアルバムを聞き込み、友人の北原君とともに6月のライブにも行った。東京ドームの中爆音に包まれて数々の名曲を聴き、遠くだったがそれまで写真でしか見たことのなかった3人の姿を、この目でじかに見ることが出来た。亭主にとっては夢のような時代であった。

当時隆盛だった電子音楽「テクノ」「アンビエント」に対するYMOなりの解釈、エコロジーやスピリチュアルに対する彼らの思いを存分に盛り込んだ内容は、ドラッグやオカルトなどのアンダーグラウンド・カルチャーへと陥りがちなシーンに対して明確な活力を送り込み、マイナーなジャンルの体質を「健康体」へと変貌させた。その明るさ、健康さは現在においても時代遅れとなることなく、常に新しい風をクリエータたちに送り続けている。

なおリマスタリング盤にはDavid Toopの解説、「再生」の年表、細野さんへのロング・インタビューが収録されている。旧作との違い、マスタリングの差異についてはいまのところ比較しておらずよく分からない。

2015年5月21日 (木)

05/21 日々雑感

インターネットやSNSが広く世間に普及した結果、市井には多くの「自称研究者」「自称評論家」「自称ジャーナリスト」が現れて、なにやかやと世間を騒がせている。

ネットのニュースなどで報道される際には、彼らの行状に第3者の視点が入ることで「痛い人」「愚かな人」「心身に異常をきたしている人」などといった属性が付与される。ただしそれが彼らが自身を振り返るきっかけとなっているかは疑わしい。結果としてネットには「自称」の怪しい人たちが溢れかえり、世間にデマを振りまき、警察のご厄介になるような事件を起こしている。

しかしその一方で世間の「専門家」には、おそるべき実力を持った人も少なからず存在する。

たとえば、亭主の同期であるK氏の職場に、「棒銀(将棋の戦法)」が滅法強いベテランがいる。彼は高卒で今の職場に配属となり、そこではじめて将棋のルールを習った。同時に当時の職場の人から「棒銀」を習い、以来40年間棒銀一筋に将棋をさしてきたというのだ。

K氏も将棋は5段(アマチュアでは最高)の腕前だが、このベテランと将棋を打つと大苦戦する。なにしろベテラン氏は棒銀ひとつで、様々な相手方の守りを崩し、様々な攻撃を受けてきたという経験があるのだ。以前、プロ棋士が地方を訪れ、何人かの素人と同時に将棋をさすイベントを開催したことがあったのだが、素人の一人にこのベテラン氏が紛れたところ、プロ棋士が彼の棒銀戦法にきりきり舞いしたらしい。

すべてK氏からの伝聞でいくらか脚色が入っているかもしれないが、要するに市井に隠れた「専門家」だけは油断できない。

本来、人は誰もが「自らの経験したこと」に対する専門家である。自らが体験したこと、自らが見、聴き、肌や舌で感じたことについては、自信を持って断言できる(ただし残念ながら自分の心や身体で起こっていることは分からない)。

このブログをはじめるにあたって、亭主は先にも書いた「自称」な人々の仲間にだけはなるまいと、心に誓った。そのためには自らの経験したことのみを記事にするよう心がけた。自分語りが多く見えるのは、断言できる部分が自分の見たり、感じたりした部分にしかないからにほかならない。

自らが様々な方向にアンテナを向け、様々な事物を経験しなければ、語るべき部分はすぐに枯渇する。ニュースサイトや新聞を読むだけでなく、実際に行動し、自らに経験をインプットしなければ、語るべき部分が生まれてこない。

最近、ブログ記事の更新がさっぱりなのは、亭主自身のアンテナの範囲が極端に狭くなっている、行動しなくなっているからなのではないかと、思い至った今日この頃だ。

05/21 【聴】 XTLP / μ-Ziq, Planet-Mu(ZIQ360CD)

