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2012年3月

2012年3月31日 (土)

03/31 【聴】 Rushup Edge / The Tuss, Rephlex(CAT-189CD)

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Aphex TwinことRichard D. Jamesの別名義―――ではなく、Brian TregaskinとKaren Tregaskinによる音楽グループ、The Tussの2007年アルバムが再発となった。Aphes Twinを髣髴とさせるアンビエントと、Squarepusherを思わせるハイスピードなドラムンベースが交錯する良作。全6曲。

巷間でAphex Twinの―――とうわさされるのもうなづけるほどに、Rephlex的なテイストの作品。Aphex Twinの近作、たとえばDrukqsあたりに収録されていてもおかしくないほどのドラムンベースが展開する。ただ・・・なんだろう、The Tussとしてのテイストが感じられないためか、イマヒトツ心のなかに残るものがない。個性らしいものがない。後半の変態ドリルンベース、エレクトロニカが聴きどころなのだろうが・・・。

作品としては非常に手馴れていて、聴いていて楽しい。一方でこれぞ"The Tuss"でございという要素に乏しいのは少し残念。コンピレーションに1、2曲収録されている分にはよいのかもしれない。(2012.03.14) 

03/31 【聴】 All in the Mind / Kenny "Dope" Presents - The Bucketheads, DiskUnion(IMFYL017)

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ハウス界の大御所中の大御所ユニット、Masters at Work(MAW)の片割れKenny Dopeによるハウス/ディスコプロジェクト"The Bucketheads"のアルバム。リミックス1曲を含む全10曲。

スタイリッシュでアーティスティック、優等生的なつくりを特徴とするユーロ・ハウスに対するアンチテーゼとして製作された作品、とのこと。職人芸的な音作りをあえて封印し、ハウス本来の機能である「ダンサブル」を追求したアルバムに仕上がっている。サンプリングネタを駆使したファンキーなサウンドは、聴く人をどきどき、わくわくさせる機能性を持つ。彼らの代表作"Nuyorican Soul"あたりの完成度からすると荒削りもいいところ。だが、荒削りだろうが安上がりだろうが、あるいはネタに走りすぎていようがハウスとしての機能性を十二分すぎるほどに発揮していれば作品として正解なのだ。ユーロハウスのみならず、全体的に豪奢に、アーティスティックに走りすぎているハウス・ミュージックの横っつらを張り倒すイキオイが感じられる。

古くからのハウス好きにはBack to the Basicな作品として、存分に楽しめるアルバム。(2012.03.14) 

2012年3月27日 (火)

03/27 【聴】 Stereo Worxxx / Capsule, Contemode|Yamaha(YCCC-10023)

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中田ヤスタカとコシジマトシコのユニット、Capsuleの最新アルバム。中田がプロデュースするPerfumeの作品とも世界観を共有する、強炭酸のデジタル・ポップ。全9曲。初回限定盤にはリミックスを変えた6曲を追加したボーナスディスクが添付されている。

Perfumeにのっち、かしゆか、あ〜ちゃんの3人がいるように、Capsuleにもコシジマトシコという歌姫がいるが、ヴォーカルの存在感はアルバムを重ねるうちに希薄となっている。中田自身はヴォーカルを「楽器のひとつ」と見なし、ヴォーカルにとらわれない自由な作風を展開しているようだ。特にコシジマさんのファンには残念な話かもしれず、亭主自身もまた残念だったりする。コシジマさんのキュートかつ洗練された歌声は、ハウスやハードテクノの文脈で「ヴォイス」として挿入されるよりも、むしろフレンチ・ポップのような曲にぴったりフィットすると思うからだ。

