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2015年1月

2015年1月31日 (土)

01/31 【聴】 Neroli / Brian Eno, All Saints|Beat(BRAS-012)

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音楽家Brian Enoが1993年にリリースしたミニマル・アンビエントのアルバム。全1曲、57分57秒というドローンの大作は、アルバムの名前の通り、セビリア・オレンジの花から取れる希少な香水の雰囲気を漂わせる。今回はAll Saints Recordsから一挙再発された4枚のアルバムの1枚を購入した。なお、再発盤には1992年に制作された未発表曲"New Space Music"をDisc 2として追加。こちらも61分25秒というドローンの大作。

「香り」をイメージさせるミニマル・アンビエント。音数はごくごく少なく、暖かみを感じさせるドローンの背後に極小音量のアタック音が鳴り響く。積極的に聴きこむ、というよりもBGMとしてまったりと鳴らすのが良い。約1時間という分量は、中途半端に曲調が変化して、聴く人の思考を邪魔することがない。"New Space Music"もまたミニマルなドローンだが、こちらは"Neroli"よりも音量が大きく、また起伏が明快となっている。人工衛星から地球を眺めているかのようなゆったりとしたダイナミズムが感じられる。

2015年1月30日 (金)

01/30 【聴】 Year Book 2005-2014 / Ryuichi Sakamoto, Commmons(RXCM-59752-3)

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2014年7月に中咽頭癌であることを表明、しばらくの活動休止を宣言した坂本龍一の未発表作品集。2005年から2014年までの10年間に制作した30曲が2枚のCDに収録されている。1枚目には全6曲、比較的長めで曲としてのフォーマットがしっかりしているものを収録。2枚目には全24曲、テレビ番組のテーマ曲やBGM、ラジオ番組のジングル、リミックスなど比較的小ぶりな曲を集めている。

「年鑑」と銘打たれた本アルバム。実はかなり以前から企画され、延期に延期が重ねられたのだという。当初は教授も軽い気持ち、雑誌連載のエッセイを単行本にまとめるような気持ちで取り掛かったのだが、いざ着手してみるとなかなかどうして、相当に時間も、手間もかかったようである。長尺の曲からショート・バージョンを作ったものの結局原曲を収録してみたり、膨大な仕事のなかからどれを収録するかを吟味したりと、病気療養中にもかかわらずかなりの仕事をこなしている。結果として2枚組、フル・アルバムにも匹敵するボリュームと構成の作品が完成した。教授の手を動かしたのは、10年間の自身の仕事のふりかえりと、ふりかえりから得られた新たな創作意欲によるものだそうだ。教授の10年は、様々なアーティストとの交流、多才なジャンル・メディアとの交歓の10年だった。時代によって変化していく作風を、教授自身がもっとも興味深く観たようだ。

Disc 1は第7回世界合唱シンポジウムのテーマ曲"Cantus Omnibus Unus"、映像作家マイ・ホフスタッド・グネスの作品"Moscow"のテーマ曲、アート・エキシビション「ミッシング・ピース」に寄せた"Sonic Mandala"、北欧の携帯電話メーカNokiaの携帯電話の着信音"Nokiartrek-pf01, 10"、NYのアートマガジン"Visionaire"の付属CD収録曲の6曲。とくに"Sonic Mandala"は実に30分という長尺のアンビエント、Alva NotoやFenneszら坂本と作品をリリースしている新進気鋭のアンビエント・ミュージシャンたちの影響が色濃い。

Disc 2はEテレで放送された「Schola 音楽の学校」のテーマ曲(教授自身が講師をつとめる)、同じくEテレで放送された「ダンゴムシ」のショート・ムービーのBGM、相対性理論の楽曲のリミックス、アウディのTV CF BGMなどなど。いずれも完成度は非常に高く、またアルバムとして通して聴くと、時間の経過による作風の変化をアルバムの「雰囲気」作りに利用した、統一感のあるアルバムに仕上がっている。お仕事集で片付けるなかれ、"Out of Noise"に匹敵する大作。

2015年1月28日 (水)

01/28 【聴】 Computer Controlled Acoustic Instruments Pt.2 EP/ Aphex Twin, Warp|Beat(BRE-50)

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2014年9月にアルバム"syro"を発表。同年にグラミー賞にノミネートされたほか、国内外のレビューサイトがこぞって「今年最高のアルバム」と評価したテクノ・アーティストAphex TwinことRichard D. Jamesの最新作が早くもリリースされた。EPとあるが全13曲。全編にアコースティック楽器の音色を使用、これまでのアシッドな路線から180度方向転換したアルバム。

亭主が本アルバムを聴いて即座に思い浮かべたのは、ドイツのクラウト・ロック・バンド、CAN。残響の多いシンバル音やプリペイド・ピアノを意識したたどたどしいメロディラインは、1960〜70年代に急速に発展した実験的ロックの中心的な存在だった。Aphex Twinのアルバムもまたシンバル音やピアノのメロディを採用し、あまつさえ当時大流行したハンマー・ビート的なリズムをもつトラックすらある。まるで時代が一回りしたような気分、彼がまさかクラウト・ロックに合わせてくるとは想像もつかなかった。9秒、20秒などという超短いトラックがあるあたりも、当時のアヴァンギャルドさと共通するものがある。

Aphex Twinの新作として聴くとかなり異形だが、素直に聴くと素直に楽しい良作。もちろん1960年代あたりのジャーマン・ロックに親しんでいる人ならばさらに楽しめることだろう。

2015年1月27日 (火)

01/27 【読】 「定本・日本の秘境(岡田喜秋、山と渓谷社)」

「定本・日本の秘境(岡田喜秋、山と渓谷社)」

雑誌「旅」の編集者として日本全国を遍歴。多くの紀行文を発表したのちは横浜商科大学の教授として観光学の構築にも携わった著者が、昭和30〜35年に記した旅の記録が本書となる。 1960年、昭和35年が初版、その後1964年、1976年に再刊行されたのち、2014年に全面再編集・出版された。

戦後10年を経て巻き起こった「旅ブーム」。敗戦からの復興、高度経済成長に沸く日本にあって、日本の自然・名所旧跡・湯治場を巡る旅は、日本と日本人のアイデンティティを取り戻すためのムーブメントであった。なかでも好事家の注目を集めたのは、自然の要害に阻まれて往来困難な「秘境」への旅。本書はそんな好事家に向けて、著者の遍歴から「山」「谷」「湯」「岬」「海」「湖」にまつわる秘境をそれぞれ3篇づつセレクトしている。

本書において「秘境」とはいったいどのような場所を指すのか。たとえば北海道の野付岬や襟裳岬、愛媛県の佐多岬などいわゆる地の果てといった場所もあれば、三重県の大杉谷や群馬県の神流川源流など、山に囲まれヨソモノがめったに行かない場所もある。苗場山の赤湯、青森県の酸ヶ湯などは地元の人でなければ知らない山奥の湯治場である。その場所に共通するのは、決して「無人」や「人跡未踏」の地ではないということだろうか。秘境にあっても必ず人の営みはある。水を汲みに何時間もの山道を通わねばならない場所、電気が通じずランプの明かりだけが頼りの粗末な宿など、いわゆる「僻地」に暮らす人々の生活に光をあてる。折りしも高度経済成長期の始まり、都会で消費する大電力の確保のために、峡谷がせき止められ水力発電のためのダムが次々と建設される時代である。都会の人々が「旅ブーム」などといって日本各所の名勝をそぞろ歩く一方で、僻地に住まう人々は、痩せた土地を耕し、限られた平地で作物をつくってはわずかな収入で糊口をしのいでいる。本書の中で筆者は、「秘境」をけっして観光地として扱わない。自然や風景の描写は最小限に、ひたすらに人々の生活、高度経済成長の波に乗り遅れ、文化的生活から隔絶された人々の生活を描き出す。

それにしても、本書を読んでいると、これがたったの55年前のことだとは到底思えない。現在は日本全国にあまねく鉄道網が敷かれ、国道もまた隅々まで整理されている。温泉宿も観光化が進み、山間の集落ですらケーブルテレビや携帯電話網でインターネットが見られる時代である。ところが本書の日本ときたら、絶望的なまでに未開で、困窮していて、悲壮感がひしひしと伝わってくる。まるで100年も、200年も前の出来事のように感じられるが、「戦後」という意味では現在から直接たどることのできる過去であり、しかもまだ半世紀そこらしか経っていないのだ!