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μ-ZiqことMike Paradinasの最新作が自身のレーベルPlanet-Muからリリースされた。ヴァイナルのみで発売されたEP、"Rediffusion"と"XTEP"に、エクストラトラックとして"Forger"を加えた全12曲が1枚に集約されている。CDとしては初リリースとのこと。

一聴してわかる非常にポジティヴなシンセ・ミュージック。M1 "XT"などはシンセ黎明期に良く見られた電子音楽、楽器が奏でていたメロディをシンセに変えただけで、どことなく未来的に聴こえてしまう音楽―――を連想させる。全体的にのどかで、昨今流行の攻撃的・実験的な音響と比較するとむしろ冨田勲や姫神あたりと並べても違和感がない。Mike自身もこのあたりはよく理解していたようで、70年代のシンセ・ポップあたりとの直結を考えていたようだ。

その一方で後半は2-Stepやガラージの影響が強まっており、現代的。M6 "Monj2"あたりからディープな曲調に移行していく。こちらのほうが最近のμ-Ziqらしい。EP "Rediffusion"の曲は後半に(おおむね)集まっている。

2015年5月18日 (月)

05/18 日々雑感

「雑談系」の記事をNetwalkerで書く、という選択肢がどれほど有効なのかを再確認するため、さっそくNetwalker+gedit(テキストエディタ)を使って記事を書いている。

正直、全然使い物にならないのではないかとも思っていたのだが、意外と順調にテキストを入力できる。使いにくいことで定評のあるNetwalkerのへこへこキーボードも、へこへこであること、キー配置が特殊であること、一部キー(カンマやピリオド)が異様に小さいことを覚悟すれば、書けないことはない。むしろ、書きやすさよりもPCやiPhoneとウィンドウを別にして記事を書けるというメリットの大きさが際立つ。PCやiPhoneの画面にネタ元の記事を表示し、その記事を眺めながらNetwalkerでテキストを入力する、という執筆スタイルは、いちいち元記事とテキスト入力画面とを切り替えることなく作業が進められるという点で望ましい。



ところで、同じような使い方をするならばKingjimのデジタルメモ"pomera"という選択肢もあり以前に「繁盛記」で物欲を練ったことがある。



選択肢としては

 DM25(折りたたみキーボードでデータ授受はSDカード経由、アルカリ電池で20時間駆動、実勢価格18000-25000円)
 DM100(フルキーボードでデータ授受はSDカード経由、ただしWi-Fi内蔵SDカードを使うことでEvernoteと連携可能、アルカリ電池で30時間駆動、実勢価格は18000-47000円)

 あたりだろうか。個人的にはアルカリ電池のマネジメントという部分に若干面倒くささを感じるが、「慣れ」しまえばどうということもなかろう。

pomeraに関しては以前に秋葉原のヨドバシカメラで実機を触ったことがある。このときは「わりと普通にかけるなあ」という印象、ただしキーをパチャパチャと打つ感覚、打鍵の度にキーと、机がガタガタと動いたのには感心しなかった。

それに対してNetwalkerでの打鍵は、キーがへこへこであるにも関わらず意外と安定していて、特に本体と机との密着感、安定感がすばらしい。

これくらいのテキストを入力できるのだから、Netwalkerもまだまだ現役で使えると言っても良いのではなかろうか。

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2015年5月16日 (土)

05/17 日々雑感

最近、めっきり「繁盛記」の更新が滞っている。

というよりも、「読」や「聴」の記事に比べて雑談系の話題がめっきり減っている。

理由は簡単、深夜に「読」「聴」の記事を書いているため、雑談系の話題に入る前に力尽きてしまうのだ。書きたいことは多々あるが、眠気や疲れの前では、「書きたい」などという衝動は瑣末である。当然の如く、睡眠が優先される。それでよいのだ、とも思っている。

雑談系の話題を深夜に書くからいけないのだと思い、空き時間に「するぷろ」-iPhone経由で記事をアップロードする方法も考えた。実際にいくつかの記事はiPhoneから投稿されている。ブログツールとしてiPhoneを使うことは「原理的には」可能であるという感触は得ている。