もちろん本作が、強炭酸のデジタル・ポップとして提示されていることについては亭主としてまったく異論がない。他のアーティストがやりそうでやらなかった、日本のポップスとしてのハウスやテクノへの接近は、ポップスという文脈の中で楽しんでいる多くのファンを感化しつつ、彼らをしっかりとディープな世界へ誘っている。聴きやすさ、耳心地の良さで聴き手にすりよらない孤高さは、冷め切ったぬるま湯の中でファン向けの音楽を再生産する現在のJ-Popシーンへの明らかな皮肉と挑戦でもある。ラストの曲"Transparent"の問答無用な透明感、ステレオ感は、おおよそJ-Popでは出しえないテイスト。すばらしい。

PerfumeとともにJ-Popに対する強力なカウンターパートとして位置づけられる良作。(2012.03.07) 

2012年3月26日 (月)

03/26 【読】 「サウスバウンド上/下(奥田英朗、角川書店) 」

「サウスバウンド上/下(奥田英朗、角川書店) 」

収入を妻の稼ぎに頼り、税金を払わず、子供を学校に行かせることにすら難色を示す自称フリーライター「上原一郎」と、そんなアナーキーな男を父に持ってしまった主人公「二郎」の波瀾万丈な生活を描いた小説。上下巻、2005年刊、文庫は2007年。先輩のYさんオススメの作品。

主人公二郎は小学六年生。妹を含む家族四人で、中野ブロードウェイの近くにある借家に住んでいる。母親は近所で喫茶店を営んでいて、家の収入はほぼ母親による。父親は日がな一日家に居て、時々やってくる税務署の職員や民生委員に議論をふっかけてはトラブルばかり起こしている、全共闘時代の生き残りのような存在。決して豊かではないが二郎自身はそんな生活を当たり前と受けとめ、友達や妹と好奇心一杯の子供生活を送っている...あたりが導入部だろうか。中学生とのいざこざから家出したり、女湯を覗きに行ったりとイベント満載の日々は、スタンド・バイ・ミーや鉄コン筋クリート、浦安鉄筋家族を思わせる。もっとも、そこから少しづつ世界が変容し、独特の世界観が展開されるのだが...そこからどう展開するかは読んでのお楽しみ。

本書を勧めてくれたYさんは本書を「とにかく痛快な小説」と評していて、亭主もまた同じ意見。特に上巻と下巻で世界観や価値観、善悪までもがぐるりと転換するあたりは、現代を舞台にしながらファンタジーの趣きすらある。亭主自身、上巻の終わりあたりから読むペースが次第に早くなり、下巻はまさに一気呵成、あっという間に読み終えてしまった。読後の感想は、まさしく痛快。しかし甘ったるい余韻もあって、なかなか不思議な読後感でもあった。この読後感は...うーん、物語の結末を説明することになるので詳しく語れないのが残念。

むりやり説明するならば、SFやファンタジー、あるいはミステリといったガジェットを一切使わずに実現した、ヒロイック・ファンタジーといったところか。 (2012.03.26)

2012年3月24日 (土)

03/24 【読】「人の心はどこまでわかるか(河合隼雄、講談社+α新書) 」

人の心はどこまでわかるか(河合隼雄、講談社+α新書)

臨床心理学者で、日本におけるユング派心理療法の草分けとして知られる氏が、「心」とはなにか、「心理療法」とはなにかを綴った書。臨床心理士やカウンセラー、18人からの質問に答える形式で構成されている。全5章。2000年3月初版。現在までに15万部を売り上げるベストセラー、とのこと。

目次は以下。

第1章 私が「人の心」に出会ったとき
第2章 日本人の心の問題
第3章 心との対話法
第4章 心が今直面していること
第5章 心の影と闇、そして新しい発見

正直にいうと亭主、本書に関して何を書いたら良いのか分からずにいる。カウンセラーがクライエントの心を覗き込むとき、とうとうと水をたたえたクライエントの心に映るのは、カウンセラー自身の心そのものだったりする。心に傷を持つ人、悩みを持つ人、ある種独特な考え方を持つ人たちの心を真に理解することは、療法を試みる自分自身の心を真に理解することから始まる。クライエントの心は、カウンセラーの言葉や態度、表情によって様々に変化し、定石や理論や、河合氏のスーパーバイズですらも正しく対応できるとは限らない―――悩めるカウンセラー(というクライエント)たちへのアドバイスは逆説に次ぐ逆説、抽象化に次ぐ抽象化、内省に次ぐ内省で成り立っていて、「一般化」することができない。まるで禅問答、哲学の世界。亭主自身この本を読んで分かったのは「人間の心がいかに複雑か」だけ。亭主自身が安易に結論付けたり、総括することがはばかられるモノが世の中にはある、ということだけだった。