2015年1月26日 (月)

01/26 【食】 西安料理 Xi'ao(麻辣刀削麺、東京都千代田区)

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ヨドバシアキバ8階レストラン街にある、西安料理の店。うどんのような生地の塊から、小さな刃で削いでつくるという「刀削麺」がこの店の名物ということで、亭主もちょくちょく利用している。今回は唐辛子とラー油たっぷりの麻辣刀削麺を注文した。

真っ赤なスープに肉味噌、いかにも辛そうな見た目の麻辣刀削麺。ご丁寧に赤唐辛子が浮いている。辛味が苦手な人には厳しいメニューかもしれないが、亭主的にはそれほど辛くない。確かに唐辛子の辛みは感じるけれども、スープのあとくちは意外と涼やか、さっぱりとしている。辛みそとスープの相性も良く、汗をかきながらも美味しく食べられる。刀で削った幅広の麺はうどんのよう、もちもち、つるつるとしてこちらもまた美味しい。亭主の大好きな香草(パクチー)がちりばめられているのもポイントが高い。ただし、パクチーの量は必ずしも多いとはいえず、香草の大ファンである亭主的には不満。

かつて亭主には贔屓にしていた刀削麺の店があった。今はどのように味が変化したか分からないが、当時はその店が一番美味いと信じて疑わなかった。アキヨドにこの店(Xi'ao)が開店したと聞き早速食べた際には、確かにうまいと思ったものの、贔屓にしていた店には遠く及ばないと評価していたくらいだ。

とはいえ、時は移る。贔屓にしていた店から足が遠ざかり7年ほどにもなる。

今回は久しぶりにXi'aoに来て刀削麺を食べた。感想はといえば、これはもう素直に「美味」。かつての贔屓の味を忘れたか、それともこちらの味が良くなったのかは分からないが、充分すぎるほど満足した。

それにしても中国料理の唐辛子の使い方にはいつも感心させられる。日本で唐辛子料理というとひたすら辛さばかりが強調され、ある種「スポーツ」として認知されている向きすらある。対する中国の唐辛子料理は、麻婆豆腐もこの麻辣刀削麺も、辛さの中に旨みがあって、しかも辛さがすっきりしている。口の中に辛味を感じるものの、あとくちは常に爽やかで、むしろ心地よい。

01/25 第63回勝田全国マラソン

1月25日、茨城県ひたちなか市で開催された題記大会に参加した。

20150126katsuta01.jpg亭主自身は2010年の第58回大会から、今回で6回目の連続参加。寒い時期の大会ということで以前はあまり乗り気ではなかったが、毎年参加するうち恒例行事になってしまったようだ。大会の規模は年々大型化し、今年はなんとフル15891名、10km8304名とあわせて24195名のエントリがあったのだという。第58回大会が17000人というから6年間で7000人も増えている。つくばマラソンや手賀沼エコマラソンなどのように、エントリ開始と同時に申込者が殺到し、30分もたたないうちに締め切ってしまうような大会がある中で、エントリに制限がないという懐の深さがこのマラソンの人気の理由となっている。

20150126katsuta02.jpgさて、そんなわけで第63回大会。

この日は天気にも恵まれ、穏やかな冬晴れの中でのスタートとなった。市内の商店街をスタートに、33m道路を海に向かって走ったあとは、国道245号を北進、東海村市街地・ひたちなか市高場(亭主が以前住んでいた)・勝田工業団地を経て33m道路へと戻る42.195km。沿道には常に応援の皆さんがいて、声援を送ってくれたり、チョコレートやアメ、飲み物などを差し入れしてくれたりと地域ぐるみでマラソンを盛り上げてくれる暖かさがこの大会の一番の魅力だ。なかでも名物は、30km手前の西原集会所で供される豚汁だろうか。多くのランナーが足を止めて温かい豚汁に疲れを癒す。亭主も、また今回は不参加となったが亭主の妻もこの豚汁が楽しみで参加しているようなものだ。

亭主自身は昨年の佐野マラソンで自己ベストをたたき出しており、今回はさらにベストを更新、という意気込みで参加した―――のだが、実際はそれほど甘くは無かった。実は前日からひどい虚脱感に襲われていて、特に腰から脚にかけての疲労感、どんよりとした疲れが大会当日まで抜けなかった。結局、ハーフあたりまでは6分/kmというペースを守ったものの、そこから先はじりじりと速度低下、だんだんと脚が動かなくなってしまった。

高場陸橋を過ぎ、25kmあたりでこれは遺憾、自己ベストどころではないと悟り、

そこから方針を変えた。

楽しみにしていた西原の集会場、残念ながら豚汁は無かったが、実はここにはもう一つ隠れた名物があるのだ。

妻は「おふかし」と言っているが、亭主の実家でいうところの「ふかしご飯」。集会場の中にあるのだ。炊き立てのふかしご飯を、漬物と、煮物(この日ははんぺんとちくわ)をおかずに食べる。これが美味いのだ。ご飯の上にかけられたごま塩が、漬物が、煮物が汗をかいた身体に染み渡る。集会場での心づくしを存分に味わった。

20150126katsuta03.jpgそこから先は、腹ごなしのジョギングである。ペースは落ちてしまったが楽しみながらのランも悪くない。気が楽になったのか、30km以降徐々にペースが上がって最後は半死半生でゴール。

自己ベストには遠く及ばないタイムだったが、楽しく、美味しく走ることができた。

それにしても今回ほど、沿道の皆さんに力をもらった大会はなかった。栄養補給にと、いろんな方からチョコレートやアメや、かりんとうなどをいただいた。子供さんがチョコレートを持って、必死にコースに向かって手を差し伸べている、そんな姿が可愛らしくて、思いのほかたくさんのチョコレートを受け取った。

いろいろと大変だったような気もするのに、今思い返してみると楽しかったことばかりが思い出される。

沿道の皆さん、本当にありがとうございました。

2015年1月21日 (水)

01/21 ハワイコンビ通信

家族なので、亭主も妻もちゃんと分かっているつもりなのに。

IMG_2178.JPG瞬間ふとんからむっくり顔を出されると、見分けがつかなかったりする。

体格、毛の色、はなすじの形、瞳の間隔。
違いを数え上げればきりが無いが、おそらくこの記事の写真から、区別が出来ない人もいるのではないか。

手前でリラックマのブランケットをかぶっているのが、あろはちゃん。
奥でハローキティのブランケットをかぶっているのが、まはろくん。

この日は雪がちらつくほど寒い日で、昼間は二匹とも布団をかぶって寝ていたとの妻情報。お昼休みにこんな写真が送られてきたら、午後はずっとニヤニヤですがな(*^o^*)

01/21 江川三郎氏、逝去

オーディオ評論家の江川三郎氏が、18日に亡くなった。享年82歳。
オーディオアクセサリー誌、ステレオ誌などで健筆を振るわれ、連載「江川三郎実験室」では斬新なアイデアで様々な音質向上策に取り組まれた。オーディオ黎明期に「ケーブルで音質が変わる」ことを指摘、当時はずいぶん批判を集めたが、現在では常識となっている。オリジナル音質向上グッズの開発にも熱心で、「浮雲」など製品化もされていた。