しかし、ブログツールとしてのiPhoneの使い勝手は、実は最悪である。画面が小さいうえにフリック入力は長文には向かない。特に入力方法に関してはBluetoothキーボードを都合3台も購入し使い勝手向上に努めてきたが、やはり画面の小ささは致命的である。

加えてiOSには日本語入力の予測変換にクセがある。日本語を入力していると必ず余計な予測変換結果(語句)が入り込んでしまうのだ。英数/カナ/絵文字の切り替えも直感的に使いづらい。かな入力をしていて、数字や英字を挿入するための動作が仰々しい。

かてて加えて、テキスト入力部分のエディタとしての使い勝手も悪い。カーソルを特定の位置に移動しにくく、カット&ペースト、推敲が億劫になる。

さらにさらに、Evernote、するぷろ、Safariのテキストボックス上で、長文テキストを編集しようとすると、テキストボックス内の表示と編集がずれ始める。などなど、もうほとんどの部分で使い物にならない。

先ほど、棚の中からSharpのNetwalker PC-Z1(Ubuntu端末)を久々に取り出し、iPhoneのテザリング機能を利用してPC-Z1をネットに接続してみた。iPhoneを通信アダプタとして動作させることで、目論見どおり3G通信機能のないPC-Z1がネットに繋がった。調子にのってBluetooth Keyboardの接続も試みたが、こちらは認識してくれなかった。Netwalkerのキーボードの使い勝手の悪さは定評のあるところなので、将来的になんとかしたいところ。

Netwalkerがネットに繋がれば、直接Movable Typeにログオンできるし、Evernote for Webにアクセスすることもできる。Blogツール/エディタとしてのみNetwalkerを使うというのもおかしな話だが、「そういうことも出来る」。「やろうと思えば出来る」。

iPhone、Netwalker、いずれにしても入力系の貧弱さはいかんともしがたい。いっそのことiPadの新型を買ってしまおうかなどとも思っているが、さて。

05/16 【読】 「荒神(宮部みゆき、朝日新聞出版)」

「荒神(宮部みゆき、朝日新聞出版)」

推理小説家である一方で時代小説家でもある宮部氏による時代ホラー小説。2014年8月刊。2013年3月から2014年4月まで朝日新聞にて連載されていたものを大幅加筆・単行本化したものが本作となる。徳川綱吉の治世、深い山中にある陸奥国の小藩にて起こった怪異の顛末を描く。

陸奥国、現在の福島県にあったという小藩・香山藩。神が住まうという大平良山のふもとにあって、薬草を産品とするこの藩の集落・仁谷村で異変は発生した。集落の民家は全て焼け落ち、住民は行方不明。香山藩と接する永津野藩のならず者たちによる「人狩り」かと思われる本事件の真相を探るべく、香山藩の藩主小姓で現在療養中の小日向直弥が、従者とともに仁谷村のある大平良山中へと分け入る。

宮部みゆきが得意とする時代小説、しかし本作は少し趣向が変わっている。タイトルにもなっている「荒神」を巡り様々な人々が、様々な場面で右往左往するという内容はおそらく誰もが想像されるかと思うが、実際本作は読み手のささやかな期待からナナメ上45度にぶっとんだ内容となっている。ミステリかと思えばミステリではない、時代小説というにはストーリにいろいろと飛躍があって、なかなか説明が難しい、というのが現状か。ホラー要素が含まれるエンターテイメント時代小説、というのが一番しっくりくるジャンルわけ、だがその内容を説明するとなるとほとんどタネを明かしてしまいかねず・・・。

2015年5月15日 (金)

05/15 【読】 「火花(又吉直樹、文藝春秋)」

「火花(又吉直樹、文藝春秋)」

お笑いコンビ「ピース」の一人である又吉直樹(ピース又吉)による小説。太宰治に傾倒し、芸人と小説家の二束のわらじで活躍する氏が、現代に埋没していく二人のお笑い芸人の生き様を描き出す。出版直後から大きな反響を呼び、文学書としては近年珍しい大増刷がなされたという。

