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2013年1月17日 (木)

01/17 【読】 「人間の基本(曽野綾子、新潮新書)」

「人間の基本(曽野綾子、新潮新書)」

昭和6年東京生まれ。小説家、日本財団会長としての経歴を持つ著者が、昨今の日本人の姿を憂い、どんな時代にあっても生き抜くための人生哲学を語った書。

かつての太平洋戦争、戦火の東京を生き抜き、日本財団会長としてアフリカやアジア各国へとわたって慈善活動を続けてきた著者。戦争や災害、また貧困の中で人間がいかに生きるべきかを、自らの経験や知人との交流関係から語ったのが本書となる。人間本来が持つ豊かな感性、想像力を発揮すること、様々な苦難に立ち向かう強い意志を持つこと、ルールにとらわれず、人として大事なことはなにかを自ら考え、行動すること、人間に深みを与える教養を持つことなどなど、氏の考える「人間として当然持つべき基本」が8章に分けて語られている―――というのが本書の主眼。

らしいのだけれど。

読んでいる間、こういった部分がまったく読み取れない。

なにしろ、冒頭からあらゆる部分にダメだしが入る。テレビはダメ、パソコンはダメ、携帯電話はもちろんダメ、現代の子供はダメ、若い女性はダメ、男性もダメ、年寄りもダメ、日教組もマスコミもとにかく目に付くものはほぼすべて否定する。ダメという理由には納得する部分もあるが、人生の先達・ご意見番の辛口コメント、というよりも、手当たり次第、全方位に毒を吐きまくるといったほうがしっくりくる。見苦しいというほかはない。

あらゆる部分にダメだししたとして、では何を肯定するのか。基本的には氏の幼少時代、太平洋戦争前後のいわゆる「古きよき日本」によりどころを求めているようだ。奔放で純真な子供たち、厳格な家庭、そして教養と粋とを兼ね備えた人々に、氏はあからさまな憧憬の情を示す。文体からすれば、がちがちの保守派といったところだろうか。ところが、がちがちの保守を表明しているわりに、とにかく逃げる。「自分は卑怯者だから」「弱い人間だから」「実はどちらでもいい」などといって言行が一致しない。先ほど書いたことが簡単に翻るのだ。

たとえば、味付けには関東風と関西風があるが、今はどこへ行っても関西風だと氏は言う。私は断然関東風の濃い味付けだ、お客の中には私の濃い味付けを楽しみにしてくれる人がいる、味付けが濃いのは少しのおかずでたくさんご飯を食べてもらおうという昔からの知恵だ―――。

そこまで主張して、「でも私は関東風でも関西風でもいいと思うんですけどね」と書かれたら、あんたはいったい何が言いたいのと突っ込みたくなる。様式にこだわり、自ら居住まいを正してに隙を与えないのが保守派の人間の主張の通し方だというのに、とにかく隙が多すぎる。

文章も散漫で、思いついた事柄をとにかく挙げるのみと支離滅裂、章の目的が不明確で、著者の意図があっちへふらふら、こっちへふらふらと定まらない、最後に東日本大震災を挙げてなんとかきれいにまとめようとする意図が見えすぎてかえって白々しい・・・これが現代の賢人・小説家の書く文章なのだろうか。

本書は妻が読んだ後、私が読んだものなのだが、妻もまた「気が滅入る」と読むのをやめたようだ。亭主はポリシーとして「口に入れたものは吐き出さない」「本は途中で投げ出さない」が―――。

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