謹んでお悔やみを申し上げます。

実は亭主、このエントリを書くかどうかですこし迷っていた。亭主自身は江川氏と面識がないばかりか、江川氏の音質向上策を積極的に取り入れても、あるいは氏の開発したグッズを購入してもいないからだ。雑誌などで氏の連載を読む程度、そんな人間がいまさらお悔やみなどおこがましいと思ったからだ。

亭主の認識では、江川氏はどちらかといえば普及価格帯の製品、特にシステム全体よりも部品や機器単体に注目して活動していた。機器の批評よりもむしろ、自身が手を動かし、試行錯誤する「オーディオ研究家」であったように思う。その意味では、同じ普及価格帯を中心に、自作スピーカを開発していた長岡鉄男氏と近しいものがあるようにもみえるが、長岡氏がソフト評論、機器評論などシステム全体から機器まで幅広く活動していたのにくらべると、江川氏はどちらかといえば機器寄り、特に様々な実験を通じて音質向上の方策を模索していて、その方向性は微妙に異なっていた。

ちなみに、高級機で部品やこだわっているのは寺島靖国氏、高級機でシステム全体にこだわるのは菅野沖彦氏・・・とこじつけてみたが、だからなんだという話でもない。単なる頭の体操。

江川氏の「オーディオ研究家」としての活動、様々な面白い試みが見られなくなるのはとても残念である。奇抜であっても、オカルトの領域とは一線を画した、その姿勢に敬意を表したい。

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2015年1月19日 (月)

01/19 【読】 「ペテロの葬列(宮部みゆき、集英社)」

 「ペテロの葬列(宮部みゆき、集英社)」

作家・宮部みゆきによる長編ミステリ。2010年から日本全国22紙にて連載した新聞小説を加筆修正・一冊にまとめた社会派ミステリの快作。2014年12月25日第1刷刊。 「誰か」「名もなき毒」に続く、杉村三郎シリーズ第3弾。

千葉県は房総半島、小さな町で起きたバスジャック事件は、史上最も短い時間で終結した。運転手を含めて7人の人質は全員救助、犯人は自殺というあっけない幕切れ。しかしそれはさらなる物語への端緒だった。偶然にもバスジャックの人質のひとりとなった今多コンツェルンの娘婿・杉村三郎は、犯人の正体と事件の真実を知るため人質となった人々とともに動き出す。

人間ドラマを中心としたミステリを得意とする宮部みゆき。奇抜な舞台設定も、派手派手しいトリックも、また狂人じみた探偵もいない実に「地味」な作風、しかしそのドラマには温かい血が流れている。本作「ペテロの葬列」もまたそんな「温かい」作品の一つだ。主人公である杉村三郎は、一代で莫大な財をなした今多コンツェルンの会長によってグループ広報誌の編集者として働いている。(扉のイラストのイメージが強すぎると思うのだが)ごくごく平凡な常識人、力が強いわけでも、格別頭脳明晰というわけでもない。家庭では一人娘を溺愛し、病弱な妻を支える良き夫、職場では行動派の編集長をサポートするいたって普通のサラリーマンである。そんな彼がどのように事件に巻き込まれ、そして絡み合った事件の糸と謎をどのように解決に導くかが本作の注目点であろう。

本作が面白いのは、物語の構造が「ミステリ」としてはかなりクセ球なこと。メインに据えられると思っていた事件が早々に終結するあたりから、すでにこの物語が平凡ではないことが伺えるが、そのあともどんどんと事件が起きていく。普通ミステリというのは、大きな事件がドカンと冒頭にあって以降は、第1番目の事件の発展/応用系である事件が起きたり、あるいは探偵が次々と手がかりを見つけ出し、さあ後半は解決編ですと構えてみたりする。ところが、本作の場合、本当に最後の最後まで様々な事件がおき続ける。人間関係が織り成す物語の綾は、最後まで主人公である杉村三郎にまとわりつき、彼を奔走させる。途中若干中だるみもあるものの、最後の最後まで読み手を惹き付ける構成力はさすが宮部氏だ。

大作が多い宮部氏のなかで700ページ弱という分量の本作もまた「大作」の部類に入るが、派手派手しさがないせいか割合おとなしめ、コンパクトな印象。それでもエンディングではじわりとさせるものがある。

01/19 平井和正氏、逝去

「幻魔大戦」シリーズ、「8マン」原作で知られるSF作家、平井和正氏が1/17に亡くなった。享年76歳。急性心不全だったという。

亭主が本格的にSF小説を読み始めたのは、平井和正氏の幻魔大戦の影響によるところが非常に大きい。世紀末に向けて世間が徐々に騒がしくなっていった時代、様々なサブカルチャーが人々の不安とともに盛り上がっていた。超能力、UFO、ノストラダムスの大予言。オカルトがテレビのゴールデンタイムで視聴率を稼いでいたこともあって、当時の子供達はこれらサブカルチャーの影響を大きく受けていた。

平井和正氏が原作となったアニメ映画、幻魔大戦は、大友克洋氏のダイナミックな作画や「警告、ハルマゲドン接近」というセンセーショナルな惹句によって子供達に「世紀末に何かが起きる」という予感を植え付けた。亭主もまた少なからず世紀末に不安を感じていた子供の一人であったが、亭主の場合はアニメ映画にも、またオウム真理教に代表されるカルトにも影響されることなく無事に大人になることができた。

亭主は、幻魔大戦のアニメから平井氏の作品世界に入門したのだが、実際のところ幻魔大戦よりも「真幻魔大戦」、ウルフガイよりも「アダルトウルフガイ」に夢中になった。真幻魔大戦は、幻魔大戦の作品世界をさらに押し広げ、主人公である東丈の縁を役小角や由井正雪などといった歴史上の人物と繋げることにより宇宙開闢から連綿と続く生命と幻魔との戦いを描き出した。多国籍企業クエーサーや、怪人タイガーマンの暗躍、突如とした東丈の失踪、そして舞台は古代ギリシア、犬が統治する異世界へと、平井氏のイマジネーションは留まるところを知らなかった。

アダルトウルフガイは、狼男の偉丈夫を主人公としたハードボイルドSF。暴力と性とが支配する現代の東京を舞台に、無敵の主人公犬神明が暴力組織に立ち向かうという内容は、当時中学生だった亭主には少し早かったかもしれない。作を重ねるうち、作品のコンセプトが「神と悪魔」「善と悪」「光と闇」といった二極対立の様相を呈し、宗教がかった記述が頻繁に現れるようになったが、世紀末という逼塞した時代にあって宗教は時代の壁を突き抜けるブレイクスルーの一つだった。

多くの人々が恐れた世紀末だったが、結果的にはなにも起きず、新興宗教の暴走という人為によって破滅が顕現したのは残念としか言いようがない。

亭主もまた少なからず超能力や宗教といったサブカルチャーに影響を受けたのたが、その入り口が真幻魔大戦やアダルトウルフガイだったせいか、あまりこじれることがなかったように思う。真幻魔大戦では、主人公の東丈は超能力にむしろ批判的な立場にあり、混乱する物語の中で常にクールな立場を保っていた。アダルトウルフガイでは、犬神明は常に最悪な状況に立たされ、血みどろになりながらも不屈の闘志で敵と対峙していた。いずれも超能力や神といったオカルトのテーマを描いた作品だったが、その本質はむしろ人間ドラマであり、「ヒーローとして、男としてどうあるべきか」というある種の人生指南であった。

以降の氏の作品、たとえば「地球樹の女神」や「月光魔術團」については、残念ながら亭主はよくわからない(というか地球樹の女神は途中で読むのをやめてしまった)のだが、新興宗教のゴーストライターをしていた、とか、新作の電子書籍化に熱心だった、などなど、常に情報が亭主の耳に聞こえてきて(その仕事が胡散臭いかどうかはさておいて)、ああ、まだ健筆をふるっておられるのだなと、安心していた。

子供から青年へと移りゆく亭主に、「男」を初めて意識させてくれた作家が、平井氏だった。

謹んでお悔やみを申し上げます。

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2015年1月17日 (土)