もちろん、本書の内容は非常に平易で、臨床心理士やカウンセラーに限らず普通の人にも充分に理解できる内容。各章のボリュームもほどほどで、海外の著作にありがちな、装飾ばかりでひたすら長い文章もない。それだけに、「心」の複雑さ、解を求めることの難しさが際立った。

今の亭主には、趣味で心理学を少しかじっている亭主、最初から最後まで興味深く読むことができた―――と無難にまとめるのが精一杯。悩みを抱える人、また悩みを相談されている人には特に読んで欲しい本。(2012.03.24)

2012年3月19日 (月)

03/19 【読】「成功する人は缶コーヒーを飲まない(姫野友美、講談社+α新書) 」

「成功する人は缶コーヒーを飲まない(姫野友美、講談社+α新書) 」

日本医科歯科大卒業で臨床心理士。ひめのクリニック院長のほか、日本薬科大教授をつとめる氏が、自らの診療経験を通して得たtipsをまとめた書。2011年4月刊、2012年1月現在13刷。

TVのCMで盛んに喧伝されている「朝は缶コーヒー」というビジネススタイルが正しいと思っているひとはあまりいない...とは思うが、本書ではまずそのスタイルを栄養学的見地からばっさりと否定している。その理由はずばり、糖分の過剰摂取。缶コーヒー摂取による急激な血糖値の上昇と、その後にやってくる急激な血糖値低下が低血糖状態をもたらし、脳の働きを著しく低下させている、というのが氏の主張だ。眠気覚ましに缶コーヒー、中に含まれる糖分がさらに眠気を誘い、その眠気を払うためにまたコーヒーを飲むという悪循環が、慢性的な低血糖状態の原因であるという。言うまでもないが、糖分のとりすぎは缶コーヒーに限らず、チョコレートやキャンディーにも当てはまる。朝食や昼食などの料理にはすでに大量の砂糖が用いられているので、あえて間食で砂糖を摂取する必要性はない。能率を上げたいのならば、脳に必須となるアミノ酸やビタミンを摂るべき...という氏の主張には説得力がある。文中の「できる男は肉食系男子、草食系男子は無気力で、ひいては国を滅ぼす」なるくだりは、昨今のビジネス書らしい引きと割り切って(苦笑)、糖分を抑え、ビタミンとミネラルとタンパク質と、そして良質な油脂をとりましょうという本書の趣旨は、あざとい引きがなくとも充分に伝わってくる。

もちろん、不満もある。

一点目は第3章。「デキる男は女性上司の扱いもうまい!?」は、栄養学を主眼とした本書にはまったくの蛇足。要するに女性の心理を旨く掴み、円滑に仕事を進めていきましょうという話なのだが、栄養に関する記述は一切なし。まったく別の本の内容(しかもどこかで読んだことがある...)をそのまま挿入したように感じられた。

二点目は、傍証の少なさ。こまめにデータを提示し、客観的に論を進めるのは序盤まで。中盤はかなり乱暴に論が展開する。亜鉛が必要、ビタミンBが必要、ビタミンCが必要...なのは解るが、なぜ必要なのかを充分に説明しないため全体にやっつけ感が漂う。世に成功者と呼ばれる有名人、イチローやキングカズ、聖路加の日野原先生(今年101歳になられる)を例に挙げているが、自論の補強のためにその時々で引き合いに出しているだけのように見える。いや、有名人のだれか一人でも、氏が担当していればそれだけで説得力は増すのだが。