新人芸人でお笑いコンビ「スパークス」の徳永は、熱海での地方営業で一人の芸人と出会う。徳永より4歳年上、お笑いコンビ「あほんだら」の神谷は生来よりのお笑い芸人、奇想の天才であった。営業のあとの二人飲みで、神谷に弟子入りを申し入れた徳永。願いは聞き入れられたものの、「神谷の行動を徳永が全て記録し、後に伝記として出版する」という条件がついた。以降まるで兄弟のように寄り添う天才芸人とその弟子の求道の日々、行き着く先には一体何が待っているのか。

文芸書として大きな話題となった「火花」。妻がかねてから読みたいとのことで、妻が読み終わった後、亭主も借りて読んでみた。「笑いの天才」と目され、感性のみならず理論面にも精通し、しかも行動派―――という生粋の芸人である神谷と、努力家でそこそこ人気があるものの、その境遇に違和感を覚え常に周囲と距離を置く徳永。対象的な性格、しかしどちらもが社会からのアウトサイダーであるという二人の登場人物によって物語が進行する。丁々発止の「お笑い」談義、お笑いに対する二人の激論は、読み手に対し常に新しい視点と、謎を与え続ける。お笑いとはなにか、芸人はどう生きるべきか。おそらくは又吉氏の日頃考えるところも多分に含まれていると思われる。それが文芸書なのだというわけではないが、生き方を論じるうえでの切り口としては非常に斬新で、なるほど文芸にはこういう表現方法もあるのだなと感心。微妙な余韻で〆るラストも面白い。 

2015年5月14日 (木)

05/14 【聴】 Sounds from The Far East / Soichi Terada, Rush Hour(RHRSS12CD)

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寺田創一が主宰するFar East Recordingsの作品が、オランダのレーベル、Rush Hourから再編集されてリリースされた。選曲はRush Hourで作品を発表するHunee。全13曲。

日本人ハウス・アーティストとして1990年代より活動する寺田創一。Nami Shimada(あの女性アイドル島田奈美である)がヴォーカルをつとめる"Sun Shower"のスマッシュヒットによりシカゴ・ハウスの重鎮Larry Levanに認められ、Paradise Garageほかアメリカのハウス系クラブに強いコネクションを持ったことは意外と知られていない。亭主自身もアルバムを数枚持っている程度、国内においてはほとんど無名に近い、と言っても良い寺田氏だが、Yukihiro Fukutomi, Satoshi Tomiie, Toshihiko Mori(AJAPAI)らとともに国産ハウス・ミュージックの最重要アーティストとしていまもアーティストの尊敬を集めている。

さて、そんな寺田氏のアルバム。ハウスと先ほど書いたものの、そのサウンドは非常に清浄で健康的、シカゴ・ハウスやフィラデルフィア・ハウスのようなブラック・ミュージック的要素、闇の中で黄金色に輝くかの如くのアフロダイナミズムは皆無に近い。亭主などが聴くと非常に生真面目で清廉潔白、几帳面なサウンドと受け取れるのだが海外の人はどのように聴こえるのだろう。サウンドは確かに真面目だが、その節回しやリズムは非常に凝っている。海外のひとにとってはそのあたりが日本人らしさ、エキゾチズムに感じられるのかもしれない。

2015年5月12日 (火)

05/12 【聴】 Hotel Paral.lel Deluxe Edition / Fennesz, P-Vine(PCD-23988)

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アンビエント|アブストラクトの巨匠・Christian Fenneszの1997年作品"Hotel Paral.lel"に、96年に限定100枚リリースされた7inchシングルからのトラックを加えた豪華盤。Fenneszのデビュー10周年を記念して2007年にリリースされた。