01/17 【食】 Wendy's 六本木店(プレッツェルバーガー、東京都港区)

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アメリカはオハイオ州に端を発する世界規模のハンバーガー・チェーン店、Wendy's。国内ではゼンショー系列でチェーン展開したものの2009年に完全撤退、その後2011年にドミノピザのヒガ・インターナショナルが再出店し、現在は六本木と曙橋に2店舗で展開している。クオリティの高い本格ハンバーガーには熱烈なファンが多く、高級路線も手伝ってマニアの熱い支持を受けている。

Wendy'sの大ファンだった亭主、ようやく念願かなって六本木店に行くことができた。今回はアメリカで発売、話題を呼んだプレッツェルバーガーを注文。まるでキノコのような形のバンズは思った以上にモチモチ、しっとりしていて、具材を柔らかく包み込む。パテ、チーズ、トマト、オニオン、レタスなどが挟み込まれ、マヨネーズをベースとしたソースが全体の味をキリリと引き締める。ボリュームはしっかり、しかし野菜多めのため食べてみると意外とあっさり食べられるのが面白い。このメニューは2013年にアメリカで発売され大好評を得たとのこと、なるほどこれはうまい。

亭主は独身時代、水戸の県庁近く、そして上水戸にあった2店舗のWendy'sによく通っていた。遠出をした際には渋谷店や、つくば店に必ず立ち寄っていた。とくにつくば店に行った際には、朝Wendy's、昼は天下一品、そのまま漫画喫茶に入り浸り夜は太助(牛タン)という恐ろしい計画を立てたことがあるが、残念ながらWendy'sも天下一品もそれ自体で満足度が高いため、計画倒れになっている。とにかくそれくらい好きだったのだ。

Wendy'sの何が好きだったかといえば、なんといってもハンバーガーのパテが「ホンモノ」だったという点に尽きる。マクドナルドやロッテリアの、まるで紙粘土のようなパテに比べると、Wendy'sのそれは圧倒的に「ハンバーガー」であり「肉」だった。若干価格設定が高めだったせいか、子供連れのお母様たちが大挙して押し寄せることがなく、本などを読みながらゆっくりと食事を楽しむことも出来た。一方で、メニューのクオリティの高さから、外国からの客が比較的多く、外国人の家族連れが食事を楽しむ風景がよく見られたことも特記しておきたい。とにかく亭主はここのハンバーガーが大好きで、週に1回は通うほどのファンだった。

2009年ごろの相次ぐ閉店には大いに落胆していた亭主、2011年に復活するとのことで非常に楽しみにしていたのだが、何しろ店舗が都内にしかない上に、亭主が仕事でよく行く山手線上野・東京界隈にまったくなく行く機会を逸していた。なにしろ亭主、2011年ごろにベネズエラのマラカイボにあるショッピングセンター、およびマイアミ空港の中で食べて以来なのだ。久々の味に大感激の亭主、大変満足することができた。

今回はかなり急ぎの中で食事をしたが、次回はぜひ本でも持っていって、コーヒーを飲みながらじっくりとその雰囲気を楽しみたい。



2015年1月15日 (木)

01/15 【聴】 Live at Blue Note Tokyo / 山中千尋 Somethin' Blue Quintet, Universal(UCXJ-1001)

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ジャズ・ピアニスト、山中千尋さんが2014年7月にリリースしたフル・アルバム"Somethin' Blue"。自身初の試みとなるセクステット編成で制作された前記アルバムの、ライブ・バージョンが本作となる。2014年9月、Blue Note Tokyoでの収録、編成は一人減ってクインテット。現代ジャズ・シーンのトッププレイヤーが集結したこれまでとは一味もふた味も違うゴージャスな野心作。

編成は千尋さん(ピアノ)、Benny Benack III(トランペット)、Jaleel Shaw(サックス)、脇 義典(ベース)、Kendrick Scott(ドラムス)。アルバムでは中村恭士がベースを、Lage Lundがギターを担当しており若干プレイヤーが異なることに注意されたい。収録曲はフルアルバムから7曲、澤野工房からリリースされたデビューアルバム"Living Without Friday"の表題作、そして恒例となった栃木の民謡「八木節」のジャズ・カヴァーの全9曲。八木節は千尋さんの郷里の民謡である。いずれもアルバムを上回るエネルギッシュなアレンジ、BennyとJaleelのホーンと千尋さんのピアノとが火花を散らす。ブルーに演出されたBlue Note Tokyoの舞台から、熱気が画面に向かってあふれ出してくるようだ。

ちなみに千尋さん、2014年12月に日立市のライブハウス"George House"でトリオによるライブ演奏を披露している。亭主も最前列・中央で聞いていたが、フルアルバム、ライブアルバムよりもさらに激しい、怒涛の演奏を聞かせてくれた。やはりジャズはライブが一番楽しい。今回はGourge HouseでBlu-Rayアルバムを購入、千尋さんにサインをいただいたうえに握手もしてもらった。地方のライブハウスならではのファン・サービスに感謝感激、2015年も日立に来られるそうだ。亭主、いまだに当時のことを思い出してはニヤニヤしている。

01/15 Twitterをやめたもう一つの意味

亭主がTwitterをやめた理由は、ほかにもある。

端的に言えばあるコミュニティに取り込まれそうになったからだ。

Twitterに限らず、SNS一般にいえることだが、フォロー・フォロワーのネットワークが拡大していくと、自然と同好の士が集まりコミュニティが形成される。

形成当初はいわゆる仲良しグループ、緩やかな関係の集団だったコミュニティの中に強弱関係が生じるーーーというのはわりとよくある話である。コミュニティに参加する頻度の多い人、声の大きい人、強気な人の意見がコミュニティ内部に影響を与え始めると、コミュニティ内部に暗黙のルールができ始める。

メンバーがそれを望んでいるか、望んでいないかはこの場合全く関係ない。

亭主はそもそもコミュニティに加わるつもりなどなかったし、だれかの定めたルールに従うつもりもなかった。

おそらく、コミュニティそのものも、亭主に加わってほしいとも、ルールに従ってほしいとも思っていないだろう。

しかし、事実として亭主はコミュニティの中に入っていた。声の大きい人の話に耳を傾け、その人の意向に沿うよう配慮してつぶやいていた。冷静に考えれば、おかしな話である。

同じくコミュニティにおける強弱関係、ルールの強制は匿名掲示板やFacebookにもある。

どうするか。

参加しているコミュニティを厳選するとともに、極力発言しないことにした。消極的だが、行動がコミュニティによって制限されたり、不本意な要求を突きつけられたりするよりはよほどましだ。


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2015年1月14日 (水)

01/14 かつてTwitter依存症だった

Twitterをやめて、3日が経過した。

いや、サブアカウントから昇格したアカウントを続けて利用しているので、正確には「Twitterでつぶやくのをやめて」3日が経過した。

日々の生活の中でふと何かを思いついても、「そうだもうTwitterでつぶやくのはやめたんだった」と思い直すことがまだまだある。つぶやくのをやめた当初は、思ったことが言えないストレスからイライラしたが、徐々に落ち着いてきた。

親しかったTwitterの友人からメンションが飛んでくることもないし、自分のつぶやきがリツイートされたと通知が来ることもない。朝の挨拶をしてくるフォロワーに挨拶を返したかどうか気にすることもない。

落ち着くと、かつての自分がいかにTwitterに縛られていたかが見えてきた。まるで神経症か強迫性障害のように、スマートフォンの電源を入れたり切ったり、ちょっとした振動に反応してはスマートフォンを確認していた。やめた当初は早まったことをしたと少し後悔もあったが、落ち着きを取り戻してみるとやめてよかったとつくづく思うようになった。

