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2018年5月23日 (水)

05/23 【読】 「日本人の『あの世』観(梅原猛、中公文庫)」

「日本人の『あの世』観(梅原猛、中公文庫)」

 哲学者で京都市立芸術大学学長でもある梅原氏の、自身二度目となる論文集。1989年に中央公論社より加工された単行本を文庫化したものが本作となる。 本来専門とはいえない民俗学、宗教学、国文学などを題材に、日本人の思想や哲学を論じた7稿を収録する。

 本書は大きく2部構成をとる。第1部は宗教と民俗のパート、日本独特の宗教観から日本人の「あの世」観を論じた「世界の中の日本の宗教」、北海道~東北・沖縄に現在も色濃く残る縄文文化を論じた「甦る縄文」、 金田一京助によるアイヌ語研究を批判し、アイヌ語が孤立語ではなく古代日本語の残滓であるとの示唆を与える「日本語とアイヌ語は異言語か」、沖縄文化とアイヌ文化の類似点を言語の観点から比較した「基層文化としての沖縄文化」の4稿を収録。 古代日本を題材にした論考としては中沢新一氏の対称性人類学が有名だが、梅原氏の論考は中沢氏のそれにかなり近い。本書を読むにあたっていくつかサイトを当たったところ、梅原氏は中沢氏と交流があったようで、 なるほど論が似ていてもいたしかたない。ただし梅原氏の論考は、先行研究をうのみにするタイプではなく積極的に批判を加えるタイプである。おかげで敵も多いとのことである。

 第2部は国文学のパート。古事記・日本書紀の成立、ならびに万葉集編纂の経緯から古代史を読み解く「原古事記と柿本人麻呂」、万葉集と古今集、二つの歌集の位置づけを考察した「人麻呂をめぐる『万葉集』と『古今集』」、 宮沢賢治の童話を題材として第1部・2部で論じてきた事柄を新たな角度で読み解く「新しい時代を創造する賢治の世界観」の3稿。定説とされてきた万葉集編纂の経緯、柿本人麻呂の役割にあえて異を唱え、 梅原氏自身が再解釈を試みるという野心的な内容。歴史ミステリ的な面白さは知的好奇心を刺激するが、日本史家、国文学者からは相当に批判された内容のようである。この辺は様々な分野の学者から批判があったようだ。 専門家らは梅原氏の論考を、門外漢の勝手な妄想と猛攻撃していたようだが、読み手にはあまり関係のない話である。一方、宮沢賢治の童話に関する考察は、本書の内容をざっくりとまとめたもの。本書の論考から様々なキーワードをひっぱりつつ、 宮沢賢治の「イーハトーヴ」幻想に古代日本の死生観が反映されていると主張する。引用部分が多いので宮沢賢治が好きな人はさらに楽しめることができそうだ(2017.05.23)

2018年5月19日 (土)

05/19 【聴】 Super Heroes / Non, Kaiwa(Re)Cord(KRCD-00005)

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 現在は「のん」として活動する能年玲奈が、40人にもおよぶアーティストのサポートを得て作り上げたデビューアルバム。先行シングル「スーパーヒーローになりたい」「RUN!!!」からの楽曲を含む全12曲。 初回限定盤にはDVD「のんと音楽」、28ページのフォトブックが同梱されている。


 かつて所属していた事務所とのトラブルにより、実名での活動を禁じられた「のん」。NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」の主演以降さらなる飛躍を期待していた彼女が、事務所やメディアからの圧力によって活動休止を余儀なくされたことは記憶に新しい。 その後こうの史代原作のアニメ映画「この世界の片隅に」で主人公の声を演じたことが世界的に評価され、またファンをはじめとする多くの支援者によって一線へと復帰した彼女が次にたどり着いた境地が「ロック・ミュージシャン」らしい。 彼女自身がギターを持ち、彼女自身が体験したこの世界の理不尽・彼女の中にある「もやもや」を「歌」という武器で蹴散らす。本アルバムのコンセプトは極めて明確だ。


