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2008年9月 1日 (月)

09/01 続・こんどこそ出ますよ!

職場の事務担当のNさんとの会話。

「かたぎりくんかたぎりくん、しってる?」
「?」
「私たちが引っ越す建物って、幽霊が出るんですって」
「Nさんもご存知でしたか」
「かたぎりくんも知ってたの?結構有名なんだ〜やっぱ出るんだ〜」
「Nさんはその噂誰から聞いたんですか?」
「Oさん」
「・・・Oさんに言ったの私です」

こうやって噂は広がっていくのであることよのうヽ(´ω`)ノ←詠嘆

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雑談」カテゴリの記事

コメント

 では、同じ部署の人たちに、例のテストをやってもらってはいかがでしょう?(^_ー)

 で、能力のある人に、意識して見てもらう...とか? (^^)

例のテスト、ご教示いただきまてありがとうございます(^o^)

昨日一人をテストしたところ、(幸いにも?)その人は陰性・・・ちがった、0人でした!

その人がテストをいたく気に入りまして、「だれかにやってみよーっと」などと言っておりましたので

追って結果が出てくる・・・かも?

まあ、なんと言いますか、新しいデジカメで幽霊を撮影できれば、これは丸く収まるというもんですよ。

銀塩にだって今まで沢山写っていたんだから、CCDだって写りますよね?

おさまりますか(^^;)

光学的に写るものは、写るでしょうねぇ・・・
うつらいでか!って感じですねえ・・・

どうなんでしょうね。そこんとこ実際。

肉眼よりデジカメのほうが写る波長帯は広いでしょうし、肉眼で見えるのならば写るはずです。

肉眼だって水晶体で光を屈折させて網膜に像を結んで初めて見えるわけですから、カメラに写らない理由はないですよね。

そうですね
リモコンの送信部をデジカメで撮ると、赤い色が見えますからね(^-^)

デジカメで心霊写真が流行っているように見えないのは、レタッチでかんたんにニセモノが作れるからなのでしょうか。
心霊写真としての価値が落ちたのが、デジカメに心霊写真が写らない理由なのかもしれませんよ

一時期、デジカメでいっぱいアヤシイものを撮ってたので、
「デジカメでは心霊写真は撮れない」説には
疑問を感じるんですが、一体誰が言い出したのかな?

フォトショップで簡単に合成が
出来るようになったから廃れた、
という言い方はできると思うけど(笑)。

>fziroさん
コメントありがとうございます。
いくらか混乱があったかもしれません。すいません(^^;)

しょうさんの

>カメラに写らない理由はないですよね。

に対する返答として、「写らない理由があったとしたら」と仮定した上で

>心霊写真としての価値が落ちた

からなのではないかと考えたしだいです。

--

このコメントを書いているとき、デジカメで心霊写真が写るのか、写らないのかではなく、デジカメで写真を写した人が、出来上がった画像に霊を意識しているのか、していないのかをずっと考えていました。

私自身は、デジカメに霊を意識する人は、銀塩カメラに比べると少なくなっているのではないか、と考えています。銀塩カメラに霊を意識し、デジカメに霊を意識しない理由は二つあると考えられます。

(1) デジタルへの信頼
 化学変化に頼る銀塩カメラに対して、デジカメはハイテクの塊である。しかるに、デジカメに霊は写らないのではないか。(銀塩カメラも当然ハイテクの塊ではありますが、信頼というのは得てしてこういうものだったりします)

(2) デジタルへの不信
 デジタルカメラの画像は、フォトショップなどレタッチソフトで自由に加工できる。しかるに、心霊写真を偽造するのは簡単なのではないか。あるいは、本当の心霊写真であることを実証するのが極めて難しいのではないか(これはfziroさんのコメントと同じですね)。

背反する二つの意識が、皮肉にも、デジカメに霊を意識させなくしている点、個人的には非常に興味深いと感じています。特に、(2)は、心霊写真の価値を貶めるに充分な要素になりうると感じていて、それが

「心霊写真としての価値が落ちた」

という言葉へと反映されているのでした。

私は、写真が心霊写真であるか、そうでないかを決定するのは、(そこに本当に霊が写っているか、写っていないかに関わらず)あくまでも人間であると考えています。
人間が写真に霊あるいは霊の作用を意識しなくなったとき、それが心霊写真が写らなくなるときなのではないでしょうか。

霊は「モノ」に宿ると考えられるのでは。
フィルム上の化学変化によって記録された心霊写真は「モノ」に宿ったもの。
デジカメもセンサー上の物理現象をメモリ媒体という「モノ」に記憶させるわけですが、デジタルデータは媒体を選ばないので「モノ」との距離感が極めて遠いため「宿る」という感じに乏しいですよね。
「心霊写真はきちんと供養しないといけない」なんていう感覚もそれを示唆しているように思います。
(となるとやばいのはネガだという指摘もありますが)

SF的にはデジタルな霊なんてのもあるのかしらん。
あるだろうね。

その昔、霊は

1.モノにつく
2.人につく
3.場所につく

と、友人に聞いたことがあります。
デジカメ上のデータは「モノ」からはちょっと遠いですね。ハードディスクやメモリ上の電気・磁気的な現象を「モノ」というには、もう1段階、2段階工夫する必要がありそうです。

たとえばディスプレイに表示する。プリンタに打ち出す。CD-Rに焼く。うーん、ディスプレイに表示した、プリンタに打ち出した状態で既に霊としての仕事は終わっているのかも。

「リング」の貞子は、あれは霊だったんでしょうか?
それとも超能力?あのシリーズ、最終的にはSFに帰着されちゃいましたが

デジタルデータの場合コピーが際限なくできることによって霊も際限なくコピーできてしまう(?)ことになりそうで、これがまさに「霊の価値が落ちた」ということにつながるような気がします。
どの媒体を供養すればいいの?という質問にも明確に答えられないのも弱いですよね。

デジタル的な霊というのは、数学上の不思議と重ね合わせたような、たとえばカール・セーガンのSF小説「コンタクト」にあった円周率に現れるメッセージなどを想起します。
(ストーリーは忘れましたが。)

たぶんですが・・・
霊としては、最初にカメラに写った瞬間に、その目的を果たしているはずで、
それがコピーされることについては、おそらくなにも考えていないのかもしれません。

逆に、コピーされることを目的とした霊がある可能性もあるのでしょうけれど。
そうなるとリングの貞子のように、自身を広く知らしめる・存在を増殖させる目的があるのかな?

「コンタクト」は残念ながら未読ですが、円周率となると霊よりもむしろ「神」を思い出させますね。

「神」と「霊」
まさに統一論ですね!

なるほど。
認知外から、なんらかの情報を「モノ」に投影するという意味では
神も霊も同じなのでしょうか。

キリスト教では「霊」というのは存在しないと伺ったことがあります。
あれは悪魔なのだと。

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