ホワイトノイズとシンセ・ドローンを主体としたアンビエント。彼が得意とする茫漠たる空間表現、「静」と「動」がほどよく調和した作品が本作となる。以降の彼の作品は比較的「静」の部分が強調されているが、本作に限っては積極的なビートを採用しており、ホワイトノイズも音量強め。小音量ならば空気感の表現に好適なホワイトノイズが、音量を強めたとたんに壁へと変化するさまはなかなかに面白い。コンセプトとしてはぼやけるが、アルバムを聴くうちにぐいぐいと引き込まれる構成力がある。

一方限定100枚制作というシングルからは"aus", "5", "6"の3曲が収録されている。こちらはHotel Paral.lelとはまた少し趣が異なり、アフリカ楽器のようにビヨビヨと何かを弾く音がフィーチャーされていたり、遠くでギターが鳴っていたりとなかなかにぎやかだ。

2015年5月11日 (月)

05/11 【聴】 8:58 / 8:58(Paul Hartnoll), ACP Recordings(ACPCD1501J)

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OrbitalのPaul Hartnollによる新たなプロジェクト、8:58のフルアルバム。ヴォーカリスト/ヴォイスとしてCillian Murphy, Robert Smith, Lianne Hall, Lisa Knapp, Ed Harcourt, Unthanks, Fableらをフィーチャー。美しくもダンサブルなシンセ・ミュージックを聞かせる。全9曲。すべて曲長が8分58秒。

一聴して、「ああ、Orbitalだなぁ」と実感できる曲ばかり。シンセの音色、四つ打ちのビート、あるいはリフの感じに至るまでOrbitalが作るそれをしっかりと継承している。一方、従来の彼の作品と大きく異なるのは、なんといってもヴォーカルの存在感。UKテクノ的な「しかめつらしい」イントロが、ヴォーカルにより特有の雰囲気へと変化するあたりが人間の声の持つ特質なのだろう。

2015年5月10日 (日)

05/10 【読】 積読通信5月号

【小説】
  • 錨を上げよ(百田尚樹)
  • とっぴんぱらりの風太郎(万城目学)
  • ぼくらは都市を愛していた(神林長平)
  • 荒神(宮部みゆき)
  • 火花(又吉直樹)  new!!!
【地誌・民俗学】
  • 日本奥地紀行
【ビジネス・経済】
  • 地球の掟(アル・ゴア)
【音楽・オーディオ】
  • ダニエル・ラノワ
  • 良い音とは、良いスピーカとは?(瀬川冬樹) new!!!
地道に読んでいる。
1冊減らして、2冊増えたので合計で+1冊。「荒神」「火花」あたりは旬が過ぎないうちに読みたいところだが、この辺で「地球の掟」を読んでおくと積読的な印象がぐっと減る。「日本奥地紀行」は相当ボリュームがあって、また内容も重いので泊りがけの出張などで読みたいところ。

05/09 【読】 「サンカの起源(筒井 功、河出書房新社)」

「サンカの起源(筒井 功、河出書房新社)」

元共同通信社記者で民俗研究者。日本における漂泊民・サンカの生態・習俗研究の第一人者である著者が、自身のフィールドワークのからサンカの実態とその起源を考察した書。2012年6月刊行。

古来より定住を持たず、集落を回っては箕や筬、川魚などを売り歩いた漂泊民・サンカ。関東ではミナオシ(箕直し)、ミーブチ(箕打ち)、ミヤ(箕屋)などと呼ばれたほか、東北では「テンバ」、中部では「ポン」「ポンツク」など全国に存在したようである。戸籍を持たないため無税・兵役もなく、教育を受けないため文盲。定住民と距離を置き、必要に応じて接触していたという彼らの記録は正史にはほとんど記載されていない。その特異性から定住民から一種好奇の目で見られ、近年はその職業などとはまったく関係なく差別の対象となった彼らの暮らしをつまびらかとしたのが本書となる。著者である筒井氏は、関東のとあるサンカの家族と長年接触し、その家族構成や暮らしぶり、はたまた日々の生活に関する様々な事柄についてのインタビューを重ねることで、多くの情報を収集することができたという。彼のフィールドワークは関東周辺にとどまらず、東北や中部、四国、大阪、岡山、九州そして遠く朝鮮半島にまで及ぶ。この膨大な情報、過去の(サンカに限定されない)様々な文献、平成20年代にあって存命な土地の古老たちへのインタビューを重ねることとで、サンカの起源が日本古代の「傀儡師」そして朝鮮半島の被差別民「白丁(ペクチョン)」に至ることを突き止める。