 本アルバムには飯尾芳史、高野寛、矢口博康、屋敷豪太、Sachiko M、Dr.kyOn、徳澤青弦、小原礼、鈴木慶一、コトリンゴ、砂原良徳、高橋幸宏、大友良英、矢野顕子らベテランの域を超えたアーティストらが参加、彼女のギターと、ヴォーカルをサポートしている。 いわゆる「ロック」の本流とは少し外れたアーティストたちが、彼女と彼女の歌を背後から支える。実際、演奏を聴いてみると音楽に彼らの個性はほとんど現れてこない。サポートだから奥ゆかしく、ということもあるのだろうが、 やはり「のん」の圧倒的な個性と存在感がアルバム全体を支配しているからだろう。タイトルナンバーである「スーパーヒーローになりたい」は、作詞作曲高野寛、強烈なカタルシスのある曲。 1stシングルに収録されアルバム冒頭を飾る「へーんなのっ」はのんが作詞作曲、世の中の矛盾や大人の事情を「へん」と一刀両断する。様々な軋轢に苦しんできた彼女ならではの、社会に対する強烈な一撃。(2018.05.11)

2018年5月16日 (水)

05/16 【聴】 Exitentialist a Xie Xie / The Beatniks, Better Days|Columbia(COCB-54260)

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 高橋幸宏と鈴木慶一のユニット、The Beatniksが、前作"Last Train to Exitown"から7年ぶりとなるニューアルバムをリリースした。レーベルはかつて坂本龍一、渡辺香津美らがアルバムをリリースしていたBetter Days。 こちらは実に30年ぶりのレーベル新作とのこと。参加アーティストはゴンドウトモヒコ、砂原良徳、矢口博康、小山田圭吾、沖山優司、佐橋佳幸、LEO今井ほか最近の幸宏さんのアルバムにはかならずサポートとして登場するメンバー。

 アルバムタイトルである"Xie Xie"は、中国語の謝謝だろうか、それともおそ松くんのキャラクター、イヤミの決めセリフ「シェー」だろうか。なんとも人を喰ったタイトル、違和感もあって、これまでのThe Beatniksとはまた一風異なった作風となっている。 そもそもThe Beatniksの作品コンセプトは、「実存主義者(Existentialist)」をもじった「出口主義者(Exitentialist)」。閉塞感にさいなまれる幸宏さんと慶一さんが、出口を求めて彷徨う様、音楽巡礼の旅がアルバムにつづられている。 結成当時神経症に悩まされ、うつ状態を併発していた彼らが作った作品は、人間の弱さや孤独を赤裸々に描いていて、当時の亭主も大いに共感したものだった。2001年にリリースした3rdアルバム"M.R.I."では、出口主義のコンセプトが薄れ、 老年を迎えた二人のユーモアが随所に現れるようになったのを覚えている。本作"Xie Xie"もまたどちらかといえばユーモアや達観が伺えるアルバムである。「シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA・Yeah・Yeah・Yeah・Ya・Ya・Ya」 なんていう曲もある。ビートルズや日本のグループサウンズにありがちな間投詞(というか掛け声)を重ねた曲のタイトル、あるいは曲の内容をオマージュした、レトロチックなロック・サウンドに郷愁を感じる。 ちなみにアルバムタイトルの"Xie"はやはりイヤミのシェーのようである。アルバムの歌詞カードにイヤミの手が沢山コラージュされているあたりオールドスクールへの憧憬があるのだろうか。(2018.05.08)

2018年5月14日 (月)

05/14 父からの手紙

父から、手紙が届いた。

普段は手紙などめったに書かない父である。筆不精、というわけではなく、スマホからちょくちょくメールをしてくるため、手紙を書く必然性がないのだ。

封筒を開けると、便箋4枚に、びっしりと書いてある。少し荒れた、ありていに言えば雑な字である。父の字は決して上手くはないが丁寧で、バランスが良い。母などは「私は字が汚いから」と熨斗書きを父にお願いしている。この字は父の字だろうか。良く分からない。書き手がよほど急いでいたことだけはわかる。

便箋の1枚目は、こう始まる。

「片桐様 ***の***です こんばんは」

「お送りいただきましたAIWA TPR-830が無事到着いたしました」

先日亭主がヤフオクで落札し、父親に進呈したカセットデッキを、修理に出したらしい。読み進めてみると、様々な部分が劣化・故障していて、かなり深刻な状態のようである。修理代は6万~6万5000円。たかがラジカセ、という意味ではべらぼうに高い。