当時の自分は、正常ではなかった。

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どうやら亭主は、神経症になりやすいタイプらしい。

スマートフォンのゲームをインストールしたときも、ついつい熱中して朝から晩までスマートフォンを眺めていた。「にゃんこ大戦争」「グランブルーファンタジー」「シムシティ」その他いろいろ。どれもやりこめばやりこむほどに夢中になる。夢中になると見境がなくなる。課金こそしなかったものの、ゲームの進行が気になり、仕事が手につかなかったこともある。四六時中スマホを眺めていたおかげで視力が格段に低下した。

結局どのゲームをプレイしていても、あるところで我に返り、スマートフォンからゲームを削除している。ゲームなどいくらプレイしても人生の足しにはならないのだと言い聞かせ、以降はまったくプレイしなくなる。

そういえば、新婚の頃、足しげく通っていたオーディオ店やCD屋、パソコンショップ、書店、リサイクル店などに通えなくなったことにストレスを感じていたっけ。せっかく店に並べられたレアアイテムが、誰かに買われてしまうと考えただけで不安になった。レアアイテムが何なのかは分からないが、とにかくレアアイテムを誰かに買われてしまうことが許せなかった。

1年か2年か―――結局これも落ち着いた。

やはり当時の自分も、正常ではなかった。

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自分自身が本当は正常ではないのではないかと、ときどき疑ってみる―――これまでの経験から学んだことだ。

夢中になるものがあったなら、それをしばらく止めて様子を見る。イライラしたり、仕事が手につかなくなったらそれは神経症のサインかもしれない。

解決策は非常に簡単、夢中になっているものを止めてみれば良い。

しばらくはイライラするだろうが、そのうち元に戻ることだろう。

01/14 日々雑感

このところ気合を入れて積読の山を崩している。

妻が読んだ本(通称妻文庫)をかたはしから山に積んでいくので、これを片付けないことには自分の本が読めないからだ。気合を入れた結果、昨年は一週間に一冊というペースをなんとか保つことができた。読書が分量ではないことはよく理解している。独身時代に比べて本を読まなくなったので、少しでも取り返したいと思っているのだ。

年が明けてからは既に三冊を読んでいるが、根を詰めすぎているためか睡魔との戦いになる。電車の中でもバスの中でも読んでいる。さすがに疲れているのだろうが、読めば面白いし何かしら得るものもある。時々夢の世界に引き込まれながらも、読書を楽しんでいる。

読書で悩ましいのは、出張などに持っていく本の選定である。ページ数が少ない本はすぐに読み終えてしまうため何冊かカバンに詰め込む必要がある。カバンが無駄に重くなる。ページ数が多い本は持ち歩きが1冊で済むものの、ページ数が多すぎて途中で中断し、そのあとしばらく読めない時期が続くことになっては困る。もちろん持っていく本が今の気分に合っているかも大事だ。

移動時間、待ち時間を考慮しながら本を選ぶというのは、実は意外と大変な作業。ただし亭主はこの本選びも楽しみの一つだったりする。

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2015年1月13日 (火)

01/13 【読】 「言葉を変えると、人生が変わる(クリスティーナ・ホール、喜多見龍一、VOICE)」

 「言葉を変えると、人生が変わる(クリスティーナ・ホール、喜多見龍一、VOICE)」

言語学者であるジョン・グリンダーと、心理セラピストのリチャード・バンドラーによって創設された心理療法「神経言語プログラミング(Neural Language Programing : NLP)」。言語学者のノーム・チョムスキー、心理学者のアルフレッド・アドラーの理論・思想をベースとし、人間の認知・心理が「言語」に左右されるという基本アイデアを発展させた言語による心理カウンセリングを提唱する。近年は自己啓発セミナーとしても普及し、オバマ大統領ら著名人もこの方法を駆使したスピーチをおこなっているという。本書は、作家でコピーライターの喜多見氏が、グリンダー、バンドラーとともにNLPの手法を切り開いたクリスティーナ・ホール博士にインタビューを試みたもの。2008年7月初版。

人間の認知機能を言語というフレームからとらえ、深く掘り下げたNLP。人間の外的世界からの情報が言語化されて内的世界へと取り込まれる際に、ある種の歪曲・削除・一般化が生じるとするのがNLPの基本的な考え方だ。歪曲・削除・一般化された情報は、その人の信念や観念となって思考や行動を制限する。NLPでは、この制限をバックトラックやリフレーミングなどといった思考方法によってニュートラルでグローバル、あるいは未来指向的な視点へ変えることで問題解決を図る。相手の可能性を引き出す質問方法、時制を使った自己実現方法など、その応用範囲はきわめて広い。

一方で、NLPは心理学者、神経科学者、言語学者などから信頼性を疑問視され、疑似科学などと揶揄されることもあるという。ただし、亭主がこれまで受けてきた様々なセミナー(発想力であるとか、アサーションであるとか)の内容と比較すると、用語の定義・使い方が若干独特であるものの、多くの部分が他の心理セミナーと考え方を共通にしている。実は亭主の妻もNLPの講座を受講していて、亭主自身講座の雰囲気や内容を聞かされている。学問として成り立っているかはさておき、心理療法を拡張した自己啓発セミナーとしてはごくごく真っ当な内容である。

前置きが長くなったが、本書について。創始者から直接指導を受けたという(いわば第2世代である)ホール博士のインタビューは、NLPのエッセンスを極めて濃密に抽出している。亭主が漏れ聞いた様々なNLPの用語や手法がインタビューの中に余すところ無く開陳されており、コンパクトにまとまった入門書、といった印象。口語体で読みやすい文章、例の多さ、そしてこれまでばらばらに語られていたというNLPの様々な手法が一つのケーススタディの中で立体的・統合的に語られているという点で、これまでの入門書とは一線を画する・らしい(らしいというのはNLPの正式な教育を亭主は受けていないため)。インタビュアーである喜多見氏もこの点に感銘を受けたようだ。

亭主も、これまで受けてきた様々なセミナーの内容をNLPの視点から再確認し、さらに新しい視点を得ることが出来た。この手法をどのように業務に応用しようかとワクワクしながら読むことが出来、非常に有意義であった。NLPを知らない人にも、またこれまでセミナーを受講してきた人にも分かりやすい入門書といえる。

2015年1月12日 (月)

01/12 今年の目標など

かつては「PCで音楽なんて・・・」などと言っていた亭主であるが、最近はすっかりPCオーディオにハマっている。
DACは都合2台、DDCは1台、DDCへマスタークロックを入力するクロックジェネレータまで導入していて、かつての拒否反応がウソのようである。

なにしろ、CDをCDプレーヤにセットしなくてよい。PCの再生ソフトから、アイコン(あるいは曲名)をクリックするだけで音楽が聴ける。現在、PCには100GB、870枚のアルバムがMP3あるいはApple ロスレスフォーマットで保存されている。曲数でいったら10300曲。音楽を普段楽しむには充分な分量だろう。ただし、亭主的にはCDライブラリのごくごく一部であり、充分というには程遠いのだけれど。

20150112itunes.jpgPCオーディオのアップグレードには、単純に考えて2種類がある。一つは音楽データをNASに放り込み、ネットワークプレーヤ経由で再生する方向。YSさんオススメのシステムがこれに当たる。少なくとも再生にPCが不要になるほか、ネットワークプレーヤの音質へのこだわりが、システムをいっきにピュアオーディオへと押し上げる。

もう一つはPCをオーディオ用にカスタマイズする方向。音楽再生用PCを用意し、PCを構成するあらゆる部品をオーディオ用にチューニングする。電源、ケーブル類はもちろん、内部配線やファンに至るまで徹底的なノイズ対策を施す。PCだけでなく、PCから信号を送り出す側、たとえばDACのアップグレードも重要だ。ただしカスタマイズする部分が多いだけにノウハウが必要、しかもそれぞれのカスタマイズによって最終的にどれだけ音質がアップするのか予想できない。