物語のテーマが、サンカの習俗からはるか古代史まで広いためか、「概論」的な内容になっている点はいたしかたなし。興味のある方は本書中に記載の文献(氏の著書を含む)をあたってもらえればより詳細にサンカの世界を知ることが出来よう。それにしても戦後の近代化はサンカの方々にとってはそれまでの時代とは全く異なる苦労の連続だったようである。なにしろどこかに落ち着こうとしても、また具合が悪く医者にかかろうにも、あらゆる場面で経歴・戸籍が必要となるのだから。

はるか悠久の過去に遊び、現代に埋没していくサンカの実態を総合的に紹介した書として興味深く拝読した

2015年5月 8日 (金)

05/08 近況報告

ブログがなかなか更新されないうえに、Musicのコーナーのレビューも進んでいない、一体亭主は何をやっているのかと思っている人がいたとしたら、

多分居ないと思うが、

いやそもそもこのサイト自体、訪れる人はいないと思うが、

いたとしたら心外な話である。

このところMusicのコーナーの過去のCDレビューの補完を精力的に進めている。

2000年8月のCDレビュー(LP, DVD, LDなどのレビューは後回し)は完了し、現在は2000年9月のCDレビューを執筆中。過去のCDを探し出して、ジャケットをスキャンして、音楽を聞きながらあらためてレビューを書くというのもなかなか楽しいものである。当時は見えなかった様々なこと、音楽業界の動向であるとか、アーティストの将来であるとかが俯瞰できて、勉強にもなる。なにぶんレビューすべきCDの量が約1年半で450枚ある。ライフワークと割り切って気長にすすめている。

もし興味のある方は、2000年8および9月のレビューをご覧いただきたい。

手前味噌になるが、結構発見も多いです。

2015年5月 7日 (木)

05/07 音楽CD売上げの低迷について

合わせても3000億円割れ...日本の音楽CDと有料音楽配信の売上動向(不破雷蔵(「グラフ化してみる」ジャーナブロガー解説者)、Yahoo!ニュース)

音楽CDの売上げ低下が止まらない。

記事によれば1998年に6075億円を誇った音楽ソフトの売上げは、その後どんどんと低下、2014年には2542億円と58%も減少している。携帯電話向け音楽サービス「着うた」に代表される有料音楽配信も、2009年に910億円とピークに到達したあとは437億円まで減少、2014年の音楽ソフト・有料音楽配信を合わせた売上げは2979億円と、1998年のほぼ半分にまで低下した。

音楽ソフト売上げ低迷の原因を、Winnyに代表されるファイル共有ソフトウェアを介した違法ダウンロードと断じた著作者団体もそろそろ自らの過ちを認める時期に来たと思うのだが、2013年には音楽を私的複製可能な機器・媒体・サービス(たとえばPC用HDDやフラッシュメモリ)全般に問題があるとして新たな補償金制度創設を提言している。

さらに悪いことに、2014年に開催された「著作物等の適切な保護と利用・流通に関する小委員会」では、オンラインストレージやそのサービスにまで補償金を求めるという無理筋なことを言い出したそうで、会議は大いに紛糾したのだという。