複雑な表情をして手紙を読んでいた亭主を見かねて、妻が手紙を覗き込んだが、あきれ返って向こうに行ってしまった。

夜、父から電話があった。手紙が届いたことを告げると、修理したいがいくらか出してくれないか、とのこと。完全に趣味の世界である。乗り掛かった舟、よござんす出しましょうと答えたところ、さっそく修理先に返事をするそうである。

ところでなぜ手紙なのかと尋ねたところ、業者さんからのメールを印刷しようと思ったがプリンタのWi-Fiが不調で印刷できなかったため、手紙に必死に書き写したのだそうだ。書き写したあとで不調が解消して印刷できるようになった、疲れたとは父の言。本当にご苦労さんな話である。

修理は9月着手予定、4ヶ月かかるとのこと。

せっかくの機会である。亭主と父の思い出のラジカセを、しっかり治してもらうとしよう。

2018年5月13日 (日)

05/13 日々雑感

いつもお世話になっている1000ZXLちゃんねるの「物欲友の会スレッド」に、USB端子付きで良さげなアンプ(予算50000円)を紹介してほしいと書き込んだところ、早速お友達のYSさんからいくつかオススメを紹介いただいた。

Denon PMA-60

Yamaha A-U671
Pioneer A-50DA/70DA

亭主がとりわけ嬉しかったのは、紹介いただいたアンプがどれもオーディオメーカのもので、しかも昔ながらのファンにもよく見知ったブランドだったこと。iPodに端を発するポータブルオーディオ・ネットオーディオ・PCオーディオ隆盛の中で、デジタルアンプやハイレゾ対応DACを手がける中小メーカが(文字通り)ごまんと現れ、ハイファイとローコストを売りにした製品を(文字通り)うんざりするほど発表している昨今、よくわからないメーカをオススメされても判断のしようがなかったからだ。

とりわけ亭主はDENONに古くから信頼をおいていて、つい先日もDENONのBluetoothスピーカを購入したところだった。紹介いただいたアンプにはかつてのピュアオーディオ的な雰囲気はないものの、オーディオ専業ならではの作り込みの良さと安心感、それにメーカならではの個性的なデザインがある。これが昨今の中小メーカならばそうはいかない。気をてらい過ぎたとっぽいデザイン、あるいはシンプルisビューティフルと言わんばかりの弁当箱になる。音質に関しては使っているチップの種類が限られているうえ回路も最小限であろうから、どれも似たような音になるとは思うのだが。

オススメされたアンプのどれを選ぶかは、完全に「個人の好み」である。デザイン、価格、使い勝手、あるいは作りの良さあたりを勘案して選びたい。現在の真空管アンプから音質向上が図れれば良いが、真空管アンプも機嫌のよいときはゴキゲンに鳴ってくれる。真空管アンプとの併用も考慮に入れつつ選びたいところ。

2018年5月11日 (金)

05/11 【読】 「悲しき熱帯II(レヴィ=ストロース著・川田順造訳、中央公論新社)」

「悲しき熱帯II(レヴィ=ストロース著・川田順造訳、中央公論新社)」

 フランスの人類学者・社会学者でブラジルのサンパウロ大学教授。サンパウロ大学赴任時にはインディオ社会のフィールドワークに従事したレヴィ・ストロースが、1955年に記した南アメリカ人類学の名著。 日本では1967年に日本語版が初版、以降多くの国内人類学者・社会学者たちがテキストとして引用した。 中公クラシックス版は2001年に2分冊として刊行。今回は最終巻である第2巻を読了。

 ポルトガルのセウタ攻略によって始まった大航海時代。 アフリカ・アジア・北米・カリブ海諸国とその版図を広げる欧州列強にとって、南アメリカもまた重要な搾取の対象であった。 欧州諸国による植民地支配は、南アメリカ先住民族(インディオ)たちの生活に大きな影響を及ぼす。 一部は奴隷として欧州へと連行され、また一部は海岸から奥地へと追いやられたが、欧州諸国の経済・文化と急速に同化し鉄道敷設や農場経営などに従事した人々も多かったようである。 急速に文明化され、その原始性を喪失していくインディオたち。 彼らの文化を記録すべく、人類学者であるレヴィ・ストロースはブラジルに渡航、サンパウロから船・鉄道などを乗り継いでアマゾン川流域に住むインディオたちの村を目指すこととなる。