亭主の物欲はどちらかといえば後者に近いように思うのだが、正直言って何をしているのか、自分でもよくわからなくなっている。高音質を狙っての機器選定だが、高域の粒立ちは高まっても肝心の音の方向性が定まらない。いまのままでは単にS/Nが高いだけ、味に乏しい、まるで冷たいだけの炭酸水を飲んでいるかのうような気分になりそうだ。

オーディオでS/Nが必要とされたのは過去の話である。いまのオーディオは、文句のつけようが無いほどにS/Nが高い。金をかけずとも音質はいくらでも高まる。重要なのはむしろ音質向上によってないがしろにされている各メーカの個性、各メーカの技術者たちが追い求める「良い音」の再現であろう。

ああ、話がヘンな方向にずれてしまった。

PCオーディオを使っていて不満に感じることの一つに「膨大なデータの中から目当てのアルバムが探しにくい」ことが挙げられる。iTunesやFoobar2000のユーザーインターフェースから目当てのアルバムを選ぼうとすると、長大なリストを延々と探さなくてはならなくなる。好きなアーティスト、印象に残っているアルバムならばABC順に並んでいるタイトルリストからさっと取り出すことが可能だが、たとえば印象に薄いアルバム、アーティストなどは、PCに取り込んだままほったらかしとなる危険性が非常に高い。リストというインターフェースは、数少ないアルバムを選ぶには便利だろうが、数が多くなると使い勝手が格段に低下する。

PCオーディオの使い勝手をさらに高めるためには、この「アルバムの選びにくさ=ユーザインターフェースの改良」が必須だろう。どのようなインターフェースにするかは今後議論の余地があろうが、亭主はCDラックのように、ユーザが自由に配置でき、アルバムの背を見てCDを選択できるインターフェースが欲しい。

亭主の部屋には、CDラックのかわりに半透明の衣装ケースが31個積んであって、中にぎっしりとCDが詰まっている。引越しの多かった亭主にとっては持ち運びのしやすさから衣装ケースがベストのソリューションだった。東日本大震災では、このケースのおかげでCDが全く割れなかった。

ただ、亭主としては、背を見てCDを選ぶタイプのCDラックのほうが圧倒的に使いやすい。ぃょぅRさんに進呈してしまって今はないが、壁面一杯にCDが収納できるラックがもう一度欲しい。たとえばCDラックから好きなCDを選び出し、バーコードリーダーでバーコードを読み取ると(あるいはアルバムジャケットを読み取るとかICタグをかざすとかでも良いが)、PCの中に保存された対応する音楽データが自動的に再生できるようになっていたら良いかもしれない。

そろそろ衣装ケースも一杯になり、床置きのCDが目立ってきた。今年から来年にかけてはこのCDをなんとか整理する方法について考えていきたい。

2015年1月11日 (日)

01/11 Twitter、やめました

諸般事情により、Twitterアカウントを削除した。

だから諸般事情ってなんなの―――とツッコミが来ることを予想し、理由を手短に挙げようとも思ったのだが、いろいろとカドが立つこともあろうから、ここでは書かない。

短い間だったが、多くのすばらしい方々と交流でき、素敵な時間を過ごさせていただいたことに感謝している。

当初はアカウントを残し、フォロワーのうち誰をはずして誰を残すかを考えてもみたのだが、カドもたつし面倒なのでこちらからアカウントを消すことにした。

なお、Twitter自体は完全にやめたというわけではない。情報収集用に作成したサブアカウントをメインへと切り替えて継続的に情報を収集している。このアカウントはまず見つからないだろう。個人へのフォローもしていないし、フォロワーもいないし、サブアカウントを作って以来一度もツイートしていない。

みつけたら、すごいかも。

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これは別件。昨年末に、mixiも退会した。

もう3〜4年も利用しておらず、最近は1ヶ月に1〜2回ほど、アカウントの様子を見に行っていた程度だった。以前はmixiでも日記を書いていたが、運営側の会員規約の変更で大いにもめた際にコンテンツを全て引き払っていた。知人も何人かいたが、連絡を取ろうと思えば取れる人か、今後連絡などしてきそうもない人だけだったから、全く逡巡しなかった。

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ちなみにTwitterやmixiから姿を消しても、亭主の生活は一切変わらない。
どこか遠くの空の下で、まはろくんとあろはくんにきりきり舞いさせられながらお散歩する日々を送っていると思っていただければ幸い。

01/11 IO-DATA フルHD対応ワイド液晶ディスプレイ LCD-RDT241XPB

先日PioneerのポータブルBDライター"BDR-XD05BKXL2"を買ってきて山中千尋さんのライブ映像をBlu-Rayで見ようと思ったところ、ディスプレイがHDCPに対応しておらず映像が見られなかった―――という話の続き。

日曜日のこの日、少し時間が空いたことを利用してケーズデンキに赴き、IO-DataのフルHD対応23.8型ワイド液晶ディスプレイ"LCD-RDT241XPB"を購入した。HDCP対応DVI-D端子やHDMI端子を備え、PCはもちろんゲーム機、タブレットなどとも接続可能。かつての亭主ならば迷うことなくPS3を接続したろうが、悲しいからPS3は現在ドライブが不調、ディスクのイジェクトに失敗することが多々あることから納戸にしまってある。今回の目的はもちろんBlu-Rayの再生、家宝である山中さんのサイン入りBlu-Rayを自室で存分に楽しむことにある。

早速ディスプレイをPCに接続し、電源ON。デバイスドライバ「汎用PnPモニタ」が読み込まれディスプレイが使用可能となった。

画面が表示されての感想は―――とにかく広い!

23.8インチ、1920x1080という解像度は画面から40〜50cmの位置に目がある現在の環境ではひと目で眺めるには広すぎる。左から(と視線を左に)右へ(と視線を右に)動かして全体を眺めるほど横に長く、テキストエディタは全画面に展開すると(横の文字数が多すぎて)なにがなんだか分からなくなる。これからは、これまで1280x1024の解像度では不要だったウィンドウサイズのマネジメントが必要となる。もちろん亭主は会社でこのサイズ以上の解像度(2画面ディスプレイ)で仕事をしているためサイズ云々は全く問題ないが、会社で使うアプリと、自宅で使うアプリとでは画面の使い方も異なる。自宅では自宅なりのマネジメントが必要だ。

今回ディスプレイを新たに購入した真の目的であるBlu-Rayの再生は、もちろんばっちり。全画面で山中さんのライブ映像を存分に堪能した。フルHDなので、全画面にしても画質の荒れは一切感じられない。デフォルト設定ではコントラストが強いようで、半分ほどに落としたら非常に良い感じになった。しばらくはこの設定でいくとしよう。

そうそう、以前のPCディスプレイは、東日本大震災の際にディスプレイ上から本やらカラーボックスが降ってきた結果、本体とスタンド部分がぽっきり折れて、ディスプレイ部分を直接机置きして使ってきた。何かとぶつかったのであろう、画面にも大きな傷やら、ドット欠けやらがあった。今回ディスプレイが復旧して久しぶりに傷やスレのない画面を見ることができた。

よかったよかった。

01/11 【読】 「ビビリ(Exile Hiro、幻冬舎)」

「ビビリ(Exile Hiro、幻冬舎)」

Zoo解散後、J Soul Brothersを経てExileを結成。パフォーマーとして、またExileのリーダーとして活躍ののち、2013年にExileを引退、Exileなどが所属するLDHの社長に就任したHiro(五十嵐広行)のエッセイ集。Zoo解散から始まった彼の苦闘とExileでの成功、そしてExile、社長業での様々な挑戦について書かれた本。

いまや国民的ダンス・グループとして認知され圧倒的な人気を誇るExile。一般からのメンバーのオーディション、ツイン・ヴォーカル、突然の大量のメンバー増、あるいはスケールの大きなライブ・セットなどで世間の話題をさらうモンスター・アーティストの総合プロデュースを手がける彼の日々の思いがつづられている。社長業を手がけている、ということもあってか、マネジメントやマネージャーの精神論といった話題が飾らない言葉で書かれていて好感が持てる。いわゆるビジネス書というには精神論に傾きすぎという感じもするが、多くのスタッフとともに巨大プロジェクトに挑戦する彼のリーダーとしての気概がひしと伝わってくる。

