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2014年10月 9日 (木)

10/09 事故通信(4)

夕刻、事故を起こした相手から電話が来た。

亭主のことを気遣っての電話らしい。電話の向こうでしきりに、こちらの怪我を気遣い、謝っている。

お会いしたい、会ってぜひとも直接お詫びしたいとのことだが、お気遣いありがとうございます、ですが直接お詫びされるまでもありませんのでと丁重に辞退した。

亭主はこういう状況が苦手だ。お詫びする側とされる側、双方の認識なり、感情なりがそれなりにマッチしていればお詫びの場を設けても良いとは思うのだが、今の心境はとてもそこに至らない。

確かに事故に遭った当初は憤慨し、一方的に損害を与えてきた相手に対してそれなりに怒りの気持ちを持っていた。

だが今、怒りの気持ちはとうに失せている。

怒りを持続するだけの体力・気力がないからだ。

スリランカ初期仏教の長老で、日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事するアルボムッレ・スマナサーラ師は、その著書「怒らないこと〜役立つ初期仏教法話I〜」で、「怒りは自分を焼き尽くす『火』」だと、また「『怒り』が気づかないうちにからだを壊す」と説いている。「怒りの人間は動物以下」とまで書いている。怒りが何も解決しないことは、亭主だけでなく、人ならば誰しも一度は感じていることだろう。

今年ノーベル物理学賞を受賞し、現在はアメリカ・カリフォルニア大学サンタバーバラ校で教授を務める中村修二氏は、青色LED開発の原動力を「怒り」であると自身へのインタビューで語っている。しかし、「怒り」という負の感情をいつまでも持続させるためにはそれ相当の体力・気力を使う。本当に「怒り」が原動力なのだとしたら、それは、怨念のように自身の周りを渦巻き、周囲の人々を暗い気分にさせ、あらゆる事柄を困難にさせる厄介者だったことだろう。

対する亭主には、怒りを持続するだけの気力がない。

車を「壊された」こと、重篤でないにせよムチウチにしたこと、亭主の仕事や家庭の都合をことごとく台無しにしたことに怒りを感じても、それを持続させることができない。

妻にこれを言えば「そんな腑抜けたことでどうする」と怒られるだけなので、口には出さない。

ただじっと頭と首の痛みに耐えつつ、この巨大な黒雲が頭上を過ぎ去ってくれることを、無表情・無感情・無気力に待つばかりだ。

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