貧すれば鈍する、とはよく言ったもので、著作者団体が無理筋な「徴発先」を続々ひねり出したところで、音楽CDの売上げ低下は止まらないだろう。

いや、それにしても音楽ファンがゼロになるわけではないだろうから、どこか一定の売上額で下げ止まり、その後低空飛行を続けることになるだろう。重要なのは、現在の売上額では、バブル期に大きく肥大した音楽産業(とそこで甘い汁を吸っている音楽関係者たちの生活)は支えられない、ということである。関係者が一刻も早く取り組むべきなのは、手っ取り早く収入を増やすための「徴発先」を考え出すのではなく、売上額に見合った産業構造へと転換していくことだ。

いわゆる「現場の」アーティストたちはそんな変化にいち早く反応し、CD売上げではなくライブとライブ会場での物販に力を入れたり、自力でレーベルを立ち上げ音楽配信や動画サイトを音楽活動の場としていたりする。HDDなどといったお手軽な徴発先に収入増を期待するのは、現場からははるかに遠い場所で、過ぎ去りしバブル経済の夢を見ながら体制維持に拘泥する人たちなのではなかろうか。

05/07 【聴】 Answers Comes in Dreams / Meat Beat Manifesto, Metropolis(MET673)

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Jack Dangers(と、かつてはJonny Stephens)によるプロジェクト、Meat Beat Manifestoが2010年にリリースしたオリジナル・フル・アルバム。全12曲、テクノ、グリッチ、ダブなど電子音楽のもっとも「濃い」部分を通り抜けてきた彼らのアルバムは、これまでのキャリアと、ファンの新作への期待を大きく裏切るダブ・ステップのアルバム。

ネットで本アルバムの評価を眺めるに「ダブステップに近い」「MBMがダブステップやってどーすんの)的な評価が多いことに気がつく。たしかに全体の構造がとらえにくい昨今ではあるが、彼らの作品が「ダブステップ」と評されるのは少し違う。これまでにも彼らはテクノやグリッチの「濃い」部分担当で、ダブステップなるUKガラージの一分野がダンス・ミュージックシーンに燦然と光が差し込まれる以前から地道な活動を続けてきた。確かに作品そのものは非常に暗く、地を這うようなベースとシンプルなトラック構成は通好みといっても差し支えない。しかし全体を聴いてみると、決して暗いだけではない。サンプリングやヴォイスによって適度にブーストアップされたサウンドは、本作がこれまでの彼らの作品の延長線上、すなわちグリッチやデジロックといったなかなか世間一般から認知されなかった、しかしテクノの潮流として黎明期からしっかりと存在する流れに根ざしていることを示唆している。キャリア的には充分に大御所なのだが、そのサウンドは常に実験的・探求的である。

2015年5月 5日 (火)

05/05 【聴】 Swingin' Stampede / Hot Club of Cowtown, Hightone(HCD-8094)

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Whit Smith(Guitar), Elana Fremerman(Fiddle), Billy Horton(Upright Bass)の3人によるカントリー・ウェスタン・バンド、Hot Club of Cowtownの1998年アルバム。全14曲、軽快なフィドル(バイオリンの一種)とギターをリードに、ノリの良いウェスタン・サウンドが楽しめる。

彼らは基本的にオリジナル曲を演奏しない。もっぱら古いカントリー・ウェスタンやジャズ、クラシックの名曲などのカントリー・アレンジを得意とする。彼らは基本的にサポート・メンバーを必要とせず、3人というミニマル構成で演奏に取り組む。3人がそれぞれヴォーカルを担当し、曲ごとに個性的な歌を披露する。そのこだわりの強さ、一貫性は流行の廃りが激しい昨今の音楽シーンにあっては非常にまれな形態・とりくみとも言える。

亭主自身はカントリーは門外漢で、このジャンルといえばHot Club of Cowtownくらいしか知らない。本来様々なアーティストを聞き比べてジャンルを俯瞰すればよいのだろうが、アレンジといい原曲のバラエティといい、このアーティストだけでも充分にシーン全体が俯瞰できる(いや実際シーンなるものが存在すれば、の話だが)。アメリカのルーツ・ミュージックともいうべきカントリーの基本を抑えつつ、しっかりと応用編も楽しめるというのはうれしい話だ。

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