本書によれば、彼は非常に「ビビリ」なのだそうだ。Zooの時代、バブル期に飛ぶ鳥を落とすイキオイでスターダムへとのし上がり、有頂天となった彼。しかし解散後に大きな挫折を味わい、それ以降はまさに苦闘の日々であったのだという。どのようにしたら人を夢中にさせるパフォーマンスができるか、どのようにしたら多くのメンバーを束ねることができるかなどなど、挑戦のたびに彼には大きなプレッシャーがのしかかった。「ビビリ」ゆえの細心さ、繊細さを武器に様々な困難を乗り越えていく姿がすばらしい。

本書にはもう一つ、彼がExileを引退する理由が記されている。なぜ彼はパフォーマーであることを辞め、社長へと転進したのか。彼が何を見据え、どんな覚悟で社業業に望んでいるのか―――むしろこちらが本書の主題といえるかもしれない。

2015年1月 7日 (水)

01/07 【食】 豚骨番長秋葉原店(豚骨醤油チャーシューめん、秋葉原)

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ヨドバシアキバの南側向かいにある、小さな横浜家系ラーメンの店。秋葉原出張の帰りに、ふと立ち寄った。豚骨醤油、塩などスープにバリエーションがあったものの、今回は基本の豚骨醤油を注文。サービスでたまねぎのみじん切りがつくそうだが初回ということでラーメンの味を確かめるべくお断りした。

固ゆで・短め・まっすぐ・丸い断面という特異な麺と、しょうゆ比率多めの豚骨醤油スープとの組み合わせ。スープに臭みがほとんどなく、家系ラーメンとしてはかなりあっさりの部類に入る。家系特有のケモノ汁、舌にガツンとくるうまみがなく、スープをしっかり取っているのか少し不安になる。麺はもともと固ゆでが標準だそうだが、麺の短さもあってかしっかり食べているという感じがしない。健康に気を遣って脂少なめと指定したものの、この味で本当に良いのか、これが最近の横浜家系の味なのだろうか。世間には横浜家系ラーメンを標榜しつつ横浜家系から暖簾分けをしたわけではない店もあるそうだが、ここはどこの店からの暖簾分けなのだろうか。それとも横浜家系ラーメンの実力自体が衰えてきたのだろうか。食べているあいだ常に「?」が頭の上にあった。

横浜家系ラーメンの古くからのファンの皆さんの忌憚のないご意見をお伺いしたいところ。


01/07 【読】 「イノベーションへの解〜利益ある成長に向けて(クレイトン・クリステンセン/マイケル・レイナー、翔泳社)」

「イノベーションへの解〜利益ある成長に向けて(クレイトン・クリステンセン/マイケル・レイナー、翔泳社)」

 ハーバード・ビジネス・スクールの博士課程をわずか2年で卒業。最優秀学位論文賞、ウィリアム・アバナシー賞、ニューコメン特別賞、マッキンゼー賞など 数々の賞を受賞する著者の研究成果で、大ベストセラーとなった「イノベーションのジレンマ」の第2弾が本書。著者であるクリステンセン氏は現在はハーバー ド・ビジネス・スクールの看板教授として、マイケル・ポーター教授とともに最前線で活躍している。2003年初版。2013年までで第17版を重ねる。

 前著「イノベーションのジレンマ」で、著者らは起業におけるイノベーションを「持続的イノベーション」と「破壊的イノベー ション」の2種類に分類した。前者・持続的イノベーションは、従来市場に、従来製品の後継機を持続的に供給するための改良。一方後者・破壊的イノベーショ ンは、全く新しい市場に、従来製品とは全く異なる切り口・視点の製品を投入するものである。持続的イノベーションに頼る従来の企業は、やがて市場の飽和に よって成長が鈍化し、破壊的イノベーションによって急速に立ち上がってきた新興の企業にあっというまに顧客を奪われ、市場からの撤退を余儀なくされる。本 書では、企業の経営者・技術マネージャ向けに破壊的イノベーションを起こすためのマネジメント的心構えを多数のイノベーション例とともに紹介している。

 なお、本書のまとめによれば、前作「イノベーションのジレンマ」がイノベーションの理論構築を目的としたのに対し、本書「イ ノベーションへの解」はこの理論をどのように用いるかを解説したものなのだという。重量級の開発体制を構築し、従来のプロセスに則り持続的イノベーション を継続する大企業も、破壊的イノベーションの前ではなすすべもない。大企業がいかにして破壊的イノベーションを起こすか、またいわゆるベンチャーが破壊的 イノベーションを起こすために必要な資金をどのように調達するかなど、様々な企業の経営者に有用な内容となっている。著者らは、1度だけ破壊的イノベー ションを起こした企業は意外と多い(IBM、マイクロソフト、Intel、ジョンソンエンドジョンソン、プロクターアンドギャンブルなど)ものの、破壊的 イノベーションを連続的に起こし続けた企業はいまだかつて一社もないと説明する。本書によって破壊的イノベーションを起こすための材料はそろった、さて次 はあなたがた経営者の番ですよと語って締めくくられている。

(ビジネス書としては)極めて平易な文体で書かれており、紹介されている事例も実に豊富。技術マネージャのはしくれである亭主も少し業務に取り入れてみようかと、つい思ってしまうほどの示唆に富んだ内容だった。

2015年1月 5日 (月)

01/05 どむや年代記再開のお知らせ

サイトアクセス不可、サービス終了と思われていたTypepadがいつのまにかサービスを再開していたことから、当サイトのコンテンツの一つ、「どむや年代記(Domuya Chlonicle)」についてもしれっと運用を再開しましたのでお知らせします。

ちなみにこの「年代記」、当サイトの隠れた人気コンテンツでありまして、トータルアクセスは「繁盛記」をはるかに上回ります。資料的価値があるかどうかは分かりませんが、Googleの検索から訪れる方が多いようです。「年代記」は亭主の過去に関する記事、「繁盛記」は亭主の現在に関する記事を掲載しています。

どうぞ、よろしくお願いします。

2015年1月 4日 (日)

01/04 Pioneer ポータブルBDライター BDR-XD05BKXL2

先日購入した山中千尋さんのBlu-Rayを自室のPCで見たいと考え、外付けのBlu-Rayプレーヤを買うことにした。
価格.comなどを参考に、売れ筋や満足度、値段や口コミなどからPioneerのBDR-XD05BKXL2に決めた。
Amazon Primeのお急ぎ便で、翌日到着。11,109円。近所の電気店などに行くよりもずっと早いし安い。大丈夫か日本の小売業界。

さっそく自宅のPCのUSB3.0端子に接続。ほどなくデバイスマネージャがデバイスドライバを組み込んでインストールが完了した。添付のCyberLink PowerDVD 10(BD, DVD再生), Power2Go 8(ディスクライティング)をインストールし、さてBlu-Rayを見ようとしたら

ディスクが認識しない。

PowerDVD 10以外の再生ソフト(MPC-HC)をインストールして再度チャレンジしたが

映像が表示されない。

調べてみると、亭主のSONY製ディスプレイがHDCP(高解像度コンテンツを再生する際のコンテンツ保護技術)に対応していなかった。代わりにハワイコンビ(まはろくんとあろはくん)の居るリビングにあるBDプレーヤで見ればよかろうが、亭主には基本的にチャンネル権がなく、また妻とハワイコンビが寝ている深夜に見るというのも気がひける。しばらく再生はお預けになりそうだ。

2015年1月 3日 (土)

01/03 【聴】 戒厳令 / rinbjo, Taboo|Village Music|Sony Music Artists(VRCL4035)