結果的に、全体としてどこかから聴いてきた、見てきたことのtipsのまとめになってしまっているあたりが非常に惜しい。 不満はあるものの、「まあ、そういわれればそうだよね、どこかで聴いたことがあるよね」と割り切って読んで吉。一行知識としては良いがこれを下敷きに論を張ろうとするときついかも。 (2012.03.19)

2012年3月17日 (土)

03/17 【読】 雪男は向こうからやって来た(角幡唯介、集英社)

「雪男は向こうからやって来た(角幡唯介、集英社) 」

デビュー作「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」で2010年第八回開高健ノンフィクション賞ほか多数の賞を受賞。新進気鋭の探検作家による冒険小説第二作。高橋好輝をリーダーとする「雪男捜索隊」への参加と、ネパール・ダウラギリIV峰への探索行を綴ったノンフィクション探検小説。

2008年にイエティ・プロジェクト・ジャパンが企画した第三回雪男捜索隊の顛末に、1933年に世界ではじめて発見報告された雪男の歴史と、ルバング島で小野田少尉を発見しその後雪男の探索に身を投じた冒険家鈴木紀夫のエピソードを挿入した盛りだくさんな内容。亭主自身、山岳小説、あるいは探検小説の類はこれが初めてで、そのジャンルの中でどのような評価を受けているのかはわからないのだが、これがもう無闇矢鱈に面白い。雪男棲息の最有力地として知られるダウラギリIV峰への挑戦という山岳小説の要素に加え、未確認動物イエティの謎、鈴木紀夫の探索にまつわる謎など、ミステリ小説の要素を含むのに加え、物語開幕からちらりちらりと登場していたエピソードが重要な伏線となるなど、最後までしっかりと読ませてくれる。イギリスの山岳探検家エリック・シプトンに端を発する雪男探索の歴史、関係者への徹底的なインタビューがノンフィクション小説に必要不可欠なリアリティを与えている。正直、これ一冊あれば国内外の雪男に関する知識はほぼ全て網羅できる。その手間のかけ方、情報量の多さは圧倒的で、未確認動物好き、ミステリ好き、冒険好きな亭主は堪えられない内容だった。

なお(世間における雪男の対する情報が以前として曖昧模糊であることから用意に知れるように)本作においても雪男の正体は明かされないので念のため。もちろん、正体が明かされないからといって本書の価値が下がるわけではないし、もし万一見つかったとしても本書の内容が覆ることはない。雪男肯定派にも懐疑派にも、また否定派にも興味深く読めるニュートラルな内容となっている。もちろん山好きにもオススメ。ダウラギリIV峰の奥、雪男が棲むとされるコーナボン内院氷河の隔絶された世界に思いを馳せつつ、胸躍らせながら読みたい。(2012.03.17)

03/17 【聴】 On Another Level / Los Hermanos, Detroit Hardware Songs|Submerge(LHCD-001)

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ジェラルド・ミッチェルとDJロランドによるデトロイト・テクノのプロジェクト、Los Hermanosの1stアルバム(2004年)が再発された。フュージョンを意識した爽やかサウンドは、Underground Resistanceを筆頭としてシリアスな曲調の多いSubmergeレーベルにおいては珍しい部類に入る。

国内においてテクノ/ハウス系レコードのディストリビューター最大手だったCiscoが倒産し、長らく廃盤となっていた本作。亭主自身久しぶりに聴いたのだが、こんなテクノがあったのかと、いまさらながらに驚かされる。ひたすらにダークな方向へと深化する近年のテクノの流れからすれば傍流だが、その健康的なサウンドは素直にノれる。サン=ラやジェフ・ミルズなどが指向する宇宙的な、あるいはコンセプトを重視するサウンドとも異なる、現実味もある。

ダンスミュージックとしての機能性という意味では、むしろ本流に近いかもしれない。(2012.03.05) 

2012年3月16日 (金)

03/16 【聴】 -:*Oh Yes Say Lala*:- / Tomoe Shinohara, Voicing(VSR-004)