 第2巻目は、「第6部 ポロロ族」「第7部 ナンビクワラ族」「第8部 トゥピ=カワイブ族」の3つの部族に関する記述、そして文明世界へと戻ってきたストロースが西洋世界とはなにかを思索する「第9部 回帰」の4部構成。 パラグアイからボリビア、そしてブラジルはアマゾン川の源流に向かって進む行程のなかで、ストロースとその探検隊が出会ったインディオたちの生活が記されている。 インディオたちと生活をともにし、その暮らしぶりや習俗を細かく記すストロース。ただし部族によってその記載の度合はまちまちである。本書では特にナンビクワラ族について詳細に記している。 衣服を一切つけず、男性器にささやかな藁の飾りをつける程度の未開の部族、文字らしい文字を持たず、地面に横たわって眠るナンビクワラ族。しかしストロースが彼らから、かつての人類に共通する死生観や哲学を見出したかどうかはいささか怪しい。 アマゾン奥地に向かっての探検はとにかく過酷、自らの生命をつなぐだけで精一杯という極限状態のなかで、平静を保っていること自体が無理というものだ。旅の総括と考察は第9部にゆだねられることとなるが、なぜか第9部は小アジアやインドに舞台が移っていて、 イスラム教や仏教、ヒンドゥー教などを信奉する世界と、西欧世界とを比較している。せっかくのアマゾン行きの経験がまるでナシになったかのような展開は、読んでいて「おいおい」と思わず突っ込みをいれてしまうほどであったが、 これをして世界の学者らが「名著」とするのだから、まあこれはこれというものなのだろう。フランス人らしい華美な言い回し、学術的とはいい難い、比喩や暗喩をたっぷり含んだ文学的な文章になかなか慣れることが出来なかった亭主、 本書もまた読了するのに時間がかかった。充分な理解が出来ているかはいささか怪しい。(2018.05.11)

2018年5月 9日 (水)

05/09 【読】 「対称性人類学 -カイエ・ソバージュV-(中沢新一、講談社選書メチエ)」

「対称性人類学 -カイエ・ソバージュV-(中沢新一、講談社選書メチエ)」

 宗教学者で思想家である中沢氏が、自身のライフワークともいえる「対称性人類学」について、中央大学特別講座での講義内容を文字起こししたのが本シリーズ。第一巻「神話論」第二巻「国家論」第三巻「贈与論」第四巻「宗教論」につづく本作では、これまでの内容を総括・フル活用し現生人類である我々の「心」の形成、「無意識」の働きについて考察する。ネアンデルタール人ほか現生人類に近しい人類が多く登場した地球の歴史の中で、なぜホモ・サピエンスだけが生き残り、現在に至る文明を形作ることができたのか、様々な問題を抱え行き詰りつつある人類文明がふたたび繁栄するためになにをすべきかが本書で語られる。二年にわたる講義の集大成、これまで語られてきた様々な事柄が「対称性」「流動的知性」などのキーワードのもとに結びつけられ、人間と世界とをとりまく巨大な叡智へと結実する。2004年刊行。


 集大成・・・と書いては見たものの、本書もまた新たな知の冒険、新しい考察・試みが種々登場する。「一」による世界支配とそこから脱すべく遍歴を続けるアマゾン奥地の民族、「野生の思考」にもっとも肉薄した宗教「仏教」、そして人類が渇望する「幸福」の本質。終章に向け様々なサブエピソードが掲げられ、中沢氏言うところの「対称性」へと収斂していて、文字通り最後まで目が離せない。なかでも「仏教」に関する考察は、中沢氏がかつてチベットにてチベット仏教に入信、修業を行ったこともあってかなり詳細に語られている。なお、エピソードによっては本シリーズ外の作品と強く関連付けられているものもある。中沢氏の著作全体にまで及ぶ知の冒険は、「カイエ・ソバージュ」というシリーズの枠を越えてもなお終わりそうにないようである(2018.05.09)

2018年5月 7日 (月)

05/07 【聴】 馬のように / パール兄弟, Pearlnet(PEAR-5003)