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国際派女優・菊地凜子と、DCPRGほか様々なプロジェクトで活躍するDJ/サックス奏者・菊地成孔のダブル菊地によるユニット、Rinbjo(oはウムラウト)によるフルアルバム。全14曲。ゲストアーティストとして菊地一谷、Maria、I.C. I、Paloalto、N/K, DyyPRIDE、尾田ともみ、OMSBらが参加している。退廃と混沌が渦巻くアヴァンギャルドなアルバム。

本ユニットの成立にあたっては、菊地凜子から菊地成孔へ直接のプロデュース依頼があったのだという。大人の女を意識したデカダンでセクシーな歌詞、時にR18的内容へとずけずけ踏み込む大胆さが特徴だろうか。ただ、全体としてはSpank HappyやDCPRGなど、菊地成孔の他のプロジェクトの延長上にすぎない。菊地凜子によるポエトリー・リーディングもどこか大谷能生を思わせる。このプロジェクトが、菊地凜子でなければならない理由が見当たらないのは亭主だけだろうか。

もっとも、そんな懸念も後半へと移るうち徐々に払拭されていく。ジャズ、ヒップホップ、エレクトロニカを横断する作風はこれまでの菊地の延長だが、ヒップホップの要素が増し、ラップやブレイク、様々なサンプリングが重なると俄然作品として面白くなってくる。ヒップホップに根ざしたカオスなビートをポエトリー・リーディングがかき混ぜていくのはある種の快感でもある。ただし、それが菊地凜子のアルバムで成されなければならないという特別な理由は依然として見当たらない。

01/03 【聴】 Ghost in the Shell ARISE O.S.T. / Cornelius, Flyingdog|Victor(VTCL-60357)

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小山田圭吾のソロ・プロジェクト、Corneliusによるアニメ「攻殻機動隊 ARISE」のサウンドトラック。2013年11月の劇場公開とほぼ同時期にリリースされたもので、オープニングテーマ"Ghost in the Shell Arise"ほか19曲が収録されている。アルバムにはSalyu x Salyu、青葉市子らも参加、リリース当時は実質上小山田圭吾のソロ・アルバムという扱いで販促されたと記憶している。

士郎正宗原作のコミックを中心として、ゲーム、OVA、アニメ映画など様々なメディアに展開されている攻殻機動隊。オリジナルサウンドトラックもまたこれらメディアに応じて多才なバージョンがリリースされている。石野卓球をオーガナイザに内外のテクノ・アーティストが参加したゲームのサウンドトラック、菅野よう子によるOVAのサウンドトラック、川井憲次による映画攻殻機動隊、イノセンス(押井守監督)のサウンドトラック、あるいはルーク・スレーターやシステム7などこれまた超有名テクノ・アーティストを集めた映画アニメのトリビュートなどなど、原作のサイバーな世界観は音楽家によって多様な解釈がなされていると言って良い。その上で小山田圭吾によるサウンドトラックはといえば、アンビエントありテクノあり、あるいはエレクトロニカありの「全部入り」。小山田圭吾の器用さが実感できる一方で、ソロ・アルバムとしての一貫性に乏しい。Salyu x Salyuが歌う「きみがいない」青葉市子をヴォーカルに起用した「外は戦場だよ」などは、歌い方からエレクトロニカにカテゴライズされるだろうか。サウンドトラックなのだから「全部いり」なのは仕方ないとして、本作がソロ・アルバム扱いというのは少し無理があるかもしれない。一つの落としどころとしてアルバムを2枚組にし、一方をアンビエント・エレクトロニカに、もう一方をテクノ・ロックに分類するという方法もあるだろうが、割と短めの曲ばかりのため、分量として物足りないかもしれない。

いずれにせよ曲としてのクオリティは高く、サウンドトラックという但し書きがなくとも楽しめる。

2015年1月 2日 (金)

01/02 【聴】 American Intelligence / Theo Parrish, Sound Signature(SSCD07)

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デトロイトテクノ第2世代、セオ・パリッシュの最新アルバム。彼自身4枚目のソロアルバム、前作"Sound Sculptures Vol.1"から約7年ぶりのリリース、とのこと。アナログは3枚組、CDは2枚組でCDは全15曲を収録している。

デトロイトの重鎮として、多くのアーティストから敬愛されるセオ・パリッシュ。「黒いテクノ」の体現者として、ソウルフルかつ猥雑なテクノを作り続けている。本作もまた非常にソウルフルで、充分に黒い。ジャズ的なリズムセクションに男性ヴォーカルをフィーチャーしたDisk-1 M4"Fallen Funk"はその代表格だろうか。女性ヴォーカリストIdeeyahとDuminie DeporresがサンカしたDisk-1 M5"Ah"、Disk-2 M7 "Be In Yo Self"なども聴き所の一つ。2曲とも10分を超える長尺だが、女性ヴォーカルが加わることで飽きの来ない作品へと仕上がっている。

蛇足だが、アナログは全9曲、CDは全15曲と収録曲数では圧倒的にCDに分がある。アナログによほどこだわりのある人ならばともかく、彼の作品にどっぷりとつかりたい人はCDを購入するほうがお得だろう。

2015年1月 1日 (木)

01/01 日々雑感

一年の計は元旦にあり、ということで、お疲れな亭主も一年の目標というか、心意気をTwitterにつぶやいてみた。



かつて亭主は、どちらかといえばナイーブなタイプの人間だったように思う。

神経質で傷つきやすく、ストレスに弱い。それ自体は人間の特質・個性であり、格段に正すべきものでもない。ただ、亭主を取り巻く社会の中で、また家庭の中ではそんなナイーブさは(どちらかといえば)不要なのだということがここ10年ではっきりと分かってきた。

具体的には、部下や家族のある立場で、ナイーブさというのが役立ったためしがない。繊細さや、感性の鋭さは芸術家にとっては極めて重要な能力なのだろうが、部下や家族の前で、ナイーブさをひけらかしたところでなんの得もないばかりか、かえって彼らを不安にさせることが分かったのだ。

ここ10年くらいは、どちらかといえば大雑把でおおらかで、何があってもどっしりと構えて動じない、そんなキャラクターを演じるように心がけている。人間の心の働きというのは面白いもので、演じれば演じるほどにそれがまるで自身の内面から湧き出してくるように、自然に振舞うことが可能になる。付け焼刃も、付けたあとにしっかり鍛えればそれなりに切れ味も、強度も増すものである。まだまだ未完成とはいえ、それなりに自信たっぷりのキャラクターが演じられるようになるものなのだ。

昨年末あたりから、右手にダメージが集中している。昨年は犬には2回ほど噛まれ手の甲が大きく青く変色してしまったほか、日々の家事であかぎれひび割れ、ぼろぼろになっている。今年も早々に犬に噛まれていて、今数えたところでは8箇所大きな傷がある。さらに今朝は足指にバケツを落としてどうしようもない気分になった。不注意が重なっているということもあるのだろうが、やはり今年一年は怪我に注意したほうがよさそうだ。

いや・・・とここでふと思いなおす。

怪我に注意して神経質になるくらいならば、もっとおおらかに振舞ったほうが「キャラクター」的には良いのではないか。

そんなわけで今年は、多少のダメージならば無効化し、傷を負っても即座に治癒し、たとえば何かを壊したとしても代替品の補充であっさり解決してしまうような、豪快な人間を目指すことにした。具体的には身体の強化とメンタルの強化、特に身体は免疫力と体力と治癒力の強化が今年の目標だ。

ただ、では具体的に何をすれば良いのかは、亭主自身よく分からない。とりあえず10年来の心がけはそのままに、飯をよく食い、運動してしっかりと身体能力を強化する。コアトレーニングを本格的に開始し、体幹を徹底的に鍛える。

身体が強化されれば、今よりもずっと頑健になるはずである。

今年一年でどこまで強化されるか、乞うご期待である。

01/01 あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします。

写真は狛犬?をイメージしたハワイコンビ。

20150101hawaii.jpg

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