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高校在学の1995年、そのぶち抜けたテンションの高さを見出され、石野卓球プロデュースにより歌手としてデビュー。強烈な個性とファッションセンスに「シノラー」と呼ばれるフォロワーを生み出す。現在は歌手・女優として活躍する篠原ともえの新作アルバムがAmazonあるいはライブ会場限定、二ヶ月連続でリリースされた。

前作ではオーソドックスなポップスを志向していたシノハラ、自分の世界を構築すべく試行錯誤していたといった趣だった。ところが、本作では何を思ったかダンサブルな方向に軌道を変え、よりグルービーなサウンドへと進化している。ヒーリングやラウンジを意識した前作に比べてリズムセクションが強化されていて、圧倒的に聞きやすい。慣れてきたということか、それともなにかを見つけたからか。ラストの曲"Kimi wa Orange"のアコースティック・ギター+ヴォーカルの構成にも(ダンス・ミュージックでないにもかかわらず)グルーヴを感じるあたりに、急速な成長を感じさせる。オススメ。(2012.03.05) 

2012年3月14日 (水)

03/14 【聴】 -:*Better*:- / Tomoe Shinohara, Voicing(VSR-003)

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高校在学の1995年、そのぶち抜けたテンションの高さを見出され、石野卓球プロデュースにより歌手としてデビュー。強烈な個性とファッションセンスに「シノラー」と呼ばれるフォロワーを生み出す。現在は歌手・女優として活躍する篠原ともえの新作アルバムがAmazonあるいはライブ会場限定、二ヶ月連続でリリースされた。

彼女自身が作詞作曲を担当したほか、シンセへの打ち込み、ヴォーカルの多重録音、ジャケットのアートワークなどなど、かなりの部分を1人でこなした作品、とのこと。インディーズ的なフットワークの軽さと、等身大の彼女が垣間見えるシンセ・ポップに仕上がっている。 いわゆるダンスミュージック的な要素はほとんどなく、ヒーリング音楽やラウンジミュージックを意識したオーソドックスなポップス、というのが第一印象か。かつて石野卓球と組んで作り上げたアルバム「スーパーモデル」にみられたバクレツなテンションがないあたりは、往年のファンとして物足りないものがあるが、シンセの音色を生かしたシンプルなトラックには、クラフトワークや電気グルーヴなど往年のテクノサウンドの影響も見られてほほえましい。

まずは新しいシノハラの入門編、ここからどう変わっていくかを楽しみにしたいところ。

2012年3月10日 (土)

03/10 もうすぐ一年

北の国に住む人々には、「雪」に相当する単語がいくつもあって、その時々に応じて使い分けるのだと
、訊いたことがあります。

東日本大震災を体験し、潜り抜けてきた亭主を含む多くの人たちもまた、「地震」には様々な種類があることを、身をもって感じているのではないでしょうか。

たとえば、「瞬間ぐらりとして何事もなくおさまる揺れ」「突き上げるような揺れ」「長い周期の揺れ」「地鳴りとともにやってくる細かい揺れ」、「世界が終わったかのような激しい揺れ」、そして「いくつもの地震が連動しておきる、あの悪夢のような揺れ」。

それら揺れの多くに慣れっこになっている私たちにもなお、「ああ、これで終わったかもしれないな」と思う揺れがありまして、たとえば

本日3月10日午前3時前に起きた「茨城県北部震度5弱」

などはまさしくそれだったり、します。

徐々に海から近づいてくる地鳴り、次第に強くなる揺れ、そして揺れに悲鳴を上げる家・・・どこかから聞こえてくる、なにかが崩壊するかのような音。布団の中で息を潜め、きしむ家の音を聴きながら眠れない夜をすごしました。

この揺れで、別の揺れが誘発されなかったのが幸いでした。

今年はうるう年なので、3月10日は、昨年からちょうど365日目だったのですね。

明日がなにもないことを祈ります。

ちなみに「なにかが崩壊するかのような音」は、リビングにおいてあったハイビスカスの鉢植えが倒れる音でした。

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