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 ハルメンズ、ジョリッツと、サエキけんぞう関係のプロジェクトが次々と復活を遂げる中、ついに「パール兄弟」までもが復活。かつては窪田晴男(Guitar)、バカボン鈴木(Bass)、松永俊弥(Drums)との4ピースバンドとして、また松永俊弥と矢代恒彦(Keyb.)との3ピースバンドとして活動した伝説のロックバンドが、矢代の正式加入というイベントを経て5人兄弟(サエキ、窪田、バカボン、松永、矢代)として完全復活を果たした。完全新作の「馬のように」「火花が泣いている」2曲のほか、スタジオでのセッション録音「焼きそば老人」「洪水デート」「世界はゴー・ネクスト」の3曲を加えた5曲に、新曲のインストバージョン2曲を含めたミニアルバムが本作。なお6月13日には過去の作品から「パール&スノウ+色以下」「六本木島」「未来はパール」の3枚が1080円という廉価盤で再リリースの予定。


 個人的には一番待望していたパール兄弟の復活。窪田が勘当されて以降のアルバム「大ピース」「公園へいこう」に参加するもサポートメンバー扱いであった矢代がついに正式に5番目の兄弟となり、最強のロックバンドとなった彼らがあいさつ代わりにリリースした作品が本作である。スタジオセッションの3曲は、スタジオでの彼らのリハーサル風景、おなじみのメンバー紹介(兄弟だから、苗字はパール)を含む懐かしいナンバー。リハーサルらしくスカスカな、しかしリラックスしたサウンドにオリジナルフルアルバムの期待は高まる。1980年代から1990年代、バブル経済の影響を受け日本がもっともテンションを上げていた時代にあって、当時最強のスタジオミュージシャンたちが一堂に会したロック/ポップスバンドの金字塔が再び胎動を始めたと聞いてワクワクしないはずがない。でフルアルバムはいつになるの、Amazonの予約はいつなの、これからもしばらくは活動してくれるんでしょうね、もう気が気ではない。


 なにしろ亭主の青春時代を飾ったバンドなのだ。初めてできた彼女と、大学の講義前の教室で「色以下」をCDウォークマンからのイヤフォン片耳づつ聴いたことが思い出される。彼女と破局し、通じなくなった電話に傷心しつつも「公園へいこう」を暗い部屋で一日中聴いていたことが思い出される。希望に満ち溢れ、しかし将来のビジョンなど描けるはずもなく、貧乏だったがそれなりに楽しい生活を送っていたかつての自分の後ろで常に流れていた音楽に、いま、なつかしさ以上の「何か」が沸き起こっている。パール兄弟の復活(それも今度は5人兄弟だ!)が、逼塞しきった亭主の人生の一大イベントとなりそうな予感がしてならない。(2018.04.27)

2018年5月 6日 (日)

05/05 日々雑感

自室PCのSSD(Dドライブ、Intel SSDSC2KW480H6, 480.1GB)の健康状態がいつの間にか98%に低下していることに気が付いた。

98%という数値が高いのか低いのか、まだまだ正常なのかそれとも異常の兆候なのか判断がつかないため、数値を見てはモヤモヤしていた。いっそのこと新品に換装した方がせいせいするのではないかと、近所のPC-Depotへ出かけたが、結局何も買わずに帰ってきた。98%というモヤモヤな数値が決心を鈍らせている。

PC-Depotでは、ナイスな出物がないかと店内を2周した。自室PCはIntel Core2Duoの2.67GHz、ディスプレイアダプタはnvidia GeForce 9600GTといい加減古い。10年前のミドルクラスのPCスペックである。古すぎて、陳列棚にある各種パーツが果たして自室PCに使えるのかどうかも今一つあやしい。次は新品PCを買うことになるだろうが、変なこだわりと称してマザーボード、CPU、メモリそれにビデオカードを新調し、他のパーツは現在のものを流用するかもしれない。あくまでも「かもしれない」の話。店内にはゲーミングPCがFinal Fantasy最新作のデモ画面を延々と再生していて、最新ゲームを楽しむならば最新のPCを買って美麗なグラフィックを得るというのも一つの選択肢だ。部屋で使うならば今のフルタワーではなく、超小型PCへと買い替えるという選択肢もある(もちろんCPUやメモリは現在よりもグレードアップしていることが前提だが)。

いずれにせよナイスな出物はなかったし、新たなPCを買わなければならないほどひっ迫しているわけでもない。ひとまず様子見、あちこちのサイトで良さげなPCを物色するとしよう。

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